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東京・春・音楽祭 2022 ミュージアム・コンサート 東博でバッハ Vol.55 藤木大地 カウンターテナー |秋元陽平

東京・春・音楽祭 2022 ミュージアム・コンサート 東博でバッハ Vol.55 藤木大地 カウンターテナー
Museum Concert J.S.Bach at TNM vol.55 Daichi Fujiki(Countertenor)

2022年3月30日 東京国立博物館 平成館ラウンジ
2022/3/30 Tokyo National Museum, Heiseikan, Lounge
Reviewed by 秋元陽平(Yohei Akimoto)
Photos by (c) 池上直哉 写真提供:東京・春・音楽祭実行委員会

<演奏>
カウンターテナー:藤木大地
ギター:鈴木大介
ヴァイオリン:岡本誠司

<曲目>        →Foreign Languages
J.S.バッハ:カンタータ《心と口と行いと命もて》BWV147 より コラール「主よ人の望みの喜びよ」
アーン:クロリスに
J.S.バッハ:
 《シェメッリ歌曲集》より 「来たれ、甘き死よ」BWV478
 ミサ曲 ロ短調 BWV232 より 「父の右に座し給う者よ」*
 マニフィカト ニ長調 BWV243 より 「飢えたる者を満ちたらせ」*
 カンタータ《我は満ち足れり》BWV82 より アリア「我は満ち足れり」*
アメリカ民謡:シェナンドー
J.S.バッハ(伝G.H.シュテルツェル):《アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳》 より 「御身が共にあるならば」BWV508
パーセル: グラウンドによる夕べの讃歌
バーンスタイン:ミサ曲 より 賛美歌と詩篇:簡素な歌
ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ 第5番 より 第1楽章 アリア:カンティレーナ
J.S.バッハ:
 《クリスマス・オラトリオ》BWV248 より アリア「備えよ、シオンよ、心からなる愛もて」*
 《マタイ受難曲》BWV244 より アリア「憐れみ給え、わが神よ」*
 《ヨハネ受難曲》BWV245 より アリア「成し遂げられた」*
 ミサ曲 ロ短調 BWV232 より 「アニュス・デイ」*
 カンタータ《我は満ち足れり》BWV82 より アリア「眠りなさい」
 カンタータ《満ち足りた安らぎ、魂の愉しむ悦びよ》BWV170 より アリア「満ち足りた安らぎ」*
*カウンターテナー:藤木大地 ギター:鈴木大介 ヴァイオリン:岡本誠司
(アンコール)
J.S.バッハ:
 アヴェ・マリア
 G線上のアリア

 

その機会の希少さもあって、このコンサートに行くひとは、演奏がはじまるまで「バッハをカウンターテナーで聴いてみよう」とか、あるいは「博物館でバッハを聴くのも一興」であるとか、あるいは「音楽祭の一環」で、「特殊な編成」が楽しみだとか、そういった非日常的な愉しみを期待することができたと思う。そしてその全ての期待は叶えられたのだが、しかし終わってみると、そうした要素の集合を根本的な次元で越える、濃密な音楽体験であったというほかない。それはむしろ端的に「バッハの音楽を聴く」ことを通してあらゆる前提を忘れさせるような真正なるバッハ演奏会であった。まず、鈴木大介によるバッハ編曲は、この世にあまたある装飾、気晴らし、機会音楽的な、「こういうバッハもいいね」と軽口をたたけるバッハの室内楽アレンジメントと異なり、音楽をカンタータやミサの簡素廉潔な骨格へと濃縮還元する、きわめて「ハードコア」なものと感じられた。減衰の早いギターの、間とリズムによって心地よく区切られていく無駄がなく余白を残したカンヴァスに、岡本誠司によるヴァイオリンの単旋律が、しばしばノン・ヴィブラートで、くっきりと朗々と、豊かな線描をのこしていく。二人の音楽の内的な充溢によって、凡百のプレイヤーならば「間が持たない」ところに、強度が生まれる。
プロフェッショナルの謙虚さ、といった編曲にして演奏だ。そのような減算の美のただなかに、藤木大地の声質が、ひとつの暖かい融和の色によって、ゆるやかな核をもたらす。発声の瞬間のアタックが限りなく溶けていくような、あらゆる音の外郭を溶かして音の内実の部分だけが漂うような、すべてがヴォカリーズの母音であるような声。管楽器では例えばクラリネットは「ゼロ発進」が可能な楽器だが、藤木の声はさらになめらかに内と外を、つまり無音と有音を、心とその表出を、繋いでゆく。それは、気がつけば聞こえる声であり、既にわたしたちの内側で響いていたかのような声だ。『クロリスに』の柔らかいフランス語歌唱、「父の右に座し給う者よ」の複雑な対位法、どんな曲の並びにあっても常に微妙な「ずれ」の美学で異彩を放つ作曲家パーセルの自在で奔放な「ハレルヤ」も愉しく、ミサ曲を書いても『キャンディード』に共通するコケットリーが顔を覗かせるバーンスタインにおいてもその柔らかさは発揮されていたが、とくに簡素、濃厚、深い慈しみが一体となったロ短調ミサの「アニュス・デイ」は、原曲編成になぜかまったくひけをとらない迫力、そして藤木の描き出した穏やかな包容力が胸を打つ。
それにしても、選曲、三人のアプローチの方向性、そして藤木のささやくような「来たれ、甘き死よ」といい、いわばバッハの、ブクステフーデの諸作品にも通じる優しいメランコリーの側面を照らし出すように思われた。ちょうど満開を迎えた上野の桜に、暖かな春の驟雨が降りつけるような――この日は本当は晴れていたのだけれど。

(2022/4/15)

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<Performers>
Countertenor:Daichi Fujiki
Guitar:Daisuke Suzuki
Violin:Seiji Okamoto

<Program>
J.S.Bach:Cantata “Herz und Mund und Tat und Leben” BWV147 – Choral ‘Jesus bleibet meine Freude’
Hahn:A Chloris
J.S.Bach:
 ”Schemellis Gesangbuch” – ‘Komm süßer Tod’ BWV478
 Missa in B minor BWV232 – Aria ‘Qui sedes ad dexteram Patris’*
 ”Magnificat” in D major BWV243 – Aria ‘Esurientes implevit bonis’*
 Cantata “Ich habe genug” BWV82 – Aria ‘Ich habe genug’*
Trad. American:Shenandoah
J.S.Bach(attrib. G.H.Stölzel):”Notenbüchlein für Anna Magdalena Bach” – ‘Bist du bei mir’ BWV508
Purcell:An evening hymn on a ground
Bernstein:Mass – Hymn and Psalm ‘A Simple Song’
Villa-Lobos:Bachianas brasileiras No.5 – I. Aria ‘Cantilena’
J.S.Bach:
 ”Weihnachts-Oratorium” BWV248 – Aria ‘Bereite dich, Zion, mit zärtlichen Trieben’*
 ”Matthäus-Passion” BWV244 – Aria ‘Erbarme dich, mein Gott’*
 ”Johannes-Passion” BWV245 – Aria ‘Es ist vollbracht’*
 ”Missa in B minor” BWV232 – ‘Agnus Dei’*
 Cantata “Ich habe genug” BWV82 – Aria ‘Schlummert ein’
 Cantata “Vergnügte Ruh, beliebte Seelenlust” BWV170 – Aria ‘Vergnügte Ruh’*
*Countertenor:Daichi Fujiki, Guitar:Daisuke Suzuki, Violin:Seiji Okamoto
[ Encore ]
J.S. Bach:
 Ave Maria
 Air on G string