Books|失われた手稿譜−ヴィヴァルディをめぐる物語−|小石かつら
フェデリーコ・マリア・サルデッリ著、関口英子、栗原俊秀訳
東京創元社
2018年3月 ISBN978-4488010782
text by 小石かつら(Katsura Koishi)
ヴィヴァルディの手稿譜が、いかにして失われ、いかにして再発見されたのか。その過程を詳細に辿り、小説としてまとめたのが本書である。ほぼ、ノンフィクション。著者はフェデリーコ・マリア・サルデッリ。リコーダー奏者、作曲家、画家、版画家、風刺漫画家であり、ピリオド楽器アンサンブル「モード・アンティクオ」を主宰し、フィレンツェの音楽アカデミーの古楽科学科長をつとめ、研究者としては、ヴィヴァルディ目録の編集責任を担っている。
本書の登場人物はきわめて多い。冒頭にガイドとして列挙された「主な」登場人物だけで27人もいる。しかも18世紀から20世紀にわたって、いくつかの貴族の系譜も理解しないとついていけない。サレジオ会にイエズス会とキリスト教の会派も複数、舞台となる土地もあちこちだ。それに、イタリア人の名前は長い。ところが実際は、三面記事か週刊誌をむさぼる勢いで読んでしまい、貴族の息子の名も孫の名も兄弟関係も、完全に頭に入ってしまう。読後の今、私は町内の情報通のおばちゃんよろしく黙っていられない。「ねえねえ、ヴィヴァルディの手稿譜の秘密、教えてあげようか?」
おもしろさの理由は、手稿譜をとりまく史実そのものがスリルに富んでいるからだけではない。著者サルデッリの文章および全体構成がすばらしいのだ。多岐にわたる登場人物の人間模様の描写が、ユーモアにあふれ、イタリア特有のジョークや言い回しが満載で、おかしくてたまらない。しかもその細かいことといったら!着ている服の色使い、材質、サイズ。食事の内容。それに、光の差し方や匂いのただよい方。会話のひとことずつに伴う顔色、表情、心理の変化。すべてが生々しく、まるでその場に居合わせているかのようだ。そして、登場人物全員が一人漏らさず名脇役。挨拶の作法、手紙の書き方、ゴンドラ舟の進み方、自動車の運転。それぞれの時代の、それぞれの町の様子が、映画の背景のごとく浮かび上がる。しかも、翻訳の日本語もウィットが効いている。文章がピチピチと踊りだしそうなのだ。一マス空けたり、状況に応じて、カタカナではなくあえて「えまぬえる」としたり。
ヴィヴァルディは不幸の内に亡くなり、18世紀、残された手稿譜は次々と人手にわたっていく。そして20世紀、それは、糸をたぐりよせるように発見されていく。この、それぞれの過程が、1章ごとに行きつ戻りつしつつ書かれている。「謎」と「その原因」が対応するという構成だ。
この渦巻きのような吸引力で引きずり込まれた先にあったのは、単なる再発見ではなかった。そう、手稿譜が無事に再発見され、正しく図書館に所蔵されるということこそが「問題の解決」だと信じて読み進めていたのだが、ファシズムの影が、予想外の「問題の核心」をあぶり出す。それは、音楽(史)への浅薄な理解および享受に対する、著者サルデッリの辛辣な批判であり、その批判は、かつての聖職者や政治家を無知な存在としてあざ笑う、読者である現代の我々への痛烈な一撃であった。
(2019/6/15)