三つ目の日記(2023年4月)| 言水ヘリオ
三つ目の日記(2023年4月)
Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
4月。淡々と過ごす日々。柑橘類の皮の香りが室内を満たす。コーヒー。氷菓子。聞いている音楽の最後の曲が終わり、眠るしたくをする。朝が暗い時間を削る。一日は、終わったのか始まったのか。
4月16日(日)
きのう、今日と、出かけることを可能性として残したまま、一日を過ごしていた。両日ともに雨が降ったことが、外出しないためのいい言い訳になった。電車に乗って到着するまでの経路と時間を確認し、やはり家にいることにした。映画を見ることにした。動画配信サイトを開き、なんとなく選んだのは、ケリー・ライカート監督の『ウェンディ&ルーシー』という映画だった。ウェンディは主人公である女性の名前、ルーシーは彼女がつれている犬の名前。職を求めてアラスカへと自動車で移動中であるらしい。見ていてすぐに、アニエス・ヴァルダの『冬の旅』が思い起こされるこの映画は結末のような場面へは至らず、「旅」の途中までしか描かれない。ウェンディの過去についての言及はほとんどなかった。荷物のなかにあった、写真の収まったアルバム。そこから犬のルーシーの写真だけを一枚引き抜いて別のかばんに移すシーンがさりげない。たぶんこの写真だけはこの映画に結末が訪れたとしてもウェンディとともにあるだろう。
4月21日(金)
いちご約1キロ、砂糖約400グラムを混ぜ、火にかける。いちごジャムをつくっているのだ。購入するジャムの値段と、いちごと砂糖の値段を計算すると、自分でつくった方がわずかに安い。大きめの瓶に3つと小さな瓶に半分のジャムができた。
4月23日(日)
何年か前、「旅」をテーマにしたトークを聞いたことが、自分にとって「旅」とはなにか、考える機会となった。自分は旅をしたことなどないのではないか、とそのとき思った。たとえば、遠方へ出かけてぶらぶらと過ごしたり、あるいは目的を果たしたりして帰ってきたとき。それを的確に示すことばは「移動」なのであり、「旅」ではなかった。わたしは「旅」をなんだと考えているのだろう。今日、小津安二郎監督の『浮草』という映画を見た。登場する芝居一座は、土地から土地へと移動し続け上演をしてまわる。そしてそれを「旅」と呼んでいた。みな、先のことは不明で、帰る場所があるわけでもない。そこでやることが終わったら、砂粒のようなあてを頼りに、次の土地へと向かうしかない。そのとき、これからを夢想するか、悲しみに打ちひしがれるか。それは各人をとりまく状況次第なのだろうか。
4月27日(木)
午後、アラームが5分ごとに鳴る。10回以上鳴ったあと、アラームを止め身支度をする。電車に乗り、日比谷駅から地下道を歩いて銀座へ。夕方から夜にかけて、いくつかの展示を見る。
帰宅して、ひとつの展示を思い出す。
入口すぐにある芳名帳の台の上方に1点、床も天井も壁も白い空間に18点の絵が並んでいる。いずれも、縦方向および横方向への面と線で構成された画面。カラフルだが、あざやかににぎわっているというよりは、落ち着いた色調。視線は広い色面に降り立ちその感触をたしかめたかと思えば、いつのまにか細い線を辿り、行き止まって戻ったり消失したりする。一目で全体を眺望するより、一歩一歩、という感じで時間をかけ観察しながら歩みを進めたい。どこかに辿り着くわけでもなく、こうしていることに時を忘れる。
表面に見えてはいないが、その下には層をなしたいくつものさまざまな色の面があり、線として見えている部分は塗り残した下の色が見えているということらしい。画面はいわば即興的につくられ、徐々に整えられていくという。当初の絵具はおそらくほとんどが埋もれ、その上へと、次の絵具が置かれていっただろう。過去が線的に現れ、その後の時間と関係する。時を経たことが、画面上に空間として立ち上がり、ここに存在する。パネルに紙を貼って描いた作品と、キャンバスに描いた作品がある。キャンバスの方には厚みがあり、パネルの作品より側面が目立つ。「物」としての性質が際立つのだと聞いた。
「自分の作品は深刻なものではない、楽しんでつくっている」と作者は教えてくれた。このことばの背後に、張りつめた様子の作品が静寂をもたらし並んでいるのである。
平原辰夫展
GALERIE SOL
2023年4月17日〜4月29日
http://hirahara.la.coocan.jp
(2023/5/15)
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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。