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評論|伊福部昭―独り立てる蒼鷺―7.間奏曲~『アリオーソ』に導かれて|齋藤俊夫

7.間奏曲~『アリオーソ』に導かれて
7.Interlude~Invited by “Arioso”

Text & Photos by 齋藤俊夫(Toshio Saito)

三原駅前にて、特産の蛸がお出迎え

10月3日日曜日、筆者は朝7時17分品川発のぞみ9号に乗車した。10時39分福山着。ここで山陽本線に乗り換え、目的地・三原市に11時24分到着。関東平野から出ることまれな筆者が広島県に来たのは男子高校の修学旅行以来のことである。
そんな出不精な筆者が何故三原市にまで来たのか?最大の目的は伊福部昭の音楽史上〈まぼろし〉の作品とされていた、1948年作曲『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲・第2楽章:アリオーソ』の蘇演を生で聴くことである。

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『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲』が何故〈まぼろし〉の作品であったのかを説明しよう。
まず、この協奏曲は1948年初稿、1951年第2稿、1959年第3稿、1971年最終稿と作曲者によって20年以上かけて3回も改訂され、タイトルも1948年『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲』、1951年『ヴァイオリンと管絃楽のための狂詩曲』、1959年『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲』と転々と変わっていった。1971年は1959年と同名だが。
1948年初稿から1951年第2稿に改訂された際の大きな相違点は、初稿では全3楽章形式であったのが、第2稿では初稿から第2楽章が全てカットされ、全2楽章形式となったことであり、このカットされた第2楽章:アリオーソこそが〈まぼろし〉の伊福部作品、もしかすると1948年6月22日の初演以来再演されてもいないのではないか、と伊福部ファン・研究者の注目を集めていたのである。

今回の演奏会に当たって筆者も明治学院大学付属日本近代音楽館にて調査研究を独自に進めたところ、1948年初稿と1971年最終稿の相違点はただ楽章がカットされただけではないことが判明した。
参考とした1948年初稿総譜はその後の改訂のために多種の色鉛筆などで書き込み、さらに鉛筆で書かれた部分の消しゴムでの消去、何を意味するのか解読するのが難しい部分などが混在し、1948年初稿を全3楽章蘇演するのはほぼ不可能、可能だとしても相当な音楽文献学的研究が必要と考えられる。
わかる範囲で筆者が楽譜を読んだところ、第1楽章には本作を語る際に何かと引き合いに出される〈ゴジラのモチーフ〉が存在せず、楽章を構成するフレーズは最終稿と共通のものが多いものの構成などは大きく異なることが判明した。さらに第3楽章は最終稿とは全く異なる作品と言えるほどモチーフ、構成などに共通点がない。
しかも、先述の通り書き込みや消去が多層にわたって行われているため、この1948年初稿総譜上の記述の全てを1948年、1951年、1959年、1971年のどの時点で書かれたかを判別するのは不可能に近い。
だが、1948年稿第2楽章は全カットされたのが幸いしてか、その後の書き込みと考えられる記述が総譜上にほぼないのである。今回の演奏会で第2楽章だけが蘇演された理由はここにもあるだろう。

この『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲・第2楽章:アリオーソ』(以下、アリオーソと略称)の旋律を抜粋して検討した所、大きな発見があった。その旋律は映画「ひろしま」(関川秀雄監督作、1953年)、映画「ゴジラ」(本多猪四郎監督作、1954年)、映画「ビルマの竪琴」(市川崑監督作、1956年)、『合唱頌詩”オホーツクの海”』(1958年)1)で用いられたものだったのである。

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三原市芸術文化センターポポロ外観(写真提供:三原市芸術文化センターポポロ)

これらの作品について語るより、まず三原市芸術文化センター・ポポロでの「片山杜秀プロデュース 下野竜也x広響の日本音楽奇譚 北の大地の詩篇~「伊福部昭」の段」について記述しよう。

『交響譚詩』、速い所はテキパキと、ゆっくりとおおらかに「伊福部節」=「北の(演)歌」を歌うところはグッとタメを効かせた演奏。ただ、個人々々の技が連環して作り出される音楽の全体像の焦点が絞りきれておらず、荒い印象を受けた。
『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲』は、大変な難曲(録音が複数あるが、完全に演奏されたと思えるのは山根一仁・井上道義・東京交響楽団のみ)であることを再確認する結果となった。ソリスト・豊嶋泰嗣は「伊福部節」を堂々と歌えているが、しかし音程の正確さに欠ける感は否めない。オーケストラもリズムの縦の線が揃っているとは言えず、第1楽章は力技で抑え込んで終えたように聴こえた。だが第2楽章、豊嶋の〈伊福部節〉=〈北の(演)歌〉を、まさに楽器で〈歌う〉のが、正確さなどとは違う「伊福部音楽」をこちらの心に伝え、心を震わせる。終曲後の鳴り止まない拍手の中に筆者もいた。

そして『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲・第2楽章:アリオーソ』である。正直に言って泣きそうになった。悲しく、かつ厳しく、こちらの人間的良心、倫理を問いかけてくるような……。片山杜秀はプログラムノートで伊福部自身が「泣き節」と呼んだと書いており、別書で本作の「初演には辛口の批評が浴びせられた。槍玉に挙がったのは泣き節に満ちた第2楽章(略)戦後の喜びを忘れた嘆きの歌を延々と聴かされるとは!」2)と書き記しているが、ただ美しいだけでなく、その倫理的な美しさと厳しさに打たれるあまり泣きたくなるような、本作に匹敵する音がこの世に幾つもあるだろうか?ソリストの音の土と血の匂い、夜のしじまを感じさせるオーケストラ。このような名曲が70年以上も埋もれていたというのか?オーボエが静寂の中に消えていく終曲の後の張り詰めた、だが自然な沈黙(筆者はここで涙をこらえるのに必死だった)、そして盛大な拍手。本物の音楽と演奏だけが持つ聖性がまさに示現したと言えよう。

プログラム前半はオーケストラの言わば関節が硬い感を抱いたのだが、『アリオーソ』で伊福部が天から広響・下野に降りてきたのか、『シンフォニア・タプカーラ』は実に雄大で、室内楽的なアンサンブル、木管のソロなども完璧。完璧な音楽に言うべき言葉はない、というか、もう筆者は手帳にあれこれ書くこともできず、自分と伊福部昭との出会いの音楽であるこの作品にまた初めて出会ったかのような気持ちで謹聴し、最後の爆発的フィナーレを最大級の歓喜をもって迎えた。

興奮冷めやらず、と言った風情で三原駅にシャトルバスで戻り、今回の旅の最大の目的は想定以上の感動と共に達成できた。

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では論をまた『アリオーソ』に戻そう。

『アリオーソ』が用いられた映画、「ひろしま」は広島に原爆が落とされた惨状をリアリスティックに描写した戦争・原爆映画の傑作。「ゴジラ」は水爆実験によって怪獣が生まれ東京を蹂躙する映画。この2作は「原爆映画」とまとめることができよう。
「ビルマの竪琴」は日本人兵士の亡骸を埋葬するために敗戦後、兵士の1人がビルマに僧として残るという物語。これも〈反戦映画〉として先述の2作とつながるものがある。
『合唱頌詩”オホーツクの海”』は更科源蔵の詩「怒るオホーツク」3)を歌詞とした、アイヌ民族への和人の非道に対する怒りの歌。

更にそれぞれの作品でどのようにアリオーソの旋律が使われるかズームインしてみよう。

「ひろしま」では1945年8月6日、広島市に原爆が落とされ、閃光と爆風の後、火を上げる廃墟で人々が変わり果てた姿となってさまよい苦しむシーン約20分に渡ってアリオーソの旋律を元にした旋律が流れ続ける。また、1時間20分頃からの「広島平和祭」のシーンでもアリオーソの旋律が流れる。そして数万人の人々とおそらく原爆での死者たちの亡霊(二重露光による)が毅然として原爆ドームに向かって歩いていく最終シーンでもアリオーソが使われる。
「ゴジラ」ではゴジラに蹂躙された後の東京を映し出す1時間9分頃、アリオーソが流れ始める。さらに1時間21分頃、ラジオから流れる「やすらぎよ ひかりよ とくかえれかし いのちこめて いのるわれらの このひとふしの あわれにめでて やすらぎよ ひかりよ とくかえれかし」4)という女学生たちの合唱がアリオーソの旋律である。1時間28分頃、ゴジラを殺せしめる唯一の兵器「オキシジェン・デストロイヤー」を手に尾形(宝田明)と芹沢博士(平田昭彦)がゴジラの眠る海に潜るシーンからアリオーソの旋律が流れ始め、何回かゴジラが苦悶するシーンで途切れるが、最終シーンまでこの旋律は流れ続ける。
「ビルマの竪琴」ではタイトル部分のテーマ曲がアリオーソに由来する。劇中でアリオーソが使われるのは開始45分頃の「お婆さん」が水島上等兵(安井昌二)の死を報告するシーン、56分頃、僧形の水島上等兵がビルマの地の日本兵の死体を墓に埋葬した後、死体の山を見つけて走り去る一連のシーン、1時間30分頃、水島上等兵が部隊の去るのを隠れて見送るシーン、終劇10分前頃、日本兵がビルマを去るシーン、そして上官(三國連太郎)が水島の手紙を朗読するシーンから最終シーンまで(音楽がないシーンが少し挟まれる)である。
『オホーツクの海』は「暗澹たる空の叫びか 滅亡の民が悲しい喚声の余韻か オホーツクの風」「モシリバ5)の巨鳥(おおとり)は」(今もなお羽搏くのだ)「民族とは何だ種族とはと 逆立つ牙は恥ずべき不徳の足跡を削ろうとするのか 非道の歴史を洗い拭おうとするのか」6)と、鬱勃たる怒りの感情を内包してゆっくりと雄大なスケールで歌われるその旋律がアリオーソに由来する。

「ひろしま」「ゴジラ」「ビルマの竪琴」『オホーツクの海』での『アリオーソ』の旋律は悲しき「祈り」「鎮魂」と同時に、人間の為した所業への「怒り」を静かに、それゆえに心に深く染み透らせる。その美しさによって人間の感性と倫理を目覚めさせる。
これらの映画と純音楽作品が作られた頃には原爆の非道性も、アイヌと和人の問題も広く知られてはいなかったという。……いや、今でも知られているとは言い難いのかもしれない……。伊福部がこれらの題材に着手したのは当時極めてポリティカルな行動だったと言えよう。動かぬ人・伊福部が動いたのは倫理的・政治的動機によるものであった。

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三原市芸術文化センター・ポポロでの演奏会の後、筆者は三原市で1泊し、次の日、広島市へと山陽本線で向かった。

広島の原爆ドーム

広島市へ向かったのは、『アリオーソ』が使われた映画「ひろしま」の舞台である広島市の平和祈念公園で少しなりとも原爆とはどういうものか改めて感じ、知りたかったからである。
原爆ドーム付近で活動している独立系語り部のM氏に実に約2時間の講義を受けた後、高校時代から約24年ぶりに原爆資料館を見学した。
原爆を体験したこともない筆者には何も言う権利はないのかもしれないが、24年前の、ひりつくような、〈歴史〉〈物語〉を拒絶する素っ気なくも生々しい展示(同級生の中には本当に涙を浮かべていた者もいた、気がする)を捨て、照明、CG、デジタル技術などを使ってスタイリッシュにアレンジされた物語的な展示7)は、先の語り部のM氏の熱気のこもった講義とは全く異なり、展示物を通じて亡くなった被爆者が言葉にならない言葉で語りかけ迫ってくることはなかった。むしろこの清潔すぎる展示会場で、被爆という体験や戦争に無頓着な〈平和〉を謳歌する我々現代日本人に受け入れやすい〈物語〉へと、〈原爆〉が回収されてしまうのではないかという疑問を感じた。

『アリオーソ』に導かれた今回の旅は、〈平和〉という〈物語〉によってかつて広島が被った〈惨劇〉を忘却させ今日の〈戦前〉的様相をもまた隠蔽している、この国で我々を取り巻く〈権力的空気〉を感じて、いささかの苦さを伴って終わった。帰りの新幹線の中、筆者の心の中の『アリオーソ』の旋律は、美しく、哀しく、厳しく、〈忘却〉と〈虚偽〉という〈慰撫〉を戒めるように響き続けていた。

伊福部昭―独り立てる蒼鷺(1)~(6)
(動画)伊福部昭:合唱頌詩「オホーツクの海」

1.筆者所蔵の『音楽芸術』1960年5月号付録の総譜では『合唱頌詩”オホーツク”』とあり、現在手に入る『合唱頌詩”オホーツクの海”』の録音(1984年2月21日、手塚幸紀指揮、東京交響楽団、(合唱)東京音楽大学、東京家政大学フラウエンコール、共立女子大学合唱団、明治大学グリークラブ、キングレコード、KICC91210、『伊福部昭の芸術 20周年記念BOX』ボーナスCD、2015年)と1960年の総譜では異同がある。
2.片山杜秀「夏裘冬扇」『週刊新潮』2021年9月30日号。
3.初出は更科源蔵『凍原の歌』フタバ書院成光館、1943年、67-69ページ。伊福部が更科の原詩を歌曲にするに当たってテクストが書き換えられた箇所がある。
4.歌詞は小林淳『ゴジラ映画音楽ヒストリア』アルファベータブックス、2016年、34ページ、より引用。
5.モシリバとは世界の果てを意味するアイヌ語。
6.アリオーソの旋律が用いられている所は「」で、アリオーソの旋律が使われていない所は()でくくった。
7.度々展示は変更されたが、直近では2019年に丹青社という会社が展示室を設計しリニューアルした。

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片山杜秀プロデュース 下野竜也x広響の日本音楽奇譚 北の大地の詩篇~「伊福部昭」の段

2021年10月3日 三原市芸術文化センター ポポロ

<演奏・出演>
指揮:下野竜也
ヴァイオリン:豊嶋泰嗣(*)
広島交響楽団
ナビゲーター:片山杜秀
<作品>
(全て伊福部昭作曲)
『交響譚詩』(1943)
『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲』(1948/1951/1959/1971)(*)
休憩
『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲』から第2楽章『アリオーソ』(1948)(*)
『シンフォニア・タプカーラ』(1954/1979)

(2021/10/15)