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ワルツ – 孤独な三拍子の解体|チコーニャ・クリスチアン

ワルツ – 孤独な三拍子の解体       → Italian
Valzer – Scomposizione solitaria dei tre tempi 

      22年ヴェネツィア・ビエンナーレダンツァ金獅子功労賞を受賞した勅使川原三郎が「魂が奪われる陶酔の三拍子」を踊る 

2023716愛知県芸術劇場 大ホール
2023/7/16  Aichi Prefectural Art Theater
Text by Cristian Cicogna
Photos by  Naoshi Hatori

振付・演出・照明・衣装・ダンス: 勅使川原三郎
ダンス:佐東利穂子
    ハビエル アラ サウコ
舞台監督: 金子芳弘(ニケスステージワークス)
舞台監督助手: 山貫理恵(ニケスステージワークス)
照明技術: 清水裕樹(ハロ)
音響技術: 佐々木道浩(金井大道具NAGOYA共同企業体)
協力: KARAS

 

ワルツはウィーンで生まれたと言われている。
ウィーンは1529年に二十万を超えるオスマントルコの大軍によって包囲されたが、守備軍の勇敢な抵抗と大雪に救われた。1679年に流行したペストにも耐えた。
聖シュテファン寺院の尖塔が真ん中にそびえる街は、同心円状に広がっている。トルコ軍の襲撃を防いだ高さ十五メートルの堅牢な市壁の外側には、グラシと呼ばれる緑地や並木のある平地が、旧市街をぐるりと取り巻いている。
1704年にもう一つの防衛線が設けられた。高さ四メートルの防壁だ。その新しい壁に守られた地域は中・下層民が多く住むウィーンの下町として発展していった。次第にその下町がワルツの揺りかごとなった。
19世紀初頭のウィーンには、下層市民にまで生活にゆとりがあって、ヨーロッパの他の町にはない雰囲気が漂っていた。至る所で音楽が鳴り響き、街角で、またはレストランで市民はその音楽を楽しんでいた。さらに、貴族たちが利用する劇場の他に、市壁外の下町に庶民が参加できる舞踏会用の大きなホールの建設が進んだ。1809年のウィーンの人口はおよそ二十万人だったが、大小さまざまなホールを合わせると、五万人が踊ることができたという。
庶民が好んで踊っていたのは、ワルツだ。
信じがたいことに、ホールの建設ラッシュも熱狂的なワルツの流行も、ナポレオンがウィーンを二度も占領した時に起こっている。
1814年にナポレオンは敗北し、エルバ島に追放された。そして、ウィーンでは、ナポレオンが破壊した秩序を取り戻すために、平和会議が開かれた。戦乱の傷を癒すのに歓楽の都ウィーンほど適切な場所はなかった。その頃ワルツはまだ王侯貴族の間では卑賎(ひせん)な庶民のダンスとして軽蔑されていた。貴族の舞踏会では、王侯貴族たちが退場したのち、ワルツが演奏されることに決まっていた。
初期のワルツは地方の村の広場で男女がペアを組んで踊るレントラーの影響を受けていた。人気が町へ広がると、屋内でも踊られるようになる。テンポも次第に速まり、三拍子の第一拍にアクセントが置かれ、軽やかで滑るような踊り方へと変わる。相手を抱いて回転しながら踊るワルツは陶酔感と開放感に溢れ、自由な動きは型に縛られた伝統的なダンスより新しい時代にぴったり合っていた。こうして、19世紀は「ワルツの世紀」と言われるようになった。 

ウィーンの歴史や社会の中でワルツがどのように生まれ、どのように発展していったのかを大まかに探った理由は、勅使川原のワルツとの共通点、または違いを指摘したかったためだ。
ところが、私は自分が的外れなアプローチをしていたことを、最初の場面で知った。
圧倒されるステンドグラスや息を飲むほど美しいシャンデリアなどを思わせる装飾もカラー照明も何もない。黒幕を背景にがらんとした黒い舞台の中央に勅使川原が一人で立っている。ゆったりした仕立ての黒いジャケットに黒いズボン。柔らかそうな靴も黒。
私は、一人で踊るワルツなのかという疑問を追い払い、驚きを抑える努力をする。真上から届く筒状の白色光は彼のワイシャツの白を際立たせるが、実は照明が照らしているのは孤独の塊だ。
正確に言うと、彼はワルツを踊っていない。手足を発作的に動かしているのに、胴体の位置はほとんど変わらない。白い明かりという糸に操られている操り人形のようで、顔は悲しいピエロだ。
後から登場してくる佐東利穂子もスペイン出身のハビエル アラ サウコも黒いスーツに白いワイシャツをズボンからはみ出させている。目がくらむほどの速さで腕を大きく振り回しながら、飛び跳ねるようなダイナミックな動きを披露する。ジャケットから覗くシャツの袖口は宙に綺麗な輪を作り、一瞬新体操のリボンに見えた。
小道具一つない広い舞台は一人ではおろか三人でも満たすことはできず、空間が余っている。そこで勅使川原自身が担当する照明が舞台美術の代わりに効果的に活躍する。決して冷たくない白い明かりか、時にぬくもりのあるオレンジを帯びた軟らかな明かりが横から射し込み、舞台の床に様々なものを描いていく。広場、石畳の道、耕された畑、陽光にきらきらする川の水面(みなも)、寝床。とは言っても、それは私が想像力で見ているものだ。
音楽もウィーンフィル・ニューイヤーコンサートで演奏されるようなクラシックなワルツではない。流れて行く音楽は哀愁漂う音色に始まり、ロマンチックな調子の曲が展開する中、三人は単純な三拍子の動きを繰り返しながら、ペースに変化をつけて踊り続ける。
銀色の長い髪を振り回す佐東の魅惑的なダンスは、川沿いに舞い遊ぶ蛍を思わせるし、軽やかに動き回るハビエル アラ サウコは畑で自由自在にはしゃぐ案山子(かかし)を想像させる。
勅使川原は重力に逆らうように体の軸を傾け、酔っぱらいを演じて舞台を横切る。一人ぼっちで、アコーディオンの旋律が唯一の友。下町のレストランの安いワインに酔ったのか、夜明けまで続いた踊りの渦に酔ったのか。いずれにしても、ソロで踊る場面が多いためか、孤独に取りつかれているようだ。 

場面転換で黒幕が上がると、舞台の奥行が倍になり、広々とした仄暗い空間が現れた。淡い緑色の壁が三方向にある部屋の真ん中に勅使川原がまた一人で立っている。舞踏会が終わった後の、皆が去ったダンスホールだろうか。
遠近感が狂って、同じ背景が高台にそびえる劇場に見える場面もある。辺りがひっそりと静まり返った。突然、遠くで音楽が鳴り響き、ハンチング帽を被った勅使川原が爪先立ちで何かを求めているように音がする方を悲しそうな表情で見ている。月明かりの下(もと)で垣根越しに様子を伺っている一人の庶民を表しているのだろうか。王侯貴族の舞踏会に参加できない庶民。それとも、貴族たちが退場するまで演奏されないワルツそのものだろうか。活気に溢れる会場の主役になるのを待ちきれないワルツの気持ちを表しているのかもしれない。
勅使川原と佐東はソロで踊ることもあれば、二人か三人で踊る場面が多いものの、ペアを組んだり、相手を抱きながら回転したりすることは一切ない。一時間のパフォーマンスの中で三人の身体(からだ)が触れ合うことは一度もない。
なぜだ? どこに三人でワルツを踊る意味があるのだろうと悩む。
公演前に読んだ演出ノートに書かれた「変わりつづける世界の姿、人間の影、水の流れ」という勅使川原の言葉をふと思い出した。
その時、胸をかきむしるような切ない音楽に乗ったダンスに魅了されながら、この独特の「ワルツ」はもっと大きなものの象徴ではないかと考えるようになった。
心身のバランスが乱れる日常(慌ただしく走り回り、帰宅し、寝るだけのサイクル)。そよ風、嵐、凪(なぎ)。大きな河川の急流、浅瀬、砂州。静寂、囁(ささや)き声、喧騒。我々が生きている世界の全てが三拍子に収められているということだ。
オルゴールのような優しい音が段々複雑になり、不協和音にまで聞こえてきたところで、私はさらに、途轍もない思いに襲われた。もしかすると、三人のダンサーはワルツに見えないワルツを踊っているのではない。ワルツになりきっている。つまり、目の前で表現されているのは、ただの足の動き、回転、テンポの変化、足踏みなどではなく、人間化したワルツそのものなのだ。端的に言うと、ワルツが解体され、三人は三拍子のそれぞれの一拍となっている。現代美術派に例えるとしたら、対象を細分化するキュービズムで、ピカソから見たワルツだ。 

舞台の左右にある五枚ずつの袖がゆっくりと上がり、隠れていた照明器具が丸見えになってしまう。客電も点いた。
私はフェデリコ・フェリーニ監督の『そして船は行く』のフィナーレを思い出した。ナポリから出港した豪華客船の話だが、最後にカメラが大きくさがり、舞台裏やスタッフたちや監督自身(顔は大きなカメラの後ろに隠れているが)の様子が映り、船が荒海に揺れていたのではなく、巨大な水圧ジャッキによって動かされていたことを見せるシーンがある。ファンサービスとも言えるし、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトがよく利用した「異化効果」とも言えるだろう。観客を夢の世界から現実に引き戻すテクニックの一つだ。
現実とは、我々が生きている「現在」(いま)よりも、勅使川原の創作過程を刺激する危機感かもしれない。彼曰く、「危機感とは喜びを希求する危機感でもありうるものであり、私にとって否定的な用語ではない」。
ようやく夜が明け、昇り始めた太陽がダンサーたちの姿を神秘的なシルエットに変えている。陽光に押されたかのように三人は肩を並べて客席の方へ赴く。
同時に、舞台を半分に分けている黒幕が下りて来るが、私の位置からだと、幕が彼らをつぶそうとしているプレス機に見える。
劇的な切迫感は抜群だし、危機に直面している世界の象徴としても解釈可能だ。恐ろしい何かが迫ってきていても、前に向かって進まなければならぬ。
三人は見事に間に合った。観客は一斉にため息をつく。演出ノートに書いてあった「終わる前の最後の10秒間は永遠につづく」というのは、こういうことか。
三人の背後で黒幕が下りると、長いカーテンコールが始まる。 

(2023/8/15)  

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Valzer – Scomposizione solitaria dei tre tempi 

      Il coreografo e ballerino Saburo Teshigawara, insignito del Leone d’oro alla carriera alla Biennale Danza di Venezia nel 2022, inebria il pubblico con ‘l’estasi dei tre tempi che rubano l’anima’    

Coreografia, regia, luci, costumi, danza: Saburo Teshigawara
Danza:
Rihoko Sato
Javier Ara Sauco

Foto: Naoshi Hatori

 

Il valzer sembra essere nato a Vienna.
Nel 1529 la città fu posta sotto assedio da un esercito di oltre ventimila turchi ottomani, ma fu salvata dall’eroica resistenza delle sue forze di difesa e da una forte nevicata. Nel 1679 superò una tremenda epidemia di peste.
Vienna, con al centro la svettante guglia della Cattedrale di Santo Stefano, si espande in una serie di cerchi concentrici. Intorno al centro storico, all’esterno dell’originario maestoso muro di quindici metri che l’aveva protetta dai Turchi, si estende il Glacis, una vasta area verde con viali alberati. Nel 1704 fu edificata una seconda linea difensiva che, con un muro di quattro metri, racchiudeva la città bassa, dove vivevano gli strati medio-bassi della popolazione, e che andò via via sviluppandosi. Fu proprio questo fervido ambiente cittadino a divenire la culla del valzer.
Agli inizi del XIX secolo, grazie a una certa stabilità socio-economica che coinvolgeva anche le fasce meno abbienti, nella capitale degli Asburgo si respira un’aria difficile da trovare in qualsiasi altra città europea. La musica risuona ovunque, agli angoli delle strade e nei ristoranti la gente si gode le esibizioni di piccole orchestrine. Oltre ai vari teatri dei nobili, nella città bassa vengono costruite numerose sale da ballo per il popolo. Si stima che nel 1809, con una popolazione di circa duecentomila abitanti, nelle sale, di varie dimensioni e che sorgevano come funghi, potessero ballare cinquantamila persone.
E che cosa si ballava? Ovviamente, il valzer!
Difficile a credersi, ma il fervore edilizio delle sale da ballo e la travolgente popolarità del valzer avvenivano proprio mentre Napoleone per ben due volte occupava la città. In seguito alla sconfitta del generale francese nel 1814 e il conseguente esilio all’Isola d’Elba, Vienna divenne il teatro dell’omonima conferenza di pace che aveva il compito di ristabilire l’ordine sconquassato dalla brama di conquista di Napoleone. E quale posto migliore della capitale viennese, opulenta e fiera, risuonante di musica nel suo posato sfarzo barocco, per risanare le ferite della guerra?
In quel periodo la nobiltà disprezzava il valzer, visto ancora come espressione della volgarità della gente comune. Tuttavia ciò non impediva che ai balli aristocratici l’orchestra lo eseguisse al termine della festa, una volta che i nobili avevano lasciato la sala, scatenando l’entusiasmo delle signore che roteavano scoprendo spudoratamente le caviglie.
Il valzer nasce come variante di balli popolari, tra cui il ländler, eseguiti a coppie nelle piazze dei paesi di campagna. Diffusosi in seguito nelle città, dove viene ballato anche al chiuso, il ritmo si velocizza, il primo dei tre tempi prende forza, e si balla quasi scivolando leggeri. Danzare volteggiando abbracciati regalava un senso di ebbrezza e libertà che i balli tradizionali, rigidi nella forma, non avevano, sposandosi perfettamente con lo spirito dei nuovi tempi. E fu così che il XIX secolo venne battezzato ‘il secolo del valzer’. 

Questa mia piccola ricerca sulle origini del valzer e il suo sviluppo in relazione alla storia di Vienna e alla sua società era rivolta a individuare eventuali punti in comune o a evidenziare le differenze con il valzer presentato da Teshigawara, ma che il mio approccio fosse stato un colpo fuori bersaglio fu evidente fin dalla prima scena.
Non c’era alcun tipo di decorazione né luci colorate che richiamassero alla mente imponenti vetrate decorate o sfavillanti lampadari. Al centro di un palcoscenico nero, vuoto, con alle spalle un fondale altrettanto nero e vuoto, il solo Teshigawara. Una comoda giacca, pantaloni non attillati, scarpe apparentemente comode, ma comunque ancora, tanto nero.
Un valzer solitario? Cerco di scacciare questa domanda e contenere la sorpresa. Un cilindro di luce bianca dall’alto mette in risalto il candore della camicia, ma quello che illumina è in realtà un ammasso di solitudine. A dire il vero, non sta ballando il valzer. Pur muovendo freneticamente braccia e gambe, il busto non cambia quasi posizione. Sembra un burattino tirato da fili invisibili, fatti di luce, e ha la faccia di un pierrot.
Anche Rihoko Sato e Javier Ara Sauco fanno la loro apparizione in completo nero con la camicia bianca fuori dai pantaloni. Danzano in modo molto dinamico, fra saltelli e volteggi, facendo roteare vistosamente le braccia, i polsini bianchi che occhieggiano dalle maniche della giacca, turbinanti come nastri al vento.
L’enorme palcoscenico, senza alcun oggetto di scena, appare incolmabile da tre ballerini, figuriamoci da uno solo. Invece giocano un ruolo fondamentale le luci, curate dallo stesso Teshigawara, che vanno a sostituirsi alle scenografie, del tutto assenti. Luci in preminenza laterali, essenzialmente bianche ma mai fredde, a volte con un alone di arancio, che disegnano esili motivi sul pavimento, spargono indizi astratti. Una piazza, una strada lastricata, un campo arato, la superficie di un fiume che brilla al sole, un giaciglio. O almeno, ciò è quanto coglie la mia fantasia.
Anche riguardo la musica, non è certo il classico valzer eseguito al Concerto di Capodanno dall’Orchestra Filarmonica di Vienna. Prima un’aria melanconica, poi un pezzo dal tono romantico, ripreso più volte, ma i movimenti sono legati ai tre semplici tempi del valzer, con frequenti cambi di ritmo.
L’affascinante danza di Sato, che fa roteare i lunghi capelli d’argento, richiama sciami di lucciole in volo sulla riva di un fiume all’imbrunire, mentre i movimenti leggiadri di Javier Ara Sauco fanno pensare a uno spaventapasseri, finalmente libero di giocare tra i solchi di un campo. Teshigawara, invece, piegando il busto ad angolature che sfidano le leggi della forza di gravità, attraversa la scena interpretando un ubriaco, solitario, il suono languido di una fisarmonica come unica compagnia. Si sarà ubriacato in una bettola della città bassa? O è l’ebbrezza provocata dall’aver ballato fino all’alba? Ad ogni modo, forse anche a causa degli assoli, appare avvolto da una solitudine difficile da mandar via. 

Con un inaspettato cambio di scena, il fondale nero si solleva, scoprendo uno spazio in penombra che raddoppia l’ampiezza del palco. Tre pareti di un tenue verde mare decorate da una griglia di legno scuro formano una stanza enorme, spoglia, con al centro Teshigawara, bagnato dal consueto faretto di luce bianca. Forse una sala da ballo dopo la festa.
Grazie a un sapiente gioco di prospettiva nella posizione dei ballerini, lo stesso scenario appare in seguito come un teatro che si erge su una collina. Notturno silenzio. All’improvviso una musica risuona in lontananza. Teshigawara, con una coppola in testa, sulle punte spia curioso, lo sguardo malinconico, verso l’origine di quel suono. Potrebbe essere un popolano che alla luce lunare cerca di guardare oltre una siepe. Un popolano escluso da un ballo aristocratico. O magari il valzer stesso che attende che i nobili se ne vadano per essere eseguito dall’orchestra. Per diventare con il suo vigore il protagonista assoluto della festa.
Oltre agli assoli di Teshigawara e Sato, pur ballando contemporaneamente in due o in tre, non si vedono mai danzare in coppia, stringendosi o volteggiando insieme, e soprattutto non c’è un solo momento, in un’ora esatta di spettacolo, in cui i loro corpi si tocchino.
Perché? Che senso ha ballare un valzer così in tre?
All’improvviso mi tornano in mente le parole dello stesso Teshigawara lette prima dell’inizio della performance sulle note di regia: ‘le forme di un mondo in continuo cambiamento, le ombre delle persone, lo scorrere dell’acqua’. E mentre assisto ammaliato a questa danza che si muove sulle onde di una musica straziante, mi rendo conto che questo valzer così particolare probabilmente sta a simboleggiare qualcosa di diverso, di più grande. La frenesia della vita quotidiana, nel tipico circolo vizioso del correre indaffarati, tornare a casa, dormire. Brezza, tempesta, bonaccia. Le rapide di un fiume, le sue anse, i banchi di sabbia. Silenzio, sussurro, fragore. Praticamente tutte le cose del mondo in cui viviamo, racchiuse nei tre tempi del valzer.
Un dolce suono come di carillon si fa via via più complesso, fino a sfiorare la cacofonia. Proprio in quel momento vengo assalito da un’idea assurda. Loro non stanno ballando questo valzer originale. Loro sono il valzer! Cioè, quello che ho davanti agli occhi non è semplicemente passi, piroette, cambio di tempo, battito di piedi, bensì la personificazione del valzer. Per essere più precisi, sto assistendo alla scomposizione del valzer, con ciascuno dei tre ballerini a rappresentare uno dei tre tempi. Se si trattasse di arte contemporanea, si potrebbe pensare alla frammentazione di un oggetto attuata dal cubismo, direi il valzer visto con l’occhio di Picasso. 

Le cinque quinte ai lati del palcoscenico si alzano lentamente, andando a scoprire del tutto i fari laterali appoggiati sui piedistalli. Le luci della platea si accendono. Non posso non ricordare il finale di E la nave va di Fellini. Poco prima dell’ultima scena, l’inquadratura si allarga a dismisura, fino a riprendere lo studio, i tecnici impegnati con gli effetti speciali, lo stesso regista (ma con il volto occultato dalla macchina da presa) e soprattutto svelando il trucco per cui ciò che aveva fatto oscillare la nave per tutta la durata del film non erano le onde di un mare in tempesta, bensì delle enormi, prosaiche pompe idrauliche. 
Si può considerarlo una specie di regalo ai fan, ma potrebbe anche essere visto come quell’ ‘effetto di straniamento’ che Bertold Brecht utilizzava nel suo teatro, ovvero una tecnica per riportare lo spettatore da un mondo fantastico, o irrazionale, alla realtà, e farlo riflettere su di essa.
Ma la realtà in questione non è tanto l’oggi in cui viviamo, quanto piuttosto la percezione di crisi, di pericolo che fa da stimolo al processo creativo delle coreografie di Teshigawara. Lui stesso afferma: ‘La percezione della crisi può essere anche quella che spinge al desiderio della felicità, per tanto non la intendo con un’accezione negativa’.
Albeggia. Il sole che sorge tramuta i ballerini in tre silhouette quasi mistiche. Come sospinti dai raggi solari, uno a fianco all’altro camminano dal fondo del palcoscenico verso la platea. Il fondale nero che divide in due lo spazio in cui si sono mossi finora comincia a calare, ma dal mio posto centrale offre l’illusione ottica, teatralmente perfetta, di un soffitto che scende inesorabile come una pressa. E può essere benissimo interpretato come una delle tante crisi che il pianeta sta affrontando. Se pur minacciati da un pericolo incombente, bisogna sempre andare avanti, senza fermarsi.
Hanno fatto in tempo! Il pubblico all’unisono tira un sospiro di sollievo. ‘Gli ultimi dieci secondi durano un’eternità’: ecco spiegate le parole nelle note di regia.
Il fondale si abbassa alle loro spalle, luci in sala. Cominciano gli applausi e ripetute chiamate alla ribalta.