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パリ・東京雑感|ハルマゲドンを避けるためにウクライナが勝ってはならない 成功した核の脅し|松浦茂長

ハルマゲドンを避けるためにウクライナが勝ってはならない 成功した核の脅し
When Nuclear Detonation Seemed Possible in Ukraine

Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

それは、おととし10月6日のことだった。日本の政治資金パーティーみたいに、高額の会費を払って集まったニューヨークの有力な民主党支持者たちは、バイデン大統領の口から、とんでもない話を聞かされ、度肝を抜かれた。核戦争が数週間以内に始まる兆候がある。ケネディとフルシチョフが核戦争勃発をギリギリで食い止めたキューバ危機(1962年)以来の事態だというのだ。
プーチン大統領は、ウクライナに戦争を仕掛けて以来、何度となく「核兵器を使うぞ」と脅しをかけてきたから、私たちは「核」という言葉を聞いても、「またか」と聞き流し、この世の終わりを想像したりしなくなっている。でも、2022年10月の「核」は、口先の脅しではなかったようだ。
CIAの盗聴網に、ウクライナ戦争が始まって以来はじめて、ロシア軍のあいだでひんぱんに核爆発関連の会話がかわされるのが、キャッチされたのである。ただのおしゃべりらしいのも多かったが、核兵器の展開を任務とする部隊の連絡だったり、軍最高幹部が、戦場で核爆弾を爆発させるさい後方の態勢をどうするか、兵站をめぐる議論だったり、核攻撃間近をうかがわせる緊迫したやりとりが聞こえてきたという。
バイデン大統領は、「もし戦闘がこの調子で進んで行くなら、キューバ危機以来はじめて、現実に核爆弾が使用される脅威に直面するでしょう」と切り出した。広島・長崎以来の戦場での核使用。しかも、「近いうちに」といったあいまいな見通しではなく「1、2週間以内に」核兵器を使う準備が進んでいるというのだ。会場は沈鬱な空気に包まれた。

2022年の秋にかけて、ウクライナ軍は東北部ではハルキフを奪い返し、南はヘルソンの防衛線を脅かすなど、破竹の勢いでロシア軍を押し戻していた。もしその調子でロシア軍の防衛線を次々と破り、クリミアまで到達したら何が起こるか? 2022年当時には実現可能性のあったこのシナリオを検討し、CIAは「ロシアが核爆弾を使う確率が50パーセント以上」という警告を出した。と言っても、すべてはプーチンの判断にかかっているので、彼の頭の中をのぞかないかぎり、確率50パーセントの信頼度は測れないのだが……

ロシアのゲラシモフ参謀総長(右)と会うミリー統合参謀本部議長(2019年12月、スイス・ベルン)

ニューヨーク・タイムズのデイヴィド・サンガー記者は、去年、制服組トップのマーク・ミリー統合参謀本部議長(当時)に会い、おととし10月の危機についてインタビューしている。ミリー将軍の説明はわれわれ素人でも考えつく単純な力学だ。「ウクライナがロシアを侵略地から追い返すのに成功すればするほど、プーチンは核の脅しを強め、核に手を出そうとするだろう」――裏返して言えば、人類を核のハルマゲドンから救うには、ウクライナが勝ってはならないという、明快かつ残酷な核パラドクスである。

危機の数週間、ホワイトハウスの担当者たちは、眠れない恐怖の日々を過ごすのだが、何はともあれ、核戦争への備えを急がなければならない。ウクライナの都市や発電所に数百の放射線測定器が設置されたうえ、アメリカから一千個の小型放射線カウンターが送られ、各地に配られた。
核攻撃を受けたとき、放射能を浴びた住民の治療に対応する二百の病院が指定され、医者、看護師が被爆者治療の訓練を受けた。同時に、甲状腺に放射性物質が蓄積するのを防ぐため、ヨウ化カリウム数百万錠がウクライナ全土にストックされた。

プーチンの頭の中にはどんな核戦争が構想されているのだろう?
数十メガトンの核弾頭をワシントン、パリ、ロンドンなどに撃ち込む終末戦争だろうか? 今年2月のプーチン演説は、露骨に終末=ハルマゲドン構想を匂わせている。NATOのいずれかの国がウクライナを助け、巡航ミサイルをロシア領に発射するか、自国の軍を戦闘に参加させるなら、「それこそまさに核戦争につながるであろうことを、したがって文明の破壊をもたらすであろうことを、知らなければならない」と演説したのだ。
しかし、大多数の専門家は、プーチンの頭にあるのは広島に落された程度、あるいはもっと小さい核爆弾だろうと考える。小型核とか戦術核とか呼ばれるが、十数万の死者が出るのだから、われわれ素人の感覚からすれば、「小型」などと名付けるのはとんでもない話。それに、「小型」で始まった核戦争を「メガトン」級にエスカレートさせない秘策はないらしい。
バイデンさんも、例の政治資金集めの会合で「安直に戦術核を使っておいて、ハルマゲドンに終らせない知恵なんてものはありません」と嘆いた。(ホワイトハウスでは10月6日のバイデン演説を「ハルマゲドン」演説と呼ぶようになった。)プーチンの脅し文句のように、核使用は「文明の破壊」に終る危険をはらんでいる。

ロシアの核使用をくいとめるため、ワシントンはあらゆるルートを通じて、瀬戸際の説得工作を展開した。バイデンのハルマゲドン演説の前後に、ブリンケン国務長官、オースティン国防長官、サリバン大統領補佐官がそれぞれロシアの担当大臣に働きかけ、ちょうど訪中する予定だったドイツのショルツ首相には、習主席への説得役が任された。習主席は公には「ウクライナの戦いに核兵器は許されない」と警告したけれど、その裏でプーチンに何を言ったかは分からない。(核の脅しが成功するかどうかは、将来台湾を取り戻すとき大いに参考になるのだから……)
しかし危機回避の切り札は、スパイマスター同士の対決だった。アメリカはCIAのバーンズ長官、ロシアは対外情報庁のナルイシキン長官。元ロシア大使の経歴を持つバーンズは、ロシアが核を使ったらアメリカはどう反撃するか、決意のほどをよほど上手に伝えたのだろう、ナルイシキンは「よく分かった。プーチン大統領は、核兵器を使う考えはない」と誓ったそうだ。でも裏で、アメリカ側がどんな譲歩をしたかは漏れてこない。ウクライナが決してクリミアに攻め込めない保証をしたのかもしれない。

アメリカの大陸間弾道ミサイル「ピースキーパー」

もともとアメリカは、ウクライナが勝ちすぎないよう、武器供与を小出しにしてきたが、この時以後「プーチンに核を使わせない」=「プーチンを追いつめない」が絶対条件になり、その枠の中でウクライナへの武器供与を調整したに違いない。
僕の兵法の知識は、吉川英治版の『三国志』から学んだ程度だけれど、せっかく勝利の勢いに乗っていたウクライナが2022年秋に反撃を中断し、春まで待ったのは不思議だった。地面がぬかるんで戦車が進めないとか、最新の大砲、戦車が届くまで待つとか説明されたが、攻撃を休んだ間にロシアは見事な塹壕、地雷原をつくってしまったので、案の定、春の大攻勢は失敗に終った。
そのかわり、プーチンが核を使う危機は(アメリカの描いた筋書き通り?)とりあえず遠のいたのである。

核爆弾というのはおかしな兵器だ。核兵器を持つのは、核戦争をして勝つためではない。核戦争が起これば自分の国も滅びるのだから、勝利はない。敵国の都市と軍事目標を一気に破壊する巨大な核戦力を構築するのは、核を使わない・使わせないため。絶対に使わないために、1万2500発の核弾頭を蓄え、恐怖の均衡をはかる。
広島・長崎のあと、戦場に原爆が落ちなかったのを見ると、「使わない」ために巨大な核兵力を持つ抑止理論にも一理あったのかもしれない。では、なぜそれが突如ほころびはじめたのだろう?
均衡が崩れた? ロシアが弱すぎるから?
バイデンはハルマゲドン演説でこう言っている。

私たちは、あの男のことがかなり分かるようになった。彼が戦術核使用について口にし出したら、冗談を言っていると思ってはいけない。なぜかと言えば、彼の軍の力量がひどく劣っているからだ。(デイヴィド・サンガー『バイデンのハルマゲドンの日々:ウクライナで核爆発が起こり得たとき』<ニューヨーク・タイムズ>3月9日)

恐ろしい時代になった。「使わない」ための核の時代は終り、「使う」核時代の幕開けである。たとえ実際に核爆弾を爆発させなくても、「使える」核爆弾を「使う」準備をしてみせるだけで、戦争の流れを変えられることをプーチンは世界に示した。独立と自由を求めたほかに何の罪もないウクライナ国民の勇気も、「使える」核爆弾の前には、歯が立たない。「使える」核兵器は、正義も勇気も何もかも粉砕してしまう。つまらない時代になったものだ。

ところで、「使える」核をふりかざすことによって、プーチンは勝ったのだろうか? クラウゼヴィッツによると、戦争とは人を殺し敵国を破壊することではなく、ある政治目的を達する手段。戦争を始める者は、砲火が止んだとき、戦争前より戦略的に有利になることを期待するのだそうだ。この理論にそって眺めてみると、プーチンのロシアは戦争前より圧倒的に弱い立場にいる。
プーチンはNATOが東欧にまで拡大したことを非難し、戦争の口実にしていたが、ウクライナ侵略のせいで、スウェーデンとフィンランドがNATOに加わり、NATOは一段と強くなってしまった。
中立に誇りを持つスウェーデンがNATOに入るなんて、戦争前には想像できなかったが、これからは、スウェーデンの第一級の軍隊が、NATOの部隊として、バルト海のロシア軍をにらむことになる。
そのうえ1300キロもロシアと国境を接し、ロシアとのビジネスにたけたフィンランドがNATOに入ったから、ロシアは海も陸も西への出口をがっちりと閉ざされてしまった。
ロシア史の権威カレール=ダンコースは、去年亡くなる直前にテレビでこう語っていた。

プーチン大統領と話すエレーヌ・カレール=ダンコース(2000年)

ロシアは古代以来ヨーロッパを向いて歩む歴史的運命にあったのに、その歴史は終ってしまいました。西への道を閉ざされ、中国の小さなパートナーとして歩むほかない。ヨーロッパから中国への地滑りは、ロシアにとって悲劇です。中国の属国とまでは言わないまでも、ロシアは中国に対し何の発言権も持てません。(『パリ・東京雑感』2023年6月15日)

ウクライナ自身はどうか? 領土はかなり削られたかもしれないが、そのかわりに得たものも大きい。「ウクライナは性格の違う西と東のふたつの民族の寄せ集めで、ウクライナというアイデンティティは存在しない」と主張する向きが多かったが、プーチンの侵略によって、ゆるぎないウクライナ共同体意識が出来上がった。地域、言語の違いを超えて、ロシアの属国には決してならないという悲願を共有することで、ウクライナはひとつになったのだ。
アメリカの政治学者、ラジャン・メノンは、戦争が始まってから4回ウクライナを訪問し、そのたびに「ウクライナの未来はロシアではなく西欧と共にある」と確信する人が増えるのをはっきり感じた、と書いている。プーチンの戦争の目的はウクライナをロシアの勢力圏にとどめておくことだったとすれば、結果はその正反対。強烈な反ロシア、親西欧の隣国をつくり出してしまったのだ。プーチンはウクライナ侵略によって、NATOを拡大させ、EUの結束を固めさせ、ウクライナの国家統一を助けた。メノンの言う通り、プーチンは戦争に負けたのだ。あまりに大敗したからこそ、「使える」核爆弾に頼るという「文明破壊」的罪を犯したのである。

(2024/4/15)