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都響スペシャル【リゲティの秘密-生誕100年記念-】|秋元陽平

都響スペシャル【リゲティの秘密-生誕100年記念-】|秋元陽平
TMSO Special : “Ligeti’s secret”, for his 100th anniversary

2023年3月28日 サントリーホール
2023/3/28 Suntory Hall
Reviewed by 秋元陽平(Yohei Akimoto)
Photos by 堀田力丸/写真提供:東京都交響楽団

<演奏>        →Foreign Languages
指揮/大野和士
ヴァイオリン& 声/パトリツィア・コパチンスカヤ*/**
合唱/栗友会合唱団***

<曲目>
リゲティ(アブラハムセン編曲):虹~ピアノのための練習曲集第1巻より[日本初演]
リゲティ:ヴァイオリン協奏曲*
バルトーク:《中国の不思議な役人》op.19 Sz.73(全曲)***
リゲティ:マカーブルの秘密**

【ソリスト・アンコール】
リゲティ : バラードとダンス(2つのヴァイオリン編)
(ヴァイオリン/パトリツィア・コパチンスカヤ、四方恭子)

 

一目瞭然の天才による独擅場。それは明らかなことであって、皆口をそろえて言い、書き連ねるところだろう。だからむしろここでは、この演奏会が、<声>の持つ射程を問い直すものともなった、という点も強調しておきたい。リゲティというひとの音楽からは、抽象化され、異化されているとはいえ、原型としての声が絶えずに聞こえてくる。トーンクラスターには匿名のひとびとのつぶやきのような不気味さがあり、怪物的なまでに複雑化したポリフォニーのなかにも、まつろわぬ者たちの囁きが聞き取られる。翻って、彼の同郷の先達バルトークの『中国の不思議な役人』のヴォカリーズもまた、無人称の欲動の声としてそらおそろしく響いてくる。バルトークにおいて、しばしば打楽器的であるとか抽象的であると形容されるモダンな部分にさえ、その実、俗謡を煮詰めたもの、つまり無名のひとびとの声やしゃくり上げ、喉鳴りの変容が聞き取られるということはないだろうか。声は名も知れぬひとびとの即興表現を媒介にしてさえ広がっていき、歌う人のこころの内実を伝達するためのメディアとして聞き取られる。声のあるところには意味がおのずから凝結してしまい、実際は無意味な音の羅列だったとしても、聞き手は「今、なんて言った?」と聞き返してしまう。意味のあわいを漂う無数の声は、したがって自然とひとの心をざわめかせ、不安にさせ、挑発する。なにかをごまかす声、なりすます声、警告する声…リゲティの音楽には、どれほど高度な技術が用いられていたとしても、声に起因する二つの特徴、つまり、ユーモラスかつきわめて真剣な「不穏さ」と、声帯という人間の肉に根ざした力強さがある。『マカーブルの秘密』のゲポポからは、ファシズムの官僚機構が要求する忠誠心か、あるいはメガロマニアックな恐怖心によってひびわれた小心者の声がする。『ヴァイオリン協奏曲』のオカリナの大合唱のうちに、正体不明の問いかけのおかしみと胡乱さを感じないだろうか。
つまりコパチンスカヤによって示唆されたのは、リゲティの『ヴァイオリン協奏曲』が、無数の音楽的形式の精妙なるポストモダン的パッチワークとしてではなく、さまざまなる声の有機的な連なりとして聴くことができる、ということであった。これほどまでに五楽章がひとつのシークエンスとして聞こえてきたことはかつてなかった。例えばコパチンスカヤがアリア、ホケトゥス、コラールとめまぐるしく変わる楽想を、人間の声の——ときに怪物的な——変貌として一筆書きすることで、この現代音楽の挑発的なマスターピースにまるで数百年続いた伝統芸能のごとき見事な統一感と即興感を同時にもたらすことに納得が行くし、彼女がしまいにみずから歌い出すということもごくごく当然の成り行きと感じられる。彼女はオーケストラから、リゲティの着想から、無数の声を汲み取り、引き受け、拡声する。そこに彼女みずからの身体から放射される声が付け加わるのだ。
矢のように飛び交う音響のうちでハチドリのように滞空するコントロール精度のすさまじさと、リミッタを外した身体的パフォーマンスの豪放ぶり、その天衣無縫の両立がコパチンスカヤの魅力であることは言うまでもないとしても、リゲティの音楽もまたそうして、内在的にそのような演奏家の到来を待っていたのだと思う。それにしても、破天荒なパフォーマンスが取り沙汰されることが多い彼女だが、なんとしなやかにオーケストラと声を合わせていくことだろう! 彼女はヴィルトゥオジティの人であり、奇想天外なパフォーマーでもあり、しかし同時にアンサンブルの人でもある。そこには矛盾はない。ソリストとオーケストラは、コミカルで爽快な協調関係にあった。この巧みなる黒服の執事=東京都交響楽団は、ぴったりと主人をエスコートするだけでなく、むしろ共犯の目配せを交わし、どうぞもっとおやんなさい、と背後からけしかける、そうした「ワルさ」さえも感じさせる。欧州で数度この協奏曲の実演を聴いたが、このたびの都響の演奏はその中でも出色のものだ。なお、私が高校生の時分、その演奏によってベルクの『ある天使の思い出に』の実演にはじめて接したこともこの間のことのように思い出されるソロ・コンサートマスター四方恭子が本公演をもって引退とアナウンスされた。パンクな引退プログラムもあったものである。敬意を表しつつ聴き手のわたしも流れた時間に思いを馳せ、そしてコパチンスカヤ扮する不審者ゲポポの登場で強烈な「現在」へと再び引き戻される——この強烈さは、後を引く。

(2023/5/15)

関連記事:東京都交響楽団第971回定期演奏会Bシリーズ|齋藤俊夫
カデンツァ|裸足のコパチンスカヤ|丘山万里子

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<Performers>
Kazushi Ohno (Cond.)
Patricia Kopatchinskaja (Vn, Voice)
Ritsuyukai (Chorus)
<Program>
« Arc-en-ciel », Étude 5 from “Études pour piano, Premier livre”/ Ligeti (Arr. Abrahamsen), Japan Premiere
Concerto for Violin / Ligeti
The Miraculous Mandarin / Bartok
“Mysteries of the Macabre” from Le Grand Macabre / Ligeti

(Soloist encore : Ballad and Dance for 2 violins / Ligeti
Patricia Kopatchinskaja and Kyoko Shikata)