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鈴木優人(チェンバロ) J.S.Bachを弾く 1 ―平均律|秋元陽平

鈴木優人(チェンバロ) J.S.Bachを弾く 1 ―平均律
Suzuki Masato plays J.S.Bach 1 -Das wohltemperierte Clavier

2021年11月11日  トッパンホール
2021/11/11 Toppan Hall
Reviewed by AKIMOTO Yohei (秋元陽平)
Photos by大窪道治/写真提供:トッパンホール

<出演>        →English
鈴木優人(チェンバロ)
<曲目>
J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第一巻 BWV 846-869
(アンコール)平均律クラヴィーア曲集第1巻 第1番 ハ長調 BWV846 前奏曲

 

結婚式のスピーチでよく引用されるサン=テグジュペリの言葉に、「愛とは互いを見つめ合うことではなく、同じ方向を見ることだ」というものがあるが、この「愛」は、じつのところ「コンサート」に置き換えても成立する、それが良き古楽演奏家のコンサートであれば、なおさらのことだ。つまり、あえて戯画化すれば、聴衆と演奏家が互いに見つめ合って、聴衆は演奏家に熱烈な期待を寄せ、演奏家は聴衆のまなざしに気づかぬふりをしつつもその期待に応えるべく没入のゼスチュアをする、という近代のコンサートではない。あくまで観客「とともに」バッハの音楽へ、そしてバッハとともにその音楽が指し示す宇宙へとまなざしをむけ、そこで何が展開されているのか、手繰るように、精巧に折りたたまれたものをひらくようにしてフレーズを辿っていく、そういうコンサートだった。鈴木はフレーズの展開に集中し、観客もまたフレーズの展開に集中し、そこには独特の一体感が生まれる。
こうしたギグ、セッションには、後方まで偏りなく音が通るトッパンホールのサイズ感という要素が欠かせないことも実感する。チェンバロでの平均律演奏でしばしば起こる中音域周辺の混雑が感じられず、すっきりと流れが見渡せたのは、残響が長すぎず音が団子になってしまわないからだろう。それにしても、近年モダン・ピアノで演奏されたいくつかのバッハ録音のなかには、喩えるならバッハの音楽をミキサーにかけてペーストにして白い皿にチューブで絞って絵を描くような斬新奇抜なものもあって、そうすると原材料がなんであったのかよく分からない新奇なものを食べたという感想になるのだが、たとえば20番のフーガのような非常に複雑な音楽でも、元を辿ると「歌」と「舞曲」に通じるものは必ずあって、鈴木の演奏ではそうした律動や抑揚が失われることなく進むから、長い時間集中して聴いていてもまったく苦痛になることがなく、24曲を間違いなく一つ一つ味わったという気になる。

わたしの場所から鍵盤は見えなかったし、レクチャーには参加できなかったので推測だが、上段の、輝度がより高い音色がしばしば効果的に用いられたのではないか。調性によって折々異なる色彩をまとうのも、モダン・ピアノで育った人間にとっては(物知らずといわれればそれまでだが)あらためて、新鮮な驚きだ。3番、13番といった記号の多い演目では、ドレスチェンジしたかのような華やかさが感じられる。キルンベルガーの調律がしばしば生む僅かな濁りも明瞭に聴き取れるのが面白い。24曲目の最終和音もそれなりにその影響を被るので、観客の「お耳直し」に、と鈴木が最後にアンコールピースでC-durを再演したのも、実に精妙なことだ。最良のコンサートは常に、観客の耳を良くするコンサートなのだ。近年ますます盛り上がりつつある日本の古楽シーンだが、それはただ規範意識としての「歴史的正しさ(いわばHistorically Correctか)」だけではなく、個別的な手探りの試みとして、そこに内在する手触りによって聴衆を導いてくれるところに魅力があるのだ。

(2021/12/15)

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<Cast>
Masato Suzuki (Cem)
<Program>
J.S.Bach: “The Well-tempered Clavier Book I” BWV846~869
(Encore : No.1 Prelude from “The Well-tempered Clavier Book I”, BWV846)