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Books|アイヌ通史 「蝦夷」から先住民族へ|藤堂清

アイヌ通史 「蝦夷」から先住民族へ
Race, Resistance and the Ainu of Japan

リチャード・シドル著
マーク・ウィンチェスター訳
岩波書店 2021年7月/ 5300円 ISBN 978-4-00-061481-8

Text by 藤堂清(Kiyoshi Tohdoh)

2021年2月にNHKのETV特集で「帰郷の日は遠く~アイヌ遺骨返還の行方~」という番組が放送された。概要はNHKアーカイブスに以下のように記載されている。

去年、北海道にオープンしたウポポイ。その慰霊施設に、1300体を超えるアイヌの遺骨が納められている。明治以降、東京大学や北海道大学の研究者らが各地の墓地などから持ち去り保管していた。「先祖の遺骨を返してほしい」。アイヌの人たちは40年前から声を上げ、今、故郷への返還が実現しつつある。しかし、後継者不足などから、遺骨の“帰郷”に戸惑う地域も少なくない。背景には、アイヌ民族が背負う苦難の歴史があった。

アイヌは劣った「人種」であり、本土からの移民との競争の中でいずれは滅亡していく存在として、許可なく掘り出され「科学的な」研究対象とされていたのである。

本書はアイヌの人たちの明治以降の「苦難の歴史」に光をあてるとともに、その背景にあった思想、社会的背景をあきらかにしたもの。著者がシェフィールド大学に提出した博士論文が中核となっており、原書が発行された1996年当時、英語圏初の本格的アイヌ通史書であった。この訳書では、1997年に成立した「アイヌ文化振興法」について2002年に書かれた論文を補章として加え、さらに「日本語版への序文」を新たに書き下ろしてもらっている。
この「日本語版への序文」から、本書の位置づけが明確にされていると思われる部分を少しピックアップしてみたい(カッコ内は筆者追記)。

(1990年代初頭)当時は最先端のように感じられ、新鮮な視点と洞察を可能にした「人種」と人種化の理論化は、今や社会学知の常識である。しかし、この本が書かれた当時、そのような用語を使ってアイヌの歴史のストーリーを提示するときに、私は多くの反対に遭遇した。(中略)(日本では)「人種」は意味がなく、アイヌは先住民族ではなく、北海道は植民地空間ではない(中略)しかし、私にとっては、それが世界中の他の帝国体制下にいた先住民族の歴史経験と共鳴するように見えた。

私を驚かせたのは、搾取と収奪と周辺化という大まかな物語の本質的な類似性であり、特に、近世と近代における植民者と「ネイティヴ」の交流の在り方を形作った文明と野蛮という包括的な概念の類似性なのである。

自分たちの土地と生活様式の喪失、日本の国家の法律と同化政策への服従など、アイヌの周辺化(中略)を可能にし、そして正当化した言説(中略)「ネイティブ」を劣等かつ遅れていると見なし、日本の新しい近代性を受け入れることができない人々だと考えていた。

本書の構成は文末に示す*)

第1章では理論的な背景を説明する。
いわゆる「人種」という言葉が、生物学的概念としてはありえず、「社会的な人種」としての意味、ある集団が別の集団を分類し不平等な権力関係に置くために用いられているというところから出発する。「特定の歴史的状況や特定の物質的諸条件の下で、人間は人を区別する、排除する、そして支配するために、ある特定の生物学的特徴に意味を付与する」。
アイヌが人種化、従属化された集団となった状況は「植民地主義」であった。明治初期以降彼らの住み、生活の糧を得ていた土地は無主地として本土からの移民に分割されていくことになった。生活の場を奪われたアイヌの人々は困窮の度を深めていく。
「人種」「民族性」といった概念のアイヌにおける適合性、他のアボリジニのような先住民族の場合との類似性を議論する。

第2章以降は通史としての記述となる。
第2章では、擦文文化から始まる縄文時代からの生活、その後の本州との交易などを説明。文字資料の残る大和政権側からみた「まつろわぬ人」、蝦夷(エミシ)。時代を下って交易のために蝦夷地(エゾチ)をおとずれた和人の側の記述など次第に情報は増えてくる。1604年には松前藩が徳川政権に組み込まれ、アイヌとの交易を支配するようになり、アイヌが独自に行っていた東北地方との行き来を制限していった。1700~1800年の間には松前藩は本州の商人に多額の借金を負い、商場の運用を請け負わせるようになった。交易の大きな割合は本州の農業における蝦夷地産魚肥が占めた。この運用のため、アイヌの労働力を収奪するようになっていった。その背景には和人に較べ劣る存在と規定したことがある(穢多、非人と同等の扱い)。

第3章では、江戸末期から明治初期のロシアの東への進出への対応と、蝦夷地から北海道へ、そして本土からの移民の急増、その間アイヌを日本人として取り込む施策の数々が述べられる。未開墾地を与え農業に従事させる、アイヌ語を禁止するなど、実質的に生活パターンを大きく変化させるものであった。それらは1899年の北海道旧土人保護法の制定へとつながる。

第4章は「いかにしてアイヌが「人種」という色眼鏡を通して認識されるようになったのか、またこうした認識が不平等な関係を構造化していくのにいかに役立ったかを検討する。
日本国民すなわち「日本人種」という考え、そして1868年以降の「北海道の植民地化」と経済発展の結果であったアイヌの貧困化と社会的周辺化は、原住民の「劣等性」と日本の近代性が常識として捉えられ、差別の社会的な進行を通じて植民地社会におけるアイヌの従属を確かにした。
学問の分野では、人類学者と考古学者のデータ収集の主要な手段として「墓暴き」が用いられた。その遺骨返還は、現在まで完全に解決されていない問題である。
ダーウィンの理論を適用した「優勝劣敗」「生存競争」といった考え方によりアイヌを「滅びゆく民族」とする言説が、新聞等を通じ広く日本国民に浸透していった。

第5章以降では、アイヌの側の対応について述べられる。
第5章は明治維新から戦前の状況の記述である。
1789年のノッカマップでの処刑で軍事的抵抗は終わり、その後幕府・松前藩はアイヌに対する支配を強化していくが、日本化政策は抵抗を生んだ。明治期の植民地化と開拓政策でアイヌと和人の関係は新たな段階に入った。それでもアイヌの各コミュニティは伝統を守り続けた。1880年代に入ると散在していたアイヌは人工的につくられたコミュニティへ強制移住させられるようになった。異なるコミュニティの構成員は互いにコミュニケーションをとることはできたが、統一された概念上の存在としての「アイヌ民族」は形成されていなかった。
1899年に「北海道旧土人保護法」が制定されたが、その規定とは異なり給与予定地は貸付の対象となり、その面積も大幅に削られた例もあった。土地をめぐる紛争はアイヌの分裂をもたらすとともに彼らを貧窮に追いやり、土地から上がる利益は自治体と和人小作者のものとなっていった。
1920年代の「大正デモクラシー」の時代にあっても、アイヌには、部落民の水平社や朝鮮人コミュニティにおける労働運動のような組織化された活動は起こらなかった。1万7000人の彼らは地域社会に集中し、貨幣経済の周辺部にいた。1930年代の戦争の時代、地域での活動も多くの制約を受けていく。

第6章は戦後の状況から1970年代までの大きな変化を挙げる。
占領軍の農地改革により、アイヌの耕作可能な土地の34%が失われ、1271人のアイヌの農夫が土地を失った。もともとアイヌの不在地主は労働者として貧困状態にあり、これにより和人の小作者に土地をも奪われることとなった。
一方、アイヌの若者の中から、アイヌの周辺化を支える社会的・行政的な仕組みに正面から対峙し、同化を拒否し、自らのアイヌ性への誇りを主張して、積極的にルーツを探し求める動きが出てきた。
もう一つは「豊かでリベラルな民主主義社会における抑圧され権利をうばわれた先住民人口の存在によってもたらされる政治問題を管理するための国家の戦略」=「福祉植民地主義」とよばれる独自の福祉政策の実施である。

第7章では、政治活動に結び付いたアイヌのアイデンティティの利用が機能し、国家との交渉に際して階級や世代、ジェンダーといった違いを乗り越え統一戦線を可能にする共同体の感覚の構築を可能としてきたこと。それは他国での先住民族運動の出現と自分たちを重ねあわせ、固有の権利と異なる文化・歴史を持つ集団として国家との関係を再定義する試みであったこと。そしてアイヌは、脱植民地化を望む「民族(ネーション)」となったことを述べる。

1997年に制定された「アイヌ文化振興法」については、補章で議論されている。
先住性には目を背け、文化振興、それも国家が認定したものを推進する法律は、出発点でこそあれ、まだまだ残された課題は多くあった。

以上が各章の要旨であるが、2019年制定のアイヌ施策振興法には、「北海道の先住民族であるアイヌ」という言葉が明記され、アイヌが先住民であったことが法的に認められた。この法律に基づき民族共生象徴空間(ウポポイ)が設けられ、アイヌ文化の再興に向けた活動の中核となるとともに、和人がアイヌ民族の文化を知り、両民族の融和を進めるきっかけを与えるものとなるだろう。
しかし、国連総会で2007年に採択された先住民族の権利に関する国際連合宣言で規定されている先住権(自然資源を利用する権利、自己決定権等)にはまったくふれられていない。国際的な視点からみればまだ不十分なものと考えられる。

本書は、帯に「差別の歴史の想像的回復へ」とあるように、多くの論文、資料からアイヌの受けてきた差別とその変遷を明らかにした研究であり、読み応え十分の一冊である。戦後も「墓暴き」が警察などの公権力の支援のもと、アイヌの反対を押し切って行われていたことなど、筆者の知らない事実も多かった。
文中でもふれられているように、アボリジニ、ネイティブ・アメリカンといった先住民と内国植民地と、アイヌとその本拠地アイヌモシリの関係には同様の構造があり、根深い差別につながっている。
著者シドルの研究対象は、その後、南の国・琉球へと向かっている。ヤマトとは異なる言葉や音楽といった文化を持ち、島津の侵略を受けるまでは、独立した国であった琉球にも、民族としての独自性をみる必要があるのではないだろうか。
構造は異なるが、日本が戦前に海外植民地で行ってきた土地の収奪による先住民の貧困化、それとともに起こった日本国内への労働力移転、その管理の結果の「強制労働」。それらは現在までつづく在日韓国・朝鮮人差別を生んだ。
また、最近の中国やロシア、ミャンマーで起こっている少数民族とその文化に対する扱いは、多くの「先住民族」が苦痛とともに味わってきたストーリーの現在進行形と言えよう。

(2022/2/15)

*)
(目次)
謝辞
日本語版への序文

第1章 「人種」、エスニシティとアイヌ
  近代日本における「人種」と国民
  先住民族、創られたインディアン—-競合する歴史
第2章 夷人と鬼
  初期の表象
  松前藩
  偉人を教化する—-蝦夷地における幕府
  犬と人間
  19世紀のアイヌの表象
第3章 旧土人
  蝦夷地の変貌—-異域から内国植民地へ
  開拓と移民政策
  初期のアイヌ政策と強制移住
  1899年の北海道旧土人保護法
第4章 滅びゆく民族
  学者たち
  役人と教育者
  「滅びゆく民族」の表象
第5章 瞳輝く—-アイヌの抗議と抵抗(1869年~1945年)
  初期の対応と対抗
  アイヌと大正デモクラシー
  教師と詩人とキリスト教徒と
  アイヌ協会とアイヌの活動の体制への取り込み
  他のアイヌの運動—-近文と樺太
  旧土人保護法の改正
第6章 アイヌ解放と福祉植民地主義—-新しいアイヌの政治と国家の反応
  アイヌ協会の再興
  高度経済成長期におけるアイヌ
  「人種」と戦後日本におけるアイヌ
  新しいアイヌの政治と国家の反応
第7章 自らのためにあゆみ始める—-アイヌ民族(ネーション)の出現
  アイヌの民族性(ネーションフッド)の奮起
  アイヌ新法—-新しいネーションのための新しい法律
  結語—-1990年代におけるアイヌ
補章 画期的な出来事か—-1997年のアイヌ文化振興法とその影響
  アイヌ文化振興法の系譜
  アイヌ文化振興法と文化のアイデンティティ
  アイヌ文化振興法後のアイヌの政治
  結論
原注
あとがき
訳者解題(マーク・ウィンチェスター)
参考文献
付録 北海道旧土人保護法
   アイヌ民族に関する法律(案、1984年北海道ウタリ協会総会において可決)(抜粋)
   アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(アイヌ文化振興法)(抜粋)
   アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律(アイヌ施策振興法)(抜粋)
   (URLは参考のために筆者が追記)