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山澤慧無伴奏チェロリサイタル マインドツリーvol.8|齋藤俊夫

山澤慧無伴奏チェロリサイタル マインドツリーvol.8
Kei Yamazawa Unaccompanied Cello Recital Mind Tree vol.8

2022年9月22日 トーキョーコンサーツ・ラボ
2022/9/22 Tokyo Concerts Lab.
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
写真提供:梅本佑利、東京コンサーツ

<演奏>        →foreign language
チェロ:山澤慧

<曲目>
(クルターグ作品は全て『Signs, Games and Messages』より)
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番 プレリュード
クルターグ・ジェルジュ:Jelek I
向井航:『ラス・メニーナスによる』

バッハ: 無伴奏チェロ組曲第3番 アルマンド
ケージ:北天のエチュードI
クルターグ:Az hit…

バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番 クーラント
ケージ:北天のエチュードII
クルターグ:Jelek II

梅本佑利:『萌え²少女』
梅本佑利: 『萌え²少女#2』

バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番 サラバンド
クルターグ:Pilinszky János:Gérard de Nerval
ハラランポス・ナヴロツィディス:『ESALI』

バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番 ブーレ
ケージ:北天のエチュード III
クルターグ:Schatten

クルターグ:Hommage à John Cage
ケージ:北天のエチュード IV
バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番 ジーグ

向井響:『この世界を、君に』

 

山澤慧による「マインドツリーvol.8」に終始張り詰めていた念の力、それはまずは近代西洋音楽の原点かつ頂点たるバッハに由来すると筆者は読み解いた。バッハの無伴奏チェロ組曲第3番はこの唯一無二のチェリストの力を存分に発揮させるに足る。骨太でたくましいその音響に魅せられてしまったのは筆者だけではあるまい。
この原点かつ頂点のバッハに対して、「音楽の零度」という逆転的発想で相拮抗するほどの力(あるいは非・力)を持ち得たのがケージ『北天のエチュード』である。路上の石ころの集まりのようにお互いが無関係に転がる音の群れは、分節化されて音楽作品と化すことを断固として拒絶する。分節化された音楽作品となるのを拒絶することは、その音が音楽作品として人間的になることを拒絶することでもあり、それは奏者をして〈うた〉を歌うことを禁じることを意味する。この禁止ゆえにケージの音楽は息苦しい。筆者はバッハが朗々と歌われて肺臓に大きく空気が注ぎ込まれたと思ったその後にケージが演奏されることによって、喉笛を握り締められたような心地がした。げに恐るべきはその零度の力。
今回、常にバッハと組み合わされて演奏され、第2の主人公的役割を演じたのがクルターグの『Sign, Games and Messages』諸作品であるが、その音楽はケージというプリズムを経て屈折されたバッハの〈うた〉をどのようにして継ぐかという挑戦の証のように思えた。ある時は奇怪な断片の集合となり(Jelek I)、ある時は冗舌な断片の集合という何重にも逆説が連なった音楽となり(Jelek II)、ある時はゆっくりと苦難の道を歩き進むように(Pilinszky János: Gérard de Nerval)、どれもケージの後で〈うた〉を継いだことによる自己の〈異形〉化という〈業〉を背負った〈現代音楽〉であった。
この、〈業を背負った異形の現代音楽〉という、ある意味で伝統的な音楽を書いたのが向井航、ナヴロツィディス、向井響である。
向井航『ラス・メニーナスによる』は「B→C 山澤慧チェロリサイタル」で筆者も以前聴いたことがあるのだが、今回の演奏の方がはるかに良い再現であった。バッハ・ボウ(ミヒャエル・バッハ製作の、弓の張力を手元で調整して4弦を同時に擦ることが可能な弓)を駆使してバッハの無伴奏チェロ組曲第3番プレリュードを暴力的と言い得る力で変容させる。「ギ・ギ・ギ・ギ・ギイイイイ……」という4弦重音での軋んだ擦音が耳に痛い。バッハを眼前で殺し、その死体をあらゆる角度から見せつけるようなこの音楽を体験することは、楽しいとか面白いとかそういうものではなく、もっと凄惨な音楽体験であった。
ナヴロツィディス『ESALI』、チェロの最低音域をロングトーンで奏するイントロからして厳粛にならざるを得ない音楽。メロディらしきものも聴き取れるが、惰弱に陥ることなく、巌の如く足を踏ん張って轟々たる風に立ち向かう。大迫力のクライマックスまで、山澤の音楽的腕力が否応なく発揮された作品であった。
向井響『この世界を、君に』のプログラム・ノーツには、作曲者が甥の新しい生命に向けて「それでもこの世界は本当に美しい、ということを彼に伝えるために」この作品を書いた、とあるのだが……。洗濯バサミで弦をつまみ、バッハ・ボウを用いて軋んだ、錆びたような音をロングトーンで奏でるイントロ。序盤は弦を様々なやり方で擦るが、チェロらしい楽音はなく、擦音の微妙な変化を聴かせる、えらく険しい音楽世界。その後メロディ〈らしき〉音列も現れるが全て錆びて霞んで消えてゆく。勿論のように最後も霞の中で世界が滅んでいくかのように消えてゆく。こんな世界を伝えたいと言うのか、と唖然としたのは筆者だけであろうか。
〈現代音楽の業〉を背負うことによって、自らを〈異形〉と化したこれらの作曲家たちの誠実さ、あるいは真面目さを讃えることに異論はないが、しかし、もっと快楽的に音楽を見ることはできないのだろうか、とも思った。
そしてこの〈現代音楽の業〉を背負うことなく、アッケラカンとした、いっそすがすがしい態度で〈新世代の現代音楽〉を書いてみせたのが梅本佑利である。
「よろしくお願いいたします、先輩」「お兄ちゃん」「うれしい」「急にどうかしたんですか」「いきなりこんなことされても困っちゃいますよ」「びっくりしました」等、声優がアニメ声で発した音素材を細かく切り貼り編集した録音音声と、その録音音声をスピーチ・メロディとしてなぞって同時に独奏するチェロによる『萌え²少女』、声優の声をさらに短く細切れにした音を高速で反復させての「ケロロロロロロ……」(元の音声は「ケ」でも「ロ」でもないがこう聴こえる)というような音声と、それに山澤が追いつこうと必死にチェロを擦りまくっても追いつけないという『 萌え²少女#2』の2作を聴いて、ここに現代音楽界の新世代が現れたということを、筆者はもはや古い世代に属しているということへの慨嘆と共に認めざるを得なかった。
上記の台詞によって構築された本作品をただの音の集積として聴けば確かに面白かろうが、筆者世代のオタクは聴いてどうしても赤面せざるを得ない。これらの台詞が含んでいる性的なニュアンスを聴き取らざるを得ないからであり、このためらいなしに台詞を使えるのは新世代ならではだ。
また本作品の〈ゲーム〉的要素も新世代ならではだろう。梅本には以前『Super Bach Boy』という作品もあったが、これらがゲーム=遊びとして面白おかしく提示され演奏されることにもためらいがないのが21世紀に生まれた人間の感性なのだと筆者は捉えた。〈音楽〉〈芸術〉というものに対してどうしても肩肘張って接せざるを得ない筆者世代と異なり、梅本の音楽は遊ぶ快楽に対して無邪気で、面白くて、罪がなく、深みもない、悩みもない、が、これこそが梅本世代の感性の本領であり、彼らの世代の若さと言えるのだろう。その先に何が待っているのか、筆者にはわからないが。
バッハからケージ、クルターグ、現代作曲家、梅本佑利という、山澤慧が己に課した道程を共に辿ることは刺激的かつ思索的、そして自分たちの立つ〈今、ここ〉とはいつ、どこなのかを確認することである。願わくばこの喜びがさらに広まらんことを。

(2022/10/15)

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<player>
Cello: Kei Yamazawa
<pieces>
(All pieces of Kurtág are derived from “Signs, Games and Messages”)
J.S.Bach: Cello Suite No.3 in C major 1. Prelude
Kurtág György: Jelek I
Wataru Mukai: ラス・メニーナスによる

J.S.Bach: Cello Suite No.3 in C major 2. Allemande
John Cage:Etudes Boreales I
Kurtág: Az hit…

J.S.Bach: Cello Suite No.3 in C major 3. Courante
Cage: Etudes Boreales II
Kurtág:Jelek II

Yuri Umemoto: 萌え²少女
Yuri Umemoto: 萌え²少女#2

J.S.Bach: Cello Suite No.3 in C major 4. Sarabande
Kurtág:Pilinszky János:Gérard de Nerval
Charalampos Navrozidis: ESALI

J.S.Bach: Cello Suite No.3 in C major 5. Bourree
Cage:Etudes Boreales III
Kurtág:Schatten

Kurtág:Hommage à John Cage
Cage: Etudes Boreales IV
J.S.Bach: Cello Suite No.3 in C major 6. Gigue

Hibiki Mukai: この世界を、君に