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Books|シューベルトの「冬の旅」|藤堂清

シューベルトの「冬の旅」

イアン・ボストリッジ 著
岡本時子、岡本順治 訳
アルテス・パブリッシング
2017年2月/ 5800円 ISBN 978-4-86559-150-7

text by 藤堂清(Kiyoshi Tohdoh)

ドイツ・リートの代表を挙げよと言われれば、多くの人がシューベルトの「冬の旅」、と答えるだろう。実際に聴いたことがある曲は少ししかない人も、学校で名前を教えられたからというだけの人も、もちろん好きだからという人もいるに違いない。この24曲の歌曲集、作曲者が亡くなった1828年に完成し、出版された。21世紀の今、それを演奏すること、聴くことの意味は何なのだろう?歌詞の裏に隠された社会的意味、歌曲集全体や個々の楽曲の構成、演奏家の系譜などいろいろな解説が書かれ出版されている。この本はそれらとどのような違いがあり、読者に何をもたらすだろうか?

著者はイギリスのテノール、イアン・ボストリッジ、自らの演奏経験を踏まえ、さらに文化的、歴史的、社会的、理学的な関連する事柄へと歩みを進めていく。彼は歴史の一分野で博士号を取得しているが、この本を書くにあたっても研究的な方法を用い、幅広い文献を読み込んでいる(巻末に読者向け参考文献リスト、ただし英国のもの中心)。
本の構成は、序章と終章(なごり)、そしてその間の24章からなる。第1章から第24章は「冬の旅」の各曲と対応付けられていて、歌詞(ドイツ語と日本語対訳)を章の初めにおき、その曲に関わる論考を加えていく。対象は、詩の内容そのものの分析、その背景にある社会の状況、音楽的な構成、詩の表わしている自然現象など多岐にわたっている。章ごとに(ということは曲ごとにということでもあるが)割かれているページ数は、6ページから30ページと開きがある。それに応じ、取り上げられている話題の幅にも、また分析の深さにも差がある。

「第1章 おやすみ」では、この連作歌曲の主人公がどのような状況で旅に出るのかといった、すでに多くの議論のある点から始め、ミュラーの詩集のタイトル”Der Winterreise”を歌曲集の名前として”Winterreise”と変更したことの意味、さらにミュラーの最終的な24編の詩の順序とシューベルトの歌曲集の曲の並びの違いに言及し、それがシューベルトによる物語性の排除であると指摘する。その上で、最初の言葉 “Fremd” に言及、19世紀における疎外感とその歴史的な位置付けを述べる。そしてそれが21世紀においても存在することを示す。
理学的な記述の例は「第23章 幻の太陽」にある。2009年撮影のノースダコタ州の幻日(3つの太陽)の美しい写真、1735年の幻日の王立協会への観測報告を挙げ、そういった現象の理解への経緯などが説明される。
「第24章 ライアーまわし」では、ここで取り上げられている楽器ハーディ=ガーディ、手稿譜と出版譜の調の違いにふれ、演奏上のいくつかの選択肢に関する考察が行われている。
後の章では、それ以前の章で考察した事象にふれ、その上で論考を進めていく場合がある。したがって、「冬の旅」を聴くときにシャッフリング機能を使わないことが望ましいのと同様に順序立てて読むのが良いであろう。

以上述べてきたように、ボストリッジの記述はさまざまな分野に拡がっており、彼自身がこの歌曲集を歌う際に考慮してきたこと、しようとしていることが、平易な言葉で書かれている。400ページを超える大著ではあるが、読みやすい本となっている。
「冬の旅」を何度も聴いたという人にとっても、新しい発見があるだろう。また、あまり知らないという人でも、歴史的、文化的背景を知れば、興味を持つことができるだろう。
岡本氏等による翻訳も自然な日本語で、その点でもお勧めできる。
校正ミスと思われるところもあったが(「魔王」が『冬の旅』となっているなど)、大きな問題ではない。

一点だけ、筆者の希望を書いておこう。各章の歌詞だが、ボストリッジの原著では彼自身による英訳がついていたはずである。日本語版での日本語訳は、訳者あとがきによれば、ドイツ語の原典に基づくものとのことで、行ごとに対応するように考えられた良いものなのだが、ボストリッジがどのように「英語化」したかもわかるように英訳も残していただけたら良かったと思う。

なお余談だが、この本には “Der schönen Müllerin gewidmet”(美しき水車小屋の娘に捧ぐ)という献呈の辞が書かれている。彼の妻がルカスタ・ミラーといえば、納得される方も多いだろう。