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Piangete occhi 流れよ わが涙 ~17世紀イタリアの宗教的な歌|大河内文恵

アンサンブル・ポエジア・アモローザ
Piangete occhi 流れよ わが涙 ~17世紀イタリアの宗教的な歌

2024年6月5日 日本福音ルーテル東京教会
2024/6/5 Japan Evangelical Lutheran Church
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
Photos by Studio LASP/写真提供:アンサンブル・ポエジア・アモローザ

<出演>        →foreign language
アンサンブル・ポエジア・アモローザ:
  高橋美千子 ソプラノ
  上野訓子 コルネット
  頼田麗 ヴィオラ・ダ・ガンバ
  佐藤亜紀子 テオルボ

<曲目>
サロモネ・ロッシ:シンフォニア Nr. 8
ジョヴァンニ・フェリーチェ・サンチェス:聖母の嘆き「悲しみ母は立ち尽くす」
フランチェスカ・カッチーニ:「やさしきマリアさま」より
ジローラモ・フレスコバルディ:宗教的なソネット「十字架の下のマグダラのマリア」
G. フレスコバルディ:フレスコバルディのアリア
クラウディオ・モンテヴェルディ:元后あわれみの母

~~休憩~~

G. フレスコバルディ:聖母のミサの前のトッカータ
C. モンテヴェルディ:聖母の嘆き アリアンナの嘆きによる
F. カッチーニ:「やさしきマリアさま」より
G. フレスコバルディ:イエス、眩き王
C. モンテヴェルディ:来たれ、みな水に来たれ
ディオメデス・カトー:半音階によるファンタジア
タルクゥイニオ・メールラ:子守唄による宗教的カンツォネッタ「ほら 寝んねしなされ」

~~アンコール~~

F. カッチーニ:「やさしきマリアさま」より

 

昨年6月に大きな衝撃をもたらした団体が新たな団体名を背負って戻ってきた。新大久保の教会は満員御礼、客席は開演前から熱気を帯びていた。前回はイタリアの詩人に焦点を合わせ、イタリア語の世俗曲を中心にしたプログラムだったが、今回は同じイタリア語でも宗教的な内容の歌曲ということで、ラテン語で書かれることの多い宗教曲のなかで敢えてイタリア語という限定的な射程をもつ。

開始はロッシのシンフォニア。ちょうど夕暮れの時間帯、テオルボがギターを思わせる音色を奏で、そこにコルネットが加わるとグラナダの丘で夕陽を眺めているような気持ちになった。いやいや今日はイタリアだよ?スペインじゃないよ?と思いつつも、すっかり魂をここではないどこかに飛ばされている。

2曲め、サンチェスの「悲しみ母は立ち尽くす」は、ペルゴレージのスターバト・マーテルと同じ歌詞なのだが、静的なイメージの強いペルゴレージ作品に比べて、サンチェスの作品は劇的である。高橋の歌唱は歌詞がしっかりとこちらに届くことに特徴があるのだが、聴いているうちに、高橋が歌う音楽を聴いているのではなく、高橋の身体を通して作品世界そのものが立ち現れているように感じられた。

有名なカッチーニの娘、フランチェスカによる「やさしきマリアさま」の器楽のみによる演奏を挟んで、フレスコバルディの「十字架の下のマグダラのマリア」。ここでは上野による日本語での朗読が入り、歌の情景により入り込みやすい。前半最後のモンテヴェルディによるサルヴェ・レジナは、歌とコルネットの掛け合いが見事で、目の前で演奏を見ているのに、まるで素晴らしいセットで撮影された映画を見ているかのような気がしてきたから不思議だ。

休憩後はテオルボ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、コルネットによるフレスコバルディのトッカータに続いて、モンテヴェルディの《聖母の嘆き》。これはオペラ《アリアンナ》の中の「アリアンナの嘆き」を作曲者自身が歌詞を付け替えて改作したもので、「アリアンナの嘆き」でお馴染みの旋律がラテン語の歌詞で歌われる。そういえば、前半から高橋は譜面台なしで歌ったり、譜面台を置いて歌ったりと曲によって使い分けていたのだが、この《聖母の嘆き》では譜面台を置いて歌っているにもかかわらず、芝居を観ているような臨場感があった。

続いて演奏された「やさしきマリアさま」は前半と同じ曲をテオルボとヴィオラ・ダ・ガンバのみで。編成の違いによって、先ほどとは異なる曲のように感じられる。前半では1つの器楽作品として聴いたのだが、後半は芝居と芝居の間をつなぐ音楽のように感じられた。

冒頭からずっと聖母マリアを主題とする作品が続けられてきたが(ということにここで気づいたが)、ここからは視点が変わる。フレスコバルディの「イエス、眩き王」はヴィオラ・ダ・ガンバの伸びのある音が印象的で、高橋は歌というよりは楽器のような歌い方をしているため、4人のバランスが非常に良い。次の「来たれ、みな水に来たれ」は歌が前面に出て、コルネットがそれを支える形になっており、1曲ごとにバランスを調整しているのがわかる。この曲では、歌詞は宗教的な内容なのだが、愛の歌を聴いているような気持ちになった。

ディオメデス・カトーの《半音階によるファンタジア》は半音階で下行するオスティナートで始まり、「何か(恐ろしいことが)起こるぞ」と予告しているかのようで、次のメールラの「ほら、寝んねしなされ」への橋渡しとしては脅しすぎでは?と思った。子守唄の前奏の間、上野が第1連の歌詞の一部を朗読する。「ねんねよいこや、寝んねしな」と典型的な子守唄の歌詞である。子守歌の優しい歌詞に乗って曲が進むが、「お前に用意するのは酢と胆汁」とだんだん歌詞が物騒になってくる。
途中の間奏でテオルボが日本の民謡っぽい旋律を奏でたところが地獄への合図。どんどん恐ろしい歌詞ばかりになっていき、怖い怖い子守歌が絶頂に差し掛かったとき、突然明るく静かな曲調になり、歌詞もやわらかく子守唄らしい歌詞に戻る。もはや私たちはそれを文字通りに受け取ることはできない。音楽が明るく静かであればあるほど、歌詞に喜びが歌われていればいるほど、そうではない世界の大きさがより重く圧しかかる。後奏が始まると高橋は舞台の上に座り込みうずくまり、そして終演。

ねぇ、私、今日は演奏会に来たのではなかったの?この心のざわざわと胸の奥にずーーんと来る感じは、重苦しいお芝居を観終わった後みたいなんだけど。

アンコールは前半と後半に器楽で演奏されたフランチェスカ・カッチーニの「やさしきマリアさま」を高橋の歌で。よかった、ようやく正気に戻ってお家に帰れそうです。昨年とはまったく違う意味で中毒性のある舞台である。次はどんな手を使ってくるのか、こちらも覚悟して臨まねばなるまい。

(2024/7/15)

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<performers>

Ensemble Poesia Amorosa:
  Michiko TAKAHASHI  soprano
  Kuniko UENO  cornetto
  Rei YORITA  viola da gamba
  Akiko SATO  theorbo

<program>
Salomone Rossi: Sinfonia Ottava
Giovanni Felice Sances: Pianto Madonna “Stabat Mater dolorosa”
Francesca Caccini: Maria Dolce
Girolamo Frescobaldi:   spirituale “  alla Croce”
G. Frescobaldi: Aria di Frescobaldi
Claudio Monteverdi: Salve Regina

–intermission—

G. Frescobaldi: Toccata avanti la Messa della Madonna
C. Monteverdi: Pianto della à voce sola sopra il Lamento d’Arianna
Francesca Caccini: Maria Dolce
G. Frescobaldi: Jesu Rex admirabilis
C. Monteverdi: Venite sitientes
Diomedes Cato: Fantasia Chromatica
Tarquinio Merula: Canzonetta spirituale sopra alla nanna “Hor che tempo di dormire”

-encore—

Francesca Caccini: Maria Dolce