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佐藤洋嗣X近藤聖也 DOUBLE BASS DUO CONCERT -The Bass Rises in the East-|齋藤俊夫

佐藤洋嗣X近藤聖也 DOUBLE BASS DUO CONCERT -The Bass Rises in the East-
Yoji Sato X Seiya Kondoh DOUBLE BASS DUO CONCERT -The Bass Rises in the East-

2021年7月21日 杉並公会堂小ホール
2021/7/21 Suginami Koukaidou Small Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
写真提供:近藤聖也

<曲目・演奏>
下山一二三:『深響第1番』(2000)
  Cb.1:近藤聖也、Cb.2:佐藤洋嗣
原島拓也:『Dream Fortune-telling』(2021,委嘱初演)
  Cb:近藤聖也、Pf:井口みな美
ニコライ・カプースチン:『コントラバス協奏曲』(ピアノ編曲版)(1994)
  Cb:佐藤洋嗣、Pf:井口みな美
平義久:『Synergie』(1990)
  Cb.1:近藤聖也、Cb.2:佐藤洋嗣
波立裕矢:『All god’s chillun need is… II』(2021,委嘱初演)
  Cb:近藤聖也、Pf:井口みな美
池辺晋一郎:『バイヴァランスVI』(2008)
  Cb.1:佐藤洋嗣、Cb.2:近藤聖也

 

コントラバス・デュオというコンセプトを知っただけで「これは期待できる」と思ったのは筆者だけではあるまい。同様に感じた人の多さは杉並公会堂小ホールの混み合い方が証していた。
だが、コントラバスという楽器の知られざる可能性と共に、これまで気づかれることの少なかった特性・制約を知る演奏会となった。

第1曲、コントラバス・デュオによる下山一二三『深響 第1番』、バルトーク・ピチカート、ハーモニクス、スピカート、スル・ポンティチェロ、手で楽器をノックする、木の棒で弦を叩く、テールピースを弓で弾く、等々の特殊奏法だらけの作品だが、コントラバス2人がまるで連歌でもしているような趣で相呼応する。ラッヘンマンのように異化を目的とした特殊奏法ではなく、遊戯的な特殊奏法というべきか、聴いていてこちらの肩の力が抜けていき、リラックスしてコントラバスの様々な音色による対話を楽しめた。

だがしかし、ピアノとコントラバスのために書かれた第2曲、原島拓也『Dream Fortune-telling』、オーケストラをピアノに編曲した第3曲、カプースチン『コントラバス協奏曲』で先述したコントラバスという楽器の特性・制約を知らしめられることとなった。
他の楽器(今回はピアノ)の音がコントラバスの音に被ると、コントラバスの音の響きはかき消されて、はなはだ貧弱になってしまう。
これが上記2作品で判明したことであり、また2作品の大きな弱点であった。

美女(ピアノ)と野獣(コントラバス)が歌い合うような音楽を目指していたと筆者には思えた原島作品だが、コントラバスの弦の振動が楽器全体に伝わって響いているはずの音がピアノの音にかき消されてほとんど聴こえず、弓が弦を擦る「ゴシゴシ」という音だけが目立って聴こえてくる。ほぼチェロソナタのような書法で書かれているであろう〈楽譜〉が想定している音楽が〈実演〉ではコントラバスの音の特性・制約により実現していないように聴こえた。

急・緩・急の全3楽章からなるカプースチンもまた、メロウな第2楽章はコントラバスとピアノ両方のメロディが聴こえたものの、ハードな第1、3楽章はコントラバスだけで弾く部分は迫力があるのだが、ピアノが入るとコントラバスの音の〈華やぎ〉〈押しの強さ〉が消え失せてしまい、ここでもまた楽器全体の響きではなく弦を擦る音ばかりが聴こえてきた。

筆者もこの評を書くために伊福部昭の『管絃楽法』など読んでみたが、コントラバスの音が他の楽器との協働によりかき消されてしまうことなどは書かれていなかった。今回のように従来と異なる編成でコントラバスを使う時は改めてコントラバスの音響特性について研究する必要があるだろう。
さて、コンサートに戻るが、平義久『Synergie』、おそらく3楽章で構成されるこの作品はタイトル通りコントラバス2台の「共同;相乗効果」の凄まじさを知らしめるものであった。
コントラバス特有の軋みに満ちた高速トレモロに始まり、一瞬、2人が同時に無音になり音楽が止まるのを何回も何回も挟みつつ、コントラバスの濁りのある音色を活かしたトレモロやピチカート、ハーモニクスなどで突き進む第1楽章。
第2楽章はゴジラの鳴き声のような唸り声をコントラバスが発し、高音でのハーモニクスというこの世ならざる音色でメロディを紡ぐ。次第に2人の音が密集し始め、クラスターのようになり、最低音域からのバルトーク・ピチカート混じりのピチカート群で終わる。
第3楽章、2人で静かに高音域で音楽を奏でる(ここで微分音が使われていたように筆者には聴こえたが確証はない)。やがて第1、2楽章の楽想をまとめるように、最低音で楽器が吠え、高速トレモロで軋み、バルトーク・ピチカートでビシリと終曲する。
コントラバス・デュオという特異な編成の可能性を突き詰めた名作と思えた。

1995年生まれの波立裕矢『All god’s chillun need is…II』、作曲者プログラムノートでは「イノセンスにまつわる話が好きだ」等々述べられているが、コントラバスが低音域でくぐもった陰鬱なメロディを奏で、ピアノも低音でそれと同調するイントロは「イノセンス」という単語から連想される音楽とは程遠い。スル・ポンティチェロ、楽器をノックする、弦を縦に擦る、などの特殊奏法も鬱々とし、いっそ不吉ですらある。その不吉なコントラバスにピアノが同調して不吉の自乗である。どこがイノセンスなのか筆者にはわからなかったが、それはそれとしてこの不気味な作品のその不気味さを筆者は多いに楽しんで聴いた。また、この作品ではコントラバスの音がピアノでかき消されることがほとんどなかったことも注記しておきたい。

最後を飾ったのは池辺晋一郎『バイヴァランスVI』、トレモトとピチカートを2人交替で弾くイントロから、ありとあらゆる特殊奏法を駆使し、2人がシンクロするときも、反発し合うときもあるが、曲中で決して予定調和に陥ることなく、常に2人で奏でる音楽に〈ズレ〉があり、音楽が通常の音楽論理から〈脱臼〉させられ続ける。酔っ払ったかのようなメロディを2人で奏でる箇所など、その有様は不条理劇の如し。最後は何故か高速トレモロからの雄々しいダウンボウによって堂々たる終曲を迎えるのだが、〈音を楽しむ〉ことの妙味を尽くした、さすが池辺と言える作品であった。

コントラバスにはまだまだ未開の領野が広がっている。今回のような意欲的な演奏会がその開拓の先陣を切ってくれれば、現代音楽シーンに新たな風が吹き始めてくれることだろう。

(2021/8/15)

関連レビュー:
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