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Books|ジャック・カロを知っていますか?|能登原由美

Books|ジャック・カロを知っていますか?
谷口江里也 著
2023年3月20日刊
未知谷
定価4400円
Text by 能登原由美(Notohara Yumi)

まさに探していたのはこれだった。「ジャック・カロを知っていますか?」というタイトルにも表れている。いや、私はジャック・カロを知っていた。が、実際には何も知らなかった。だから探していたのだ。彼に関する本や画集を。シューマンの《幻想小曲集Op. 12》の源泉とも言われたのはE.T.A.ホフマンの『カロ風幻想作品集』。彼ら同様、19世紀の多くの芸術家たちの創作の泉となっていたカロ。だが何よりも、ゴヤに先立つこと200年近くも前に「戦争の哀れ」を描いていたこの版画家を、もっと知りたいと思っていたのだ。以前、展覧会が開催されたようだがその冊子も入手困難。であれば、母国フランスにその功績を讃える美術館があるだろう、少なくとも生まれ故郷のナンシーには何かあるはず…と、現地を旅行した際その足跡を訪ねようとしたが、これといったものが見つからなかったのだ(私の探し方が悪かっただけかもしれないが)。知られているようで、知られていない画家、ジャック・カロ。その作品をふんだんに見せながら生涯と画業を追った本がやっと出た。しかも日本語で!

プロフィールによれば、著者の谷口江里也は、詩人、ヴィジョンアーキテクト。1976年にはスペインに移住とあり、この国の絵画にとりわけ詳しいのであろう。実際―あとで気づいたことだが―、手元にあったゴヤの版画集『戦争の悲惨Los Desartres de la Guerra』はやはり谷口が手がけている。画家の生前には日の目を見なかった計82点を取り上げ、宗教・階級間の闘争や領土問題など争いの絶えない時代背景にも触れつつこれらの版画を紹介する。カロの本にも共通する語り口だ。が、後者は評伝であり、同名の連作版画『戦争の悲惨Les Grandes Misères de la guerre』のみに焦点を当てているわけではない。それにしても、1592年生まれのカロと、1746年生まれのゴヤと、150歳余りの年齢差にもかかわらず、いずれも戦禍をテーマにした版画集を創作しているとは。

本書の副題は、「バロックの時代に銅版画のあらゆる可能性を展開したジャック・カロとその作品をめぐる随想」。カロが制作した1500点近くの作品のうち、主要なものをほぼ年代順に取り上げながら生涯を辿る。「銅版画のあらゆる可能性」といえば技術的、様式的側面をつい想像してしまうが、当時の社会における版画のもつ意味合い、それを職業とする者の使命についてもよく伝わってくる。例えば大公に仕えていたカロの父親。さまざまな記録や告示書、紋章などを作成する役割も担っていたようだが、それを紙に残すべく銅版画の技法が必要とされていたという。音楽でも17世紀初めといえば、楽曲を紙に刷って広めるべく銅版画による楽譜印刷が徐々に広がり始めていた。記録、保存、頒布するための媒介物としての版画。だがカロの場合は幼い頃より創造性に溢れていたらしい。15歳の時に制作したという大公の肖像画など、どうだろう。威厳を湛えているのは表の姿で、その目つきは人物の裏の顔を存分に想像させる。対象の芯を射抜く力がすでに備わっていたのだろう。

ローマでの修業時代を経て、イタリア・ルネサンスの花咲き乱れるフィレンツェへ。ここではコジモ2世のお抱え絵師として活躍。芸術を盛り立てたこの若き君主、そのもとで栄える祝祭的空間がいかにカロの独創的・幻想的な創作を導いたのか。コメディア・デラルテを題材にした作品群や、大作『聖アントニウスの誘惑』、それとコントラストを描くように小さなサイズで日常の何気ない人々を描いた創作版画集『きまぐれ』など、時代背景も交えてその活動の様子がつぶさに紹介され、本書の中でも中核をなしている。

だが、主君の早逝を契機にナンシーへ帰郷。同地を治めたロレーヌ大公から多少の庇護を受けたとはいえ、フィレンツェ時代ほどの厚遇には恵まれなかったらしい。とはいえ、『ボヘミアン』や『異形の人々』、『男爵大将』といった連作版画が生まれたのはこの時代。以前味わった絢爛豪華な王侯貴族の世界とは真逆の、社会の底辺に生きる人々を画題に選んだ。その後、スペイン領ネーデルランドの総督イザベルの注文により、6枚の版画を貼り合わせて作られるパノラマ作品『ブレダ包囲戦』を制作。80年にわたるスペインとネーデルランドの戦争において、戦況を占う要衝地ブレダをめぐる攻防を描いたもの。スペイン王室付きの画家であったバロック絵画の巨匠、ベラスケスとともに依頼され、後者が完成させた『ブレダの開城』は、その代表作の一つとなった。一方、カロの画は、広大なフィールドに多数の兵士が陣を構える壮観なものだが、戦争によって被害を受ける人々の姿をも方々に拾い上げている。いかにもこの作家らしい。谷口いわく、「兵士たちの蛮行も含め、通常の戦勝画には描かれないようなこともふんだんに、あらゆることをつぶさに描いている」(229頁)。こうした眼差しが、やがて生み出される『戦争の悲惨』に繋がったのかもしれない。

カロは1635年に43歳という若さで亡くなっている。その死の2年前に取り掛かったのがこの『戦争の悲惨』。18点からなるもので、先の『ブレダ包囲戦』のような勝ち戦の高揚感は全く感じられない。逆に、略奪、レイプ、火炙り、吊るし刑、絞首刑など、戦時における人間の残虐非道ぶりを余すところなく見せている。当時は「戦争画は必然的に戦勝画」(249頁)であったと著者は指摘するが、実際、これらを真正面から取り上げる画家がいたであろうか。まさに「カロにしかなし得なかった、視覚表現史に特筆されるべき画期的な作品」(248頁)なのだろう。しかも、カロは本作を出版し、パリで販売されたという。「このような作品を発表したところに、カロの先進性が垣間見られる」(254頁)。確かに、決して爽快にはならない、むしろ不快を感じるような絵をわざわざ買う人がそう多くいたとは思えない。もちろん、版画だから廉価であったに違いないが。いや、そこがまさにこの画家の「先進性」なのだろう。1点ものの高価な絵画とは異なり、複製が可能な版画。だからこそ、より多くの人に戦争の残虐さを知らしめることができるのだから。実際、それから2世紀近くのちに、やはり同じ主題を連作版画で表したゴヤ。彼が先達の作品を見たと断定はできないようだが、カロの方は出版されていることから、当然知っていたのではないかと著者は推測する。逆にいえば、これが版画でなければ、のちの傑作は生まれなかったのかもしれない。

本書を通して、ようやく知ることができたカロ。いやもとい。知ることができたというにはまだ程遠い。ここに掲載されている数多くの作品群を実際に見たわけでもないのだから。けれども、その人となりや生きた時代、版画という表現法や社会的意味、何よりも、『戦争の悲惨』誕生への道を辿ることができたのだ。ずっと探し続けていた人にようやく出会えた喜びで胸がいっぱいだ。

(2024/11/15)