Menu

円盤の形の音楽|究極のタラレバ―リパッティのベートーヴェン|佐藤馨

究極のタラレバ―リパッティのベートーヴェン

Text by 佐藤馨(Kaoru Sato)

〈曲目〉        →foreign language
Disc 1
[1] D.スカルラッティ:ソナタニ短調 K.9 (L.413)
[2] D.スカルラッティ:ソナタホ長調 K.380 (L.23)
[3] J.S.バッハ/ヘス:主よ、人の望みの喜びよ
[4] ショパン:夜想曲第8番変二長調 Op.27-2
[5] ショパン:ワルツ第2番変イ長調 Op.34-1
[6]-[9] ショパン:ピアノソナタ第3番ロ短調 Op.58
[10] リスト:ペトラルカのソネット第104番
[11]-[13] グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調 Op.16

Disc 2
[1]-[3] シューマン:ピアノ協奏曲イ短調 Op.54
[4] ショパン:舟歌嬰ヘ長調 Op.60
[5] ラヴェル:道化師の朝の歌
[6] ベートーヴェン:チェロソナタ第3番イ長調 Op.69 より第1楽章
[7] J.S.バッハ/ジロティ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番 BWV1003よりアンダンテ ニ長調
[8] フォーレ/カザルス:夢のあとに Op.7-1
[9] ラヴェル/バズレール:ハバネラ形式の小品
[10] リムスキー=コルサコフ:熊蜂の飛行

ディヌ・リパッティ(ピアノ)
Disc 1 [11]-[13] アルチェオ・ガリエラ指揮、フィルハーモニア管弦楽団
Disc 2 [1]-[3] ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、フィルハーモニア管弦楽団
Disc 2 [6]-[10] アントニオ・ヤニグロ(チェロ)

〈録音〉
Disc 1 1947年2月~9月、ロンドン
Disc 2 [1]-[5] 1948年4月、ロンドン
Disc 2 [6]-[10] 1947年5月24日、チューリッヒ

カタログ番号:APR6032

 

リパッティは私が最初に好きになり、名前を覚えたピアニストだ。初めて聴いたのは『ワルツ集』の録音で、親が車の中かどこかで流していたのを耳にしたのだと思う。比類ない名演だが、正直なところ、これを聴いてなぜ好きになったのか分からない。何しろ当時の私は、先生の言うことを聞いてピアノを弾くだけに精一杯な子どもで、音楽愛もそこまで大きくない時分に何が私を惹きつけたのか。もっと自分の中を掘り起こせばピンとくるのか、親の好みだったことによる刷り込み現象か、または夭折の天才というストーリーに引きずられたのか。いずれにせよ、リパッティという名前は当時の私にはとてつもなく輝いて感じられたのだ。気が付けば他の演奏も知りたいと、家にあったショパンのソナタ第3番やバッハのパルティータ第1番を聴き、程なくして初めて能動的にCDを購入していた。モーツァルトのピアノ協奏曲第21番は何度聴いたか分からず、グリーグの協奏曲は涙を禁じ得なかった。シューマンの協奏曲は2種どちらも好きで、エネスクもラヴェルも、リストもスカルラッティも、全てが脳裏に刻みつけられている。
ブザンソンのリサイタルも鼓膜に染みこむくらい聴いた。しかし、だんだんと音楽でないものに接している感覚になって、今ではほとんど聴いてない。この録音はあまりに語られすぎたし、聴いても音楽外のフィルターに阻まれるようで、どこか不誠実な気分になってしまうのだ。早世も、聖者のようなエピソードも、全て知らないまま聴きたかった。あのシューベルトにどうしても、白鳥の歌などという美辞麗句を思い浮かべてしまう自分が情けない。いつかもっと自然体で聴ける時が来ればと思いつつ、この録音は私の中で他とは違う場所に置かれている。今はまだ語る言葉を持たない。
極論すれば好きに理由なんてないはずだが、その理由を問うことすらせず、盲目的にリパッティには心を開いていた気がする。グールドやカペルの愛好は「私はどう音楽と対峙するか」という問いかけに深く関わっていたが、リパッティはそうではない。例えば自分の音楽観がリパッティに感化されているかといえば、それは違う。もっともらしい理由もなく、私にとってリパッティはただ「好き」の対象である。色々考えた挙句、私はこれを恋のように思っている。恋する人に所以を問うても、なるほど、それは無粋ということか。

相変わらず私はしぶとい愛好者だが、彼の音源をだいぶ漁ってふと考えてしまう。「もしもリパッティがベートーヴェンを弾いたら……」。リパッティに限らず、特定の演奏家によく接してきたリスナーなら夢想することではなかろうか。この夢想には、その人のパブリックイメージとは異なるものもあって、「リパッティのベートーヴェン」はまさにその類の究極のタラレバである。モーツァルトやショパンの清廉で優雅な演奏を残したリパッティが、もしベートーヴェンの堅固なソナタを弾いたらどんな内容だったのか。幸いにも、この妄想を手助けするレアな録音が存在する。2020年にAPRからリリースされたアルバムに収録の、アントニオ・ヤニグロとの共演によるベートーヴェンのチェロソナタ第3番第1楽章の録音だ(以前はArchiphonからダウンロードでのみ聴くことができた)。1947年にチューリッヒで行われたテスト・レコーディングだが、今のところリパッティによる唯一のベートーヴェン録音となっており、妄想の一助となる以上に、この演奏家への新しい見方を提供してくれる。
ここに聴かれるリパッティのベートーヴェンは強靭なバネのようだ。しなやかで弛みがなく、他の彼の演奏とは違う剛毅さが備わっている。羽ばたくような澄んだ音色は健在だが、より重心が低く、鍵盤のもっと深い位置を狙って制御されているように思える。リパッティを聴くと、私はよく彼の「指」を思い浮かべるのだが、このベートーヴェンでは彼の「腕」が想像される。頑丈な骨を筋肉が無駄なく覆い、スリムだが折れることのない、アスリートの腕である。それがピアノを制覇しようと猛々しく鍵盤に向かっていく、そのような光景が想像されるのだ。特に展開部の豪快な弾きぶりは、これまで形式的に語られた崇高で脆いリパッティのイメージに喝を入れる一撃ではないか。このどっしりと構えて崩れることのない演奏からは、変な形容にはなるが、「男根的」な一面が垣間見えるようで大変面白い。リリシストだけではない、シューマンやリストでもその一端をうかがわせたような、鍵盤を制するヴィルトゥオーゾとしての天分を改めて認識させられる。それでいて、繊細な歌はどんなフレーズにも織り込まれているのだ。ここまで生命力に溢れるベートーヴェンが彼の中にあったとは。この録音を耳にする度、リパッティによるソナタ第28番や協奏曲第4番を聴きたかったと、果されない思いが募っていく。

(2022/1/15)

——————————
佐藤馨(Kaoru Sato)
浜松出身。京都大学文学部哲学専修卒業。現在は大阪大学大学院文学研究科音楽学研究室に在籍、博士後期課程1年。学部時代はV.ジャンケレヴィッチ、修士ではCh.ケクランを研究。演奏会の企画・運営に多数携わり、プログラムノート執筆の他、アンサンブル企画『関西音楽計画』を主宰。敬愛するピアニストは、ディヌ・リパッティ、ウィリアム・カペル、グレン・グールド。
—————————————
〈Tracklist〉
Disc 1
[1] D.Scarlatti : Sonata in D minor, K.9 (L.413)
[2] D.Scarlatti : Sonata in E major, K.380 (L.23)
[3] J.S.Bach / Hess : Jesu, joy of man’s desiring
[4] Chopin : Nocturne No.8 in D flat major, Op.27-2
[5] Chopin : Waltz No.2 in A flat major, Op.34-1
[6]-[9] Chopin : Piano Sonata No.3 in B minor, Op.58
[10] Liszt : Sonnet 104 del Petrarca
[11]-[13] Grieg : Piano Concerto in A minor, Op.16

Disc 2
[1]-[3] Schumann : Piano Concerto in A minor, Op 54
[4] Chopin : Barcarolle in F sharp major, Op.60
[5] Ravel : Alborada del gracioso
[6] Beethoven : Cello Sonata in A major, Op.69 – I. Allegro, ma non tanto
[7] J.S.Bach / Siloti : Andante in D major from Sonata for solo violin No.2, BWV1003
[8] Faure / Casals : Après un rêve, Op.7-1
[9] Ravel / Bazelaire : Pièce en forme de habanera
[10] Rimsky-Korsakov : Flight of the bumblebee

Dinu Lipatti, piano
Disc 1 [11]-[13] Alceo Galliera, Philharmonia Orchestra
Disc 2 [1]-[3] Herbert von Karajan, Philharmonia Orchestra
Disc 2 [6]-[10] Antonio Janigro, cello

〈Recording〉
Disc 1 February – September 1947, London
Disc 2 [1]-[5] April 1948, London
Disc 2 [6]-[10] 24 May 1947, Zürich