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評論|戦争の記憶と音楽〜広島交響楽団による2つの演奏を聞いて〜 |能登原由美

戦争の記憶と音楽〜広島交響楽団による2つの演奏を聞いて〜 
War Memory and Music: After two Concerts by the Hiroshima Symphony Orchestra

Text by 能登原由美(Yumi Notohara)
写真提供:広島交響楽団

この秋、広島交響楽団が音楽総監督下野竜也のもと、上演機会の少ない楽曲を相次いで取り上げた。いずれも戦後、日本人によって作られたオーケストラ作品、すわなち、伊福部昭による〈アリオーソ〉と、三善晃による「交響四部作」である。前者については、《ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲》(以下、《協奏曲》と略記)の第2楽章として完成をみるものの、1948年の初演後にこの楽章だけが撤回され、お蔵入りになっていたもの。だがその後、原爆や戦争を題材にした映画音楽に使用されることで、幾度となく我々の前に姿を現してきた。一方、後者については、戦後50周年となる1995年から毎年1作ずつ作曲されたもので、それぞれに戦争やその犠牲者への思いが込められている。順に、《夏の散乱》、《谺つり星》(チェロ協奏曲第2番)、《霧の果実》、《焉歌・波摘み》の4曲からなる。 

 これらの作品については、創作時期に半世紀の隔たりがある上、作り手の経歴も音楽的背景も全く異なるために同じ土壌で語るのはあまり意味をなさない。とはいえ、いずれも「戦争」という普遍的テーマと何らかの関連性をもつ一方、そこに作者自身の体験からくる「トラウマ」的要素を見いだせる点では共通する。言うなれば、「戦争と個人」という2つの側面がせめぎ合うものだ。その相反する両軸は、これらの作品ではどのように折り合いを見せているのか。あるいは、個人が抱えたその「戦争の記憶」は音楽の中でどのように表されてきたのか。筆者は双方の演奏会に足を運ぶことができたため、今後の議論の端緒とするべく本稿で考えてみたい。 

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〈アリオーソ〉については、10月3日に広島県三原市の芸術文化センターポポロにおいて、伊福部昭をテーマにした公演「下野竜也×広響の日本音楽奇譚」の中で取り上げられた。伊福部といえば、言わずと知れた本邦映画音楽界の巨匠だが、近年はいわゆる「純音楽」を含めた創作活動全般についての再評価が活発に行なわれている。そのうち、オーケストラ作品に焦点が置かれた本公演では、〈アリオーソ〉の63年ぶりの蘇演が注目された。そのほかの演奏曲目は、《交響譚詩》、《シンフォニア・タプカーラ》。さらに、〈アリオーソ〉削除後の《協奏曲》を改名・改訂した《ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲》(以下、《狂詩曲》と略記)。なお、本公演全体については、齋藤俊夫による評論「伊福部昭―独り立てる蒼鷺―7.間奏曲~『アリオーソ』に導かれて」の中で紹介されているため、そちらを参照されたい。 

この〈アリオーソ〉の旋律については、伊福部が音楽を担当した映画、『ひろしま』、『ゴジラ』および『ビルマの竪琴』で使用されるとともに、《オホーツクの海》という声楽作品でも用いられている。その点については、同館館長で、この演奏会を企画しナビゲーターも務めた片山杜秀による解説で明らかにされている。また、先の齋藤論考でも詳述されているため、これ以上は触れない。ただし、筆者はこの楽曲の旋律が、『ひろしま』と『ゴジラ』の中で使用されていることを事前に聞いていたため、これら2つの映画を視聴して公演に臨んだことを付記しておく。 

 まずは『ひろしま』について。1953年に製作されたこの映画は、原爆投下後の街の様子を再現することで知られるが、同時に、社会が復興へと進む中で、放射能による後遺症のみならず心や身体に受けた傷を癒せないまま取り残されている人々にも焦点を当てている。そればかりか、孤児になった青年の勤務先の工場が鉄砲の弾を作り始めていることを知り、「また戦争が始まるのではないか」と不安に駆られた人々が立ち上がる様子をも描く。そこには「反戦」の強い意思表示を読み取ることができるだろう。この中で〈アリオーソ〉は、冒頭に映し出されるキャスティング・テロップを支えるとともに、惨状を映し出す長大な場面で延々と流される。さらに、群衆(その中には原爆で亡くなった人々の亡霊の姿も含まれる)が原爆ドームへ向かって行進していくラスト・シーンでも使用されるなど、まさにこの「反戦」映画の「テーマ音楽」となっている。 

翌1954年に公開された映画『ゴジラ』は言うまでもなく、作曲家、伊福部昭の名を後世にまで伝えることになった大ヒット作。なかでも圧倒的に有名なのが、アクセントを効かせた下降音型の反復モチーフからなる「メイン・テーマ」だ。それに比べ、〈アリオーソ〉の旋律は、上下動が少なく複数の長音から構成され、起伏があまりない。こうした2つの旋律の対照性は、使用される場面の違いにも如実に現れている。つまり、メイン・テーマについては、ゴジラ退治のために自衛隊が出動し、攻撃する場面で使用される一方、〈アリオーソ〉はその襲来により被害を受けた東京の街や負傷した人々が映し出されるシーンで使われる。言うなれば、かたや戦闘、かたや荒廃した戦地の描写に用いられたと言って良い。 

ただし、ラストの「死闘」、すなわち特殊な薬剤を開発した芹沢博士が海に潜る場面では、メイン・テーマではなく〈アリオーソ〉が使われている。その結果、人々にとって歓喜に満ちるはずのゴジラの最期はむしろ哀切に包まれるものとなった。もっとも、ここは荒れ狂う怪獣を倒すために自ら犠牲となった芹沢の死をも描いた場面。だが、その物悲しく陰鬱なメロディーは、明らかにゴジラの死への悲涙であったと言えよう。というのも、この巨大生物もまた「悪」の犠牲者であったのだ。 

すなわち、この映画は怪獣との戦いというよりもむしろ、広島や長崎を焦土とせしめた「原爆との戦い」であったとみなすことができる。そもそも、映画の着想は、その年の3月に発生した「第5福竜丸事件」(日本のマグロ漁船がアメリカの水爆実験で大量の放射能を浴び、乗組員の一人が亡くなった事件)にあったと言われる。実際、ゴジラが核実験により太古の眠りから呼び覚まされた上、放射能を浴びていることは、劇中でも語られるところだ。さらに、ゴジラに蹂躙された街の様子は、被爆により焼け野原となった『ひろしま』の一場面にも重ねられる。荒廃した街も、海の藻屑と消えていくゴジラも、いずれも戦争や核による犠牲者であったと言えるが、彼らの死を悼む音楽がこの〈アリオーソ〉の旋律であった。 

 いずれにせよ、片山によれば《協奏曲》は初演後、一部に批判的な声が上がり、伊福部をして第2楽章〈アリオーソ〉の削除など大幅な改訂へと駆り立てた。その結果、〈アリオーソ〉は、『ひろしま』や『ゴジラ』で使用されることで「広島の悲劇の音楽となる」とともに、映画『ビルマの竪琴』などにも用いられ、「戦争や放射能と結びつけて使われる」ことになったという。さらに片山も指摘するように、戦時中に軍事研究に従事していた兄を放射線障害で亡くし、自らも実験中に浴びた放射線により病に臥せった経験をもつ伊福部の、放射能への憤りも反映されているであろう。 

 とはいえ、作曲家個人の感情にとどまっているだけでは広く受け入れられることはない。幸い、今回の演奏会では〈アリオーソ〉とともに残る2つの楽章を元にした《狂詩曲》も聴くことができた。その結果見えてきたのは、〈アリオーソ〉の普遍的性質である。すなわち、《狂詩曲》においては、北海道で育った伊福部のその成長過程に大きな影響を与えたアイヌやロシアの民謡、舞曲の色合いが、旋律やリズム、拍子などに何度も見え隠れしていた(ただし、齋藤によれば、初演後にかなりの改変が施されているとのこと)。それに比べると、〈アリオーソ〉にはそうした要素が薄い。片山が言うように、確かにその悲哀を帯びたメロディは「泣き節」と言って良いが、それが果たしてこの作曲家特有のものと言えるのかどうか。むしろ、抑揚や長短の変化が少ないあたりは、西洋の聖歌旋律に近いようにも感じられた。裏を返せば、〈アリオーソ〉は日本的、民俗的性質というよりむしろよりグローバルな性質をもつものであり、だからこそ映画音楽として幾度も再利用が可能になったと言えまいか。しかもそれが、戦争や核という、人類全体に関わる問題を扱った映画であったことは見逃せない。広く人々の共感を必要とする作品だからこそ、個人や地域を超えた要素の備わる音楽として、この楽曲が選ばれていったのではないだろうか。  

なお、《協奏曲》の中でその旋律は、冒頭から独奏ヴァイオリンによって奏でられる。本公演でソロを務めた豊嶋泰嗣は、「泣き」のコブシを入れることなく淡々とした音の運びを選んだ。その結果、余計な先入観にとらわれることなく、筆者の耳にもすっと入ってきた。ただしその分、心深くまで捉えられることもなかったのだけれども。 

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三善晃の「交響4部作」については、11月5日に広島文化学園HBGホールで行われた広島交響楽団第416回定期演奏会のメイン演目として取り上げられた。すでに触れたように、これら4作がまとめて演奏される機会はあまりなく、広島ではこれが初演となった。なお、本公演では前半にジェラルド・フィンジの《弦楽のための前奏曲ヘ短調》、ショパンの《ピアノ協奏曲第2番ヘ短調》(ピアノ:横山幸雄)が演奏されたが、ここでは割愛する。 

三善の場合も伊福部同様、戦争を題材にした創作活動の根底には過去の体験が少なからず反映している。とりわけ、戦時中、隣にいた友人が機銃掃射に撃たれ死んでしまった出来事については、少年の心に深く刻みこまれたようだ。生者と死者を隔てる不可解さ、生き残ったことへの負い目。傷はトラウマとなって、作曲家の創作活動にも深い影を落としたのである。こうして三善は、先に逝った友をはじめ、無数の戦死者たちの姿を音楽の中に追い求め、その声に耳を傾けようとした。1990年代半ばに書かれたこれら4連作においても、音の狭間に無数の死者の声が蠢くのを聴くことができる。 

とはいえ、時の経過が客観的、俯瞰的な眼差しをもたらしたとも言えるだろう。終戦から僅か3年で書かれた先の〈アリオーソ〉とは異なり、この「交響4部作」はすでに戦後50年の長い年月を経ている。その間、《王孫不帰》(1971)や《オデコのこいつ》(1971)など戦争の悲惨を謳った合唱曲、あるいは《レクイエム》(1972)、《詩篇》(1979)、《響紋》(1984)のいわゆる「戦争3部作」も書き上げ、少年の脳裏に焼き付いた不条理は幾度となく音として捨象されてきた。もちろん、それでも消えない記憶は確かにある。だが、例えば《夏の散乱》では原爆投下の日付に基づく音列を構造の要にし、あるいは児童を乗せた疎開船対馬丸の撃沈事件を扱う《焉歌・波摘み》では子守唄のフレーズを借用するなど、裡に抱える思いはもはや音として様式化され象徴化されている。題材との間に時間的、心理的距離が生じていることは間違いないのだ。 

 一方で、《谺つり星》や《霧の果実》には、今なおトラウマに苦しむ三善の姿も感じられる。つまり前者では、独奏チェロを中心にした執拗な同音反復、あるいは一点へと求心していく旋律構造。後者においては、音列の連鎖により築き上げられた響きの波が激しく打ち寄せるテクスチュア。いずれも、音楽が進むにつれ徐々に蓄積されていったエネルギーは、極点を超えた途端にあえなく崩れ去り、瓦解していく。それは、闇に漂う死者の声―それは何よりも三善自身の声である―に抗い、そこから逃れ出ようと足掻く作曲家の姿にほかならない。  

演奏会では、後半の冒頭で下野が独り舞台に登場し、これから演奏する楽曲について自らの心持ちなどを静かに語り始めた。つまり、この演目、とりわけ原爆投下をテーマにした第1曲《夏の散乱》については、「目を逸らさない音楽」として監督就任前からその上演を決めていたこと、「Music & Peace」を掲げる広響が上演する意義の大きいこと、さらに任期の最後(ただし、当時はすでに契約延長が発表済み)でそれがようやく実現できることなどである。その上で、それぞれの曲について、時にはピアノで音を出しながらその概要を紹介していった。ひとつひとつ言葉を選びながら丁寧に説明していくその姿には強い責任も感じられ、真摯な姿勢に頭が下がる思いがした。このように、特定の楽曲だけを取り上げ、演奏直前に話す例はあまりないことを見ても、あるいは、「独りよがりかもしれないが」、「すみません」と謙遜する言葉の端々からも、彼の個人的想いが強く反映された選曲であることは明らかだった。  

では、実際の演奏はどうであったのか。下野は職人のごとく楽譜を忠実に起こしていくタイプ。言ってみれば、「私情を挟まずに」演奏するのを常とするが、その冷静な指揮ぶりは、民族的、土俗的活力に満ちた伊福部よりも、徹底した西洋の作曲技法に基づき理知的に統御された三善作品の方に適していると言えるだろう。だが、舞台上で発した言葉の端々に滲み出る「個人的想い」ゆえに、下野はこれらの作品ではいつにも増して私的感情の入り込む余地を作らないようにしていたように思える。その結果、晩年にしてなお記憶の軛に繋がれた作曲家の葛藤までは、十分に表現しきれなかったように感じられた。 

そうした中で印象的だったのは、《谺つり星》で独奏した伊東裕だ。この気鋭の若手チェリストは、冒頭のソロ旋律はあまり歌いすぎずに淡々とやりこなし、その後突如として現れる3点Eの高音の反復で一挙に声をあげた。その叫びは管楽器の叫喚をも導き、ひいてはオーケストラ全体へと谺していった。下野は本作における独奏チェロとオーケストラとの関係性について、「召集された若者と戦争をもたらした大人たち」と説明したが、その構図は見事に現れていた。つまり、伊東の激しい咆哮は、背後から迫る管弦楽の音の渦に虚しい抵抗を見せつつも飲み込まれていき、やがて力尽きていったのである。

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以上、ここでは2つの演奏会を通して、戦争の記憶が音の中にどのように表出され、さらにそれらがどのように具現化、つまり演奏されたのかについて述べてみた。本稿で触れた伊福部、三善のいずれの作品も、作曲家の戦時中の体験が創作の根底にあることは明らかであったが、同時に、そこには両者の身体に刻まれたトラウマの痕跡と思しきものが垣間見えた。つまり伊福部の場合は、戦争映画における〈アリオーソ〉の度重なる使用において、三善の場合は、「交響4部作」、なかでも《谺つり星》や《霧の果実》の楽曲スタイルにおいてである。  

ただし、その演奏については、作者と同じ心情で迫ることができないことを露呈したと言える。終戦からすでに75年を過ぎていることを考えれば当然であろう。とはいえ、戦争や暴力が相変わらず絶えない世界を生きる我々にとって、これらの音楽は一個人による「遠い記憶」というわけでは全くない。伊福部や三善が抱えたような「消せない記憶」をいつどこで抱えることになるのかわからないのだ。だからこそ、たとえこのように上演機会の少ない作品であっても、単に歴史的資料としてではなく、生きた音楽として全身全霊で対峙する必要がある。その点において、下野と広響の取り組みは高く評価して良いだろう。何よりも、演奏会に取り上げられなければ、これらの作品や作曲家に迫る手段は、楽譜と録音(が仮にあったとしても)による僅かな音源のみになるのだから。よって、まずは、これらの演奏会を企画し実現させた関係者に賛辞を贈りたい。その上で、筆者を含めそれを聴いた者は、作曲家や演奏家が発信したものを真摯に受け止め、咀嚼していく必要があると改めて感じている。

 

(参考文献)

  • 丘山万里子「命の連鎖」三善晃:交響四部作の解説, 堤剛(チェロ), 秋山和慶指揮東京交響楽団, 大阪フィルハーモニー交響楽団, 日本伝統文化振興財団:VZCC-1021~2, CD. 
  • 片山杜秀「伊福部昭伝—-氏と育ちと栄光と—-」・「続・伊福部昭伝—-被曝とヴァイオリン協奏曲と広島と—-」,「下野竜也×広響の日本音楽奇譚 北の大地の詩篇〜「伊福部昭」の段」(三原市芸術文化センターポポロ, 広島, 2021年10月3日午後3時開演)配布プログラム 
  • 小林淳『伊福部昭 日本楽壇とゴジラ音楽の巨匠』(yamaha music media、2017年)
  • 齋藤俊夫「伊福部昭―独り立てる蒼鷺―7.間奏曲~『アリオーソ』に導かれて」『Mercure des Arts』2021年11月15日号 
  • 三善晃『遠方より無へ』(白水社、1979年) 
  • 三善晃・丘山万里子『波のあわいに 見えないものをめぐる対話』(春秋社、2006年) 

(2021/12/15)