Books|『東京史-七つのテーマで巨大都市を読み解く』|戸ノ下達也
著者 源川真希
発行 株式会社筑摩書房
2023年5月10日発行
ISBN 978-4-480-07552-9 C0221
Text by 戸ノ下達也 (Tatsuya Tonoshita)
1.書評の意図
第二次安倍内閣から菅内閣、岸田内閣に至る国内政治のあり様、経済優先意識の蔓延、全世界を襲った新型コロナウイルス感染症の感染拡大、ロシアのウクライナ侵略、国際協調の崩壊という昨今の情勢に直面している私たちは、今いちど近現代史を再考し、受け止める必要性を痛感する。何より、日清・日露戦争、第一次世界大戦、シベリア干渉戦争(シベリア出兵)、満洲事変から日中戦争、アジア・太平洋戦争とその敗戦という「戦争の時代」を二度と繰り返すことのないように歴史から学ばなければいけない。そして、その歴史が地域社会とそこに暮らす人々に、どのような影響を及ぼしているのか、という生活者の視点から考えることも重要だ。
このような歴史学の考察は、様々に掘り下げられていて、多様な研究成果が発信されている。その中で、本書を書評で取上げる理由は、二点ある。第一は、本書が東京という地域を、復興、インフラ、民衆、自治と政治、工業化と脱工業化、繁華街・娯楽、下町と山の手という、七つの観点から読み解くことで、単に「巨大都市・東京」の歴史に止まらず、生活者の視点から地域社会の歴史を俯瞰する意義を提起していることだ。そして第二は、七つの視点のそれぞれで、1860年代から2020年代に至る歴史を見通すことで、現在の課題を照射していることだ。この二つの独自の視座は、歴史を考察する一つのスタンスを提示している。何より源川の視点は、単に東京の近現代史=都市史という枠組みに止まらず、地域社会の歴史をどのように捉え考えるべきか、という地域の社会史や生活史の可能性を問いかけている。このような観点から本書を紐解いてみたい。
本書の構成は以下のとおりで、源川が設定した七つの観点が、個別具体的な事例と共に考察されている。
プロローグ
第1章 破壊と復興が築いた都市
第2章 帝都・首都圏とインフラの拡大
第3章 近代都市を生きる民衆
第4章 自治と政治
第5章 工業化と脱工業化のなかで
第6章 繁華街・娯楽と都市社会
第7章 高いところ低いところ
エピローグ 東京を通してみた近現代
2.論点と特徴
本書の視点は、「巨大都市東京を通して浮かび上がってくる近現代の歴史を、七つのテーマに分けて論じながらたどり、東京の誕生と発展、そしてその過程で生起した問題をみていく」(10頁)ことにある。源川も強調しているとおり「東京を通して」という著者の意識が、「都市史」の枠組みを超えた地域の社会史・生活史として考察されている。また本来ならプロローグか第1章で論述される都市の通史を、エピローグに配しているところも、実にユニークだ。全7章を読み終えた後に、改めてその地域(本書では東京)の通史を再考することで、それぞれの章の考察を深耕することができる。これも源川ならではの意識だろう。ちなみに本書の写真図版は「本文の叙述に即して重要だと筆者が感じているものの写真を掲げた」(13頁)ものだが、その大半は源川自身が撮影したもので、源川の論述の狙いが写真図版からも明確化されていることも付言しておきたい。
以下、各章の考察で評者が特に興味を抱いた論点や特徴を列挙する。
1. 地域の再生と拡充
再生と拡充という視点は、第1章と第2章に集約されている。
第1章「破壊と復興が築いた都市」では、関東大震災=震災と、十五年戦争=戦災からの復興を軸に、地域社会の破壊と再生を論じている。震災復興での公園・緑地、戦災復興での区画整理とその限界の後、1964年に東京オリンピックを契機とする都市改造、埋立地の変遷という構成で整理される。ここでは、「復興」をキーワードに、地域がどのようにデザインされていったのかが描かれている。そして第2章「帝都・首都圏とインフラの拡大」では、「帝都」と「首都」の使われかたを通して、東京という地域がどのように意識され形成されたのかを、多摩地域や島嶼の変遷も含めて整理した上で考察している。源川が注目したのが、「帝都」や「首都」を形成する上で重要なインフラである交通網の整備であり、特に鉄道網がどのように拡充されたのか、政策とどのように関係しながら「帝都」や「首都」が完成したのかを描いている。
この二つの章で考察された地域の再生と拡充の歴史は、市区改正や震災復興、戦災復興を契機とする都市計画というグランドデザインが、実際の街づくりでどのように実践されたのかを解きほぐしている。
(2)生活者の目線
歴史を考える時、その時代をその地域で生きた生活者のいとなみを見据えることは何よりも重要である。本書では第3章、第6章、第7章の三つの章で、東京に暮らす人々の姿を描いている。
第3章「近代都市を生きる民衆」では、スラム、民衆騒擾、社会都市の形成、貧困、浮浪者、労働者、住居などを題材に、したたかに生きる人々の姿を映し出した。特に源川が強調しているのが、「社会都市」の概念とその表象である。源川は、ドイツ近代史の都市行政の考察で提起された「「生存配慮」とまとめられる諸施策、すなわちエネルギー供給、社会インフラ、保健衛生、住宅、文化・教育などを含む給付行政に対して、都市の行政が積極的に関与するあり方」(95頁)が「社会都市」のスタイルであり、大阪市とともに東京府も「社会都市」に位置付けられるとして、公設市場、簡易食堂、職業紹介所の事例に言及している。さらに、豊田正子の綴方(作文)の記録から1920年代から戦後占領期の貧困の状況、戦後の集団就職や山谷の姿などを題材に、人々の実像を多角的に描いている。そして、第6章「繁華街・娯楽と都市社会」では、都市イベント(博覧会)、花街、ツーリズム、紀元二千六百年奉祝、闇市などの実像を概観することで、人々が享受していた慰安や娯楽のあり方を、社会経済史の側面も重視しつつ、その特徴を描き出している。そこには、地域(ここでは東京)で生活する人々の「娯楽」という潤いが、どのように供給され、地域の中に息づいていたのかを問いかけている。さらに第7章「低いところ高いところ」では、下町と山の手の形成を、東京の東部(現在の江戸川区、葛飾区、江東区周辺)の河川や水路と、丸ビルや東京タワー、高層ビルなど隅田川以西から世田谷区、中野区、杉並区に至るエリアの土地の高度利用という視点から地域の特性を照射し、その地域の生活者や勤労者の意識を考察している。
これらの章で描かれる人々の姿は、在日朝鮮人や低所得者層の苦悩であり、一方で富裕層の実像であり、地域に顕在化する格差の現実でもある。その現実を、源川は冷静沈着に見据え、巨大都市・東京の形成過程と現在の都市空間の中に描き出した。
(3)政治・経済から見た地域の変容
国や地域の歴史を考察する際の根幹は、政治と経済の変遷である。本書は、第4章と第5章でこの問題に向きあっている。
第4章「自治と政治」では、東京府・東京市から東京都・特別区に至る地方公共団体の変遷と、内務省を軸とする国政のせめぎあいを考察する。東京都制が施行されるのは1943(昭和18)年7月だが、この都制施行に至る過程の東京府・東京市の動向と、当時地方自治を管轄していた内務省の駆け引きが、その後の都政にどのような影響を与えていたのか、戦後の都政のスタンスは、時々の都知事の意向と合わせて、どのような変遷を遂げて今日に至るのかを、簡潔に考察した。そして第5章「工業化と脱工業化」では、産業構造、糞尿処理、都市間競争(横浜、多摩)、スマートシティという課題から、地域産業の変遷と今後を見通している。
これまでの都市史あるいは地域史では、まず政治・経済の考察が前提にあり、その下部に生活文化の状況が紐づけられるという視点が主流だった。しかし、源川は、この固定観念を払拭し、かつ現在までを見通すことにこだわり、まず地域のグランドデザインがどのように描かれたのかという観点を把握した上で、東京という地域の近現代史と現状を政治・経済と生活者のあり様から見据えている。まさに歴史考察の枠組みをどのように構築し、対象を掘り下げていくのかという効果的な手法を提示していると言えよう。
3.読み終えて
本書の独自性と評価を整理したが、最後に評者の「不満」を少し述べておきたい。
それは、考察対象が「東京史」でありながら、二十三区エリアに偏り、三多摩地域と島嶼の考察があまりにも少ないことである。確かに、第1章で「都市に葬る」(32~33頁)、第2章で「多摩の近代」(60~62頁)、「東京の中の島嶼」(65~67頁)、第5章で「三多摩での都市間競争」(72~74頁)や軍需企業の立地(177頁)、第6章で「ツーリズムと戦争」(194~200頁)などの節で、三多摩や島嶼に言及されてはいる。しかし本書全体とのバランスを概観しても、島嶼と三多摩は「東京史」の周縁にあるとの位置付けと捉えざるを得ない。
源川自身、「日中戦争と太平洋戦争が都市社会や行政に与えた影響については本書ではあまりふれなかった」(240頁)と断っている。しかし、例えば三多摩地域は、1920年代以降、中島飛行機武蔵製作所、立川飛行機、日立航空機立川工場、昭和飛行機などの民間企業、陸軍経理学校、多摩陸軍技術研究所、陸軍調布飛行場・陸軍立川飛行場・陸軍多摩飛行場、陸軍燃料廠、多摩火薬製造所、陸軍航空技術研究所、陸軍航空工廠、陸軍獣医資料本廠、東京陸軍幼年飛行兵学校など陸軍の軍事施設が集積した「軍都」だった。この問題は、鈴木芳行『首都防空網と〈空都〉多摩』(吉川歴史文化ライブラリー358、2012年)などの先行研究が指摘していて、本書でも「三多摩での都市間競争」の173~174頁で簡単に言及されてはいる。しかし、この「軍都」の存在が、戦時期から現在に至るまで三多摩の地域社会の形成や商工業にも多大な影響を与えているのであり、時代を俯瞰する意味でも「東京史」の一端として照射すべき課題だったのではないか。それは、絹産業についてもしかりで、八王子だけが絹産業を担っていたわけではなく、三多摩地域全域が戦後復興期まで絹産業の一大集積地だった。絹産業も東京の社会経済の担い手であり「東京史」のひとつの節を形成してもよかったのではなかろうか。
近現代史の考察の醍醐味は、何と言っても現在に至る系譜を紐解くことにある。特に戦争の時代が厳然と立ちはだかる近現代史は、戦争という過ちを繰り返さないための警鐘を鳴らし続けている。その警鐘を私たちがどのように気付き、受け止め、共有していくのかが試されているのではないか。本書は、この警鐘にどのように対峙すべきか、というヒントを提示している。弱者やマイノリティへの意識、貧富や地域の格差、制度設計や経済効率優先の矛盾、生活者目線での政策立案と実行などに顕著な源川の指摘を、改めて考えていく必要があるだろう。
本書は、単なる「東京史」という都市史の考察ではない。東京府から東京都に至る歴史を題材に、地域の社会史と生活史を紐解く重要性を喚起している。
(2023/6/15)