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生誕100年バースデー!リゲティに感謝を込めて…|齋藤俊夫

生誕100年バースデー!リゲティに感謝を込めて…
Zum 100. Geburtstag! Vielen Dank, György Ligeti

2023年5月28、29日 トッパンホール
2023/5/28,29 TOPPAN HALL
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 藤本史昭/写真提供:トッパンホール

♪5月28日

<曲目・演奏>        →foreign language
(全てジェルジ・リゲティ作曲)
弦楽四重奏曲第1番『夜の変容』
  クァルテット・インテグラ
  ヴァイオリン:三澤響果、ヴァイオリン:菊野凛太郎
  チェロ:山本一輝、チェロ:築地杏里
『ハンガリー風パッサカリア』
  川口成彦(使用楽器:1段イタリアンMartin Skowroneck 1980年制作、調律:中全音音律
『ハンガリアン・ロック(シャコンヌ)』
『コンティヌウム』
  川口成彦(使用楽器:2段フレンチ P.Taskanモデル Matthias Kramer 2002年製作、調律:平均律)

ピアノのためのエチュード第3巻
  トーマス・ヘル
第15曲「白の上の白」
第16曲「イリーナのために」
第17曲「息を切らして」
第18曲「カノン」

ピアノのためのエチュード第2巻
第7曲「ガラン・ボロン(悲しい鳩)」
第8曲「メタル(フェム)」
第9曲「眩暈」
第10曲「魔法使いの弟子」
第11曲「不安定なままに」
第12曲「組み合わせ模様」
第13曲「悪魔の階段」
第14曲「無限柱」

筆者は先月の都響評でリゲティを「奇矯」と評したが、今回の2夜連続の演奏会では「奇矯さ」も感じたが、リゲティのラディカル(急進的・根源的)に音楽を突き詰める姿勢と「人間臭さ」を強く感取した。

まずは第1日目、5月28日。

トッパンホール初出演のクァルテット・インテグラによるリゲティ弦楽四重奏曲第1番『夜の変容』、粘っこく夜闇の中で蠢く序盤に始まり、4人一丸となって突き進むプレスト、叫ぶが如きフォルテシモ、聴き取れないほどの弱音、痙攣的な楽想から転じて朗々と歌い上げる、と思いきやまた吠えるように、最後は4人で孤独に弱音の中に消えゆく……というように「変容」が延々と20分間続く本作に、筆者は笑いと怒りの同居を感じた。いや、喜怒哀楽が未分化ゆえに真実な感情と言うべきか。いや、喜怒哀楽が未分化なのではなく、喜怒哀楽を分析した上で合成した極めて人工的な感情かもしれない。いずれにせよ、感情的だが「異」な感情を感じさせる作品・演奏だった。

『ハンガリー風パッサカリア』、下行モチーフが左右の手で淡々と弾き続けられるのを聴いていると、中全音音律により美しくも歪んだ奇怪な世界に迷い込む。ここはどこだ? これは何だ?
『ハンガリアン・ロック(シャコンヌ)』、昨今のテクノ、いや、1990年代から2000年代にかけてのゲーム音楽を想起させる。左手の2+2+3+2のリズムにのって右手がクール極まりないダンスを踊り、弾ける。ラストのレチタティーヴォがなんのためか謎ではあったがそれも良い。リゲティのジャンル横断の挑戦は昔も今も刺激的だ。
『コンティヌウム』、物凄い速度でトリルもしくはごく短い同じフレーズを延々と弾き続ける。チェンバロだから可能なこの超高速音型反復により音の「連続体(continuum)」が形成され、さらに音型内の音程や音型の形、音型の音高の変化などにより全ての音域から連続体がこっちに延びてくるという悪夢的錯視的音世界が広がる。
チェンバロ3作品を弾ききった川口成彦の腕前に感嘆したのは無論。印象としてはリゲティの(また川口の)チェンバロ作品は視覚的イメージ――ただし夢幻的な――を喚起するもののように思えた。

ピアノのためのエチュード第3巻、第15曲『白の上の白』、すべて白鍵のみで弾かれる前半は調性のあわいを漂う響きが近藤譲を思わせた(この頃近藤譲個展に集中的におもむいたからかもしれないが)。しかし後半唐突に始まる鈍く光る超高速アルペジオ群の過激さはそれを弾くヘルの腕力を知らしめるとともにリゲティの怖さをも知らしめた。
第16曲『イリーナのために』、東洋風?和風?民俗的?な静かなアダージョが後半に突然ガムラン様の音楽に吹き飛ばされてしまう。この唐突さがリゲティならでは。
この第16曲のガムラン様に近いのが第17曲『息を切らして』の左右の手の拍がずれた結果のとんでもない速度の音響大散乱である。聴いていてあまりの凄さについていけない、のではなく、あまりの凄さに呑み込まれてしまう。
第18曲『カノン』、重さと軽さの同居するポリフォニー。フォルテで叩きつけられる重音とピアノでさんざめく軽音の落差に驚かされる。しかし最後は両方とも儚げに去っていく。

同エチュード第2巻第7曲『ガラン・ボロン(悲しい鳩)』、ガムランに似ており、ドビュッシーをさらに華美に複雑化したよう。ポリリズムと変拍子の極致に至った音楽と聴いた。
第8曲『メタル(フェム)』、ミニマル・ミュージックのような反復と跳躍。だがそこはリゲティ、どんどん音数と手数が桁違いに増えていき、過激なポリフォニーに行き着く。
第9曲『眩暈』、下行音型が無数に増殖してゆく。下行音型が最高音域まで上昇して消えたか、と思ったら頭も狂えと下行音型が左右の手でうぞうぞと弾かれまくり、蠢く。
第10曲『魔法使いの弟子』、軽やかだが細かすぎる打鍵、速すぎるアルペジオで作られる細やかなガラスの館……しかし最後は「ダン!」と強打で、館が踏み潰されてしまう。
第11曲『不安定なままに』、本当に不安定な音楽。ヘルはどうやってこのテンポ・リズム不明な曲を両手で弾きこなしているのかわからない。されどしみじみとした滋味があり、最後は上行してホロリとした味わいを残す。
第12曲『組み合わせ模様』、序盤は綺麗な模様で済んだが、次第に模様が3次元的構築物となり、第10曲のように音楽的建築物が組み上がる。一度に聴こえる音の数が指の数より多い気がした。
第13曲『悪魔の階段』、次々に上行音型が現れて現れて現れて……。その上行音型に美を感じてしまうのはリゲティの本シリーズとヘルのピアノに酔ったのだろうか? 最後は上行音型が色々と絡まったところに鐘の音が鳴り響く。
第14曲『無限柱』、右手左手をしきりに交差しながら物凄く厚いテクスチュアでポリフォニーを弾く。正直正気の沙汰とは思えない曲でありヘルの技量の常人離れにも程がある。どんどん上行していって最高音に至って落着。

♪5月29日

<曲目・演奏>        →foreign language
(全てジェルジ・リゲティ作曲)
ピアノのためのエチュード第1巻
  トーマス・ヘル
第1曲「無秩序」
第2曲「開放弦」
第3曲「妨げられた打鍵」
第4曲「ファンファーレ」
第5曲「虹」
第6曲「ワルシャワの秋」

弦楽四重奏曲第2番
  クァルテット・インテグラ
  ヴァイオリン:三澤響果、ヴァイオリン: 菊野凛太郎
  チェロ:山本一輝、チェロ:築地杏里

無伴奏ヴィオラ・ソナタ
  赤坂智子

ホルン、ヴァイオリン、ピアノのための三重奏曲『ブラームスへのオマージュ』
  ホルン:福川伸陽、ヴァイオリン:毛利文香、ピアノ:トーマス・ヘル

ここから第2日目、5月29日。

ピアノのためのエチュード第1巻第1曲『無秩序』これほど魅力的で個性溢れる第1曲があろうか? バッハの平均律第1巻第1曲にも匹敵する。しかしポリリズムと複調による多声部書法をビートに乗せて弾かせるリゲティに弾きこなすヘル、ともに尋常ではない。
第2曲『開放弦』、近藤譲とドビュッシーが合体したような不思議な質感のピアノ曲。叙情的なようで冷たい幾何学的な音が連なる。またしても左右でリズムか何かがズレている。安らぐ……にはアブノーマルだなあ。
第3曲『妨げられた打鍵』、右手で演奏しようとする鍵盤を左手で抑えて妨害するという意地悪なことを奏者に強制する。この仕掛けにより聴こえる音楽は所々の音が不規則に抜け落ちた得体のしれないものとなる。リゲティはよくこんなことを思いついたなあと半ば感嘆し半ば呆れつつ、ヘルの妙技に感服する。
第4曲『ファンファーレ』、左手の上行音型の反復に右手が明朗なファンファーレを奏でる。おそらく変拍子かつポリリズムだが右手左手の楽想が調和しつつ過激な音楽が現出する。
第5曲『虹』、ぼうっと聴いているぶんには和やか、ただし冷たい、が、よく聴き込むと和声と音の連なり、左右の手のリズムなどに激しい違和感を感じてしまう謎作品。
第6曲『ワルシャワの秋』、タイトルはあの歴史上の事件を指しているのであろうか。3声のリゲティ流ポリフォニー(?)のあまりの音の多さと複雑な交錯ぶりはリゲティのグロテスクなテクニックもここに極まれりといった感がある。最高音域から最低音域に墜落してジ・エンド。最後までヘルは万全の横綱相撲であった。

弦楽四重奏曲第2番、第1楽章、超弱音ハーモニクスに始まった、と思ったら強音で奏者がお互いに切り合う、特殊奏法でのしわがれた音が充満する、突然「キレた」ように4人一斉に暴れる、と盛りだくさんなのだが、筆者は「リゲティらしくない」感覚を抱いた。「キレる」所も含めて、リゲティはもっと感情的なのではないか、こんなにシステマティックな音楽はリゲティらしくない、と。
特殊奏法の超弱音が続く第2楽章、そのかすかな音の群れに安らぎつつ、そこにラッヘンマンを想起した。リゲティと彼の音楽に接点があったかどうかは不明だが、正直に記しておきたい。
第3楽章、ピチカートで各奏者のテンポが微妙に異なるという、初期ライヒの位相差プロセスの音楽のよう。よくまあこんなことを思いついて実演させるなあ、と「リゲティらしい」感想が浮かんだ。
第4楽章、クァルテット・インテグラの抜群の破壊力が轟いた。グァッギィッゲァーッゴッ……といった濁音で表現せざるをえない破壊音的特殊奏法の嵐が吹き荒れる。後半には異常にこちらを緊張させる超高音も挟まれ、怪鳥が鳴くようにギャギャッと弦を擦って了。
第5楽章はまたミニマルの位相差プロセスの音楽のように反復音型が次第にずれていく。これも安らぐなあ、と思いきや弱音・高音が小悪魔的に遊ぶ。最後は最高音域にシャララララッと上行して妖精的に消え去る。何故か救われた気持ち。

無伴奏ヴィオラ・ソナタはまず赤坂智子の堂々たる恰幅の良い音を特筆せねばならない。第1楽章「ホラ・ルンガ」の、のどかかつ雄大な民族的旋律の中に違和感なく微分音が混ざる音楽で筆者はもう赤坂のヴィオラに心を奪われてしまった。
バルトークを継承しつつ、さらにリズミカルかつエキセントリックで、反復に狂気を感じさせる第2楽章「ループ」から、おおらかで、開放的で、重音も心に沁み入る第3楽章「ファチャール」……と聴いていて、ふと自分で自分がわからなくなった。この音楽、そんなに安らぐものか?と。あえて自分の感性を別にして、努めて客観的にこの音楽を聴いてみると……かなりねじくれているな……。おおらかであることは確かだと思うが。音楽で自分の感性が曲げられたのかもしれない。
無窮動の中から旋律が飛び出してくる第4楽章「プレスティシモ・コン・ソルディーノ」、アッタッカで第5楽章「ラメント」につながり、堂々たる民俗的ファンファーレのような楽想と弱音での繊細な楽想が交互に現れる。最後は重音ハーモニクスが、ほのかに、かすれて、きしんで、さようなら。
第6楽章「シャコンヌ・クロマティック」は民族的なのと同じくらいバッハ的。重音の使用法、シャコンヌの多声部書法など、大地に足ついてどっしりと動かざる赤坂の演奏に惚れ惚れした。だが最後に、ふつ、と凧の糸が切れたように作品が終わってしまうのに寂しさを感じたのは何故だろう。

ホルン、ヴァイオリン、ピアノのための三重奏曲『ブラームスへのオマージュ』、第1楽章序盤は筆者の耳にはヴァイオリンとホルンのディスコミュニケーションのように聴こえた。お互いに別々の音楽を勝手に奏でているよう。それが激変したのはピアノが本気でトリオの一角を為した所からである。ホルン―ヴァイオリン―ピアノがそれぞれの場所を得て、それぞれ独立しつつ協働的に音楽を形成した。
第2楽章、3+3+2の上行音型をピアノが反復する上で3人が自在に踊る。ホルンは吠える。ヴァイオリンはつんざく。ピアノは楔を突き立てる。とにかく3人とも音がキレッキレで、1人でも複雑なのに3人のアンサンブルで複雑さは3乗される。最後のコーダ(?)は切なげに。
第3楽章、ピアノとヴァイオリンのフォルテシモの変拍子の上行音型が空間を幾重にも刻む。一息ついてホルンがややとぼけたように加わり、やがてピアノとヴァイオリンの攻撃的な音楽に匹敵する朗々たる吠え声を上げる。3人が音高を上昇しきって楽章了。
第4楽章、3人が枯れ錆びた世界をさ迷う。リゲティにこんな寂寞たる音楽が、と驚かされた。その廃墟の中でピアノが苦しみ悶え、ヴァイオリンが恨みの声を上げ、ホルンが嘆きの雄叫びをあげる。さらに3人の苦闘は続き、ピアノが最低音域を叩きまくり、ヴァイオリンが最高音域のロングトーンを奏で、ホルンが終わりなき弱音を延ばす。ピアノ、最後の最後に協和音を、かすかな救いのように弾き、了。

1つのアイディア1つの楽想をとことんまでエスカレートさせ、常人には不可能なほどの超絶技巧を求めるリゲティ。だが、彼の音楽にはブーレーズのトータル・セリーやクセナキスの諸作品と異なり、どこか「人間臭さ」が消えることなく刻み込まれている。今回の2夜、聴衆の誰もが笑顔で帰れたのはこの「人間臭さ」によったのではないだろうか。もちろん筆者も笑顔で帰路についた。

(2023/6/15)

<pieces & players>
All pieces were composed by György Ligeti

<2023/5/28>

Streichquartet Nr.1 “Métamorphoses nocturnes”
 Quartet Integra:Vn:Kyoka Misawa, Vn:Rintaro Kikuno, Va:Itsuki Yamamoto, Vc: Anri Tsukiji

“Passacaglia Hungherese”
 Naruhiko Kawaguchi (Used Cembalo: Single Keyboard Italien, Martin Skowroneck, made in 1980)
“Hungarian Rock(Chaconne)”
“Continuum”
 Naruhiko Kawaguchi(Used Cembalo: Two Keyboard French, P.Taskan Model, Matthias Kramer, made in 2002)

Études pour piano troisième livre
  Piano: Thomas Hell
Nr.15 “White on White”
Nr.16 “Pour Irina”
Nr.17 “À bout de souffle”
Nr.18 “Canon”

Études pour piano deuxième livre
  Piano: Thomas Hell
Nr.7 “Galamb borong”
Nr.8 “Fém”
Nr.9 “Vertige”
Nr.10 “Der Zauberlehrling”
Nr.11 “En suspens”
Nr.12 “Entrelacs”
Nr.13 “L’escalier du diable”
Nr.14 “Coloana infinitǎ”

<2023/5/29>

Études pour piano premier livre
  Piano: Thomas Hell
Nr.1 “Désordre”
Nr.2 “Cordes à vide”
Nr.3 “Touches bloquées”
Nr.4 “Fanfares”
Nr.5 “Arc-en-ciel”
Nr.6 “Automne à Varsovie”

Streichquartett Nr.2
  Quartet Integra:Vn:Kyoka Misawa, Vn:Rintaro Kikuno, Va:Itsuki Yamamoto, Vc: Anri Tsukiji

Sonate für Viola solo
  Viola: Tomoko Akasaka

Trio für Horn, Violine und Klavier “Hommage à Brahms”
  Horn:Nobuaki Fukukawa, Violin: Fumika Mohri, Piano: Thomas Hell