日本フィルハーモニー交響楽団第394回横浜定期演奏会|齋藤俊夫
日本フィルハーモニー交響楽団第394回横浜定期演奏会
Japan Philharmonic Orchestra 394th YOKOHAMA Subscription Concert
2024年1月20日 横浜みなとみらいホール
2024/1/20 Yokohama Minato Mirai Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
写真提供:日本フィルハーモニー交響楽団
<演奏> →foreign language
指揮:カーチュン・ウォン
ピアノ:上原彩子(*)
日本フィルハーモニー交響楽団
<曲目>
伊福部昭:舞踊曲《サロメ》より『7つのヴェールの踊り』
ラフマニノフ:『パガニーニの主題による狂詩曲』(*)
(ソリスト・アンコール)ラフマニノフ:絵画的練習曲『音の絵』より第5曲 変ホ短調 アパッショナート(*)
ベルリオーズ:『幻想交響曲』
批評なんざ音楽それ自体にカスリもしないものだ、と言われると返答に窮する。実際にそうかもしれない、と思ってしまうからだ。しかしそれでも、批評を書かずにいられない音楽は、ある。
伊福部昭《サロメ》より『7つのヴェールの踊り』、始めの静かなアルト・フルートソロの第1の踊り、イングリッシュ・ホルンからオーボエ、クラリネットへとソロが受け渡されていく第2の踊りでは厳かで禁欲的な耽美と色欲という、音楽ならではの悪徳の美とでも言うべき相矛盾するものが同時に成立しこちらの耳朶をまさぐる。そこに打楽器の打撃と同時に第3の踊りで伊福部=怪獣的音楽が登場するが、カーチュンのタクトに導かれた日フィルは整然として乱れることがない。続く激しい第4の踊りでもこのキレッキレのオーケストレーションは衰えず。テンポ、音量を下げた穏やかな第5の踊りでの音楽的空間の広がりたるや。小太鼓のボレロがまた滋味を帯びる。急速な弦楽器が突如として湧き上がる第6の踊りの一糸乱れぬ大乱舞ではサロメのように踊るがごときカーチュンの指揮ぶりは益々盛んかつ複雑になる。最終、第7の踊りの物凄まじき舞踊音楽はこの世のものとは思えぬほど。
今回のカーチュン=日フィルの伊福部『7つのヴェールの踊り』で特筆すべきは、蛮性と聖性が一体化して西洋的な美醜を超える伊福部音楽の音楽美が彼らの再現によって実現したことである。かつて伊福部の《サロメ》をして「下品」と形容した指揮者がいたが、逆説的な褒め言葉として使ったにせよそれは適切ではないだろう。今回のカーチュン=日フィルの伊福部は全く「下品」ではなかった。極めて精緻であり、品があり、厳粛ですらあった。筆者としてはCDでも手に入る1987年の山田一雄=新星日響の演奏すら今回の再現は超えていたと感じられた。
サロメは一種のファム・ファタールであったが、今回のラフマニノフ『パガニーニの主題による狂詩曲』もまた音楽的なファム・ファタールのように感じられた。どんどん転がっていく変奏のその度ごとに違う顔を見せるファム・ファタールとしての音楽。
序から主題提示部では小動物のような可愛らしさを見せ、そこからどんどん加速して加熱していって第5変奏では激しく踊るように。第6、7変奏では一転して憂いを帯びて、第8から10変奏で情熱を迸らせて、第11変奏からまた憂いに沈む。第14変奏でロシア的金管群が鳴り響いたと思えば第15変奏でピアノの超絶技巧が煌めいたと思えば第16、17変奏でまた黄昏に憂いを帯びた横顔のシルエットを見せる。第18変奏での〈あのメロディ〉ではかなりルバートがかかっているのにピアノとオーケストラが完全に同期しているのが流石だ。第19変奏からのメカニカルに弾ける楽想ではピアノも先のように〈しな〉を作ることを拒み〈男性的〉にたくましく突き進む。それでも、とピアノを追いかけていくと最後の第24変奏で小悪魔的に微笑してファム・ファタールはどこかへと消え去る。ぽつねんと残るのは追いかけていた筆者独りぼっち。
アンコールのラフマニノフ『音の絵』は情熱的かつ骨太だが最後は哀しみの涙に消える。男と女の間には云々の文句が筆者の脳裏に浮かんだ。
ファム・ファタールを追いかける音楽の元祖的存在と言えばベルリオーズの『幻想交響曲』である。追いかけ続けて最後には殺して断頭台に登って悪魔の一員になるのだから物騒この上ないが。
序幕の弦楽の繊細さに驚く。失礼を承知で書くが、日フィルってこんなに上手かったのか?と驚いた。するとその後オーケストレーションが拡大する所での音空間の広がりも圧倒的。精細な音楽的腑分けによりある意味〈わかりやすい〉音楽である本作品に秘められていたさらなる深淵を覗き込ませる。物語的構成感が絶対音楽的・室内楽的構築性と共にある。その構成感・構築性を基にした1楽章終盤のffからppの箇所の色彩感たるや!
第2楽章、上下に跳ねるパートと横に流れるパートが絡み合うオーケストラの所作のエレガントな様にうっとりする。親しげに現れるイデー・フィクスの幸福感よ。楽章最後のfuoco(熱烈に)以降の花火のような華やかな熱さよ。
第3楽章序盤、ソロ楽器の音の距離感、空間性の把握の精密さが凄い。さらに弦楽器へとオーケストレーションが拡大するとホールが広くなったかのように感じられる。パート間でのモチーフの受け渡しの正確さはやはり室内楽的と言える。ファム・ファタールへの届かない愛の悲劇性もまた美しく奏でられる。
第4楽章、冒頭のワクワク感がたまらない。日フィルに伏在していた個人技を引き出し合奏させるカーチュンの魔法により、そこから広がる不気味に陽気な断頭台への行進曲がたまらなく楽しい。イデー・フィクスを断ち切る断首のファンファーレを歓迎してしまうのは筆者だけだったか?
第5楽章もまた不気味に陽気だ。魔女・悪魔たちの宴会であるサバトとはそもそも楽しいものなのかもしれない。「怒りの日(ディエス・イレ)」の旋律が始まっても音楽の感興は減じないどころか増すばかり。「サバトのロンド」に戻ってやっぱり楽しい、かつ美しい。これなら魔女・悪魔になるのも悪くない。「怒りの日とサバトのロンド」に移ってからのてんやわんやは目出度い限りで、やっぱり楽しく、かつ美しい。怒涛の終曲を聴かせて全て完結!
よくぞここまで、と驚嘆した。演奏の質と共に、伊福部、ラフマニノフ、ベルリオーズを並べたキュレーションの妙も称えたい。褒めすぎと思われるかもしれないが、いくら褒めそやしても足りないくらいだ。日本の、日フィルの音楽シーン、実に面白くなってきてくれた!
(2024/2/15)
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<players>
Conductor: Kahchun WONG
Piano: UEHARA Ayako(*)
Japan Philharmonic Orchestra
<pieces>
IFUKUBE Akira: ‘Dance of the Seven Veils’ from the “Salomé”
Sergei RACHMANINOV: Rhapsody on a Theme of Paganini(*)
(Soloist encore) RACHMANINOV: Études-tableaux Op. 39 no 5 en Mi bémol mineur « Appassionato »(*)
Hector BERLIOZ: Symphonie Fantastique