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三つ目の日記(2024年6月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2024年6月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio) :Guest

 

きゅうりを入手したので、ぬか床に投入する。次の日取り出すと、きゅうりはきゅうりのぬか漬けになっていた。

 

2024年6月2日(日)
雨が降ったり止んだりの安定しない天気。先月記した「やり直し 関口国雄」の最終日。数日前、本日展示終了3時間前から「ワンモアナイト」という催しが行われるというお知らせが届いた。「やり直し」の中の「ワンモアナイト」なのか、それとも、「やり直し」は終わりその次として「ワンモアナイト」に引き継がれたのか。19時頃会場に着いて入場すると、このあいだ来たときに比べ展示がずいぶんと片付き、人のとどまるスペースに椅子が置かれて来場者が座っていたりする。作者は、デジカメを直接プロジェクターに繫いで、スライド上映のようなことを行いながら、写っているものごとについて話している。投射画面の片隅にある数字から、写真は5000枚以上あることが予測される。天井からビニール傘が何本かぶらさがって、開いたその内側にいろいろなものを載せている。床には紙焼きの写真がばらまかれている。壁には誰かの名言的なフレーズを書きつけた紙がところどころに貼られていたりする。話を聞いていると、この展示の作品のタイトルが、会期途中で変わったらしい。写真を見ながら解説を聞くこの感じ、過去に体験したことがある気がする。ある美術批評家と酒の席をともにしたとき、見に行った展示の写真をたくさんとりだして、どのような展示だったかなどの話をしてくれたことがあった。
「ワンモアナイト」が終わり、1階の立ち飲み屋でジュースを飲んでいると、作者が大きな紙を運んでいるのが見えた。帰り際に見ると、「やり直し」と大きく書かれたその紙は地面に敷かれ、雨に濡れていた。

 

6月13日(木)
髙馬浩が発表を続けてきた画廊が移転し、あたらしい環境で作品を見ている。ここにはガラス窓があり、外光がかなり入ってくる。蛍光灯だった照明はスポットライトへ。数点並べて展示できる壁は、1点か2点を展示する壁へ。室内は狭くなり、2室にわかれている。立って見るにはすこし低い位置に作品は展示されている。しばらく眺める。まばたきの瞬間や、視覚のなにかの折に、見えるはずのないノイズのようなものが出現する。作品がそうなっているのではなく、自分の視覚的問題。やがてそれがおさまり、別の作品に目を移す。
隣の部屋へ行く。隅に白い台形の小さな椅子が置いてある。尋ねると、座って見るために作者が持ってきたという。そこに腰をおろし、荷物をその脇に置く。ななめ右に作品がある。すぐ右隣にも。そして隣の部屋の作品の部分が見えている。そのとき来場者は自分だけであった。次の人が来るまで、ここにいることにする。
白い壁、外からの陽の光、天井からの照明、それらを受ける作品。ここでなにかが起こっている。生じている音が聞こえては聞こえなくなる。この空間のこの風景を、ある場所から、焼きつけるように眺める。そしてそれが切実な行為であるということ。
ときが経ち、来場者が訪れた。椅子から立ちあがり、出入口のある方の部屋へ移動する。その来場者は、わたしより先に出て行ってしまった。

髙馬浩
藍画廊
2024年6月3日〜6月15日
https://igallery.sakura.ne.jp/aiga949/aiga949.html

 

6月22日(土)
西船橋の駅前で食事する。視界に入る人の顔が、学生時代の知人に見える。そのうち、見知らぬ人の顔をしていることがわかる。隣の席の人は、食べながらスマホでゲームをしているようだ。無人のレジで会計して店を出る。歩いていると、なんとなく、海が近いような気がする。
1階から3階までスペースがあるギャラリー。扉を開き1階の一室に入る。目に入ってきたのは、床に方形にしきつめられた小さな彫刻の数々。6000個以上あるらしい。けしごむを彫ってつくられている。船のようなもの、お椀のようなもの、お椀のようで底が水色っぽいもの、塔のように尖ったもの、墓に見えるもの、丸いもの、星のようなもの、針の脚のついたもの、枠だけのこされたもの、なんだかわからないもの、それ以外にも……。ひとつひとつが、小さく、作者の手のなかでできてきたはず。それが集まって、全体に薄暗い照明のなかで白く存在している。夢想が始まる。ここは砂浜。波に洗われた貝殻や打ち上げられた小さなものの町。ここは水面。船がひしめき無人のにぎやかな葬送が行われている。ここは異世界。これまで発せられた声が姿を変えて打ち上げられている。作品のまわりを何周も歩く。
2階への階段の踊り場には、《翼あるもの》と題されたシリーズの、本を開いて各ページを折り込み1行だけ見えるようになっている作品が1点。2階は図書室になっていて、壁に絵が3点。いずれも夢のメモが元になっているという《夢ノート/袖の涙/泉》と題された作品。袖がたたえてきた涙が大粒になって夢に出てきたのだろうか。
3階のスペース。正面の壁に記された、回文の半分。文章ではなく単語が並んでいる。上からブルーのグラデーションがかかっていて、遠目からは、下の方は壁と同化していて読めない。近づくと文字があることがわかる。スペースの片隅に持ち帰り用の紙が設置されていて、そこには回文の全文が載っていた。それを見て、「この世界ではない別の場所」(作者のことば)ということを反芻する。回文後半は単語の列挙ではなく、文章になっていたのである。《ひと粒の泡のなか》という、少女漫画の人物の目(涙のたまった目など)、口、耳、指などをコラージュした作品を見て、1階の作品をまた見たくなり、階段を降りる。
2時間ほど展示空間にいる。来場者が絶えない。スペースに入るやいなやあたりまえのように写真を撮り始める人が多い。精魂込めてつくられた実物の作品と、向き合うことができただろうか。作品を見るとはどういう行為なのだろう。

ひとすくい|福田尚代
Kanda & Oliveira
2024年5月18日〜6月29日
https://www.kandaoliveira.com/ja/exhibitions/18-naoyo-fukuda-a-spoonful-of-salvation/
https://sites.google.com/view/fukudanaoyo/
●漂着物/海辺の洞窟 2002–2024年 消しゴムに彫刻、針、糸、紙 274×354cm(サイズ可変)(上、中)
●この世の鼓動よ、最果ての波際よ 2023年 180×454cm(部分。下・壁)
●アイスハーケン、そしてアイリス 2018–2024年 脱色されたハンカチに刺繍 51×51cm(下・手前)

 

6月25日(火)
夢から覚められず夜になった。見ているときには楽しかった夢が、目覚めると悪夢になる。

(2024/7/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、2024年に『etc.』をウェブサイトとして再開、展開中。