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パリ・東京雑感|世界を永久戦争に引き込むプーチン|松浦茂長

世界を永久戦争に引き込むプーチン
Behind Russia’s Obsession with 1945 Victory Lies a Cult of Endless War

Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

第二次世界大戦(ロシアでは「大祖国戦争」)の勝利を祝う式典で、プーチン大統領は「われわれの祖国に対して再び全面的な戦争が仕掛けられた」と演説し、「世界制覇をねらう欧米」が始めた戦争のために「現代文明は再び重要な転換点を迎えている」と、大風呂敷を広げた。ナチス・ドイツを倒し文明を救った「大祖国戦争」同様の聖なる戦いを、いままたロシアは遂行している、と言いたいのだ。
ウクライナを侵略したのはロシアなのに、なぜ西側が仕掛けた戦争なのか? 馬鹿げた言いがかりにしか聞こえないが、プーチンとしては国民をだますために嘘をついているつもりはないのかもしれない。やっかいなことに、心の底から、「戦争を仕掛けられた」と信じているのではあるまいか?

ロシア軍では、2000年頃から、「迂回戦略」と称する戦争理論が有力になったのだそうだ。何を「迂回」するのかというと、ストレートに武力行使するよりも、からめ手からデマ、情報操作、さらには特殊部隊や工作員を動かしてかいらい政権をつくる謀略など、武力を「迂回」して、まず敵国を不安定化する。そして最後に軍隊を送り込んでとどめを刺すという効率的な戦法である。近ごろ耳にする「ハイブリッド戦」とちょっと似ているけれど、「迂回戦略」はずっと陰険だ。
フランスのロシア=ユーラシア研究センターのディミトリ・ミニク氏によると、「迂回戦略」があみ出されたのは、そもそもロシアが冷戦敗北の原因を検討した結果なのだそうだ。
ロシア軍参謀本部の戦略研究センターに所属していたチェバン将軍の言葉を借りると「米国が戦争せずにソ連を倒すことに成功し、人類史上最も壮大な勝利を得た」のはなぜか?――それは、西がデマや扇動、謀略によって他国を思いのままにする非武力戦争の達人だったから。――それなら敵に学べ、とばかり、「迂回戦略」を構築。情報戦、サイバー戦、特殊工作、謀略による他国乗っ取りなどの専門部局を次々に創設し、(西のように?)スマートな戦争をする態勢を整えた。

ロシア軍がゴリ(ジョージア)の民間人を無差別殺人(2008年8月)

しかし2008年、ジョージア侵略のときは、戦車を大量にくり出す古めかしい戦争をして、ロシア側もみっともない犠牲を出したので、なぜもっと巧妙に陰謀や情報操作をしてスマートに勝たなかったのかと、軍の理論家たちには不評だった。
2014-2015年、ウクライナからクリミアを奪い、さらにドンバス地方を併合したときは、武力をできる限りおもてに出さず、主に謀略によって領土を拡大した「迂回戦略」のお手本として、理論家の賞賛を受けた。
2016年、アメリカ大統領選で、トランプを勝たせるために民主党にサイバー攻撃をかけるなど、ヒラリー・クリントン候補妨害工作を展開した。今をときめく私兵ワグネルのプリゴジンは、このときの選挙干渉に貢献したことを誇っている。ロシアにとって「迂回戦略」の華々しい成功例だ。
近年、アフリカや欧米でロシアがどう動いてきたかをたどれば、直接の武力行使よりも、心理=情報戦、選挙干渉、プロパガンダ、文化戦略、ロシアの手先となる政治勢力の養成など、「迂回戦略」を中心に勢力拡大を図ってきたことが分かるという。

しかし「迂回戦略」には致命的な弱点がある。それは、KGB=共産党的人間には、人間の自発性というものがどうしても理解できないところから来る、判断の誤りである。人間は偽情報に動かされやすい弱さもあるが、自分の意志で行動する「自発性」もある。ところがKGB=共産党的人間は、人間の考えも、感情も、行動も外から思うままに操作できると信じている。実際、ロシア人の圧倒的多数が、国営メディアの嘘ニュースが報じるままに、いまもウクライナを凶暴なナチであり、ロシア系住民が虐殺されていると信じているのだから、KGB=共産党的人間観は、ロシア国内では立派に通用する。
「人間は思いのままに操作され得る存在」とする人間観のしぶとさを示すエピソードを去年のエッセイから引用させて頂く。

驚いたことに、最前線で戦っている軍人さえも、戦争の大義名分がウソだったとは気付かないらしい。ヘルソン(最初に陥落した町)の劇場監督オレクサンドル・クニガさんが、ロシア軍に連行・訊問されたいきさつを『ル・モンド』紙に語っている。秘密警察の将校らしき男が、「なぜデモを組織するのです?」と問う。クニガさんが「自分の意志で出てくるのですよ。誰だって自分の意見を表わす自由がある」と答えると、また「なぜデモを組織する?」とくりかえす。兵士たちは、町を占領すれば住民に「解放者」として迎えられると確信しているので、彼らの目に、ウクライナ人のレジスタンスはナショナリスト(ナチス)によって組織されたまがい物としか映らない。目の前の事態が全く理解できないのだ。(パリ・東京雑感『歴史に取り憑かれたプーチン大統領』2022年4月)

ウクライナのオレンジ革命(2004年11月)

2004年、ウクライナでオレンジ革命と呼ばれる大規模な抗議活動があった。フジテレビの若い特派員が、パリに電話してきて、「こんな雰囲気は経験したことがない」と、感動を伝えてくれたので、ぼくは、「91年8月(民主勢力がクーデターに立ち向かった)にモスクワで感じたのと同じかな。」と応じた。何万人もいるのに静謐が支配する。強権への恐怖が消え、人びとの心が一つになったような強い連帯が生まれる。あんな空気が生まれたとき、歴史は一歩動くのだろう。
ストと集会で、大統領選挙の不正に抗議した人びとに、アメリカからの支援や投資家ソロスからの資金が流れていたのは事実だろうが、外国から操作して、人間をあそこまで昂揚させることが出来るだろうか?

「連帯」30年記念壁画に描かれたポピエウシュコ神父(ストの労働者を励ましたため、秘密警察によって殺された)

冷戦時代に話を戻し、カーター大統領の補佐官だったブレジンスキーは、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世に会ったあと、「うちの大統領と取り替えたいものだ」と残念がったそうだ。ポーランドの労働組合運動「連帯」に,政治的天才ヨハネ・パウロ2世が火を付けなければ、ポーランド解放は、ずっと遅れていたかもしれないし、ワシントンとバチカンのひそかな連携プレーがなければ、冷戦はもっと続いていたかもしれない。
ロシアのKGB=共産党的人間観の目には、これはアメリカがソ連を倒すために、情報操作、文化・宗教プロパガンダ、心理戦を使い、東欧の人びとの心をあやつって目的を達成した戦争というふうに映る。彼らの心理学には、人間の自発的思考・行動は存在しないからだ。
人の心の底には、隷属からの解放の願いが潜んでいて、誰かがその願いに響く言葉をかければ、希望が生まれ、勇気が生まれ、社会を揺るがすほどの行動・連帯が起こるという人間の本性は、KGB=共産党的人間には理解できない。ロシアの哲学者ベルジャーエフは彼らの人間観を見事に要約している。

レーニンは人間を信ぜず、そこにいかなる精神的基盤も認めず、精神をも精神の自由をも信じなかった。そして人間の社会的統制ということには限りない信頼を持っていた。強制的な社会組織は、どんな種類の新しい人間でも好むままに造り出すことができる――もはや強制力の行使を必要としない完全に社会的な人間をも。(ニコライ・ベルジャーエフ『ロシア共産主義の歴史と意味』)

歪んだ人間理解に基づいて陰謀理論的冷戦史観を組み立て、その幻想の欧米像から導き出した「迂回戦略」に致命的な弱点がないはずはない。2022年2月24日、ロシアの戦車がキーウに向かったとき、兵士たちは花束を持った市民に迎えられると思い、あらかじめキーウのレストランを予約した者までいた。
ロシアの指導部は、ウクライナ「革命」を米国スポンサーによるクーデターとしか見ない。たしかに、歴代の米大統領に大きな影響力を持っていたブレジンスキーは、早くから「ロシアを弱くするにはウクライナをロシアから引き離さなければいけない」と進言していたそうだし、ウクライナの民主勢力がアメリカの強い支援を受けていたのも事実だろう。
ロシア軍としては、ウクライナの独立熱など、アメリカの心理・情報戦ででっち上げられたシロモノだから、ロシア軍が練り上げた「迂回戦略」を展開すれば、たちまちウクライナ人を親ロシアに立ち戻らせることが出来る。軍事行動は簡単な仕上げにすぎない。こう思って出動し、大失敗したのだ。
隷属からの解放を願う人間の真実と、外からの心理操作で変わりうる人間心理の違いが、彼らには分からなかった。「迂回戦略」は蜃気楼だったのだ。

プーチン大統領と話すエレーヌ・カレール=ダンコース(2000年)

プーチンはどうするつもりだろう。かつてソ連崩壊を予言したアカデミー・フランセーズのカレール=ダンコースによれば、「ロシアは戦争に負けた指導者を許さない」のだから……
ロシア史研究者カレール=ダンコースの目から見ると、「ロシアは古代以来ヨーロッパを向いて歩む歴史的運命にあったのに、その歴史は終ってしまいました。西への道を閉ざされ、中国の小さなパートナーとして歩むほかない。ヨーロッパから中国への地滑りは、ロシアにとって悲劇です。中国の属国とまでは言わないまでも、ロシアは中国に対し何の発言権も持てません。ロシアはクリミアを併合するまでG8のメンバーだったのに、いまは外され、ゼレンスキー大統領が広島に招かれた。G7首脳の意識のなかで、彼が8番目のメンバーの地位を占めてしまったのです。
日露戦争によって有色人種が初めて白人を破ったことを、アジアの人びとは忘れていません。いまその日本で、中国に従属するロシアの惨めな姿が象徴的に示されたのです。」92歳の歴史学者のプーチン批判は強烈だった。(カレール=ダンコースは、ウクライナ戦争が始まるまで、プーチン擁護の発言が際立っていた。)
プーチンの戦争はユーラシア大陸に巨大な地殻変動を引き起こし、西から東への重心の移動を加速させたのだ。

プーチンには、中国の保護を受けながら闘い続けるしか道はない。永久戦争である。
いや、もともと「迂回戦略」は、世界を絶えざる戦争状態と見なす思想ではないか? 武力行使がないときは、武力より大事な心理・情報戦と謀略戦のとき。どちらも「戦争」であり、「平和」という概念には居場所がない。プーチンはこの考え方をそっくり西側に当てはめ、「われわれの祖国に対して再び全面的な戦争が仕掛けられた」と演説したのであり、西側こそ謀略戦の覇者なのだから、ロシアは追い詰められて、やむなく防戦する犠牲者だという理屈になる。
プーチン自身、戦勝記念日の演説の中で、欧米の仕掛ける「戦争」を列挙し「人びとの対立をあおり、社会を分裂させ、流血の衝突やクーデターを引き起こし、ロシア嫌い、ナショナリズムをまき散らし、人間を人間らしくする家庭や伝統的価値観を破壊している」と言っている。あからさまな謀略だけでなく、LGBTもロシア社会の破壊をねらい、西が仕掛ける新手の「戦争」なのだ。

社会学者のグリゴリ・ユーディンは、「プーチンと彼を取り巻く連中は、戦争をノーマルな状態とみなし、ずっと前から戦争を続けて来たと考えています。変化といえば、戦争が侵略的局面に入り、出口が見えなくなったことでしょう。」と言う。
だから、ロシア国民は、ずっと以前から「終わりなき戦い」を生きる心構えを植え付けられてきた。戦争は「ロシア国民純化」のための、かけがえない善であり、戦死は「殉教」である。天国が約束されるのだ。
上からの戦争賛美を国民はしっかり受け止め、たとえば東ウラルの知事は、子供達に向かってこう説いた。

戦争は愛です。戦争は友です。戦争は未来です。

戦争を賛美し、さらに戦争こそノーマルとみなす思想は、第二次大戦前夜に一世を風靡した。1935年に書かれたホイジンガーの『朝の影の中に』は、「国家が国家に対して狼」となるに至った西欧文化の衰退を、息詰まるほどの激しさで描写している。恐ろしいことに、ホイジンガーが引用する多くのテキストは、そのままプーチンとその取り巻きの言葉になりそうだ。

高度な文化の時代における人類の歴史は政治権力の歴史である。この歴史の形式は戦争である。平和でさえもこれにふくまれる。平和とは、手段を変えての戦争の継続である……(オズワルト・シュペングラー『決断の年齢』)

プーチンのロシアは来るべき永久戦争時代の思想を先取りしているのだろうか?

(2023/06/15)