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エクス・ノーヴォvol. 16 カヴァリエーリ《魂と肉体の劇》|大河内文恵

エクス・ノーヴォvol. 16 カヴァリエーリ《魂と肉体の劇》
EX NOVO vol. 16 Rappresentatione di Anima, et di Corpo    

2022年11月6日 劇場 東京・両国 シアターX(カイ)
2022/11/ 6 Theater X
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
Photos by ATSUKO ITO (Studio LASP)/写真提供:エクス・ノーヴォ

<出演>          →foreign language
魂:阿部早希子(ソプラノ)
肉体:山中志月(テノール)
知性、快楽:新田壮人(カウンターテナー)
忠告:松井永太郎(バス)
守護の天使、天使、祝福された魂:迫田美帆(ソプラノ)
時、快楽の仲間、現世、エコー、地獄に落ちた魂:堺裕馬(バリトン)

コーロ:大森彩加(ソプラノ)
コーロ:奥野恵子(メゾソプラノ)
コーロ、地獄に落ちた魂、祝福された魂、前口上:新井拓人(テノール)
コーロ、地獄に落ちた魂、前口上:牧山亮(バス)

現世の命、天使、祝福された魂、前口上:松岡多恵(ソプラノ)
天使、エコー、祝福された魂、前口上:小林恵(ソプラノ)
祝福された魂、エコー:木下泰子(メゾソプラノ)
快楽の時間、天使、エコー、地獄に落ちた魂、前口上:前田啓光(テノール)

ヴァイオリン:高橋亜季
ヴァイオリン、リラ・ダ・ブラッチョ:天野寿彦
ヴィオラ・ダ・ガンバ、リローネ:武澤秀平
ヴィオラ・ダ・ガンバ、テオルボ:坂本龍右
コルネット、テオルボ:笠原雅仁
トロンボーン:小野和将、南紘平、飯田智彦
チェンバロ、オルガン:松岡友子

指揮:福島康晴
演出・装置・舞台デザイン:井田邦明

 

西洋音楽史を少しでも齧ったことのある人なら誰でもよく知っているカヴァリエーリの《魂と肉体の劇》。録音は出ているのだが、登場人物がやたらと多い上に、キャラクターが人物名ではなく抽象的な概念(アレゴリー)であるために、登場人物にもストーリーにもなじみがもてないので、音源を聞いているうちに寝てしまう人も少なくはないだろう。これをいったい、どうやって音楽劇として成立させるというのか?

結論から言えば、満員の会場にいた誰もが存分に楽しめたのではないか。それは、シアターXという、音楽ホールではない演劇のための劇場を選択したところから既に始まっている。たしかに音楽劇をやるには音響がデッド(音が響かない)な空間で、始まった瞬間には響きが少ないなと感じたが、すぐに耳が慣れ、楽器の音も歌手の歌声も申し分なく、音楽用の空間でないことを忘れてしまった。

舞台はT字型に作られており、Tの字の左側の空間に楽器奏者たちが入り、反対側の空間は舞台に向いて客席となっている。Tの字の手前に出ている部分は、ファッションショーのランウェイあるいは歌舞伎の花道のような使われ方をしており、この部分があることによって舞台空間の多様性がぐんと上がった。

冒頭の合唱がマドリガル調で歌われている間、まるで小劇場の演劇の開始時のような照明が当てられ、劇の始まりを強く感じた。すると、パーカー着たカジュアルな人と、ジャケットをばりっと着た人の2人組が出てきて、前口上が日本語で演じられる。思わず「助演の役者さんがいたんだっけ?」とパンフレットをひっくり返したくなるくらい2人とも芝居巧者で、あっという間に物語の世界に惹き込まれた。

歌い手たちは衣装や動き、踊りで明確な性格付けがされており、タイトル・ロール以外はほぼみな複数の役をやっているものの、見ていてまったく混乱しない。たとえば、知性と快楽を演じた新田は、知性役の時は緑色の衣装でフードを被り、快楽役では仲間ともども赤い衣装になるが、衣装の変化だけではない。知性の時と快楽の時とでは音域が異なることもあり、声も歌い方も表情すらまったくの別人だった。また、時の老人役の堺は、第2幕では怪しげな中国マフィアのような風体で「現世」として現れ、その情婦にしか見えない「現世の命」役の松岡ともども、観衆の目と耳を釘付けにした。

ちょうど初期のオペラが作られたのとほぼ同時期にあたるこの作品には、いわゆる「アリア」はなく、モノディー様式で歌われるのだが、聞いていると、後のレチタティーヴォのように語る方に重心がある部分と、アリアのごとく歌う方に傾いている部分があり、起伏に富んでいて飽きている暇はない。魂役の阿部は透明感のある歌声と凛としたたたずまいがまさにこの役にぴったり。対する肉体役の山中は、よく響く声とその声を持て余し戸惑う雰囲気が役のコンセプトに合っていてはまり役だった。

歌に踊りに芝居に衣装の早着替えにと達者な舞台上から終始目が離せないのだが、時折楽器奏者のほうをみると、前回のペッレグリーナの時と同様、持ち替えをしている奏者が多く、音響が頻繁に変わる。それがただ単に変化しているというのでなく、その場面に合った編成がそのつど選択されている。チェンバロの下にはオルガンが組み込まれ、向きを変えなくても少し姿勢をずらすだけで楽器の移動ができるようになっており、一瞬で楽器がかわる。たとえば知性のところはオルガンを使うなど、役柄や場面ごとに弾き分けられていて見事だった。

最初に音響がデッドだと述べたが、音量が小さいはずのテオルボの音は実際にはずっとよく聞こえていて、細かいニュアンスをよく伝えていた。そして何より、この時代の作品はプロポルツィオ(少し違うが現代の拍子にあたるもの)が頻繁に変わるのだが、それを見事に振り分けている福島に奏者がしっかり対応しているので、プロポルツィオの違いが場面やニュアンスの変化にいかに貢献しているかを実感できた。

今回の公演ではプロジェクション・マッピングのようなものは一切使われておらず、舞台装置もあまりないのだが、照明が装置の代わりをしていて、シーンの転換が充分に伝わっていたように感じられた。

オラトリオ(祈祷所)で上演され、教訓的で説教的な内容であるこの作品が、舞台・演出・音楽が相乗的に組み合わされることによって、立体的に立ち現れるさまを目のあたりにし、やはり音楽劇は上演しなければ意味がないと思い知った。世界的にもそれほど上演機会が多いわけではないこの作品を日本でみることができたのは、この上ない幸運であった。

(2022/12/15)

 

 

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Conductor: Yasuharu FUKUSHIMA

Sakiko ABE(soprano)
Shizuki YAMANAKA(tenor)
Masato NITTA(countertenor)
Eitaro MATSUI(bass)
Miho SAKODA(soprano)
Yuma SAKAI(baritone)
Ayaka OMORI(soprano)
Keiko OKUNO(soprano)
Takuto ARAI(tenor)
Ryo MAKIYAMA(bass/baritone)
Tae MATSUOKA(soprano)
Megumi KOBAYASHI(soprano)
Yasuko KINOSHITA(mezzo soprano)

Violin: Aki TAKAHASHI
Violin, Lira da braccio : Toshihiko AMANO
Viola da gamba, Lirone : Shuhei TAKEZAWA
Viola da gamba, Theorbo: Ryosuke SAKAMOTO
Theorbo, Cornetto : Masahito KASAHARA
Trombone: Kazumasa ONO, Kohei MINAMI, Tomohiko IIDA
Cembalo, Organ: Tomoko MATSUOKA

Producer, stage setting, stage design: Kuniaki IDA