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プロムナード|遅まきながらのポリーニ追悼のような個人的雑感|藤原聡

遅まきながらのポリーニ追悼のような個人的雑感

Text by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)

マウリツィオ・ポリーニが3月23日に82歳で亡くなった。近年体調が好ましくなかったとの話が囁かれリサイタルのキャンセルが相次ぐ中での訃報。それゆえ、これに驚きつつも「来るべきものが来たか」とある種の冷静さをもってわたしはそれを受け止めた。この稀有なピアニストの演奏、公式の録音は恐らく全て聴いており、実演には10回ほど接しているだろうか。その「ポリーニ体験」を思い出すままに書く。

最初に聴いたポリーニの演奏がショパンの24の前奏曲だったのははっきりと覚えている。時期は中学3年生の時分だった(多分)。どういう趣旨の連載だったかは忘れたが、確か雑誌「音楽の友」に吉井亜彦氏がこの曲の推薦盤として挙げていたので購入してみたのだ。それまでわたしはショパンに関してはアシュケナージのDECCA演奏をほとんど、そしてルービンシュタインの60年代の録音をいくつか、そして友人の影響からサンソン・フランソワの演奏を愛聴していたが、ポリーニの演奏には文字通り驚かされた。音に微塵も曖昧さがなく、全てがシャープかつソリッドに立ち上がっている。それがこの上なく快い。また恣意的と思われる箇所がまるでない。それでいて無味乾燥でなく歌と情感もある。

今まで聴いたショパンは何だったんだ! と愕然とし、その帰結としてポリーニの演奏を片っ端から集め始めた。そして1989年にポリーニが来日するとの一報を聴きつけたわたしは小躍りし、母親に頼んで人見記念講堂での「青少年のためのコンサート」を買ってもらった。しかしブラームス晩年の小品にシュトックハウゼン、さらにはベートーヴェンの『ハンマークラヴィーア』(今思えばこのハードコアプログラムで「青少年のための〜」とはまさにポリーニ!と笑ってしまうが)なんぞ高校に入学したてのガキに分かるわけもなく、しかしながら何やら大変な場に居合わせてえらい演奏を目の当たりにしたことだけは肌身に感じて帰路についたのだった。

これはいつだったか忘れたが、まだまだ壮年期だったポリーニのアンコール攻勢―確か6曲!―にはわたしと友人を含めた東京文化会館の聴衆は興奮の坩堝、ショパンの『革命』や『エオリアンハープ』に得意のバラード第1番、そしてリストの超絶技巧練習曲からプレスト・モルト・アジタート(ポリーニの指向性からして絶対に本プログラムに入れず録音もしないリスト作品だ)をも繰り出してまさに満漢全席。これにノックアウトされないはずもない。

これも時期は忘れた(が上記東京文化会館の時よりはかなり後のはず)、アンコールで弾かれたドビュッシーの前奏曲集第1巻からの「沈める寺」の余りに深みのある音には震撼させられた。こんな音はポリーニにしか出せまい。サントリーホールの確かLA席。

但し、納得感の希薄な演奏にも遭遇する。2002年のポリーニ・プロジェクトにおけるブーレーズ&ロンドン響をバックに弾かれたバルトークのピアノ協奏曲第1番。ブーレーズはさておきポリーニに関してはいささか生ぬるい。なお、デジュー・ラーンキはポリーニとアバドが録音したバルトークのピアノ協奏曲2曲の演奏に対し、全ての音が楽譜通り正確に演奏されており、あのように演奏できるのは凄いことだが本質はどこにもないと辛辣に評している。これはその個人の依って立つ音楽観によるので一概に良し悪しを言えるものではないが、先にわたしが書いたポリーニの2002年のバルトークの「生ぬるさ」は、このアバドとの録音に聴かれる徹底度が希薄化されたためと思える。そしてこの希薄化、解釈の変化ではなく加齢による衰えだとしたら。

時期は飛んで2016年、わたしが接した最後のポリーニの実演。当時74歳、腰はやや曲がり、猫背気味の体躯。演奏はミスタッチがあり、和音の不均等さや混濁、明瞭さに欠ける打鍵、記憶が飛んだことによる音の落ちもあるが、それでも音楽を前へ前へとどんどん疾走させんとする。この年齢にはこの年齢なりの割り切り方というものもあるだろうが、ポリーニはそれを許さない。もっと言うならば精神と肉体の分離あるいは乖離(ところでこのリサイタル、ホワイエでツィメルマンを見かけたのだが、彼はこのポリーニの演奏をどう聴いたのか随分と気になったことを思い出した)。1983年のホロヴィッツは某批評家に「ひびの入った骨董」と酷評されたが、その3年後の再来日公演ではホロヴィッツ復活、と絶賛された。来日時82歳―ポリーニの享年と同じ―、往年のこのピアニストの悪魔的な技巧とは比較にならない年齢相応の衰えはあっただろう。しかし、この時点のホロヴィッツは以前とはまた全く別種の表現力を手中におさめて融通無碍としか評せぬ至高の演奏を聴かせたのだ。

一音でも間違おうものなら崩壊しかねないポリーニの世界、円熟の美しさを体現したホロヴィッツ。これを考えるとさまざまなファクターが浮かび上がってこよう(例えばプレモダン/モダン/ポストモダン。イデアリズム。西欧/ロシア)。わたしはポリーニはもちろんホロヴィッツにも魅了された人間だが、ポリーニの死以来、この両者をよく同時に考える。

本稿に結論やら筋道だった論考はない。「プロムナード」という名のリレー形式の連載ゆえ、これは個人的体験による雑感に寄せたあれやこれやだ。最後に磯崎新が師の丹下健三の死に際して読んだ弔辞の一部を引用する。丹下健三先生をマウリツィオ・ポリーニに置き換えてみること。

そこで、私は誰もが口にする、やすらかにお眠りくださいという決まり文句をいいたくありません。丹下健三先生、眼をみひらいて、見守っていてください。