三つ目の日記(2024年8月・9月)|言水ヘリオ
三つ目の日記(2024年8月・9月)
Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio) : Guest
2024年8月17日(土)
『ソウルメイト』という映画を見る。カレーらしきものを食べる場面があり、今晩はカレーライスにしようと決める。そしてまた、こどもの頃の病院でのことを思い出す。入院した日の、突然環境が変わった不安のなかでのはじめての昼食がカレーライスだった。そこはこどもしかいない病院で、カレーは甘口の、ミックスベジタブルか何かがはいったものだったと記憶している。配膳のとき、まごついている自分を助けてくれたのが、7月も記したやっくんだった。やっくんは年下で、10歳にも達していなかったのではないだろうか。活発で誰とでも対等に接するようなタイプ。だが、その後の記憶が飛んでいる。やっくんのことで次に思い出すのは、彼が吐血したときのこと。ベッドに横になっているやっくんが突然苦しそうに咳き込んだ。見ると赤いものが口からしたたっている。わたしはあわてて「かんごふさーん」と連呼した。以後やっくんは個室に入り、聞いた話ではのどに穴を開けてしゃべれなくなったらしい。その後わたしはやっくんのいる個室の隣の二人部屋に移動。彼の部屋とは壁の代わりのガラス一枚で隔てられた状態。ガラスにはカーテンがかかっていて室内は見えない。隣のベッドの子が、話せないやっくんにと、うんちをしたいとき用にソフトクリームの絵の札、おしっこをしたいとき用にグラスにストローのささったジュースの絵の札をそれぞれつくってあげた。何度か、隣室があわただしくなり、やっくんの容体が変化したことが伝わってきた。ある日、そのような状況下、おかあさんの叫び声と泣き声が聞こえてきた。
映画を見終えて、レトルトカレーを温めごはんにかける。映画のなかで、一瞬といってもいいくらいの時間、病院のベッドが血に染まっている場面があったのは、まぼろしだったのだろうか。カレーライスを食べる手の震えが止まらない。
8月22日(木)
8月にはいって2度目の外出。東京駅から銀座まで歩く。途中、好みの喫茶店を見つけひと休みする。また来たい店だが、この辺に来る機会はあまりなさそう。外観の写真を撮る。店の人がガラス越しにこちらを見ている。
今日は山倉研志、林信男、門井幸子といった人たちの展示を見る。「じっくり見てくれて」と言われるが、わたしは本当に見ているのだろうか。じっくり見ればそれでいいのだろうか。というようなことが、「じっくり」見ているわたしの頭のなかには浮かんだり消えたりしている。
屋外は、覚悟していたほど暑くなく、風が吹いてむしろ涼しい。夕方の早い時間に展示を見終わり、いつもの甘味処に寄るかどうか迷いながら、地下鉄の駅へと向かう。途中、水分を欲し、自販機でお茶を買いその場で半分飲む。
スーパーで夜の食事など買って帰宅。しばらくすると、足が痛くなってきて、歩くのが難しい。歩数計は約7000歩を示している。久しぶりにこれくらい歩いたのだからしかたないだろう。
8月24日(土)
駅で電車を待っているあいだスマホでメールを読んでいたら、電車の到着に気づかず乗りそびれてしまった。急いでいるのに。新宿三丁目に着き早足で歩く。横地美穂の写真展。海辺の景色のなかにうつっている人びと。なにをしているのか、話しているのか、想像する。写真の紙の質感があり、写真集で見るのとは違うんだなと思う。歩いて新宿二丁目方面へ。空腹に耐えられそうもないので、途中にあったコンビニでサンドウィッチを購入して、道端で食べる。次は篠田優の映像の展示。見たことのある映像も、どこか再編集されているように思えた。前に見逃したか忘れたか、ということかもしれない。18時から同じ会場でトークを聞く。いくつものことばが舞って、ふりかえるとなんだったっけとことばにならないが、自分にも関わるなにかを聞いた。
帰宅前、雨が降る。しばらく濡れたままでいたが、強く降ってきたので傘をさした。近所の中華料理のチェーン店で食事。DVDで『さらば、わが愛/覇王別姫』を見て寝る。
8月31日(土)
参加する展示の搬入。参加者は約50名。広くはないギャラリーに、それだけの人数分が展示されることになる。自分がつくったのは、日々の食生活で生じる木片を素材にした小さなもの4つ。
9月21日(土)
出かける気になれず部屋に篭りがちなここ数十日。見たい展示があっても行かないことの方が多い。手元にある案内状の整理をする。机の上の、氷水をいれたマグカップ。その下が濡れている。口元を拭ったまま置いてあったティシューペーパーでそれを拭き取る。
9月23日(月)
8月22日に見た門井幸子の展示で入手した氏の写真集を手に取る。展示会場で作品を見てからもうだいぶ時間がたったように感じられる。体感できる気候はもう秋なのだ。ページをめくり写真を眺める。本のタイトルは『春 その春』。倒れたり、直立したままになっていたりする枯れ草と空。枯れ草に覆われた湿地帯の地面。朽ちて地面に横たわる枝、落ち葉。雪のすこし残る森と木々。生命の息吹を予感させる湿り気を帯びた土。土地を覆う雪と姿を見せる茎。流れる水。北海道の根室で撮った写真と教えられても、そうなのかな?と思うような景色。対象を定めてそれを収めるというより、撮る人にとってのその場の風景を記録するという撮り方ではないかと、勝手に思う。太古から、風がすぎてゆき、生まれて死んだ命が堆積した。
9月27日(金)
定期検診のため病院へ。雨の予報だが小雨程度の降り。せっかく外出したこともあり、電車を乗り継ぎ、小平へ、髙柳恵里の展示を見に行く。床にたたまれたシャツが置かれている。作品として展示するためにたたんだというより、たたんだままどこかにしまわれていたのを出してきた、といった印象。その他、点灯していない蛍光灯のスイッチひもの先が照明器具の上部に乗せられていて、ひもがカーブを描いている様子に、これは作品ではないかもしれなかったが着目した。会場を出て歩く途中に細い水路があり、水路沿いの植物で蝶と蜂が争っているのを眺める。
9月28日(土)
母の誕生日。この日は毎年ぶどうを送っている。携帯電話に着信があり、かけ直す。ぶどうが届いたとのこと。早く食べるように伝える。祝うようなことばは言えない。電話をきってから、何歳になったのか定かでなく調べる。
9月30日(月)
朝の5時がもう暗いことに気づく。寒い。
(2024/10/15)
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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、2024年に『etc.』をウェブサイトとして再開、展開中。