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9月の3つ目の日記|言水ヘリオ

9月の3つ目の日記

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)

 

2021年9月9日(木)
地下鉄の馬喰横山駅で降りて、付近のギャラリーをいくつかめぐっている。いろんなところに出かけるということにおっくうになっていて、この辺にギャラリーが多くあることを知ってはいながらあまり来ることがなかった。
kanzan galleryで「藤倉翼 NEON-SIGN8」を見る。直角二等辺三角形、だろうか、そうかと思われる、大きくて厚みのある木枠に写真がおさまっている作品。白い台に乗った状態で、長辺を下にして床に置かれている。写っているのは、ネオンサインの局所であるようだ。写真上のネオン管の直線と木枠とが、角度を測って撮影したように整然と関係している。付近に展示されている青と白の同じシリーズに目をやったり戻したりしているうち、淡々としたリズムの波を感じて催眠状態に入るような気がした。近くで目をこらすと、管を支える金具など、ネオン管の奥がどうなっているのかということも写っている。スペース内の別の領域には、ほぼ正方形かと思われる比率の「南部美人」という酒のネオンサインの写真。そしてその右側の壁には、そのネオンサインを模した、写真と同サイズのネオンサインが光っている。写っている実物と比べると、やや簡略化されており、細かな文字などは直線のネオン管で表現されている。また、写真で光っていないネオン管は、光らないネオン管として再現されている。そのネオンサインは、微細というにはもうすこしだけ強い音を発しながら光っている。見ていると、いつだったか、かつて、飽きずにこういうものを眺め続けていたなあと思う。

 

 

藤倉翼 NEON-SIGN8
kanzan gallery
2021年8月28日〜9月19日
http://www.kanzan-g.jp/tsubasa_fujikura.html
●藤倉翼「NEON-SIGN8」kanzan gallery

 

 

9月10日(金)
朝早く、胃の内視鏡検査を受ける。管を鼻から入れるやり方であったがそこそこつらい。医院でしばらく休憩した後、出歩いてもかまわないことを医師に確認し、電車で稲毛へ。途中、神社の松林がいいと聞いていたのに通り過ぎてしまった。
稲毛も含む数か所の会場で、「千の葉の芸術祭 CHIBA FOTO」という催しが開催中。この地では、2軒の歴史ある建物内に写真作品が展示されている。最後に見た、旧神谷伝兵衛稲毛別荘2階での「横湯久美 時間 家の中で 家の外で」では、そこから立ち去りがたい気持ちが湧き、部屋の、入り組んだ壁沿いに、往き来を繰り返した。展示されていたのは、祖母の臨終を目の当たりにした作者の、自身の行動を記録した写真、など。その行動にはたとえば、治癒のために自身の足の裏を祖母の足の裏に当てているとか、いちごを潰して祖母の顔に塗りデスマスクを取るという幼い頃の祖母との約束を果たす、ということが含まれている。「奇行ともいえるようなもの」と作者は述べている。祖母のいたベッドで骨壷を抱く写真などは自分でタイマーを設定し撮影しているわけで、悲しみのさなかの自らの姿を、写す対象としている。作者の祖母にたいする悲しみは、わたしには届かないところにある。想像することも、置き換えて考えることもできない。それでもこれら作品になにか感じているらしい。それはどうしてなのか問いながら、見えているものを自分に焼き付けるように目を開いていた。次の人が訪れたのをきっかけに会場を出る。

 

 

千の葉の芸術祭 CHIBA FOTO 横湯久美 時間 家の中で 家の外で
旧神谷伝兵衛稲毛別荘2階
2021年8月21日〜9月12日
https://sennoha-art-fes.jp/chibafoto/
https://sennoha-art-fes.jp/chibafoto/artists/kumi_yokoyu
http://www.kumiyokoyu.com
●シリーズ「その時のしるし There Once Was」から、「からっぽを抱く」(2013年、ダイレクトプリント、635mm×880mm)

 

 

同日
京成稲毛から簡単な乗り換えで宝町へ行けることがわかる。宝町で降りればそこは京橋、隣の区域が銀座である。夜まで展示をいくつか見る。藍画廊での「康世展 カプセル(お話ししましょう)」という展示で立ち止まる。新品ではないと思われる数多くの洋服が大きな塊になって3つ床に置かれている。縫い合わせられている箇所も、接着剤かなにかでとめてある箇所もあるように見える。やがて、塊の内側に太い管のようなものが通っているのがところどころ透けているのに気づく。服の色は各種。赤っぽいのが多いかもしれない。作品からは身体を感じるとともに、忘れられない過去が印された痕跡を見ている気持ちになる。会場にいた作者に話しかけてみる。太い管は「ダクト」とのこと。服はすべて自分のもの。洋服がとても好きだが、流行は追わない。かつて着ていた服をこうして作品にしている。直して着続ける、ではなく、作品にする。美術家だからということだけではない気がする。その行為に、作者のものごとにたいする姿勢があらわれている。展示タイトルにある「お話ししましょう」は、作者が見に来た者と話をするということではなくて、作者と作品のあいだのお話しのことだろう。

 

 

康世展 カプセル(お話ししましょう)
藍画廊
2021年9月6日〜9月11日
http://igallery.sakura.ne.jp/aiga850/aiga850.html
●「カプセル(お話ししましょう)」(自分が着た服、ダクト)、サイズ可変

 

 

9月23日(木)
昼過ぎ銀座に着く。地下鉄の改札口を通り、すぐに道路に出るかそれとも地下道で最寄りの出口まで行くかいつも迷ってしまう。今日は地下道。銀座5丁目のなるべく銀座通りに近い出口から外に出る。丁目の数字の多い方から少ない方へ、そして京橋へと歩く。約10か所で展示を見て夜遅く帰宅。時間をさかのぼって昼までの出来事を思い出す。写真を撮らせてもらった展示がひとつ。ギャラリイKでの「補償點 崔惠貞」である。灰、黒鉛、金属の粉などによる自作の画溶液を用いてペンで描いたドローイングは、繋がった一本の線の集積が円や方形となって見えている。織物を思わせるところもあるのだが、線はただ重なっているだけ。そして初めと終わりがない。代わりに小さな穴が空いている。思えば、自分が時間との関わりを始めたのがいつなのかがわからない。産まれた時、受精した時、人類が誕生した時……。思えば自分が時間との関わりを終えるのがいつなのかがわからない。補償点というのは、生物学の用語で、それ以前にも光合成を行なってはいるのだが、光合成していることが見た目で明らかになる点、見かけの光合成量がゼロより大きくなる点、なのであるという。見かけのゼロ。Google検索履歴における「性認知感受性」という語の月ごとの統計を線にして、この補償点からのはみ出しを示した「補償點」という作品が、展示されている作品の中では最近のものであった。線の上から下へと時が流れ、韓国で#MeToo運動が盛んになった2017年以降、方形を成すはずの右側の線が著しくはみ出している。見かけのゼロ=補償点を超えて「性認知感受性」の検索数が多かったということ。このことを反芻し、補償点を超えない行動が存在し続けてきたであろうということも思わずにはいられない。

 

 

補償點 崔惠貞
ギャラリイK
2021年9月20日〜9月25日
https://www.instagram.com/choihj.artwork/
●「補償點」(2020年 灰、銅粉、ペンドローイング 71×70.5cm)

 

 

9月25日(土)
午前7時過ぎ、最寄駅から電車に乗る。ふだん朝になってから眠る毎日なので、この時間に出かけるというのが、すでに特別な一日の始まり。小山駅で両毛線の発車を待つ30分ほどの間に、駅構内のファーストフードの店で食事する。人気のない店内。小さなテーブルの上のトレイ。その上のコーヒーとサンドウィッチ。上方からはやわらかな照明。だいぶ昔に、通りすがりの土地でこのような食事をしたときの、なにからも疎外されているような感覚が懐かしくよみがえる。10時前に佐野駅に到着。
佐野市文化会館で「R293美術展 2021 ─12の有機体─」という展覧会が開かれている。期間中のイベントとして、出品者のひとりである山田稔によるパフォーマンスと詩の朗読が今日行われることを知り来た。パフォーマンスは11時から。5分ほど前に会場となる展示室入口付近に行くと、白い発泡シートが長く敷き伸ばされ、水の入ったペットボトル、ゴジラの人形、白く四角い板状のもの、ガラスの物体が置かれている。シートの片側はロールの状態になっている。その上をゆっくりと行き来する山田。やがて端の方でうつむけに寝そべりじっとしている。時間になると立ち上がってマイクを持ち、「おっはよ〜ございま〜す」とそれまでの雰囲気を崩すような陽気な声。パフォーマンスについて短く説明したのち、行為が始まる。まず小片を八つ並べて、シートの上を歩き始めたのか、その逆だったのか、始まりの記憶は飛んでしまった。運ぶ足が、四角い板を少し踏む。水を撒く。白い粉をふりかける。青く細かな粒状のものをさらにふりかける。見ている者に、近くで見ることを促す。パフォーマンスが終わったような空気が流れる。写真を撮る者、話しかける者、その場から去ろうとする者。そして仕上げの行為が始まる。発泡シートのロールの根元を刃物で切ったかと思うと、乱暴にも見える所作でロールを蹴った。ロールの部分はシート状に伸びながら会場の突き当たりまで回転して止まった。パフォーマンスの終了。山田はすぐに小片を1から8の順に(近づいた際に番号を確認済み)拾い集めて誰かに手渡した後、片付けをし始めた。しばらくその姿を眺める。「手伝いましょうか」と声をかけると、片付けも行為のうちだからと手を止めずにシートをたたんでいく。ホウキで掃く前の、地面に粉の残った状態を写真に収めてその場を後にした。
係の方に会場近くのお食事処を聞いて、佐野ラーメンを食べて、次の会場は野外舞台。そこは蚊が多いらしく、虫除けスプレーなどで蚊への対策を行いつつ詩の朗読を待つ。階段状の客席には草が生えている。渡された新聞紙とシートを敷いて腰をおろす。13時。最初に、声のないことばを声に戻す、という話。そして一篇の詩が朗読される。「忘れていました」と、説明が始まる。舞台上に置いてあるガラスの物体ふたつ、それから今日は虫除けスプレーひとつを、ひとつ詩が終わったら移動させる、という。朗読された詩は13篇。ことばの始まりと終わり。山田自身も移動しながら声にする。途中から虫除けスプレーはどこかへ消えた。声と、聞こえてくるさまざまな音。飛行機、スマホの着信音、風。朗読終了後、手作りの詩集『リルケの象は鼻曲がり』が配布された。そこには今日朗読した詩が載っていた。

 

 

R293美術展 2021 ─12の有機体─ 期間中イベント
パフォーマンス「スローモーション」、詩の朗読
出演:山田稔
佐野市文化会館
2021年9月18日/9月25日(美術展会期は2021年9月15日〜9月26日)
http://r293.info
http://r293.info/archives/70
●山田稔によるパフォーマンス「スローモーション」途中

 

 

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。2010年から2011年、『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』の編集。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。