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三つ目の日記(2023年3月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2023年3月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)

 

2023年3月11日午前5時13分、ふとんのなかで揺れを感じる。無言で「嘘だろ」とつぶやく。棚の上の花瓶を避難させるかどうか考えているうちに揺れはやむ。動悸が止まらない。震度2か3であったとのこと。落ち着いてきたのでふたたび眠る。

 

2023年3月12日(日)
早朝、バスで仙台に着く。まだ電灯のつかない商店街を歩く。10時になるまでファーストフードの店で読書など。
せんだいメディアテークでの、「星空と路 3がつ11にちをわすれないために」という催しへ。「星空と路」は2012年から毎年3月頃に「3がつ11にちをわすれないためにセンター」により開催され(2020年は中止)、さまざまなプロジェクトの資料・記録ほかの展示、映像の上映、その他イベントが行われてきた。
展示はこぢんまりとしてはいるが、資料・記録は膨大で、すべてに目を通すというものではないと判断する。上映会の入場時間まで、まちの記録写真を眺めたり、震災当時の食にまつわる来場者の付箋コメントを読んだりしていた。
上映会では、11時から17時30分まで、途中休憩をはさみ3本の映像を見る。当時は小中高生だった方々へのインタビューで構成されたもの。ビデオカメラを車に積みフロントガラス越しに見える風景を淡々と撮ったもの。仙台から水俣を経て戻ってくるまでの鈍行列車の旅を撮ったもの。
2本目の「車載映像 仙台市街地から沿岸部への往復90分の旅」は、木村グレゴリオの制作。『車載映像 2011.3.27 仙台―塩釜―仙台港―仙台』のタイトルでDVDにもなっている。木村が単独で自動車の運転を開始した駐車場から、市街地を抜け塩釜を経て仙台港、そこから出発点であった駐車場へ戻るまで。車内に固定されたビデオカメラは前方を映し、見えた景色をどんどん後方へと追いやる。市街地ではガソリンを求めて路肩に延々と並ぶ自動車の列。やがて、津波の痕跡があらわれる。カメラを積んだ車は、信号以外には止まることなく進んでいく。信号待ちで停車する際にいちいちエンジンを止めるのは、ガソリンを節約するためと、後のトークで聞く。運転者、撮影者は、ときおり鼻をすすったりくしゃみをしたりするだけで、声らしきものをいっさい発しない。ひとりごとをつぶやいたり、鼻唄をうたったりしない。そう決めて撮影にいどんでいるのか。道中、声が出なかった、と、これも後のトークで判明する。仙台港に達し、海面間際で車はいったん停止する。だが、ここまでの道のりを考えるとずいぶん短時間で運転は再開される。到達点と考えるから短いと感じられるのかもしれない。通過点と考えると例外的な停止である。自分だったら、同じように短時間停車したかもしれない、と見ながら思う。そして出発点であった駐車場へ戻り停車するまで。約90分間の、きわめて淡々とした映像。どこに焦点をあてるでもなく、なにが起こっていたとしても風景は過ぎていく。車の運転に、運転者、撮影者の気持ちがあらわれているような気もする。ただ、それを読み取ろうとしてもその気持ちは寡黙だ。寡黙であっても伝わってしまうことは、あるかもしれない。ところで、「運転者」がいるとして、「撮影者」とは誰だろう。この二者をイコールで結べなかった。見ている最中ずっと、まるで助手席に座っているようだと感じていた。助手席に座っていれば、首をまわして後ろまで見送ることができる。この映像ではそれはできない。撮影者がこの位置にカメラを設置したのはたまたまだったのだろうか、必然だったのだろうか。
編集作業はほとんどなされていないのではないかと思われるこの映像。制作者は「作品」ではない、と言う。
17時40分頃上映会終了。かつての仕事仲間と会い、食事。深夜、東京方面行きのバスに乗る。
※下記URL(YouTube)に映像の一部分が公開されている
https://youtu.be/OENraaScZdI

 

●撮影:木村グレゴリオ

 

3月16日(木)
郵便ポストに郵送物を投函し、コンビニでサンドウィッチを買う。陳列から時間が経っていたため割引のシールが貼られていた。それを食べて、夕方、新宿三丁目へ向かう。
ギャラリーに入ると、展示タイトルおよび作者名の記された小さな額。タイトルにある松代(まつしろ)とは、長野県長野市に所在する地名である。そのとなりに、正方形の大きな写真。朽ちかけの小屋がうつっている。そして空と、地面と、あおあおとした植物。矢印の標識と、電線が印象的である。かつて人間が、そこでなにか行ったことを窺い知る痕跡を、小屋のほかにも、見つけることができる。それら痕跡も、時間の支配から逃れることはない。より早急にめまぐるしく、うつりかわるものごともまた、あたりをとりまいている。
見る足を進めると、さきほどより小さな正方形の写真が、上下に1点ずつひと組となって6列。上の写真には風景がうつっている。その下に置かれた写真は、モノクロなのだろうか、色彩なく、風景とは異質なもの。岩肌のむきだしになった地下通路の壁面かなにかがうつっているように見える。岩をドリルで穿ったような痕がどの写真にもみられる。濡れたように鈍い光をはなっていたりもする。頭のなかで、風景と岩肌の、上と下の写真一枚一枚がバラバラとめくられていく。
その右側、入口正面の壁には、やや大きな正方形の写真が2点。一枚は打ち捨てられ朽ちている白い自動車を、斜め前方から、そしてもう一枚は斜め後方から。自動車のフロント部分や屋根には農具と思しきものが載せられ、その農具自体も新しいものには見えない。後方のナンバープレートが取り付けられていたであろうくぼみには蜂が巣をつくっている。自動車のまわりには、にらのように花茎の先端が散形花序になった植物が茂っている。のちに聞いたところでは、自動車も小屋の代用として使われ、車内に農具が収納されているのだという。
その右側の壁には、対向する壁と同じく、上下1点ずつがひと組となった6列の正方形の写真。さきほど同様、上には風景の写真、下には岩肌の写真。ここの6点の風景は、寒さの感じられる季節に撮られたものか、植物が緑色ではなく、枯草色をしていることが多い。朱色の柿の実がたわわになっていたりもする。
その右側に少し離れて、最初に見た写真と似た一枚の写真が展示されていた。草は枯れ、地面には雪が残っている。ほぼ同じ位置から異なる時期に撮られたものだろう。最初の一枚と行き来し見比べると、あったものがなくなっていたり、屋根が一部剥がれかけていたりと、変化がみられる。とてもゆっくりかもしれないが、小屋に時が重なっている。この小屋に、写真に、誰かがかかわっている。
芳名帳の台の上方に、作者の日英併記のテクストが記され、そのなかに「松代には、ひとによって穴を穿たれた山が並んでいる」という箇所があった。ただそう書かれている。
家へ帰る途中、「松代 戦争」で検索し、出てきた記事をいくつか読む。松代でなにが行われたかの概略を知り、岩肌の写真がなにであるか察する。

 

篠田優個展 松代・風景
サードディストリクトギャラリー
2023年3月14日〜3月26日
http://www.3rddg.com/exhibition/2023.3.14/shinoda_yu.html
https://shinodayu.com/

 

3月19日(日)
サードディストリクトギャラリーで入手した『循環』という、篠田優と林朋奈のふたりによる写真集を読む。16日に見た写真も一部収められている。写真集の本体ではないところに、テクストが折りたたまれている。そのテクストの末尾に、「松代」の「ある歴史」についての簡略な註釈が置かれている。写真集をもう一度読み返すと、本体にもテクストおよび註釈は載っていた。ただしそれは英訳であった。このテクスト、註釈のあり方と松代の歴史、なにか関係はあるだろうか。

(2023/4/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。