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東京都交響楽団 第1002回 定期演奏会Cシリーズ|藤原聡

東京都交響楽団 第1002回 定期演奏会Cシリーズ
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra Subscription Concert No.1002 C Series

2024年6月28日 東京芸術劇場コンサートホール
2024/6/28 Tokyo Metropolitan Theatre
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 堀田力丸/写真提供:東京都交響楽団

〈プログラム〉        →foreign language
スメタナ:歌劇『リブシェ』序曲【スメタナ生誕200年記念】
ヤナーチェク(フルシャ編曲):歌劇『利口な女狐の物語』大組曲[日本初演]
ドヴォルザーク:交響曲第3番 変ホ長調 op.10

〈演奏〉
東京都交響楽団
指揮:ヤクブ・フルシャ
コンサートマスター:矢部達哉

 

2017年以来、フルシャ約7年ぶりの都響登壇。周知の通りこの指揮者は2010年から2017年の8年間都響の首席客演指揮者を務めたが、最終年である2017年以降今年に至るまでこのオケに戻って来ていなかった。2020年に指揮する予定はあったものの、ご多分に漏れずコロナ禍により中止。そしてこの都響に不在の7年の間、フルシャの活躍の場は文字通りワールドワイドなものとなる。チェコ・フィルやフィルハーモニア管首席客演指揮者への就任、ベルリン・フィルやウィーン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管などへの登場など枚挙にいとまがない(尚、2025/26シーズンからは英国ロイヤル・オペラの音楽監督に就任予定)。より多忙となったフルシャが再度都響に戻って来ることは以前より難しくなっていると少なくとも外野からは思えたのだが、フルシャ自身が都響への再登場を希望していたためもあり―むろんオケ側からの要望も強くあったのだろう―、この度の登壇が実現したのだ。今回披露されるのは2種類のプログラム、これから記すのはスメタナ、ヤナーチェク、ドヴォルザークを並べたオール・チェコ・プログラム(もう1つは来号に執筆予定)、しかしそのチェコ・プログラムもありきたりではなくいささかマニアックなもので、それだけにフルシャが本コンサートにかける意気込みが伝わって来よう。

まずは今年生誕200年であるスメタナの『リブシェ』序曲。この作品、名前はそれなりに有名ながら序曲ですら少なくとも日本では実演でなかなかお目にかからない(全曲ならなおさら)。「プラハの春」音楽祭のオープニングコンサートの冒頭で演奏されるのを聴き覚えている方もおられようが、この日のフルシャ&都響の演奏は全く見事なものだった。冒頭の壮麗かつ柔らかく整えられた素晴らしい金管群の音色と抜群のアンサンブル。主部での弱音のテンションを維持した表現力も卓越しており、ラストの高揚も力ずくさは微塵もないのに(ないからこそ)オケ全体が無理なく鳴り渡り素晴らしい迫力。この1曲を聴いた段階で、早くも以前のフルシャより表現の引き出しが増えたというか、奥行きを増した印象があった。

次にヤナーチェク『利口な女狐の物語』のフルシャ編曲による「大組曲」。本作のオケのみの組曲版ではターリヒあるいはマッケラスのものが有名だが、フルシャはブルノ・フィルとの録音ではイーレク版を使用している。ターリヒ版及びマッケラス版は原曲の中から第1幕の音楽のみを抽出しており(尚、ターリヒ版とマッケラス版はフルシャによれば「ほぼ同じ」だが、ターリヒが改変したヤナーチェクのオーケストレーションをオリジナルに戻したのがマッケラス版)、対してイーレク版は全3幕から主にオケの部分の音楽を用いる。そしてこの度のフルシャ編曲による「大組曲」は同様に全3幕からオケ部分のみならず声楽の入る箇所も用いており、それゆえターリヒやマッケラスはもちろん、イーレク版よりも長い演奏時間約30分の作品となった訳である。この辺りの詳細事情はフルシャ自身が語った内容が都響のサイトにアップされている。
https://www.tmso.or.jp/j/concert/detail/detail.php?id=3782

筆者は本作の原曲全曲に録音で数回接しただけゆえ、原曲とフルシャ版(及び他版)の異同についての細かい言及は手に余るが、その上で言うならば全曲を大まかな形で時系列順にフォローしたこの版は単に演奏時間が他版より長いということのみならず、本オペラの精髄に最も肉薄した版だとの印象を受けた。何よりもヤナーチェク特有のオーケストレーションと旋律、目まぐるしく変転する楽想、テンポ。喩えて言えばまるで違う水脈から流れてくる異なる水の流れがいきなり合流させられたかのようなオケ内での違う時間の流れの唐突なぶつかりあい。これは本作に限らないヤナーチェク作品の特徴と思えるが、それを骨の髄まで堪能させてくれたのがこの版と言える。そしてそのようなヤナーチェクの語法を見事に体現した演奏のすごさ。このように極めて特殊な音楽を初めて演奏したとは思えぬ都響の危なげない技術力と全体の揺るぎない構成力。そこには余裕すら感じさせるが、それをもたらしたのは当然フルシャである。モラヴィア出身のヤナーチェクとフルシャ、一般論としては作曲家と演奏家が同郷だから名演となる訳ではないが、ヤナーチェクの場合はその特異性ゆえそこにある種のアドバンテージがあるようにも思うし、原曲が血肉化されているフルシャゆえの名演なのは間違いあるまい。

休憩を挟んではドヴォルザークの交響曲第3番。滅多に実演にかからない作品だ。フルシャによれば今回ドヴォルザークの交響曲を入れてはどうかとの話になり、それならばあまり演奏されない曲にしませんか、と第3番を提案したのだという。あくまで個人的な意見だが、本作は確かに魅力的な楽想はあるがいささかまとまりに欠け、傑作と言えない(佳作だとは思う)。で、ノイマンやビエロフラーヴェクといったチェコ勢による演奏はなるほど美しく情緒に溢れるもまったりし過ぎて退屈に感じる瞬間なしとしない。そこへ行くとフルシャ、速めのテンポと明快でコントラストの効いた楽想の変転の掘り下げ方は本作をまるで飽きさせず一気に聴かせてしまう。かつ、以前のフルシャであればさらに快活かつ飛び跳ねるような演奏を披露しただろうが、今のフルシャは軽快さと同時に都響から温かみある重心の低いコクのある響きを引き出す。これはワーグナーの影響が大きい本作にとってプラスに働いていよう。騒ぎ過ぎず、さりとて落ち着き過ぎず、ドヴォルザークの交響曲第3番の演奏の1つの理想形がレアリゼされていた。褒め過ぎ? いや、そんなことはないと思う。7年の間をおいてのフルシャと都響の共演、そのブランクを全く感じさせない両者が一心同体となった名演である。今後の定期的な都響再訪を切に願う。

(2024/7/15)

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〈Program〉
Smetana:Overture to Libuše[Smetana 200]
Janáček(arr.by Hrůša):The Cunning Little Vixen,Grand Suite[Japan premiere]
Dvořák:Symphony No.3 in E-Flat major,op.10

〈Player〉
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra
Jakub HRŮŠA,Conductor
Tatsuya YABE,Concertmaster