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日本フィルハーモニー交響楽団 第747回東京定期演奏会<秋季>|秋元陽平

日本フィルハーモニー交響楽団 第747回東京定期演奏会<秋季>
Japan Philharmonic Orchestra Tokyo Subscription concert Autumn No.747

2023年1月20日 (金)サントリーホール
2023/1/20 Suntory hall

Reviewed by 秋元陽平(Yohei AKIMOTO)
Photos by ©山口敦/写真提供:日本フィルハーモニー交響楽団

<キャスト>
指揮:カーチュン・ウォン

<曲目>        →Foreign Languages
伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ
バルトーク:管弦楽のための協奏曲

 

伊福部昭の描くアイヌのうたは、異なるものへの憧れを含んでいる。いくら親密な交流があったからといって彼その人はアイヌではないのだから。この距離によって生まれた憧憬こそが、彼を遠くへ遠くへと飛翔させる。『シンフォニア・タプカーラ』の伊福部は、この距離のもたらす魅惑効果のなかで、ほとんどあられもないほどの率直さでいちど西洋音楽の規範のなかに潜り込み、自由に泳ぎ回り、そこに寄り添って野太い歌を引き出し、ごつごつとした手触りや、リズムの揺らぎを通じて、再びその外側へ出ていこうとする。カーチュン・ウォンは、歌の水脈を的確に検知し、ぐいぐいとそれを引っ張り出す。指揮者のその気負わぬ率直さ、たくましさに驚く。彼はオーケストラを焚き付け、一カ所にとどまろうとすることを避け、沸騰状態へともっていこうとする。第二楽章のしどけない美しさも捨てがたいが、その推進力が結実したのはやはり最終楽章であった。ただ熱狂的に煽るのではなく、ピンポイントでリズムが活性化し、推進力が高まる「点」を突いて、音楽をドライヴさせてゆく。これは、祭りだ。

バルトークの音楽は、その民族なるものの観念との駆け引きにおいてはるかに巧緻で、いわば遠心的だ。彼は民族性を、二重に異化する。一方では、トランシルヴァニアの民族音楽をベースとした高度な抽象化をつうじて。他方では、「普遍性を僭称する民族性」としての狭義の西洋音楽への距離感をつうじて。たしかに、『管弦楽のための協奏曲』は、彼の作品のなかでもとくに舞台効果を最大限にもたらす形式的なあそびに満ちている。フーガ、コンチェルト、コラール、音程のゲーム、そして引用とカリカチュアといった、西洋音楽の伝統とモダニズム、あるいはモダニズムの伝統の要素を余す所なく壮麗に散りばめながらも、それは決して欧州の大作曲家が新天地アメリカに媚びるショウ・ビジネスの類ではない。『管弦楽のための協奏曲』は、わかりやすい民族主義からはかけ離れているとしても、西洋近代音楽が久しく忘れていた、どろりとしたエネルギーの混沌を再び形式を通じて召喚することに成功している。カーチュン・ウォンはバルトークの音楽を支えるこの基底的なエネルギーの層を強く意識し、率直にそこから音楽をくみ上げていこうとしていたように思う。なにしろこれほどまでにモダニズムの遊びに満ちているのに、工芸的なアイロニーがないのだ。まったく抽象化され、洗練された幾何学的風景のうちに、強烈な集合的情念の表出がある。この音楽をゲームやスポーツにしてしまわないというところに指揮者の深慮を感じる。オーケストラは大いに健闘していたが、それぞれのパートの持ち場を越えたアンサンブルの密度が必要な場面でほつれることもあり、指揮者の描こうとした画と比較するならば、まだ伸びしろを残していると感じられた。つまりこれは始まりなのだ。カーチュン・ウォンと日本フィルの組み合わせに、ただただ幸先の良さを感じる。

関連評:日本フィルハーモニー交響楽団 第747回東京定期演奏会|齋藤俊夫

(2023/2/15)

<Cast>—————————————
Conductor : Kahchun WONG

<Program>
IFUKUBE Akira: Sinfonia Tapkaara
BARTÓK Béla: Concerto for Orchestra