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プロムナード|眠れるミューズの口許|柿木伸之

眠れるミューズの口許
Lips of Sleeping Muse

Text by 柿木伸之(Nobuyuki Kakigi)

コンスタンティン・ブランクーシ《空間の鳥》1926年(1982年鋳造)、ブロンズ、大理石(円筒形台座)、石灰岩(十字形台座)、132.4×35.5×35.5cm、横浜美術館

アーティゾン美術館でブランクーシ展「本質を象る」(会期:2024年3月30日〜7月7日)を見られたのは幸いだった。愛を交わすことや新たな命が生まれることそれ自体を突き詰め、その出来事を無二の形象に凝縮させたこの彫刻家の歩みを、初期からたどる機会が初めて得られた。ブランクーシが早くから、独特の研ぎ澄まされた形象が出現する空間をも造形していたことが伝わってくる展示だったと思われる。繰り返し取り上げられる鳥の飛び立つ姿が象徴するように、彼は立体的な造形を物質の重みから、さらには重力からも解放しようとしていたのかもしれない。それをつうじて彼の彫刻は、形而上の次元に迫ろうとしたのだろうか。

コンスタンティン・ブランクーシ《苦しみ》1907年、ブロンズ、29.2×28.8×22.3cm、アート・インスティテュート・オブ・シカゴ Photo image: Art Resource, NY

こうしたブランクーシの芸術を特徴づける方向性へ興味がそそられる一方で、彼が名状しがたい感情を徹底的に掘り下げようとしているのに強く惹きつけられた。その志向は素材の内奥へ向かいながら、汲み尽くされえない含蓄を湛えた顔貌を造形する。このような芸術は、すでに最初期に《苦しみ》(1907年)という作品に表わされていた。そこに見られる首を傾げた頭部の表現は後に自立し、「眠れるミューズ」と題された一連の作品に結晶することになる。その一つ、《眠れるミューズII》(1923年)にしばし見入った。このとき、眠りのなかで起きていることと「ミューズ」という名の関係への問いが脳裡に浮かんだ。

《眠れるミューズII》の顔貌の造形は、一面ではきわめて抽象的である。鼻はまっすぐな鼻筋に還元され、眼は閉じたまま、卵形の形態に埋もれてしまっている。他面で口許だけ具象的に表現されているのが魅力的だ。口はわずかに開き、無意識のうちに声を発しようとしているようにも見える。このような微かな身ぶりに結びつく魂の出来事のうちに、彫刻家は「ミューズ(ムーサ)」と呼ばれてきたものを感じ取っていたのだろうか。そう自問しながら、歌うことが夢見てしまうことと切り離せないことを思った。ニーチェは『悲劇の誕生』において、歌に淵源し、詩句によって構成されたギリシア悲劇の上演を「アポロンの夢」と呼んでいた。

アーティゾン美術館におけるブランクーシ展「本質を象る」の展示風景。右側に《眠れるミューズII》が見える。撮影:木奥惠三

いにしえのギリシアの詩人は、ムーサよ語れと呼びかけるところから詩を紡いでいたという。歌うこと自体は死すべき人間の業ではない。むしろ人力を越えた何ものかが乗り移り、それが詩人の全身全霊を媒体として鳴り響くところに歌が生まれる。それが何かを夢見てしまうことと表裏一体であるのを捉えて、プラトンはそこに神憑りの狂気を見ていたのもかもしれない。神憑り、ないしは物狂いになるとは、自己を絶対的に超越した何ものかを不意に抱えてしまうことである。いや、それに抱え込まれてしまうと言うべきだろう。ムーサよ語れと唱えた詩人は、そのような想念の瞬間を待ち望んでいたのかもしれない。

石牟礼道子は、『苦海浄土』をはじめとする作品に結びつく詩作の初期に、谷川雁が「原点が存在する」に記した言葉に触発されたことを、いくつかの著述のなかで表白している。1954年に書かれたこの詩論(『原点が存在する』月曜社、2022年、所収)において谷川は、ゲーテの『ファウスト』第二部の「母達」の場におけるファウストとメフィストフェレスのやり取りをたどりながら、「二十世紀の『母達』はどこにいるのか」と問う。その場所に「詩人の座標の『原点』」を見定めながら谷川はさらに、「母達」の場所へ向けて「下へ降りようとなさい」とファウストを促すメフィストの言葉から、次のような呼びかけを受け取っている。

「段々降りてゆく」ほかないのだ。飛躍は主観的には生れない。下部へ、下部へ、根へ、根へ、花咲かぬ処へ、暗黒のみちる所へ、そこに万有の母がある。存在の原点がある。初発のエネルギイがある。

それからおよそ十年後、石牟礼はこの一節を読んで、自己自身を感じ取っていた。彼女は「人形をつくる」というエッセイ(『陽のかなしみ』、朝日新聞社、1991年、所収)のなかで、「あやうく、雁さん、それはわたし、わたしたちのところです、と声をあげたいおもいがあった」と語っている。谷川にとって一歩一歩接近するべきところに、詩作において摑まれるべきものとしてあった詩人の「原点」。それは石牟礼にとって、すでにここにあった。その場所なき場を、彼女は後に「妣たちの国」とも呼ぶようになる。そこへ衝き動かした要因の一つとして、この頃石牟礼が傾倒していた高群逸枝の女性史の影響を挙げるべきかもしれない。

それとともに石牟礼が幼少期、『椿の海の記』(河出書房新社、2013年)に「おもかさま」として描かれる物狂いを生きた祖母とともに過ごしたことも思い起こすべきだろう。祖母のうちに石牟礼は、「妣」の一人を見て取っていたにちがいない。米本浩二の新著『実録・苦海浄土』(河出書房新社、2024年)はさらに、石牟礼と死の近さにも注意を促している。これらを考え合わせつつ、彼女がしばらく後に渡辺京二が編む雑誌『熊本風土記』に、『苦海浄土』の基になる「海と空のあいだに」を連載し始めることを顧みるなら、彼女はすでに自分を超越した何かが魂を摑み、動き始めているのを感じ取っていたのではないだろうか。
石牟礼は、「それはわたし」と呟きかけている。ブランクーシの「眠れるミューズ」のように。しかし、このとき「わたし」のなかで自我の底は抜け、自他の境界も消え去っている。もはや生死の境もない。死者はここにいる。さらに『椿の海の記』の世界に照らすなら、「わたし」はすでに、生類のあいだに溶け込んでいるとさえ言えるかもしれない。それとともに一つの命を生きたものに捕らえられること自体が夢想と化す瞬間、詩魂が生まれる。歌の胎動が生じているのだ。夢見るミューズの口許に萌しているこの出来事──そこに細川俊夫も音楽としての歌の源を見ていよう──を、石牟礼は「妣」の名で呼んでいたと思われる。

たしかにこの「妣」を、性別を越えて考えることは可能だろう。その一方で忘れてはならないのは、詩の源になる出来事が血肉のうちに生じることである。それとともに「わたし」は、自己を越えて歌の媒体と化す。ここでメディウムという語が霊媒も指していることも思い起こされるべきではないか。とはいえ歌の胎動から一つの詩が鳴り響くためには、血肉のうごめきから新たな言葉が析出されなければならない。米本の『実録・苦海浄土』は、そこに介在する批評的な思考が他者の詩的言語を参照しながら繰り広げられたことも教えてくれる。それによると石牟礼は、森崎和江の「聞き書き」だけでなく、渡辺京二のそれからも刺激を受けていた。
『苦海浄土』の詩的言語は、同時代の新たな方法による文学の布置において、またその展開の対位法のなかに鳴り響いた。米本の筆致はその現場を、石牟礼と渡辺の息遣いとともに浮かび上がらせている。こうして目覚めとともに新たな言葉が歌い出されたとき石牟礼は、それまで自分に取り憑き、歌を養ってくれていたものと別れなければならない。彼女が語る「エロス」は、そのような場面で悲しみとともに生じていたのではないか。そして、この「エロス」は、プラトンが『饗宴』で論じたそれと同様、絶えず新たに何かを生み出す。石牟礼は詩を紡ぎながら、生死のあわいに近いところでこの「エロス」を抱えた身体を生きていたように見える。

アメデオ・モディリアーニ《若い農夫》1918年頃、油彩・カンヴァス 、73.4×50.3cm、石橋財団アーティゾン美術館

無数の場所で生きられうるこの身体こそ、尊ばれなければならない。それは死者を含めた他者、そして無数の生類たちに開かれ、それらのあいだで息づく。森崎和江は、筑豊の炭鉱の労働者の闘争のなかで一人の女性の命を奪った暴行殺人事件が起きた際、この出来事に向き合うことよりも闘う集団の団結を重視した谷川雁の態度に接し、その後彼とたもとを分かつことになるのだが、そのことを『闘いとエロス』(月曜社、2022年)に綴るとき、彼女は、いつでも歌の媒体に変容しうる「エロス」を抱いた身体が、谷川の離反──それは詩の原点に対する裏切りでもある──によって、それを踏みにじる暴力にさらされたのを察知していたはずだ。

今、沖縄の女性たちを蹂躙した米軍の軍人の暴力が、被害者の女性に連なる沖縄の人々から隠されてきたことが明らかになっている。これを隠蔽してきた男らの論理の下、辺野古の海を壊す無益な工事が進められている。ブランクーシの「眠れるミューズ」の口許を思い出しながら、歌を、そして詩の言葉をその根源──「妣たち」の場──から問うとは、身体をこわばらせ、息苦しくする論理の暴力と闘うことであることをあらためて思った。アーティゾン美術館でブランクーシの《眠れるミューズII》の近くには、モディリアーニの《若い農夫》(1918年頃)の像が架かっていた。ブランクーシが象った顔と同じく、アフリカの彫刻に影響された抽象性を示す農夫の顔を思い浮かべるとき、それが深い悲しみを湛えているのを感じないではいられなかった。

(2024/7/15)

Photos by Artizon Museum, Ishibashi Foundation / 図版提供:石橋財団アーティゾン美術館