評論|伊福部昭―独り立てる蒼鷺―14. エグザイル・オン・レイト・スタイル……二十五絃箏曲『琵琶行―白居易ノ興ニ效フ―』|齋藤俊夫
14.エグザイル・オン・レイト・スタイル……二十五絃箏曲『琵琶行―白居易ノ興ニ效フ―』
Exile on late style……Pipa Xing – d’après poème de Mai Juyi – Pour Koto à vingt – cinq Cordes
Text by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
伊福部昭晩年の作『青鷺』(2000年作曲・初演)に始まり、飛んで最初期の作品から彼の人生を辿ってきた本論にもいよいよ終わりが近づいてきた。『日本狂詩曲』での戦前の華々しい楽壇デビューから戦後前衛実験音楽全盛期の長い冬の時代を経て、1970年代末から芥川也寸志指揮=新交響楽団や山田一雄指揮=新星日本交響楽団、そして今回取り上げる現代多絃箏の達人・二代目野坂操壽(操壽の名を継ぐ前は野坂惠子)らの活動によって徐々に湧き上がってきた「伊福部ルネサンス」とでも言うべきムーヴメントによって、現今、様々なオーケストラと指揮者たちあるいは演奏家たちが年に両手で数えきれぬほど伊福部作品を取り上げるほどに至ったのは周知の事実である。
筆者が伊福部音楽に初めて接したのは高校時代のカーラジオであったが1)伊福部音楽の生演奏に初めて触れたのは1999年11月13日、もう現存しない千駄ヶ谷の津田ホールでの「第17回野坂惠子リサイタル」であった。曲目は野坂惠子作曲『津軽』(1986年作曲)他は全て伊福部作曲『古代日本旋法による踏歌』(1967年/1991年作・編曲)、『二十五絃箏曲胡哦』(1997年作曲)、『二十五絃箏曲箜篌歌』(1969年/1997年作・編曲)、『二十五絃箏曲琵琶行―白居易ノ興ニ效フ―』(1998年作曲)。筆者の性に合わない理工系単科大学での鬱屈した日々にこのリサイタルは強烈な霹靂を落とした。まさに雷光一閃、「鬼拉(きらつ)体」の伊福部音楽を直に目の当たりにした瞬間であった。筆者のそれからの人生はこの瞬間を限りなく長く伸ばしてきたと言っても過言ではない。
このリサイタルに掲載された伊福部の『琵琶行』自作解題に興味深い話が物語られている。作曲前、渋谷の南国酒家で野坂惠子と客人と3人で杯を重ねている時に中国琵琶の音が流れてきて、白居易の長詩『琵琶行』の冒頭を偲ばせた。そこで曲の着想を得て、白居易の興に效って作品を纏めてみようと思い立った、とある。
では白居易『琵琶行』とはどのような詩であるか2)、少し長くなるが伊福部の言葉から引用してみよう。
詩は、白氏が左遷され長江の支流、九江郡に在った時の作。秋、訪ねてきた旧知を夜の波止場に送り、舟中で別れの杯を傾けている時、ゆくりなくも、水上を伝わる琵琶の音を耳にする。その音は「錚々然トシテ京都ノ声アリ」とある。当時、長安の都は、300以上の国や地域との交易があり、遥かな地方の文物も流れ込んでいた。音に聡い詩人は、其の奏法、旋法の並ならぬのを聴きとったのであろう。舟を近づけて、音の主を呼び入れると、果して、嘗ては、長安の一二を競う美妓、又、琵琶の名手として謳われていたが、今は、年長けて色衰え、商人の妻となり江上に弧舟を守る身であると云う。謫居して病勝ちな白居易は、「同ジク是レ天涯淪落ノ人」との共感に堪え難く、更に一曲を所望する。久々に、識耳を得た妓は、乞わるるまま、先程とは異って、速やかにして悲、淒々たる楽を奏で、往年の片鱗を漂わす。彈き終れば、江心には白き秋月、詩人の青い上衣は涙に濡れる。
二十五絃箏曲「琵琶行」は、この詩の興に倣って、一部、音詩の様式を借り、序破急の自由な三部形式としました。3)
この文言と原詩と楽曲を照らし合わせると、伊福部の言う序破急の三部構成が概ね次のように推測できる。
序:白居易と客人が舟上で別れの盃を重ねるが管弦の調べなく別れんとする。そこに琵琶の音が聴こえてくる。
原詩冒頭「潯陽 江頭(じんようこうとう) 夜客(かく)を送る/楓葉荻花(ふうようてきか) 秋 瑟瑟(しつしつ)」から「声を尋ねて暗に問う 弾ずる者は誰(た)ぞと/琵琶声は停(や)み 語らんと欲して遅し」まで。
楽曲:冒頭から第1頁第4段2重線4)まで。
破:琵琶の主の弾くのを聴きつつ酒を酌み交わす。
原詩「船を移して相近づき邀(むか)えて相見る/酒を添え燈(ともしび)を迴らし重ねて宴を開く」から「東船西舫(とうせんせいほう) 悄(しょう)として言(ことば)無く/唯だ見る 江心(こうしん)に秋月(しゅうげつ)の白きを」まで。
楽曲:第1頁第4段2重線から第8頁第3段2重線まで。
急:琵琶の主の身の上を聞き、白居易は自らの境遇にそれを重ねる。琵琶の主、急な調子の琵琶を弾じ、白居易は涙を抑えられなくなる。
原詩「沈吟して撥を放ち絃中(げんちゅう)に挿(はさ)み/衣裳を整頓して起(た)ちて容(かたち)を斂(おさ)む」から終わり「座中泣(なみだ)下ること誰(たれ)か最(もっと)も多き/江州(こうしゅう)の司馬 青衫(せいさん)湿(うるお)う」まで。
楽曲:第8頁第3段2重線から終曲まで。
さらに楽曲と原詩を詳らかに見ていこう。
原詩の序の部に描写された寂しき秋の夜は楽曲第1頁冒頭から第4段でFを第1音としたジプシー音階(譜例1)によって音詩的に表現されているとみなせる。
その後の破では第1頁第4段から第5頁第3段でFを第1音とした短音階(自然短音階と和声的短音階と旋律的短音階が混用されている)とCを第1音とした短音階(これもF短音階と同じく、自然、和声的、旋律的が混用されている)を行き来しつつ奏でられ、第5頁第3段から第8頁第3段でCを第1音とする自然短音階での安らかで雅な旋律(譜例2)が現れる。ここは「眉を低(た)れ手に信(まか)せて続続と弾き/説き尽くす心中無限の事/軽く攏(おさ)え慢(ゆる)く撚(ひね)り抹(な)でて復(ま)た挑(は)ね/初めは霓裳(げいしょう)を為し後には六玄(ろくよう)」等々と歌われた詩文中の琵琶の調べをなぞっていると考えられる。
破の終わり直後の急は原詩では「沈吟して撥を放ち絃中(げんちゅう)に挿(はさ)み/衣裳を整頓して起(た)ちて容(かたち)を斂(おさ)む」と琵琶の主が身の上を明かす段に、さらに「我は琵琶を聞きて已(すで)に歎息し/又 此語(このご)を聞きて 重ねて喞喞(そくそく)たり」と白居易が琵琶の主の境遇に自分のそれを重ねて嘆息する段に入るが、ここはGを第1音とする短音階(自然、和声的、旋律的混用)からC短音階に移調してのやや鬱屈した調べとして音楽化されているように感じられる。そして第12頁第3段から終曲までのC短音階とF短音階を行き来しての裂帛とも言うべき激しく急速な楽想は「我が此の言に感じて良(や)や久しく立ち/坐に却(かえ)り絃を促(し)むれば 絃 転(うた)た急なり/淒淒(せいせい)として向前(きょうぜん)の声に似ず/満座重ねて聞き皆泣(なみだ)を掩(おお)う」の「 淒淒として向前の声に似ず」の響きを見事に体現していると言えよう。
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伊福部昭、齢85にしてものした本作に、筆者は本論前稿で援用したエドワード・W・サイードの『故国喪失者についての省察』と『晩年のスタイル』のパースペクティブを想起せざるを得ない。
エグザイル(引用者注:故国喪失者)はどれほど羽振りがよく見えようとも、つねに、みずからの差異を(差異を自分から利用しているときですら)ある種の孤児状態として感ずる変人なのである。(中略)エグザイルは、所属を拒む権利にあくまでも固執する。
これはふつう、頑迷さ、それも見て見ぬふりをしてやりすごせない妥協なき姿勢にすりかえられる。依怙地、大仰、誇張、これらはエグザイル様式の特徴であって、世間に自分のビジョンをむりやり受け入れさせようとする常套手段というわけだ(中略)。結局、それは自分だけのビジョンなのだ。落ち着きと静穏はエグザイルのいとなみにもっとも似つかわしくない。エグザイル状態のアーティストたちは断固として不機嫌であり、たとえその作品がどれほど賞賛されていようとも、自分の頑迷さをそこにもぐりこませずにはいられないのだ。5)
晩年性とは、終焉に位置し、どこまでも意識的で、十全たる記憶を保持し、しかも(異常とさえいえるほど)現在を意識している。それゆえアドルノもまた、ベートーヴェンと同じく、晩年性そのものを体現する人物像となる。現在に対する、自機を失した、スキャンダラスな、破局的ですらある人物として。6)
かくして遅延性=晩年性は、みずからがみずからに課した追放状態、それも一般に容認されているものからの、自己追放であり、そのあとにつづき、それを超えて生き延びるものなのだ。7)
筆者が伊福部を知った時、彼は既に晩年を迎えていた。本作初演リサイタルで実際に目にした生きる伊福部の姿は筆者の目にはあまりにも眩しかったが、その眩しさは〈逆光の眩しさ〉とでも言うべきものであり、一生を故国喪失者(エグザイル)として、一生を晩年期として生きた者のみが纏える逆光に包まれていた。破の部、譜例2に示した旋律の安らぎを拒絶して急の部の憂いに惑い、激しい物狂おしさの中から最終頁(画像1参照)の高速パッセージからの連続グリッサンド、さらに高速パッセージからC短調→F短調と完全5度のカデンツ的終止形で断ち切るように終曲する様は余人を寄せ付けない、厳しさというより、暴力的なまでの頑迷さを感じさせる。この頑迷さは『日本狂詩曲』『交響譚詩』『シンフォニア・タプカーラ』『リトミカ・オスティナ―タ』『ラウダ・コンチェルタータ』と、既に本論で辿ってきた伊福部作品の中に一貫して存在していた性格、伊福部音楽を伊福部音楽たらしめてきたものではなかったか? 老いて益々盛ん、ではなく、老いて新たな地に辿り着いた、でもなく、老いる前からすでに老いていたがゆえに辿り着き得た、いや、若き時から老い、失われた故国に留まり続けた頑迷さゆえに90年余の生涯全く動じることなく自分の故国の音楽を奏で続けられたのではないか?「現在に対する、自機を失した、スキャンダラスな、破局的ですらある人物」「みずからがみずからに課した追放状態、それも一般に容認されているものからの、自己追放であり、そのあとにつづき、それを超えて生き延び」た音楽家こそ伊福部のことではないか?
この、自ら故国喪失者たることを選び、自らの一生をして晩年を生きせしめた音楽家・伊福部昭という巍巍たる山脈を前にして我々は何を語れるのだろうか? 筆者はこれまで何を語ってきたのだろうか?
(2024/2/15)
1)この記事参照 好きな作曲家・演奏家との出会い|伊福部昭先生との出会い、そして|齋藤俊夫
2)白居易『琵琶行』の原文などについてはこのサイト「中国語スクリプト」中のhttp://chugokugo-script.net/kanshi/biwakou.htmlを参照。
3)伊福部昭「二十五絃箏曲「琵琶行」について」、第17回野坂惠子リサイタルプログラムより。
4)本作に当たり使用した出版手稿譜には小節の区切りが書いていないため、次善の策として楽譜の段数でおおよその箇所を記したことを諒とせられたい。
5)エドワード・W・サイード『故国喪失についての省察1』(大橋洋一、近藤弘幸、和田唯、三原芳秋訳)、みすず書房、2006年、187頁。
6)サイード『晩年のスタイル』(大橋洋一訳)2007年、岩波書店、38頁。
7)サイード、2007年、40頁。
使用楽譜:『二十五絃箏曲 琵琶行 白居易ノ興ニ效フ』出版手稿譜、AIOHEPA、2011年