カデンツァ|広島〜ペンデレツキ〜つくる・ゆく|丘山万里子

広島〜ペンデレツキ〜つくる・ゆく
Hiroshima〜Penderecki〜To Build・To Depart

text &  photos by 丘山万里子(Mariko Okayama)
公演写真提供:広島交響楽団(Hiroshima Symphony Orchestra)

広島は3回目。十数年ぶりだが、平和大通りの豊かな緑は美しく、平和記念公園近くに架かるイサム・ノグチの2つの橋『つくる』『ゆく』は日差しに白い。夕暮れの原爆ドームには鎮魂を奏でる男女と、その周囲に外国人客が三々五々集まっては佇み、また散ってゆく。
ドーム先端に休むアオサギ(たぶん)に気づき、ベンチでぼんやり眺め続けた。

4月、京都での「『戦争/暴力』と人間―美術と音楽が伝えるもの―」シンポジウムから帰京、いつも歩く公園で被爆アオギリ2世の苗木を見つけた時、広島に行こう、と思ったのだ。6月、ペンデレツキの自作自演コンサートに合わせて。会っておきたい人もいる。
その被爆アオギリ。柵に囲われ、青々とした葉に白い花を咲かせている。

公演前夜。宿近くのお好み焼き店は地元客でいっぱい。カープの試合中継に盛りあがっている(負けたけど)。新幹線の窓から見えた球場がなにやら賑やかそうだったのは試合のせいか、と納得。なんだか、いい、と一人ビールでほろ酔い。

朝、開館早々に平和記念資料館へ。
外国人が多い。所用で京都から回ったが、まとう空気がやはり違う。観光気分はないが、といって深刻さもない。入口にある投下時刻を示す時計盤に盛んにスマホを向ける。
私は前回も見たが、年を重ねるにつれこの種の写真や画像の残酷を直視できなくなっており、結果、大半を素通りした。
出口へ続くガラス張りの回廊でこみ上げるものを鎮め、思い直して取って返す。
修学旅行生たちの見学が始まっていた。小学生の集団が団子状態で展示に列をなし、少しずつ動く。熱心だ。焼け焦げ、ちぎれた衣服の断片の数々。
被爆した子供達の遺品の部屋。ガラスケースに朱の草履と巾着。小さな頭がぐるりと囲み、おでこをすり寄せて見入っている。隣にはお母さんに宛てた子供のハガキ。こちらもくっついた頭が動かない。
一人、ケースに吸いついたままの少女がいる。身を起こしてはまたかがむ、それを繰り返す。
私は少し離れた壁にもたれ、それをずっと見守った。

疲れて休む、その回廊でまた。
あの少女が友達の群れに微妙に混じらずふらふらやってきて、壁のパネルにも立ち止まるのを見つけた。
友達は回廊の先に置かれた「対話ノート」に群がっている。彼女もその輪の背後からのぞき込む。
わやわやわやわや、彼らは盛んに何か言い合いつつ書いている様子。
やがて先生の集合の声がかかり、みんなそちらへ慌てて去ったが、彼女は一人うろうろボールペンを取る。そうしてやおら何か書き込むと、集合場所へとゆっくり歩いて行った。
静かになったコーナーのノートの最後に一行。
「忘れない やらない」

「忘れない」。
様々な巨大惨禍のたびに、この言葉を世界各地の人々が、口にし、刻み、建立してきた。それをいくつ見聞したことだろう。ダッハウ、アウシュヴィッツ、エルサレム、長春(新京)の皇帝溥儀の宮殿(日本軍支配資料館)、別所温泉一隅の寺の満蒙開拓団慰霊碑、広島、長崎、沖縄ひめゆり、NY9・11、フクシマ・・・。
いや、人は忘れ、繰り返す。私もまた。
それが砂を噛む実感だ。

もう一人、終始うつむき加減に展示を見る金髪の青い目の少年、彼もまた連れの家族に混じらず、一人回廊に現れ、対話ノートに向かっていた。

どれくらい経ったか。
ガラス越しに、あの小学生の一団が公園を歩いて行くのが見えた。リュックを背に、帽子をかぶり、先生に引率され、ドームに向かって。

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ペンデレツキは短い『平和のための前奏曲』の後、大曲『ヴァイオリン協奏曲第2番“メタモルフォーゼン”』を振る。現れた作曲家はそれなりに元気そうだが、ベートーヴェンは回避された。
晩年のカラヤンをザルツブルクで聴いたが、帝王は足取りも危うく、付添人が必要で何人もの楽員の手を借りてようやく壇上に上がった。彼の演奏に感銘を受けたことは一度もないが、そのシューベルト『未完成』に初めて私は涙した。
ペンデレツキはそういう歳の取り方をしなかった。歩いた道の違いだろう。
協奏曲のヴァイオリンは庄司紗矢香。ゆったりした白いロングブラウスに白の細身のパンツだった。
「メタモルフォーゼン」とは「変容」だ。冒頭、弦のAの低い呻り声の繰り返しと梵鐘のような打音から始まる単一楽章だが、曲想もテンポも終始起伏激しく動き、凪もあれば雷雨もあり、その中をヴァイオリンは時に凄まじいヴィルティオジテを挟みつつ、だがある種の静謐をたたえて水面(みなも)を滑って行く。
ムターだったらこうはならない。広島でなかったら、オケが広響でなかったら、振るのがペンデレツキでなかったらこうはならない。と私は思った。
そういう「変容」の姿。
時折、チェレスタやチューブラーベルが星のように、抉られた大地の、人の上に、かすかに瞬く。一方でどこまでも驀進するエネルギーに背を押され、天上天下に吹き上げられ突き落とされ、だがそれでも、どこかに一貫して響き続ける静けさを私は感取する。
庄司に、あの少女が重なったのは、私にはどうしようもないことだった。

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もう一つ、資料館の被爆前の広島の写真に見つけた立て看板を紹介しておく。
『関屋敏子嬢獨唱會』とある。
関屋は天才音楽少女と謳われ三浦環に師事、渡伊してスカラ座に立ち、パリで自作オペラ『お夏狂乱』を発表、歌舞伎座で初演など世界的な活躍ののち1941年晩秋に睡眠薬自殺している。
自作『野いばら』裏表紙に残された遺書は以下。

関屋敏子は、三十八歳で今散りましても、桜の花のようにかぐわしい名は永久消える事のない今日只今だと悟りました。そして敏子の名誉を永久に保管していただき、百万年も万々年も世とともに人の心の清さを知らしむる御手本になりますよう、大日本芸術の品格を守らして下さいませ。

— 関屋敏子、遺書

帰京して、彼女の歌う『からたちの花』を聴く。ラーナーノーツに国際的コロラトゥーラとあるが、いかにも若くヴィブラートの大きなソプラノで、山田耕筰が満足するような日本語の歌い方ではなかった。

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イサム・ノグチの橋『つくる』『ゆく』に込められた彼の願い。

Tsukuru (To Build) – 設計の際、私は、建設の理念、すなわち新たに自己の生活を建設する者の特に再建広島の理念を伝えるものとすべきであると考えていました。従って、私は、建設を意味する名前をその橋に付けたいと思います。
Yuku (To Depart) – 出離の理念、すなわち「人生よさらば」広島がその記念となった悲劇の経験よさらばということを伝えるべきものと考えます。

当初は「いきる」と「しぬ」と名付けたが、「いきる」から「つくる」に名称変更の際に、「しぬ」も「ゆく」に変えたそうだ。

彼は日米を祖国に、引き裂かれて生きた彫刻家だが、その最後の作品は札幌のモエレ沼公園。マスタープランを遺し、急逝している。
子供たちが喜びそうなカラフルなデザインの遊具が広大な地に点在する公園。訪れた時は未完だったが、「海の噴水」の完成により2005年にグランドオープンした。
「いきる」「しぬ」から「つくる」「ゆく」への変容。
ペンデレツキのメタモルフォーゼンもまた、それを告げていようか。

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「忘れない やらない」

少女よ。
あなたが2つ、書き残したこの言葉を、ここにも記そう。
そのように、次世代が何かを心に刻み、いつの日かそれが何かを生み出す、その最初の一粒の種が蒔かれるのを、私は確かに目撃したのだから。

 

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2019年6月20日 広島文化学園HBGホール
2019/6/20 Hirosima Bunka Gakuen HBG Hall

<演奏>
指揮:クシシュトフ・ペンデレツキ Krzysztof Penderecki(自作のみ)
広島交響楽団 Hiroshima Symphony Orchestra
vn:庄司紗矢香  Sayaka Shoji

<曲目>
ベートーヴェン Beethoven
指揮:沖澤のどか Nodoka Okisawa
交響曲 第7番 イ長調 op.92
Symphonie No.7 in A major op.92

クシシュトフ・ペンデレツキ
平和のための前奏曲(2009)
Prelude for Peace
ヴァイオリン協奏曲第2番《メタモルフォーゼン》
Metamorphosen – Concerto per violino ed orchestra No.2

(2019/7/15)