カデンツァ|篠﨑史子 ハープの個展ⅩⅤに思う|丘山万里子
Text by 丘山万里子( Mariko Okayama)
写真提供:東京コンサーツ
大太鼓とハープってちょっと想像つかないな、などと思った筆者の愚かしさ。だからこそ興味津々で出かけたのだが。
のっけのドーン轟く大太鼓一打、そこにハープがバラララランと弦かきむしり、篠﨑の掌(てのひら)が宙を舞い、と思うや響きあがる音を両腕でバシッとひっ抱え、勢いで足も空を舞う。
《ハープの個展50周年記念》とて華やか祝祭気分の客席みな息の根止まり、面白半分の筆者など平手打ちをくった感じ。前半、西洋ものではエレガントな黒パンツスタイルだった篠﨑、白装束の巫女姿、きりり裃の林英哲を従え袖から登場ですでに「史子劇場」は始まったのだ。
幻界・異界はたまた魔界に猛然と引きずり込まれ、響きの渦の一方で天界へのいざないのようでもありの権代敦彦『鎮魂<タマフリ・タマシズメ>』(2020)。
タマフリ・タマシズメとは古来の神事儀礼で「タマ」は「魂」。鎮魂とは、遊離しようとする生者の魂を体に鎮める儀式を指すとされるが、同時に魂振(たまふり、すなわち魂をゆり動かして活性化する)をも含む。宮中での鎮魂祭は鎮魂・魂振の二つの儀がセットとなっており、本来はこの両義を持つのである。
パンデミックにあって権代はこの鎮魂両義を意図、「あたかも神託を得た巫女の如くに、ハープが音で祓い、浄め、舞い、祈り、そこに太鼓の芯から、死者の蘇生の言霊(ひふみ祝詞)が聞こえて来るとき、一方で霊を弔いつつも、もう一方で新たな生命力を宿し、禍を払拭する...そんな願いを込めながら」作曲した、とのこと。
この「言霊」については、筆者、『西村朗 覚書』における『アワの歌』で触れたが、「ひふみ祝詞」(一二三祝詞。数霊が無限に広がるさまを表す。ひ(一)ふ(二)み(三)よ(四) い(五) む(六) な(七) や(八)こ(九)と(十)も(百)ち(千)ろ(万)ら(億)ね(兆)…)もまた、この言霊思想を詠じたものである。すなわち、
ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか
うおえ にさりへて のますあせゑほれけ*
一言の意味は一応、以下とされる。
ひ…光、太陽、一
ふ…風、産霊、二
み…水、三
よ…命、四
い…生命力が出ずる、五
む…単体ではない、六
な…存続する、七
や…原始生命、八
こ…取り込む、九
と…陰陽、男女、生死、十
この祝詞は、混とんとした原初の宇宙の多様性の拡大の様子、あるいは日月の神による森羅万象の理と人間の生きる道を説いたもの、あるいは宇宙創造の真理を説いたもの、などその意味については諸説ある。その言霊力を用いてのハープと太鼓の音響世界。
中央に座す大太鼓の前、仁王立ちする林を背に、巫女の篠﨑がハープを抱え奏するのだが、対峙するには音量が、などいう懸念がすぐと吹っ飛ぶのは、それぞれを一音成就(成仏ではない)の世界と見なすから。それが権代のはからい、才であろう。
太鼓の響きの立ち上がり、減衰を見極めつつ、そこに弦の響きを差し込んでゆく、いや、弦の響きの減衰を見極めつつ、そこに太鼓の響きを差し込んでゆく、その塩梅に、これはやはり日本の作曲家でなければできない仕事だ、と感服する。いや何より、響きを現前させるこの二人、邦人奏者でなければできない仕事だ、と感服する。
世界の普遍形式として、神事は必ず静やかに始まるゆえ、太鼓の一打とハープの一掻きの幕開けのち、両者は互いの見計らいの中で、こうもあろうかと思うほどに静寂な語らいをするのである。あるいは雷のごとく轟く。神事は、まずもって神を呼び人の願いを訴えるものであろうが、両者の奏出する弱強の響きは互いを浸潤し合いつつ、空(くう)へと昇り天地を揺るがす。
太鼓は叩くだけではなく、突く、こする、さする、撫でるなどなど、あらゆるニュアンスの音声(おんじょう)を持つと筆者は初めて知った。ハープはかき鳴らすだけでなく、叩く、はじく、打つ、引き裂くなど、あらゆるニュアンスの声を持つと、プレコンサートで体感はしたが、そこに太鼓の響きが現れるとそれに応え、千変万化の表情を見せる。いや、やはり互いがそれを引き出すのだ。会話とか対話とかでなく、「呼びかわし」とは、こういう行為なのだと深く知る。天と地、生と死、神と人などいう分別なく、響きは包摂と放散を繰り返しつつ大きな一つの螺旋を描き続ける。
静けさはもちろん徐々に熱してくるのだが、林が裃を脱ぎ、筋骨たくましき上半身をあらわにし、前述の多彩な打奏を開くにともない、ハープもまたその相貌を変えてゆく。ときに巫女、ときに乙女、ときに母……でもあろうか。
激しい打音とともに「はあーっ!」と発された林の底力ある一声は、人声の生々しさでもって器楽の音響世界を一瞬にして裂き、一筋、血が滲むようであった。
やがて林の『一二三祝詞』が聴こえてくるのだが、言葉は唱えられるというより、引き伸ばされた形で、こちらは響きの中から浮き上がり、漂い流れる。ハープもまたその流れにたゆたう。
と、ついと立つ巫女。近くに置かれた神楽鈴(巫女鈴)をふり、お祓いと祈りのうちに小鉢を抱え、はらはらと白の小紙片をステージに散らしてゆく(仏教では散華)。日本の神事は古事記の天岩戸に発しようが、幽玄かつ幻想的な美しいシーンであった。続く篠﨑のカデンツァでの渾身は、タマフリそのものであったのではないか。
タマシズメからタマフリへ。
タマフリからタマシズメへ。
篠﨑と林のそれは、一つの大きな螺旋を形成する二重小螺旋といえ、互いをはかりつつ収縮膨張する空間の波を生む。そうして最後、太鼓とハープの響きが闇に溶暗、しんしんたる静寂がホールを満たし、少しくして現世に覚醒したように客席に拍手の波が広がってゆくのであった。魂消え、と本誌でTweetしたが、まさにそのように、それは何処へか消えていったのだ。
何か特別な時空間に身を置いた、そういう感覚でしばらく筆者は身動きできずにいた。
言霊、音霊の呼応のさまの静謐と狂応の壮烈な美。タマシズメとタマフリのそれを、響きの中にデザインした権代の手腕もさることながら、篠﨑、林の渾身の名演は歴史に刻まれる記念碑的なステージ(互いの演奏家としての個人史も含め)であったと筆者は思う。
加えて、前半での小編成合奏との共演、ヘンデル、ドビュッシー、マーラーの、いわば東西の音景色の対比(彼女はそこで弾き振りした)の鮮やかさ。
この記念企画に際し、篠﨑はプレコンサートとしてやはり東西のソロ作品を並べた。ケージ、細川俊夫、佐藤聡明(初演)、西村朗、一柳慧ら、彼女とともに時代の先端を走り続けた作曲家たちの生み出したハープの世界は、彼女なくして見られるものではなかったと改めて思う。
個展シリーズは1972年から開始され、本年2022年で15回を数える。その間、彼女の委嘱で生まれた初演作品は44曲に及ぶ(プログラム掲載記録より)。
70年代の音楽界を筆者自身はほとんど知らないが、1968~72年の間の3つの現代音楽祭「現代の音楽展」「日独現代音楽祭」「クロス・トーク」は日本の現代音楽シーンの一つの興隆期を示しており、そうした活気はそのまま70年万博に流れ込んだ。篠﨑の個展開始はその2年後だが、当時のスター作曲家であった1930年前後生まれの作曲家、松村禎三、黛敏郎、湯浅譲二、武満徹、三善晃、松平頼暁ら、30年代後半の一柳慧、石井眞木、高橋悠治ら、それに続く池辺晋一郎、佐藤聡明、近藤譲、細川俊夫、西村朗らの初演作が並ぶ壮観、さらに近年は権代をはじめ猿谷紀郎、岸野末利加、薮田翔一、鷹羽弘晃らを網羅し、同時代における演奏家と作曲家の刺激に満ちた幸福な共働の姿を余すところなく伝える。
プレコンサートで彼女は、「この演奏会は作曲家の方々への感謝です」と述べたが、そういう幸福をかくも長きにわたり維持、さらに未来へ向けて投企する姿には頭が下がる。
筆者はプレコンサートで奏された細川俊夫『河のほとりで』初演ステージ(1984)を聴いており、その時細川という作曲家の存在を知ったのだが、当夜、客席の細川に「あの頃はまだ少年のようで」と微笑みかけるのに、その活動の長さをしみじみ思った。筆者もまた駆け出しであったが、ヘッセ『シッダールタ』からの音への「傾聴」を語る細川とその演奏を鮮明に覚えている。
作品は、奏者なくしては存在しない。
ハープという楽器の新たな地平を日本の作曲家たちと追求し続けた彼女の仕事に、筆者はそれほど多く接したわけではないが、常に最前線の旗手たるミューズであり、時代を駆け、今日なお疾走する。その終りなき営為。
様々な現代音楽公演で姿を見かけるにつけ、あふれる好奇心とさらなる高みを追い続ける強さとバイタリティに敬服してきたが、この2夜に改めて背中をどんと叩かれた気がした。
林英哲にも少しだけ触れておく。
1969年創設の佐渡「鬼太鼓座」「鼓童」に参加、1982年にソロ奏者として立った和太鼓奏者だが、筆者には当初の鬼太鼓座のステージの衝撃が脳裏に刻まれている。当時の日本における伝統芸能への関心は、彼らによって牽引されたと言っても過言ではなかろう。
以降、世界を舞台に古典から現代までジャンルを超え、第一線の活躍を続けての今日。
篠﨑ともども、やはり「志」というものを持つ人の勁さを思う。
権代がその音響構築に見せた職人技もまた、続く世代の範ともなろう。
昨今の若手演奏家、作曲家らがパンデミックを逆手に、同時代共働の活発な活動を展開しているのを見るにつけ、古今東西を問わぬ私たち自身の音楽のこれからを思い描きつつ、先達の背の大きさを噛み締める一夜であった。
*祝詞使用部分は「ひふみよいむなやここのたり」とのこと。その他「ふるふるふる」「ゆらゆらゆら」等が発声されたと筆者の問い合わせに権代氏よりお返事いただいた。
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◆篠﨑史子 ハープの個展ⅩⅤ 〜ハープの個展50周年記念
2022年10月18日@東京オペラシティ コンサートホール
<演奏>
篠﨑史子:ハープ
林英哲 : 太鼓
大谷康子と仲間たち:
ヴァイオリン:大谷康子、大林修子、山﨑貴子、中川直子、蔭井清夏、安達優希、伊東翔太
ヴィオラ:百武由紀、白井英峻
チェロ:苅田雅治、山本裕康
コントラバス:星秀樹
<曲目>
ヘンデル:ハープ協奏曲 変ロ長調 作品4-6, HWV.294
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調 第4楽章アダージェット
弦楽合奏 大谷康子と仲間たち
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権代敦彦:鎮魂(タマフリ・タマシズメ) ―ハープと太鼓のための Op.176(2020)
(「国際ハープフェスティバル2020-草加市」委嘱作曲)
◆プレコンサート [Harp solo]
2022年9月2日@トーキョーコンサーツ・ラボ
<演奏>
篠﨑史子:ハープ
細川俊夫:ハープソロのための 河のほとりで(1982)
ジョン・ケージ:イン・ア・ランドスケープ (1946)
J.S.バッハ(佐々木冬彦編曲):シャコンヌ (2017)
佐藤聡明:秋詠歌 (2017) 初演
西村朗:伝説曲 独奏ハープのための (2003)
(アンコール)
一柳慧作曲:水調子 Water Tune(2017)
(2022/11/15)