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パリ・東京雑感|犠牲者に<後光>? ノーベル平和賞と水俣に思う|松浦茂長

犠牲者に<後光>? ノーベル平和賞と水俣に思う
Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

日本の被曝者の団体、被団協がノーベル平和賞に選ばれた。被団協が受賞するとは誰も予想しなかったそうだから、海外のジャーナリストは、予定原稿はおろか、資料の用意もなく、あわてたことだろう。
ノーベル平和賞といえば、投獄されているイランの女性人権活動家とか、プーチン政権を批判したため、6人のジャーナリストが殺されたロシアの新聞の編集長とか、拷問に堪え、死をも恐れない特別の人を思い出す。我々凡人には、マネの出来ない英雄たち……
だから、だれも被団協をノーベル平和賞と結びつけて考えなかった。
被団協はヒロイックな平和の闘士として選ばれたのではない。広島・長崎の被曝者全員、生きている方も亡くなった方も、すべての犠牲者にノーベル平和賞が与えられたのだ。核兵器が現実に使われかねない危うい世界で、<犠牲者>にノーベル賞の誉れを与える。英雄をたたえるより、むしろいま、犠牲者に世界の目を向けることが、人類が生き延びるために役立つと考えたのだろう。

ナディア・ムラドさん

「ヒーロー賞賛より犠牲者に名誉を」というのは、いまの時代のしるしなのかも知れない。2018年にノーベル平和賞に選ばれた、イラクのナディヤ・ムラドさんも、酷い仕打ちを受けた<犠牲者>だ。ヤジディという信仰を守る小さな共同体に生まれ育ったため、強姦され、拉致され、性的奴隷にされた。ISイスラム国が、ヤジディを悪魔信仰と決めつけ、つぎつぎ彼らの村を襲って、男はみな殺し、女は性的奴隷として売り飛ばしたのである。
ナディアさんには、つらい経験を語る勇気があった。語る人がいたおかげで、ヤジディの<犠牲>がノーベル平和賞という強い光で照らし出され、ヤジディの女性たちに「胸をはって生きる」希望がよみがえったのだ。

アメリカの心理学者の奇妙な研究がニューヨーク・タイムズに載っていた。「ある女性のiPadが友達に盗まれた」とき、人は彼女をどう見るか、犠牲者への倫理的評価を調べたところ、油断するのが悪いと彼女をとがめるかと思ったら、まったく逆に、彼女は道徳的に優れていて信頼にあたいする、と大多数が答えたというのだ。面白いことに、「iPadが地震で壊れた」場合について問うと、iPadを失った女性への道徳的評価は高くならない。
犠牲者に道徳的<後光>が射す不思議な効果は、盗難だけでなく、ハラスメント、医療事故など人間のあらゆる悪の被害を受けた人について、同じように見られるという。なぜ人の心はこんな奇妙な動き方をするのだろう?

人の行動が道徳的かどうか判断するのは、その人が何をやったか、その行動ぶりによるのではないか? 他人の悪の犠牲になったというだけで、道徳的<後光>が差すのは、非合理的にしか見えないが、おそらくこの<後光>効果は、重要な社会的役割を果たしているのだろう。すなわち、犠牲者の周りの人々に、彼女を助けにかけつけようとする気持ちを起こさせ、他方、悪い奴を罰したいという気持ちを起こさせることにつながるのである。(ハーバード・ビジネススクール、ジュリアン・ジョーダン助教授、ミシガン大学、ローズアンナ・ソマーズ助教授 『ニューヨーク・タイムズ』9月8日)

でも僕がジョーダン先生の心理テストを受けたらどう反応しただろう? iPadを盗まれた女性に同情はするかもしれないが、道徳的に高いと感じそうには思えない。犠牲者に道徳的<後光>効果が働くかどうかは、文化によって違いがあるのではないか? ジョーダン先生たちの犠牲者理論は、アメリカとヨーロッパの歴史がつくりだした、かなり特殊な心理現象を物語っているように思える。
実は、8月にラジオ・フランスで3人の哲学者が「英雄と犠牲者」というテーマをめぐり、いささか過激な議論をしていたのを思いだし、聞き直してみた。3人とも英雄崇拝の時代はとっくに終り、いまは犠牲者崇拝の時代だと言う。「誰も彼も犠牲者になりたがる」などと、犠牲者愛の行き過ぎを叩く発言のどぎつさに、ギョッとさせられた。

アウシュビッツに到着したユダヤ人

<犠牲者>の時代の幕を開いたのは、アウシュビッツである。番組の司会者アラン・フィンケルクロート(アカデミー・フランセーズ会員の重鎮)は、真っ先に「アウシュビッツの犠牲者は、歴史の全犠牲者の代表として、いつも私たちのそばにいる。」という哲学者ポール・リクールの言葉を引用した。
もしアウシュビッツがなければ、弱い人、競争に負けて退場する人たちは、社会が進歩し、人類がよりしあわせになるためのやむを得ない犠牲として、今にいたるまで正当化され続けただろう。20世紀初めには、遅れた者どもの犠牲は必要不可欠だとする、こんな乱暴な理論が幅をきかしていた。

進歩の道には、諸民族の残骸が散らばっている。小径にもいたるところに遅れをとった人類の生贄がみられ、そしてより偉大な完成へのせまい道を見出しえなかったものの犠牲のすがたがみられる。しかしこれらの亡骸は、ほんとうのところ、人類が今日の高い知的生活と深い情緒的生活とへ、一段一段と向上し進み得た踏み台だったのである。(E.H.カー『危機の二十年』に引用されたカール・ピアソンの著作)

人類は、強者から強者へと、弱い者をふるい落としながら進化してきた。この過程で犠牲にされた個々の人々は、人類が高みにいたるための小さな悪として合理化されたわけだ。
ところがアウシュビッツによって、歴史の論理は打ち砕かれ、修復不可能な亀裂ができた。もはや、犠牲者を人類進化のために必要な悪として、歴史に組み込むことは不可能になった。リクールの言うように、アウシュビッツの犠牲者は、いつまでも私たちにまとわりついて、<犠牲>の意味を問い続けるのだ。

時代のムードが英雄崇拝から犠牲者崇拝に変わるのは、1980年代だという。レジスタンスの武勇談が色あせ、フランスがユダヤ人収容所送りに協力した物語が脚光を浴びる。映画、テレビで、収容所送りのストーリーが盛んに扱われ、「囚人服が光り輝く服」のように映り始めた。
それから40年、ありとあらゆる犠牲者、少なくともメディアに取り上げられる犠牲者は、ネオフェミニズム(男の犠牲)からアフリカ系アメリカ人(白人の犠牲)まで、自分たちをアウシュビッツになぞらえるのが、常識にさえなっているそうだ。

ルーベンス『キリスト降架』

犠牲者崇拝の第二の原因は、キリスト教会の凋落だという。十字架上で惨殺されたイエスにまねぶ宗教がすたれ、その代替として、アウシュビッツの犠牲者にあやかろうとする<犠牲教>が広まったというのだろうか。
続いて議論は、イエスが犠牲者かどうかをめぐって白熱した。司会者のフィンケルクロートが「キリストは確かに犠牲者です。ルネ・ジラールも『キリストというシンボルの力で、犠牲者が英雄に取って代わろうとしている』と書いています」とコメントすると、すかさず、パスカル・ブルックネルが、「犠牲者イデオロギーが時代の支配的風潮になったのは、キリスト教の完全勝利です。」と、逆説的な主張をする。教会が没落したため、キリスト教から派生した小さな流れが、隆盛を極める結果になった。カオスによる勝利だと言う。フランソワ・アズヴィは、猛然と反発し、こう論じた。

新約聖書で犠牲者の席についているのは殉教者です。殉教と犠牲はまったく違う。殉教者は、むしろ英雄の系統に属し、自分に加えられる責め苦の一歩先を歩む者です。殉教者が責め苦に対し積極的に立ち向かうのに対し、犠牲者は責め苦に対しまったく受動的です。殉教者は、犠牲によって信仰の証しをするのに対し、犠牲者は何も証ししない。レビナス(哲学者)は、「ユダヤ人犠牲者は私たちの聖化のために死んだのでもなく、反ファシストの闘いのために死んだのでもない。彼らの死は何のためでもない」と言いました。これこそが、犠牲者を殉教者から区別する決定的な違いなのです。(フランス・キュルチュールの番組『レプリック』8月17日放送から)

3人の哲学者は、議論のための議論を楽しんでいるように聞えるかもしれないが、3人とも真剣そのもの。犠牲者イデオロギーは、人類が先に進む展望を閉ざしかねないと危惧し、イラ立ちを抑えきれないというのが三哲の心情だろうか。
アフリカ系アメリカ人は永遠に人種差別の犠牲者であり続ける。白人は世の終わりまで人種主義者であり、差別の言い訳をし続ける運命にある。男は永遠に女を抑圧し続け、両者の了解はない……
差別され、抑圧された人たちの人権を守るための大切な運動が、過激化、原理主義化して、ここまで来てしまったのだろうか。確かにこれでは未来は開けない。フランソワ・アズヴィは、犠牲者思想の弱点をこう指摘する。

犠牲者思想は、どんな形であろうと、犠牲者を自分自身の中に閉じ込めてしまいます。人と人の関係は、他者への自己投影が基本なのに、犠牲者運動は他者への窓を閉ざすのです。だから、私は、この運動の行き着く先に、人々がおたがい穏やかに落ち着いて生きる社会形態が実現するとは思えません。

この四半世紀、フランスで暮らすあいだに、LGBTへの偏見が劇的に少なくなり、女性はまったく男性と対等に活躍するようになった。あれよあれよという間に差別と抑圧が消えてなくなるのを見て、わくわくしたものだが、日本より二歩も三歩も先を行くアメリカ、ヨーロッパでは、運動の逸脱も目立ちはじめたようだ。(日本のようにのろのろ進む方が安全なのかもしれない。)

ところで、最初にご紹介した犠牲者の道徳的<後光>効果だが、ひどい目にあった人が自動的に道徳的に高く見えるとまでは言えなくても、人間の悪によって大きな苦しみを受けた人は、ときに想像を絶する道徳的高みに達することがあるのは本当だ。
水俣に住んでいる熊本大学准教授、石原明子さんの対談からご紹介しよう。
石原さんは、2011年に福島の被災者を訪ねたとき、「一番苦しいのは私たちが皆バラバラになっていくことです」という声を聞いた。家庭の中でさえ、夫と妻が本音で話し合えない。友達同士でも、避難した人を裏切り者と呼んで非難するなど、住民同士が傷つけ合っていたのだ。そこで、葛藤に苦しむ原発事故被災地から、若手リーダーたちを水俣に招くツアーを企画した。
水俣でも、福島よりはるかに激しく住民同士が憎み合い、分裂し、皆が傷ついてきた。しかし、敵だと思っていた人も、実は同じ悲しみを抱えた人だったと気付くこともあり、苦しい人生を送ってきた被害者の中に「赦す」という人たちが現われた。

その「赦す」は「水に流す」「なかったことにする」という意味ではなく、「加害者であるあなたのことを人間として受け入れ、赦すから、二度と同じ悲しみが起こらない社会を一緒につくってくれ」という突きつけのような祈りの行為であることを感じていました。被害者にとって、水に流して仲直りしなさいというのは、非常に暴力的で傷つくことです。(佐々木和之・石原明子オンライン対談『傷つき分断されたコミュニティーの修復と和解』ウブムエ68号)

「赦す」人の代表として、石原さんは漁師の緒方正人さんと杉本栄子さんをあげている。
緒方さんは「私がチッソであった。この世で最も赦しが必要なのはチッソである」と、加害者・被害者の違いを超える、謎のような言葉を残している。

加害・被害の二極構造の中に、(有機水銀で汚染された)海の魚や、他の生き物たちのことは全然入ってこないんですね。いまだに、わび一つ言っていない。海に対しても、ネコに対しても。(<苦しんで死んだ父、自らも発症 それでも思う「チッソは私であった」>『朝日新聞』2023年11月28日)

杉本栄子さん一家は村人からひどいいじめをうけた。村人が栄子さんの家の前を通るときは口を押えて走り抜け、大量の糞尿をまいて、栄子さん一家が村道を通るのを許さなかったという。それでも、お父さんの言った「水俣病を<のさり>(天からの恵み)と思え」という言葉に向き合い、晩年には「赦す」と語るようになった。

水俣病は、自然に対して人間がしたことへ神さまが怒って、その罰を誰かが受けなければいけないなら、隣の誰かでなくて私に罰が当たってよかった。
私はチッソも国も赦す。

福島の若者たちは、国家的産業を守るために水俣の住民が分断され、追い込まれていった歴史を学び、福島の自分たちも、住民のいがみ合いにばかり心を奪われてはいけない、根本的問題は別の所にあると気付いた。そして、福島では複雑な状況の中で泣くことも出来なかったのに、水俣で共に泣いてくれる人がいて、初めて泣くことが出来たという。
水俣には、自閉的犠牲者イデオロギーと正反対の語りがあった。水俣病に苦しみぬいた漁師が、自分も美しい自然を痛めつけた罪人の一人だと自覚し、加害者と一緒に、狂ったネコ、死んだ魚に謝ろうという! 原爆の犠牲者の語りがノーベル平和賞の栄誉をうけたいま、なぜ、同じ日本で、こんな奇跡のような赦しと、正義への強い働きかけが可能だったのか、その秘密を知りたいと思う。

(2024/11/15)