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特別寄稿|プロムナード『なぜピアノなのか?という問いに』から考えたこと [その2]|丘山万里子

プロムナード『なぜピアノなのか?という問いに』から考えたこと
[その2] 被爆ピアノと津波ピアノ〜自然による調律 :「第3の耳」

Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)

中国からの輸入楽器に整数次倍音を加えた邦楽器を、筆者は日本の文化リミックス力の一つの形と考えた。そこに働く「倍音」への繊細な日本の耳(中村明一言うところの第3の耳)こそが日本の音感覚・感性であると。ちなみに魚類・両生類などの頭蓋頂点にある「第3の目」は、光感性細胞群で、太陽の位置を測る羅針盤である。かつて人類にもこの第3の目システムがあったが、進化の過程で頭蓋骨中の松果体に変化し、光刺激によって睡眠や覚醒のリズム、体内時計の役目を果たしている。これを「内なる目(心の目)」とする人もいる。
筆者は日本の多種多様複雑な「倍音」への敏感さ、人声では出せない3~4キロヘルツの自然音領域(風音など)での「倍音判別機能」が原始においては生死に直結したことから、まさにかつての光受容体の痕跡たる松果体と等しく、日本の「倍音感覚」に危険察知=位置感知能力たる「第3の耳」を思い描くのである。人は闇では耳を澄まし、音と自分の間の距離(位置情報)を知るのだから。

と、これを前置きに、被曝ピアノと津波ピアノの話に行く。
筆者は2018 年4月、すみだトリフォニーホールが97年に開始した《すみだ平和祈念コンサート》の企画の一つ、広島の「被爆ピアノ」のレクチャーと演奏を聴いた。有名な「明子さんのピアノ」を広島出身のピアニスト萩原麻未が弾く。以下、筆者コラム『被爆ピアノと津波ピアノ』(2018/4/15号)から引きつつ進めたい。
「明子さんのピアノ」とは、河本明子さんが愛奏していたピアノ。学徒動員の作業中に被爆、凄惨な市中を歩き、ようよう家にたどり着いたものの翌日、息をひきとった。「お母さん、赤いトマトが食べたい。」が最後の言葉で、両親は自宅庭で娘を荼毘に付したという。ピアノは彼女が生まれたロスアンゼルス(1933年広島移住)で購入されたボールドウィン社のアップライト(1926年製)。
ステージのピアノは修復・調律されているが、ところどころ剥げ、下部は下前板なしの裸だった。側面には爆風で無数のガラスが突き刺さりその傷跡が残るというが、遠目には細かな線がランダムに散らばって見える。

©三浦興一

楽曲は『トロイメライ』のほかショパンの『ノクターン』、広島交響楽団のコンマスとのクライスラー『愛の哀しみ』、マスネ『タイスの瞑想曲』だった。いずれもポピュラーな、心に寄り添う優しい旋律と音調で、鎮魂に相応しいしずやかな楽曲である。

聴いて、筆者はこう述べている。

なんだろう、これは。不思議な音いろ。透きとおっていて、どこかで風がさやさやと吹いているような。
いつか聞いた、上海郊外の古鎮楓渓、仏塔軒下でかすかに鳴っていた小さな風鐸みたいな音だ。澄んで清らか、シャンパンの微小な泡を含んだ感じの響き、と言ったらいいか。

筆者はその澄んだ音いろに、ピアノの「声」を聴いたと思った。
この不思議な感覚は、ずっと筆者の耳に尾を引いた。

その数日後、東日本大震災時、津波に襲われ海水に浸かった泥だらけのグランドピアノを坂本龍一が訪ねるTVをたまたま見たのである。宮城県農業高等学校の体育館の片隅にそれは置かれていた。ピアノは凹んだままのキイもあり、ちぎれたピアノ線もある。坂本はボディを眺め回し、幾つかキイを叩き、「もう死んでるね」と言った。
しばらくして彼は、椅子に座り、何かポロポロ弾き始めた。
筆者は驚いた。被曝ピアノとおなじ響きが聴こえたから。
やっぱり不思議に透き通った風のような音だった。
坂本は弾きながら気持ちが変わったらしく、やがて「自然によって調律されたピアノ」と言った。

©丸尾隆一

翌日、実音を確かめようと、坂本龍一がこのピアノを引き取り、インスタレーションとして展示した会場に出かけたが、そこはまた別の音響世界だった(『坂本龍一 with 高谷史郎|設置音楽2 IS YOUR TIME』@東京オペラシティ/ NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] ギャラリー A)。

暗闇の会場の前方に、ピアノは置かれ、彼が採集し編集したさまざまな音響による『async』(津波ピアノの音も含まれる) がスピーカーから流れる。隅に置かれたラジオはノイズを発し、そこに、眼前の津波ピアノの音が加わる仕掛け。ピアノには世界各地の地震データをもとにキイを叩く自動装置が取り付けられており、データに連動して細い金属棒がキイの上に降りてきて音を鳴らす。
ぽつん、ぽつんと叩かれる響き。調律はされていないし、ピアノ線はちぎれたままだから、ただの打撃音の時も。
TVで聴いたそれとはやっぱり違う。人工的に増幅された響きの空間。
フロアの暗がりには、聴衆が思い思いに座っており(ピアノの前に立ったり、背後を眺めたり、覗きこんだりする人もいる)、私も目を閉じ壁にもたれて座り小一時間は過ごした。
冥い深海の底にいるような時間…。
この時の感覚を思い返すと、やはりこれも多種多様複雑繊細「倍音空間」に違いない、と思う。

にしても。
被爆ピアノと津波ピアノ(坂本がTVで弾いた)から聴こえた、「不思議な響き」。
アルゲリッチは「明子さんのピアノ」に「独特な“声質”」があるといい、ゼルキンは「声を持っている」と言った。
一方、坂本は津波ピアノを「自然によって調律されたピアノ」と言った。
今思うに、筆者がこの2台のピアノに聴いたのは、「傷ついたピアノの声」ではないだろうか。
爆風を受けガラスが刺さり、津波を受け海水に呑まれ、けれども何もかもを包み込みあるいは破壊する大自然という途方もない力にくるまれ揺られ、自分に起きたすべてのことごとが無数に刻まれた多種多様複雑な倍音を発する器となったピアノの声。
寺院の軒先の風鐸が風に鳴るような、5月の竹林の紅葉がハラハラ風に舞いつつ落葉するような、そういう幾層にも重なりさざめく倍音構造の器、ピアノはそんな微妙繊細な倍音を発する「器」になったのではないかと。
泥にまみれたピアノを「もう死んでるね」と言った坂本が、弾くうち、やがて「自然に調律された」と心持ちが変わったのは、彼の中の「第3の耳」がひらけたからではなかろうか。
筆者がこの2つのピアノに聴いた「風」のようなものも、もしかしたらそうではないか。
これが日本の「倍音感覚」、音感覚・感性だ!と筆者はここで思ったのだが、いや、アルゲリッチもゼルキンにもその「独特の声」が聴こえた。
第3の耳は人類の原始の耳と直結するのであれば、言語分枝以前のものだから文化圏の相違に関わらず誰にでも備わるわけで、坂本同様、それが覚醒(?)したと言えば良いか。
となると、要はそれが「傷ついたピアノ」だったからで、過酷な物語を刻みこまれ、自然によって調律された倍音構造を備えたこの特殊なピアノを、私は「悲の器」と言ってみたい気がする。この先はまだ考えを詰めていないので、ここでやめておくが。

被爆ピアノには「平和の願い」が、津波ピアノには「忘れない」のメッセージがあると言う。
でも、声高にそんな意味を付与するのでなく、大切なのは傷ついた楽器、壊れた楽器の声にただ耳をすますことではないか。
言ってしまえば、どんな楽器にも物語はある。それぞれがそれぞれの固有の命を生きている。すべての命と等しく、それぞれの喜怒哀楽、歴史を生きて、ここにある。
だからそれに触れる時、奏者であれ、楽曲であれ、聴衆であれ、私たちが聴くのは、それぞれの楽器と奏者と楽曲と聴者の物語・歴史の総体で、その一つ一つに固有の何かがある。それがなんであるかを、例えば悲惨な記憶、トラウマ、祈りといったものに繋げてゆくのは、それぞれ固有の命の「連動の力」で、「平和への願い・祈り」を生むかどうかは、その場に集ったそれぞれの力(楽器・奏者・楽曲・聴者)の総合的な働き次第のように思う。
となると、「鎮魂」という行為、儀式へと話は展開してゆくだろうが、これも、今はここまでにしたい。

いずれにせよ筆者は、「自然によって調律された」声を聴く音感覚・感性に、「第3の耳」(倍音鋭敏特性)を思うのだ。

*  *   *

話は変わる。
なぜ邦楽器でないか、については、平和イベントとして盛り上げるに、ピアノという楽器のポピュラリティに加え、アルゲリッチ(広島交響楽団の平和音楽大使)やゼルキンが弾く被曝ピアノ(象徴としての「明子さんのピアノ」)といった話題性の問題であって、それ以外の被曝楽器の存在を知らない私たち(能登原氏の情報で筆者も知った)の無知と想像・発想の貧困であろう。国際的な場で誰もが演奏可能な楽器であればこそ、被曝ピアノもあちこちでその「傷跡」からの声を発することができるのであり、著名な誰それによって演奏もされる。
が、被曝邦楽器は小ぶりでどこへでも携帯可能だが、演奏できる奏者はほぼ邦人のみ、人々の心を打つような「平和を願う歌詞やメロディ」を持つ適切な楽曲も、クラシック領域で思い浮かぶ人はそうはいまい。ちなみに筆者はいつだか、尺八五重奏で武満徹の『SONG』(「死んだ男の残したものは」もあった)数曲を聴き、そのユリ・コロ・スリに船酔いしたが、少なくとも既成路線の鎮魂向き西洋楽曲イメージから目を一旦転じれば、邦楽古典にもそうした情念の発露が大きくあるのは、例えば語り物『平家物語「敦盛」』(琵琶法師)でも視聴すれば納得できるのではないか。

筆者「明子さんのピアノ」体験時のピアニスト萩原麻未は、その2年後の2020年、広島交響楽団が毎年原爆忌に開催する《平和の夕べ》コンサートで藤倉大『ピアノ協奏曲第4番「Akiko’s Piano」』を初演した(アルゲリッチの代役)。ステージ中央にグランドピアノ、右脇に「明子さんのピアノ」が置いてあり、カデンツァで「明子さんのピアノ」へと移動し演奏する趣向の作品。このコンサートについては、能登原由美氏がレポートしている。筆者はこの新作は聴けなかったが、Youtubeを視聴し、ふと思った。
邦楽器作品もそれなりにある藤倉がここで、武満徹よろしく琵琶と尺八との協奏曲『広島・八月の祈り云々』などでも書いたなら、被曝琵琶も盛大なスポットライトを浴びたに違いない。ひょっとしてそれは、人類の邪智暴虐の告発と平和への祈りを、被爆国日本から発信するに絶大な力を持ったかもしれない、と。この公演はそもそも「明子さんのピアノ」ありきの話だから致し方ないけれども。
ちなみに彼は2003年、原爆を主題とする『Poison Mushroom』 を書いている。フルートとエレクトロニクスを用いた10分程度の作品だが、これを聴くと、邦楽器アンサンブル(尺八・能管など管楽器類に琵琶・琴・三味線など撥弦楽器の特殊奏法を交え)で十分演奏可能に思える。というより、むしろその方が、ぐんと表現としての凄みが増すのではないか。
本作は彼のHPで聴けるし、解説もある。原爆の悲惨に触れたのち、最後の一文にこう記している。
When I was writing this piece, all the visions which I have seen about Hiroshima/Nagasaki/atomic bomb related materials were in my head.
これこそが全人類の「悲」に他なるまい。ここで「悲」とは他者の痛苦をともにする共苦の感覚とでも言ったら良いか。
本作は現代音響ではあるが、邦楽器の持つ複雑な雑味(非整数次倍音)、すなわち倍音構造への鋭敏が感じられる。というより、前回述べたが、現代の特殊奏法が生む音響は、邦楽器の多彩な奏法の内にすでに存在し、それが自然なのだ。
ちなみに藤倉の最初の邦楽器を用いた作品は2001『Okeanos Breeze』(for sho, koto, viola, clarinet and oboe (OKEANOS 5 of 5)
中盤までの静寂と、虫の声(チリリリ〜〜)のような響き、あるいは打音が生む非常に緻密繊細な倍音構造(と筆者は思う)の作品で、このような趣をもつ彼の初期作品に「え?藤倉ってそうだったのか」と驚く自分の不勉強を恥じる次第だ。ここに第3の耳を聴くのは容易かろう。

いずれにしても、人間の引き起こす災禍とそれに伴う死への弔い、悼み、鎮魂を伝えるに洋楽器も邦楽器もなく、要は自分たちが自分たちの歴史を、経験をどう伝えたいか、に尽きるのではないか。たまたま被曝洋楽器に光が当たるのは、それがクラシックという音楽領域でのポピュラリティであり、それに追随するマスメディアの浅薄でしかあるまい。明治以降の音楽教育の偏りが、江戸期までの日本の文化歴史を大きく遮断してしまったことは確かだが、さりとて、江戸以前の私たちの音楽感覚・感性がそこで途切れてしまったわけではない、と筆者は思う。
「被曝ピアノ」「津波ピアノ」の声音、坂本の「自然に調律されたピアノ」の言葉はその一つの証左といえまいか。
ついでに言うが、丸木俊・位里の『原爆の図』は位里の墨流しが大きくその表現に奏功している。日本の水墨画法がこれら悲惨な図にどれほど粛然たる美を与えているか。同様に、邦楽器の筆法・音調・音種・音質もまたおそらく、こうした世界を現前させる力を持つにちがいなかろうと筆者は考える。私たちはあまりの近視眼ゆえ、そうした発想を持たなかったに過ぎず、いずれ、被曝邦楽器を携え、あるいはアンサンブルで、新作「原爆の譜」を奏する若い人々が日本の被曝体験の語り部になることもありえよう、と筆者は妄想するのである。

追記:
おりしも、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞した。
核のボタンで脅迫しあう人間の愚をどうしたらとどめることができるのだろう...。
2024/10/18記
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