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特別寄稿|文化がつくる日越関係:新作オペラ《アニオー姫》プロジェクトに寄せて|加納遥香

文化がつくる日越関係:新作オペラ《アニオー姫》プロジェクトに寄せて

Text by 加納遥香 (Haruka Kanoh)
写真提供:「アニオー姫」実行委員会

>>> ベトナム語 Tiếng Việt

オペラ《アニオー姫》の漆画キーヴィジュアル

2023年、日本とベトナムは外交関係樹立50周年を迎える。それを記念して、両国は現在、新作オペラ《アニオー姫》を制作している。この作品が描くのは17世紀初頭の長崎の商人と広南国(現ベトナム中部)の姫の恋物語で、2023年9月にベトナムの首都ハノイのオペラハウスで初演される予定だ(オペラハウスやベトナムの音楽史概観については「ベトナムの響きに魅せられて」を参照されたい)。

日越交流事業としてオペラが上演されるのは今回が初めてではない。外交関係樹立40周年を記念する2013年に日本オペラの代表作《夕鶴》(團伊玖磨作曲)がハノイで上演され、2015年2月には、横浜みなとみらいホールのパートナーシップ・プロジェクトの一環で、《竹取物語》(沼尻竜典作曲)がハノイで世界初演された(1)。これらの指揮を振ったベトナム国立交響楽団(VNSO)音楽監督兼首席指揮者・本名徹次はベトナムのオペラ作品も指揮しており、今回の《アニオー姫》では総監督を務める。《竹取物語》で庫持王子を演じた大山大輔は、今回日本語の作詞と演出を担当する。このような、いわば「日越オペラ交流史」の延長に位置づけられる《アニオー姫》は、同時に、作品から日越合同で作り上げるという点でこれまでとは一線を画している。

両国を舞台とする本作品は日本語とベトナム語がほぼ半々で歌われる予定であるという。2021年12月末時点で原作および日本語版台本の第一版がほぼ完成し、ベトナム語への直訳も終わっているという。現在はそれに基づいてベトナムの作詞・作曲家ハー・クアン・ミンがベトナム語版の台本を作成中で、完了し次第、日本語版台本に再び手を加える予定とのことだ。作曲を担当するのは、ベトナムの気鋭の作曲家チャン・マィン・フン。彼はこれまで、数々の交響曲や舞台作品の音楽、歌曲を作曲してきたものの、本格的なオペラを手がけるのは今回が初めてである。本人に伺ったところ、原作作成の段階から、作曲に必要な基本事項(曲の長さやイメージ、各幕の構成の仕方など)を原作チームと話し合い、作曲を進めてきたという。部分的に形になっていた音楽が記者会見で紹介されなかったのは残念であるものの、今後が楽しみだ。なお、歌手は日本とベトナム双方からキャスティングされて2022年春以降に発表される予定である。

作品や舞台については続報が待たれるところであるが、以下では、《アニオー姫》プロジェクトを、私なりの視点から—日越関係と文化交流に着目して—解きほぐしてみたい。

 

17世紀初頭の恋物語

江戸時代初期に日本と東南アジア地域との間で朱印船貿易が行われていたことは、私たちも歴史の教科書などで知るところである。オフィシャルウェブサイトによれば、オペラ《アニオー姫》はこの時代の史実をモチーフに、長崎の御朱印貿易商・荒木宗太郎と広南国の王女・玉華姫の恋物語を描いている。オペラのストーリーでは、長崎から広南国に渡った宗太郎と広南国王の娘・玉華姫が出会い(第一幕)、国王に反対されるものの最終的に認められ、二人は広南国で結婚し、長崎に渡る(第二幕)。玉華姫は長崎で「アニオーさん」と呼ばれ(2)、娘・家須も生まれて幸せな日々を送っていたが、日本の鎖国政策により広南国に渡ることができなくなってしまう(第三幕)。宗太郎、続いてアニオー姫は長崎の地でやがて死に至り、家須、奉行、町の人々が、二人の物語を後世に祭りとして語り継ぐことを大合唱で歌い上げる(第四幕)。このエンディングは、「リアルと虚構の狭間」を演出するという。というのも、アニオー姫の輿入れの様子は、17世紀初頭にはじまったとされる長崎の秋季大祭「長崎くんち」の奉納踊の一つ「御朱印船」において、現在でも七年に一度演じられているからだ。さらにこのオペラ自体も、この物語を現在に伝える一つの「祝祭」となるのであろう。

異国の商人と姫の運命的な出会い、国王に認められた結婚、そして鎖国による両国の分断——。ドラマチックに構成された政治も絡む恋物語は、オペラにぴったりに思われる。さらに、よりセンシティブな問題をはらむ近現代から距離を置いた近世の友好関係は、良好な日越関係を祝福するためにうってつけのテーマであり、最後に歌われる「互いの故郷に再び行き来できるその日まで」というメッセージは、本名氏が記者会見の挨拶で想いを込めたように、コロナ禍で日越間の行き来が極度に制限される今現在の人々の希求とも重なりあう。

 

《アニオー姫》に見いだす日越関係

このプロジェクトをめぐっては、作品の内容以外にも、日越関係が様々なかたちで凝縮されている。まず本名氏はプロモーションビデオのインタビューの中で、「後世に残るような名作オペラ」を作るために専門家による歴史考証をもって「物語を確かなもの」にすることを大事にしていると述べており、そこで不可欠なのが学術研究である。本企画では、日本・日越関係研究に取り組んできたベトナムの研究者ファン・ハイ・リン氏、かつて日本人町が形成されていたベトナム中部のホイアンの考古学や都市研究、近世の日越関係研究等に取り組んできた日本人研究者たちが名を連ねる。この背景に、日越間での相互の研究や共同研究、留学や日越大学の設立などの学術・教育における関係の深化と成果の蓄積、それを築いてきた研究者たちの存在があったことは見逃せない。

オペラ《アニオー姫》のキーヴィジュアル—朱印船、そして日本とベトナムの国旗の色を連想させる赤を基調とした鮮やかな絵—は、漆画作家・安藤彩英子が手がけた。彼女は1995年にベトナムに渡って現代漆画技法や伝統漆芸を学び、現在ではホイアンを拠点に研究から創作、教育まで幅広い活動を行っている。日本人作家の手によりベトナムの伝統と現代が融合されて作りだされたこのイメージは、見る人に幻想的な世界を想像させ、オペラ作品の魅力を発信している。

次に、少し視角を変えて本企画のスポンサーを見てみると、エースコック、出光、トヨタ、ダイワハウス、ENEOS、ベカメックス東急、日本製鉄という日系企業がずらりと並んでいる。1990年代以降日本企業はベトナムに次々に進出し、2021年末時点でその数は1,985社に及ぶ(日本貿易振興機構ジェトロ統計)。VNSOの活動をはじめとしたベトナムの芸術事業の協賛・支援に積極的な日系企業もあり、たとえばトヨタやエースコックの現地法人は社会貢献活動の一環としてコンサートを主催し、その収益を文化芸術の保存や教育の援助にあてている。企業が文化芸術への投資にどのような意味を見いだすのかは世界共通で真剣に問われなければならないとはいえ、ある日系企業が《アニオー姫》事業のスポンサーになるという行為の背後には、企業のベトナムへの進出と現地での信頼の獲得、現地の芸術活動への理解と関心といった長期的な活動の蓄積があり、大いに歓迎されるべきであろう。

 

過去・現在・未来をつなぐ文化事業

オペラという大規模な総合芸術のプロジェクトであり、巨額の資金、多様な専門知識・技術、多大な労力・時間を要する《アニオー姫》は、それが記念する外交関係のみならず、多領域において人や組織が日越両国の間で行き来し、交流してきた経験の結晶として上演されることになるだろう。さらに本企画は、新たな交流の場そのものでもある。言語一つをとっても、ベトナム語と日本語の間を何往復、何十往復もしながら進められている。ベトナムの作曲家、作詞家は日本の言葉や音楽について学びながら作詞作曲していくだろうし、今後両国の歌手は、互いの言葉で歌うことになる。一つ一つの異文化接触の実践は、時に融合、時に齟齬を生みだしながら、一つの舞台を作りあげていくことになるだろう。

オペラやコンサートなどのイベント型の交流事業の多くは、その観衆や聴衆にとって、単発で、数時間のみ、非日常的に体験される。しかし以上を踏まえると、その時空間は、長い月日をかけて幅広い分野で紡がれてきた歴史の一つの結節点なのである。その意味で、かつてその規模や豪奢さをもって権力の象徴となったオペラは、この企画において、大規模な舞台を作りあげられるだけの国と国、人と人の間の信頼関係を証明するジャンルとして立ち現れるのかもしれない。

そして公演は、その関係性を観客へ、パブリックな次元へと解き放つ。それは日越の良好な関係を制作関係者や観客がともに確認し、祝福する場になるとともに、より長く、より広範囲での交流と関係構築を促す、新たなスタート地点となるであろう。

 

未来への礎を築くために

最後に、《アニオー姫》プロジェクトを足がかりとし、日越間の「クラシック音楽」界における文化外交のありかたについて私の問題意識を二つ共有したい。まず、日越間の文化交流は、上述したように経済をはじめとする両国の密接な関係に支えられている。とはいえ《アニオー姫》のスポンサーは日系企業に偏り、さらに本名氏によれば、これまでのVNSOの日本ツアーではベトナム企業の協賛を得ることを試みてきたもののまだ実現していないという。日越外交関係樹立45周年記念に実施されたNHK交響楽団のベトナム公演も、NHKとNHK交響楽団の主催、日本の外務省の後援、ANAホールディングスの協賛、すなわち日本側の主導によるものであった。

先述のように、日本からベトナムへの積極的な働きかけ自体は歓迎されるべきことだが、同時にこの現状には、「開発援助」のような性格、つまり「先進国」日本と「途上国」ベトナムという非対称的な国家間関係も見いだせる。オペラ《アニオー姫》が、宗太郎とアニオー姫を「国や身分を越えた対等のパートナー」(オフィシャルサイトより抜粋)の象徴として描きだそうとするのは、この背景を意識してのことかもしれない。急激な経済発展を遂げたベトナムとの関係構築において、今や双方向のベクトルが求められている。実際に実現への兆しもある(3)。飛躍的に成長するベトナム企業が文化芸術に関心を見せ、投資をしているのだ。近い将来、日越両国の政治・経済界がともに文化芸術を支える環境が形成されることに大いに期待する。

二つ目として、私たちは文化イベントを通して、両国の親密な関係を確認し、祝福し、未来につなげるだけでなく、手放しに喜べない数々の過去と現在があることにも目を向ける必要があろう。たとえば、今このときも多くの若者に対する搾取と差別の温床となっている外国人技能実習制度の問題(4)。近年ようやく日の目を見るようになった、戦後の残留日本人とそのご家族の方々の存在(5)。これらは氷山の一角にすぎないが、「良好」な日越関係が生みだす影のなかで沈黙を強いられ、苦しんできた/いる人たちがいて、彼らに耳を傾け、ともに歩み、状況を少しでも良い方向へ変えようと尽力してきた/いる人たちがいる。両国間の友好関係を輝かしく照らしだす祝福の光は、決して今ある影をより暗い影にし、そこにある沈黙にさらなる沈黙を強いてはならない。そうではなく、影の部分に少しでも灯りを届けるもの、忘却ではなく想起を促すものであるべきだろう(6)

どのような方法があるだろうか。本記事でこのように問題提起することが微かな灯になるのではないかという望みを抱きつつ、私自身思案中である(7)。たしかに直接的に問題を解決できるわけではないかもしれないが、光だけでなく影もひっくるめて両国の関係を認められる仕掛けを用意すること、それが日本とベトナムが未来に向かってともに前進する礎を築くために不可欠ではないだろうか。そこに私たちは、文化の力を見いだせるのではないか。

まだはじまったばかりの《アニオー姫》プロジェクトは、日越関係の未来を作りだすための可能性に満ちたプロジェクトだと思う。成功への期待と応援とともに、今後も注視していきたい。

 

【追記】

オペラ《アニオー姫》プロジェクトは2021年12月16日に、オフィシャルサイトのオープン、およびハノイ大劇場の「鏡の間」にて開催された記者会見をもって公表された。記者会見はZoomにより同時配信され、ハノイ以外に住む一部のプロジェクト関係者やメディア関係者がオンラインで参加した。記者会見の全容とプロモーションビデオは、オフィシャルYoutubeチャンネルで公開されている。本稿はこの記者会見を受けて執筆した。執筆にあたり、本名徹次氏、チャン・マィン・フン氏、小松みゆき氏にお話をうかがい、多くの示唆をいただいた。ベトナム語訳は東京大学大学院修了生のグエン・ティ・トゥイ・リン氏に校正いただいた。ここに感謝の意を表する。

在ベトナム日本国大使館特命全権大使 山田滝雄氏

ベトナム文化スポーツ観光省副大臣 ター・クアン・ドン氏

VNSO音楽監督兼首席指揮者 本名徹次氏

VNSO代表 チン・トゥン・リン氏

記者会見会場の様子

関係者たちによるフォトセッション

【註】

  1. 演奏会形式では、2014年1月に横浜みなとみらいホールで上演された。
  2. 一説によれば、玉華姫が宗太郎に「アイン・オーイ anh ơi」(男性に対する呼びかけの一つで、やや年上の男性、夫や恋人に対して用いられる)と呼びかける声を耳にした長崎の人々が、彼女のことを「アニオー」と呼ぶようになったといわれている。
  3. たとえば 2021 年末に、音楽鑑賞の教育やユースオーケストラの運営を行う非営利団体ベトナム・ユース・ミュージック・インスティテュートがベトナム最大の証券会社・VPSと日系総合商社・双日ベトナムのサポートを受けて設立された。
  4. ベトナム政府の「労働力輸出」政策と日本政府の受入政策のもと、多くのベトナム人が外国人技能実習生として日本に渡り、日本の産業を支えている。しかし、日越双方の関係諸機関のはざまで非対称な権力関係に置かれる彼らのなかには、長時間労働や賃金未払い、パワハラ、セクハラなどの人権侵害に苦しむ実習生が多く存在する。背景、実状、問題点については巣内尚子著「ベトナム人女性が直面した債務労働と技能実習制度のひずみ」(2020年5月19日Yahoo! JAPANニュース)に簡潔にまとめられているので参照されたい。
  5. 第二次世界大戦期にベトナムに駐留・駐在した日本兵や一般人のうち、1945年以降もベトナムに残った日本人たちを指す。彼らの多くはフランスとのインドシナ戦争で、ベトナムの独立を目指す「ベトミン」に参加した。なかには現地ベトナム人女性と結婚して子どもをもつ者もいたが、停戦協定が結ばれた1954年に突然帰国を余儀なくされ、その後、家族は引き離されたままであった。彼らの存在については断片的な調査が進められたほか、残留日本兵家族の一部は、2017年に訪越された当時の天皇皇后両陛下に謁見、翌年には「父の国」訪問を果たした。この問題にライフワークとして取り組んできた小松みゆき氏がその成果をまとめた『動きだした時計:ベトナム残留日本兵とその家族』は、2020年にめこんより出版された。
  6. この問題意識は、ヴァルター・ベンヤミンの歴史観(柿木伸之著『ヴァルター・ベンヤミン:闇を歩く批評』2019年、岩波新書を参照)に示唆を受けている。ベンヤミンが提示した、「支配者の『歴史』」が抑圧してきた記憶を救い出すという課題に文化外交事業、特に記念碑的なイベントがどのように向きあうのか、私たちは真摯に考えていかねばならないだろう。
  7. VNSO初のアメリカツアー(2011年)において、ボストンシンフォニーホールでのコンサートにアメリカの退役軍人数名が招待されたことは、一つの参考例となろう。

(2022/1/15)

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加納遥香(Haruka Kanoh)
2021年に一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士後期課程を修了し、博士(社会学)を取得。専門は地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。主な地域はベトナム。修士課程、博士後期課程在籍時にはハノイに滞在し留学、調査研究を実施し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。
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