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パリ・東京雑感|KGBの人間学 プーチンの悪を理解するために|松浦茂長

KGBの人間学 プーチンの悪を理解するために
Poisonous Joy of Power in the KGB Culture

Text & Photos by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

モスクワ中心部の外国人専用住宅

1988年にモスクワに赴任したとき、アパートの一室はがらくた置場になっていた。壊れたトランク、下手な絵、ビール1ダースで一杯になりそうな小型冷蔵庫、学習机……モスクワ支局代々の不要品が、天井に届くほどに積み上がっている。「捨てると罪に問われる」と「伝承」されてきたからだ。
支局助手とのコミュニケーションも独特だった。あたりさわりない話題のつもりなのに、彼女は急に口を閉じ、紙に書いて見せ、その紙を切り刻んでトイレに流す。さもなければ、道路に出て歩きながらこんなことを言う。「きのうラジオ・モスクワのRさんに会ったでしょう。あの人と付き合うのは危険です!」(僕がRに会ったのをなぜ知っているのだろう? KGBから連絡があったのかな?)
大事なことは盗聴器にキャッチされないよう、紙に書くか、外に出て話すのがモスクワ生活の常識だった。日常生活の奇妙な儀式も、しばらくするとあたりまえの習慣になって、いやな圧迫感も薄らいでくる。先輩ジャーナリストは、「モスクワで暮らすあいだ、ずっと重い雲が頭の上に覆い被さって晴れるときがなかった」とこぼしていたけれど、僕が赴任したのはゴルバチョフのおかげでロシアが一番開放的になった幸運な時期だったから、「KGBの仕事ぶりを見てやろう」くらいの、怖い物見たさの好奇心をもつ余裕があった。

カシペロフスキーの催眠術にかかった人々

それに盗聴には便利な点もある。カシペロフスキーという魔術師めいた集団催眠の名人が話題になったので、夕食を食べながら妻に「カシペロフスキーにインタビューしたら面白そうだね」と話した。すると2週間後、「カシペロフスキーを取材しませんか。アレンジします」と電話がかかってきたのだ。

とはいえ、盗聴・監視社会はじわじわと人の心を腐らせてしまう。
ロシア語の家庭教師は、ときどき支局の経理や人事について妙な質問をした。こちらがうっかり秘密を漏らすよう誘導尋問したつもりなのだ。
仲良しになったジャーナリストを家に呼んだら、「親戚が外国に移住することになりました。外貨が足りないのでイコン(宗教画)を売りたがってます」と言って、新聞紙に包んだイコンを見せてくれた。人助けになるならと、ドル札を取りに居間を出たとたん、妻が「罠よ!わかんないの!」と怖い顔をする。(ドルの支払いと文化財の持ち出しは違法。)居間に戻って、「ご免なさい。気が変わった」と断ると、客の顔がぱっと明るくなった。そういえば、イコンを見せるとき彼の指が震えていたっけ。
ロシア語の先生も仲良しジャーナリストも、外国人である僕に会う前にKGBの指示を仰がなければならない。そして、わが家に来ると盗聴器の前で、僕をおとしいれるための台詞を述べて、KGBへの忠誠を証明しなければならないのだ。こちらは、彼らの事情が分かっているから、友情が傷つくこともないのだが、ロシア人同士はどうだろう? 職場でも隣人同士でも家庭の中でさえ罠を掛け合い、密告し合う関係だとしたら、心の安まるときがあるだろうか?
日本から応援の記者がやってきたとき、助手が深刻な顔をして、「マツウラさん。Sさんが支局の写真を撮ってましたよ」と言う。まるで重大な裏切り行為を報告するみたいな真剣な表情だ。しばらく何のことか分からなかったが、彼女の頭の中では「写真」を撮るとは、しかも支局長不在のときに撮るとは、僕をおとしめるための材料集めとしか考えられないのだと気がついた。密告社会では、同僚も隣人もいつなんどき私を破滅させるか分からない潜在敵であり、わが助手はかわいそうなことに、密告制度のない社会を知らない。彼女が応援の記者の行為に危険を察知したのは当然なのだ。
フランスで知り合ったカンボジア人が「共産主義の下で暮らした人はたとえ親戚でも決して信じない」と、苦しそうに語ったのが忘れられない。親戚同士でさえ疑心暗鬼、お互い同士おびえて暮らす人びと。盗聴・密告の網を張り巡らすことによって、強者の意のままに動く奇形的人間を、共産主義は創り出したのである。

KGB大学の学生達

それだけではない。KGBは人を支配する喜び、権力の陶酔をロシア社会に蔓延させた。
ソ連崩壊直前の不安定な時期に、国営テレビの優秀なカメラマンを引き抜くことができた。助手は、彼のためにわざわざ危ない契約書をつくり、サインさせ、僕が海外に出張しているあいだに契約書のコピーを当局に渡した。当然、帰国するとすぐ出頭命令。ウポデカ(我々がロシア人を雇用するときは必ずここに頼み、あちらの選んだ人材を採用しなければならない)に行くと、テーブルに紅茶とビスケットが用意されていて、頭の良さそうな役人(多分KGB将校)が契約書のコピーを取り出し、「おやおやソ連の法律に違反しますね」と、にこやかな顔でおっしゃる。背筋が寒くなった。
大使館に直行して対処法を相談したら、「時代が変わりました。あなたに退去命令を出したりしないでしょう。KGBの方も、密告の理由が嫉妬だと分かっているから、面倒がってると思いますよ。そうはいってもカメラマンをクビにしないわけには行きませんね」とのこと。やむをえず、気の毒なカメラマンに頭を下げてやめてもらい、助手も解雇した。
彼女はなぜこんなことをしたのか? 自分もポストを失い、損するかもしれないとは考えなかったのだろうか? 日本の某新聞支局では、助手を解雇したところ、まもなく特派員が帰国させられ、助手は舞い戻ったそうだから、わが支局でも同じことが起こると期待したのだろうか?

オデーサのオペラ劇場(ウクライナ)

支局の小ドラマの最中、頭に浮んだのは『オテロ』だ。(シェイクスピアの『オセロ』よりヴェルディのオペラになじんでいるので。)ヤーゴは何のためにオテロに新妻の不倫疑惑を吹き込むのだろうか? 人事への不満・妬みもあっただろうが、英雄オテロが嫉妬の嵐にうちひしがれる惨めな姿を見ること自体が、最高の快楽だったからではないか? 人びとに讃えられる総督オテロもヤーゴに翻弄される無力な男に過ぎない。ヤーゴが求めたのは、他者を支配する陶酔だ。その快楽のためには、自分が破滅するリスクさえ気にかけない。
わが支局の助手も、カメラマンが優遇される人事に不満・妬みをもっていた。しかし、彼女が心の奥で望んだのは、支局長をおびえさせ途方に暮れさせることだったのではないか? 自分には他者を翻弄し、従える力があることを確認したかった。権力の悦びを心ゆくまで味わいたかったのではないか?(不要品を捨てると罪に問われると脅して、天井までがらくたを積み上げさせたのも、ささいなことまで筆談にして馬鹿ていねいに紙を切り刻んだのも、僕らが萎縮するのを見て楽しむためだったのだ。)

ソルジェニーツィンは、権力本能こそが秘密警察で働く連中を駆り立てる原動力だと見抜き、「権力」は「屍毒」である、「感染すれば、もう救いがない」と断言する。

トルストイが権力について何を書いているかを記憶されているだろうか? イワン・イリイッチは、滅ぼそうと思えばどんな人でも滅ぼすことのできる勤務上の地位についた。ありとあらゆる人びとが例外なく彼の手中にあった。どれほど高い地位を占めている人でも自分の前に被告として立たせることができた(いや、これはまさにわが国の青帽=秘密警察のことではないか! もうそこには何も付け足すことはない!)この権力の認識は彼にとって勤務上の主要な興味と魅力だったのである。
いや魅力どころではない! 自己陶酔である。(ソルジェニーツィン『収容所群島』)

秘密警察の全盛期、たとえば1937年から38年にかけては、50万人の<政治犯>が銃殺され、48万人の<無頼漢>が殺されたという。拷問の残酷・精緻はトルストイの時代とは比べものにならない。ボリショイ劇場で見たプッチーニの『トスカ』では、拷問部屋から目が眩むほどの光が放射された。KGBの取り調べは、まぶたが炎症を起こすほどの強い光をあて、夜も昼も眠ることを許さなかったといわれ、ボリショイの演出は、鳥肌が立つほどの生々しさだった。
夜な夜な、精神肉体の限界ぎりぎりまで、(ほとんど無実の)男女をいためつける仕事にあれほどの情熱と知力を注ぐことができたのは、彼らが<権力>の魅力にとりつかれ、拷問によって他者を無力化(完全支配)する快楽に酔っていたからなのだろう。
ソルジェニーツィンは秘密警察の観察を通じて恐ろしい現象に気付く。人間には悪を繰り返しても元に戻る復元力が備わっているが、悪の量が一定の限界を超えるともう元の人間に戻れなくなる。悪の<臨界点>を超えると、人間は人間でなくなるというのだ。

たしかに、人間は死ぬまで悪と善の間をあっちこっち揺れ動き、もがきながら、すべったり、転んだり、這い上がったり、後悔したり、またぼんやりする――だが、邪悪な所業の限界を超えないかぎり、人間はたち戻ることができる。その人自身はまだ私たちの望みの範囲内にとどまっている。悪行の密度、あるいはその程度、あるいは権力の絶対性によって、その限界を踏み超えるとき、その人間はもはや人類を去っていくのだ。(ソルジェニーツィン『収容所群島』)

他者を恐怖におとしいれ、苦痛を与え、残酷に殺すことに、この上ない快楽を感じる人間、自分自身の破滅を招く危険をおかしてでも、そうした行為に権力の陶酔を求め続ける人間、それはもう人間と呼ぶべきではない。二度と人間に立ち返ることのない純粋悪である。
プーチンはこうして「人類を去って」行った一人だ。(プーチン政権が誕生したとき、ソルジェニーツィンは祝福を与えている。大統領になったばかりのプーチンはまだ「人間」だったのか?)

アメリカの軍艦がクリミアの軍港セヴァストポリを親善訪問した時代もあった(1989年8月)

黒海沿いのミコライフの自宅で、スヴェトラーヤさんが朝食の仕度をしているとき、ミサイルが飛び込み、冷蔵庫のドアが吹き飛んだ。深い傷跡の刻まれた顔、厳かと言って良いほどの静かな眼差しで彼女はこう言う。「ロシア人は私たちが好きではない。なぜ嫌いなのか、そのわけを知ることが出来れば!」
部屋の片付けを手伝いに来た妹のラリーサさんは「これをしたのは私たちの兄弟ロシア人でしょう。彼らを憎いとは思わない。ただ、哀れに思うだけです」と言う。
ウクライナの人びとは、この戦争の本当の目的を理解した。それは彼らを虐殺し、彼らの家を破壊し、苦悩の淵に沈めること。でもなぜ? 兄弟を苦しめ、滅ぼすことがロシアの利益になるのか?
この戦争は、人間の理解を超えている。他者の苦悩を見て権力の快楽に酔う純粋悪は<人間>の彼方にあるのだから、普通の<人間>には分からない。分からない者に対して、ウクライナの人は憎悪と怒りを向ける気にもならず、ただ人間性を失った者たちを哀れに思うしかないのである。

誤解を防ぐために付け加えておかなくてはいけない。僕が出会ったKGBに悪人はいなかった。日本語が大好きで、相撲について本を書いたKGB将校もいるし、話題が豊富で勘が良いから、彼らを食事に呼ぶと退屈しない。KGB別荘地のダーチャでザリガニをご馳走してくれた将校(本人は元将校と称していたが)もいた。
エリツィンが日本に来たとき、僕もJALで東京に飛び、杉並のわが家についてシャワーを浴びたところで、電話が鳴った。KGB将校からの挨拶。久しぶりに監視の目の届かない国だ!と、天にも昇る気持ちになった頃合いをねらってがっかりさせる腕前は大したものだ。
その緻密な仕事ぶりの将校さんを、僕の帰任前にレストランに招いたら、奥さんも連れてきて、日本のわらじに似た素朴な民芸品をお餞別にくれた。
「サハロフ博士(ノーベル平和賞を受賞した人権活動家)が亡くなったとき、何十万人もが追悼に出て、長い長い列が出来たのでびっくりしました。生きているあいだ、サハロフに冷たいロシア人が多かったのに……」と言うと、彼は、「生きている間は、サハロフが妬ましかったのです。ロシア人は、心の底ではサハロフのように生きたいと思うけれど、それが出来ない。だから妬み、憎むのです。死んだらもう妬みから解放され、敬愛だけが残ったのです」と解説してくれた。
彼にとって、僕はもう監視の対象でなくなるから、自分の正直な気持ちを告白してくれたのだろうか? あるいは、KGBのソフトなイメージを広めるのが当時の戦略で、僕はまんまと洗脳されてしまったのだろうか?

(2022/07/15)