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パリ・東京雑感|歴史に取り憑かれたプーチン大統領|松浦茂長

歴史に取り憑かれたプーチン大統領
The Intellectual Origins of Putin’s War

Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

フランスのマクロン大統領は、ウクライナをめぐって、プーチン大統領と電話を含め20時間も話しているが、歴史の長談義を聞かされるのに驚いたそうだ。
プーチンの頭の中は<歴史>でいっぱい、<現在>にはまったく関心がない。側近が経済問題や、コロナ対策について話すと、プーチンは露骨に嫌な顔をしたそうだ。一体どんな<歴史>に熱中しているのだろうか。
2021年9月にプーチンはロシアのエリート・クラブで演説し、影響を受けた3人の思想家を挙げた。①ニコライ・ベルジャエフ、②レフ・グミリョフ、③イワン・イリーン。
ベルジャエフの透徹した哲学とプーチンのどこに接点があるのかピンと来ないが、残りの二人はプーチンの戦争を理解するのに役立ちそうだ。

レフ・グミリョフ(カザフスタンの切手)

グミリョフは、13世紀にモンゴルがヨーロッパから中国に至る大帝国を築き、14世紀には衰退に向かったように、それぞれの民族・国家は固有の生エネルギーをもち、成長・衰退のカーブを描くと唱えた。そして、この生エネルギーにパッショナルノスチ(熱情性)という魅惑的な名をつけ、いま上り坂の熱情性をもつのは、ロシア、中国、アラブ世界であり、西欧の熱情性は下降、破滅に向かう段階にあると断じた。
この熱情理論、プーチンの心に響いたらしく、「私は熱情理論を信じます。ロシアはまだその頂点に達していない。私たちはまだ発展の歩みを続けているのです。私たちロシア人には数限りない遺伝情報が伝えられている。ロシア人には多くの民族の血が流れ込んでいるからです。」と演説している。ヒトラーが純粋なゲルマン民族の血を尊んだのと対照的に、諸民族のうるわしい共生をうたったソ連の理想を引き継ぎ、混血こそロシア民族の強みだと考えているらしい。
西の衰退といえば、アメリカは、大統領選挙結果をめぐって議会乱入が起こるほどタガが緩み、海外ではアフガニスタン撤退に手こずったことだし、移民問題に苦しむヨーロッパではプーチンを崇拝するポピュリスト・極右政治家が人気を集めたことだし、グミリョフの予言を信じる気持になるのも無理はない。プーチンとしては、今こそロシアの熱情性をフルに発揮すれば、西をさらに弱体化できるチャンスだと信じ、戦争に乗りだしたに違いない。(プーチンの頭の中で<現在>の戦争は、きっと<歴史>の範疇内なのだ。)

イリーンには激烈なウクライナ憎悪が見られる。彼に言わせると、ロシアの敵たちは、ウクライナに民主主義を偽善的に売り込んで、ロシアの勢力圏から引きずり出そうとする。しかし、本来ウクライナはロシアの一部であり、分離・独立の主張には何の根拠もない。国際的軍事的陰謀が生み出したまがい物だ。

プーチンの行動原理は、領土、国益、主権といったパワーポリティックスの常識で考えるとよく分からない。ロシアを貧しくするようなことを平気でやるので、精神のバランスを欠いたのでは?とさえ思えてくる。しかし、国際関係の力学ではなく、ロシア国民の心の問題として、彼らの精神的トラウマ治癒のプロセスとして考えてみたらどうだろう。
ソ連という大帝国は、ほとんど流血もなく解体したが、その後にやってきた弱肉強食のジャングルのような脱共産主義社会はロシア人の心を深く傷つけた。プーチンは、そのトラウマを治癒し、ロシア人に誇りを取り戻させる精神療法士として登場したのである。パリ・東京雑感|独裁者を羨むトランプ大統領 プーチンはなぜ強い?|松浦茂長 | (mercuredesarts.com)
ソ連が崩壊したとき、ロシア人の心には何が起こったか?

モスクワ中心部に出動した戦車(1991年8月)

1991年8月、ソ連共産党の幹部と軍とKGBの指導者がゴルバチョフ大統領を監禁、モスクワに戦車を出し、国を逆戻りさせようとした。フジテレビのロシア人カメラマンは、大通りを撮影中、ファインダーに戦車が映ったのを見て、涙を流した。「やっと人間らしい、尊敬できる国になりかけたところで、元の木阿弥」と、絶望的になったのだろう。その夜熱を出し、胃けいれんまで起こして、肝心のときに働けなくなってしまった。
民主主義を守ろうと思う市民は、エリツィンがたてこもるロシア政府の建物(ホワイトハウス)に集まり、バリケードを築き、戦車とにらみ合った。僕がバリケードを越えて、ホワイトハウスの周りの人々に聞くと「ニュースを聞いたとき足がガクガク震え、1日中震えが止まらなかった。でもここに来て、みんなと一緒になったらもう震えなくなりました」と言った。
ある作家はこの時のことを「人は自分自身より大きなもの、自分自身より確かなものと一体になった」と表現したが、歴史のある瞬間、人間は自分自身よりはるかに高められ、自分にはない勇気を持ち、静かな確信のなかに立つことができる。歴史にはそんな瞬間が訪れるのだということを知った。
あの高揚した3日間をホワイトハウスのなかで過ごした一人のロシア人が、魂の高められる感激から、失望のどん底までを、1年の間に経験した。この男の変化を語れば、ロシア人の新しい夢から失望への転落のすさまじさが分かってもらえると思う。

教会の合唱指揮とテレビの宗教番組制作をやっていたバクダノフスキーさんは、クーデターが失敗するまでの3日間、ホワイトハウスにこもって抵抗運動を組織し、何回かファックスでフジテレビ支局にも情報を送ってくれた。

病み衰えたセルゲイ・バクダノフスキーさん

クーデターが片づき、早速支局にやって来たバクダノフスキーはいきなり「どうですマツウラさん?」と聞くから、「ロシア人の勇気に感心しました。戦車がやって来るのに、実に秩序正しく守ってましたね。バリケードの中は普段のモスクワの街よりよほどきれいに掃除してありました」とほめると、「感心なんていう程度じゃない。これまで僕はロシア人であることを恥じていたけれど、今はロシア人であることを誇りに思います」と、泣き出さんばかりの勢いだった。いつもの皮肉のきいた雄弁はどこへやら、「すごかった。すごかった」を連発するばかりで、なぜロシア人であることに誇りが持てたのか、一向説明にならなかったが、気持ちは良く分かった。
しかし、有頂天の熱狂が失望に変わるのは早く、半年後には「新聞を読むのが恐ろしい。誰も彼も金をもうけることしか考えなくなった」と嘆き始めた。失望が病気を招いたのか、癌に罹ったバクダノフスキーはますます痛烈な毒舌を吐くようになり、最後に会ったときは、「死と臨終の苦しみは怖くないが、祖国を許せないまま死んで行くのがつらい。こんな国を子供たちに残すのかと思うと、罪の意識にさいなまれる」と言った。そして、あんなに教会を愛した彼が「国家の理念も宗教の理念も腐ってしまった。教会は暇をもてあます年寄りのクラブになってしまった」と毒づいた。
セルゲイ・バクダノフスキーはクーデター一周年の直後に死に、ホワイトハウス防衛の英雄として、名誉あるワガニスコエ墓地に葬られた。36歳だった。

こうしてあれほど皆が待ち望んだ民主主義への信頼は、地に落ち、誰も口にしなくなった。民主主義は、マフィアと特権階級が富を独占する<きたない社会>の同義語となり、呪われた言葉になってしまった。それから十数年後、パリに移住したロシアの民主主義運動のかつてのリーダーたちがプーチンについて語り合うシンポジウムを聞きに行ったとき、誰一人「民主主義」という言葉を口にしないのでドキッとした。口に出来ないほど悪い言葉なのだ。そして、あの英雄的な市民の闘いの日々は忘れられ、歴史から抹殺されてしまった。

でも、ソ連が滅びたときは、悲しむより、喜ぶロシア人が多かったように思う。ソ連時代、ごく普通のロシア人と話すと、「ソ連はアフリカや南米の気の毒な人を助けているから、莫大な金がそれにつぎ込まれる。そのせいで、私たちの暮らしは貧しいのです」と言っていた。「ソ連はウソと腐敗まみれの馬鹿げた国」と嘲る一方、自分達は特別な使命を持つ国に生きているという誇りもあったのだ。とはいえ、世界救済のメシア的帝国ソ連が消滅したとき、ロシア人の多くは、悲しむよりむしろこれからは普通の国に生きるのだという解放感を感じていたのである。ところが新生ロシアは大失敗、ヨーロッパのような民主主義の道は閉ざされてしまった。
人類を救済するソ連という夢を失い、普通の国になる希望も打ち砕かれ、虚脱状態……無力感にさいなまれるロシア人にプーチンは何を与えたか?――歴史の書き換えである。
ナチスを倒した栄光に輝く赤軍をたたえ、栄光から栄光へと歩んだ強く輝かしいロシアの歴史だけが正しい歴史とされ、スターリンとヒトラーによるポーランド分割の密約など汚点は抹消する。「祖国を守った英雄たちの記憶を侮辱する」自虐的歴史を語る者は法律によって罰されることになった。

サハロフ博士

去年12月に最高裁判所が、ロシアで最も尊敬される人権団体、メモリアルの閉鎖を命じた。メモリアルは、ノーベル平和賞を受賞したサハロフ博士らが創設した団体で、スターリンによって強制収容所送りになった300万人の資料を保管している。
スターリン時代、人びとは、深夜物音がすると、秘密警察に連行される恐怖におびえた。身に覚えがなくても、隣人が妬みか恨みを抱いて自分を密告したかも知れない。隣人も家族も簡単に自分を破滅させ得る潜在的敵だったのだ。メモリアルは、2000万人がシベリア送りになった恐怖政治の記憶を失わないため、こつこつと資料を集めたのだが、プーチンの<歴史>にはそぐわない。メモリアルが解体されると、厖大なアーカイブはどうなるのだろう?
メモリアルの代表、ヤン・ラチンスキー氏は、「言い古された格言で、『過去を知らない者は同じことを繰り返す運命にある』と言いますけれど、この10年の状況はその通りです」と、恐怖政治の復活に警鐘を鳴らす。

プーチンの<歴史>の主軸はナチスとの戦いである。ロシアが最も「強く」「偉大」だったソ連時代の歴史を引き継ぐにしても、共産主義イデオロギーに根ざす人類救済のメシア的使命の部分は新生ロシアに継承できない。ソ連のかかげた普遍的理念は切り捨て、ナショナリズムの偉業=ナチス・ドイツへの勝利だけを受け継ぐのだ。
こうして「ロシアが今日あるのは、ナチスとの戦いで犠牲になった2660万人の死者のおかげである」という愛国の物語が語られ、共産主義ソ連と新生ロシアは共通の「我等の死者」(侮辱してはならない英雄の記憶)を持つひとつながりの国になる。このように書き換えられた<歴史>はテレビ・プロパガンダによって国民に浸透し、ナチスとの戦いが、ロシア国民を統一する最強のアイデンティティとなった。ナチスと聞くと、ロシア人は2660万人の死者への思いを新たにする――愛国の条件反射が出来あがったのである。

プーチンは、停戦の条件のひとつとして「ウクライナの非ナチ化」を要求している。ユダヤ人の大統領を選んだ国に向かって「非ナチ化」を求めるのはこっけいな矛盾だが、ナチスに対する勝利がプーチンの<歴史>の核であることを理解すれば、この要求の深刻さが見えてくる。プーチンは最近、「西側がウクライナのナチスを支援するのは、ウクライナにおけるロシア的伝統・文化遺産を貶めるためだ。さらに西側はウクライナを足がかりとしてロシアの破壊をねらっている。」と演説した。ロシアはいつの時代も西に痛めつけられる被害者として描かれるのである。
ロシアのメディアはウクライナのナチ化を証明するため、極右の動向を針小棒大に伝え、視聴者の頭の中には、アゾフ大隊などネオナチが跋扈するウクライナのイメージが固まってしまった。日本でも「ウクライナはネオナチの聖地」みたいな論調が見られるところを見ると、ロシアのプロパガンダ機構は、ロシア発とは見えないように偽装して、海外向け宣伝を繰り広げてきたのだ。
ウクライナ・ユダヤ人委員会のドリンスキー委員長は、ロシア国営テレビから、極右について話してほしいと度々求められたが、断ってきたとか。彼は、事あるごとにソーシャル・メディアで極右の反ユダヤ的言動を非難したため、ロシアにとっては貴重な「ナチス」活動情報源だった。戦争が始まった今、ドリンスキー氏は「国外に避難した300万人の中にユダヤ人も大勢含まれます。プーチンのいう<非ナチ化>がもたらしたのは、ユダヤ人コミュニティーの破壊ですよ」と、皮肉る。

かつて日本が経験したように、歴史の書き換えは戦争につながる。
ロシアでプーチンの<歴史>教育を担ったのは国営テレビだった。戦争が始まると国営テレビは、ロシア軍の爆撃で廃墟のようになったマリウポリの映像を映し、「ウクライナ軍は意図的に住宅地区に攻撃をかけた」、「ウクライナ・ナショナリストは撤退に際し、できる限り街を破壊する命令を受けた」などと報道し、「ウクライナのナチス政権によるジェノサイドから、ロシア系住民を救出する特別軍事作戦」という大義名分のプロパガンダを一手に引き受けている。ロシア人の3分の2はニュースを知るのにテレビだけを頼りにしていることもあり、国民の7割以上がプーチンの「特別軍事作戦」を支持しているのだ。
しかしニュースのウソを一番良く知っているのは国営テレビのジャーナリストたち。マリーナ・オフシャニコワさんは、ニュースを読むキャスターの背後に反戦の言葉を書いた紙を掲げ、「彼らはウソをついている」と訴えた。彼女がメッセージを述べ終わるまで画面が切り替わらなかったのは、テレビ局員の大多数が、ウソを放送し続けた後ろめたさを共有し共謀したためだ。
重要なポストにつくスタッフのなかから、少なくとも4人がテレビ局を辞めた。そのひとりジャンナ・アガラコワさんはこう言う。「テレビのプロパガンダによって、第二次大戦の犠牲者へのロシア人の思いが、クレムリンの政治に好都合なものへと歪められてしまいました。ですから、ナチズムが私たちの裏庭に忍び込んできたみたいに言われると、ロシア人は反射的に反応します。恥知らずの芝居、詐欺の手口です。」

驚いたことに、最前線で戦っている軍人さえも、戦争の大義名分がウソだったとは気付かないらしい。ヘルソン(最初に陥落した町)の劇場監督オレクサンドル・クニガさんが、ロシア軍に連行・訊問されたいきさつを『ル・モンド』紙に語っている。秘密警察の将校らしき男が、「なぜデモを組織するのです?」と問う。クニガさんが「自分の意志で出てくるのですよ。誰だって自分の意見を表わす自由がある」と答えると、また「なぜデモを組織する?」とくりかえす。兵士たちは、町を占領すれば住民に「解放者」として迎えられると確信しているので、彼らの目に、ウクライナ人のレジスタンスはナショナリスト(ナチス)によって組織されたまがい物としか映らない。目の前の事態が全く理解できないのだ。
続いて将校は、「なぜ私たちを憎むのですか?」と問う。クニガさんの答えは、「憎しみではない。保育園、劇場、住宅地区が爆撃されてもどうすることも出来ない、無力に対する激しい怒りです」。そのあと二人は芝居について語り合い、夜には釈放されたそうだ。クニガさんはこの日の経験を、ため息まじりに「悲喜劇」と言うが、何の悪意も敵意もないロシア人が、ウソを吹き込まれてウクライナ人を殺さなければならないのは悲しい。

ムソルグスキーのオペラ『ボリス・ゴドノフ』の幕切れ、神の愚者の歌が耳にこびりついて離れない。

やがて、深い闇が覆う
ロシアに不幸が、不幸が
泣け、泣け、ロシアの民よ!

(2022/4/15)