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特別寄稿|私のフランス、私の音|再会の夏・フランス・2021|金子陽子

再会の夏・フランス・2021
L’été des retrouvailles・France.

Text & Photos by 金子陽子(Yoko Kaneko)

コロナのワクチン接種が進み、戸外でのマスク着用を含めたロックダウンや規制がフランスでは6月にほぼ解除となった。ワクチンを受けていない層がターゲットとなった第4波がすでに始まり懸念されてはいるが、フランスでは国内を自由に行き来して久しぶりの再会の歓びを分かち合える夏となっている。

1. ザリガニ小川の小集落

パリから車で5時間。ブザンソンとヴェズールの中間、スイス国境までもわずかというフランシュ=コンテ地方は、場所によっては人口よりも牛の数の方が多いのではないかと思われるくらい牧草地が続き、私が「お友達のマルティンヌ」と呼んでいる、ふくよかな雌牛たちが至る所で緑の草を熱心に咀嚼している。(この写真を撮った日は、お見合いの時期だったのだろう、見事な角の雄牛達も同席して圧巻だった)

この地方には2つの川が流れる。ジュラ山脈 (Jura)を源として、フランスとスイスの国境に沿うドゥ川 (Le Doubs) は、フランスが誇る高級時計製作や音楽祭、国際指揮コンクールで有名なブザンソンの南西でソーヌ川 (La Saune) に合流、ソーヌはさらに南のリヨンで、スイスのローヌ氷河 (Rhône)を源としてロッテン川 (Rotten) の名称で生まれ、一旦レマン湖に合流した後にフランス側に流れ込むローヌ河 (Le Rhône) に合流。ローヌ河は大河となって南下を続け、アヴィニヨンとアルルを経て、潮の満ち干のない穏やかな地中海に放出される。黒海を除いた場合、ローヌ河は地中海のアフリカ大陸側から放出されるエジプトのナイル河に続く流量だそうだ。

室内楽とバッハ演奏の名手として、後には地方のオーケストラの正団員となってパリから引っ越すまで頻繁に交流していた同僚チェリストが生まれ育った実家の正式な呼称が、フランシュ=コンテ地方の「ザリガニ小川の小集落 」。この名を耳にするとフランス人も微笑みながら目を丸くする。私が揉まれて育った日本の大都会の満員電車や音楽英才教育とは「天と地」程に異なった環境で幼少時を過ごした彼は、才能と音楽への憧望を先生方に見抜かれてパリ音楽院チェロ科に合格を果たし、素晴らしい音色と人間的な豊かさを多くの人に推奨されてプロの音楽家として立派に活躍するようになった。

パリ時代に永年お世話になったからと、何年も前からこの実家に来訪する様にとご両親からも招待を受けてはいたのだが、5時間の運転はさすがに気が重く、実現までに年月がかかった訳だ。コロナワクチン接種を一家で終え、次女が車を運転するようになり、しかも同じ地方で私自身の演奏会が入り、当の同僚も同じ日に里帰りで実家に在宅なことを知ったとき、この『偶然』は絶対に逃してはならない又とないご一家との再会のチャンスだと私は直感した。音楽祭の現地に行く道程をほんの僅か寄り道し、ご厚意に甘えてザリガニ小川のお宅でランチをご馳走になる事にした。

フランスの一般的な昼食時間は13時、8時にパリを出発した私達は予定通り到着し、吸い込まれそうな青い空と、この一家が皆持って生まれた透き通った青色の瞳に暖かく迎えられた。子午線に達した太陽からの強烈な光に、彼らの眼も次女のくるみ色の瞳も一段と透明さと輝きが増した様に見えた。

ゴルフ場かテニスコート予定地と思われる様な緑の草が美しい広大な敷地には小奇麗で愛らしい2階建ての家が構え、ぶどうの蔓が外壁を飾っている。時折外壁を走り回るヤモリまでも幸せそうに見える。

ご夫婦は退官までこの地の小学校の音楽と複数の合唱団指導を担当しながら3人の子供を育てあげた。就任地として大都市の学校を選ばず、家族の生活の質を第一に、自然に恵まれたこの地を選んだという。家の中は、琥珀がかった茶色で、美しい外観に似たまろやかな音色を持つ古いベーゼンドルファーのアップライトピアノ、数多くの蓄音機と数えきれない程のLPレコードやCDが陳列され、人里離れた家で、薪で暖を取りつつ聴いたであろう歴史的名盤LPの響きが思い起こされた。一昔前までは、この近辺には家具を作ってフランス全土に販売する著名メーカーが工場を構え、小学校の児童数も合唱団のメンバーも増えて活気があったところが、グローバル化で人件費が安い東側諸国に産業が移転して以来、地域はめっきり淋しくなったという。お隣のアルザス地方にはかつてSONYも進出していたものだ。コロナ災禍から得た教訓で、フランスでも製薬、一部の高級繊維など、いくらかの分野で外国からフランスに工場を呼び戻して活気が再来した地域が昨年以来増えていること、テレワークの普及で大都会からの人々の脱出が続いている例を出し、近い将来にきっと、絶対に、この美しい自然豊かな土地を求めて新しい企業と人々が戻って来る、と私は彼らに断言した。言葉にした事で、その希望的観測が実際の未来の出来事として輪郭を持った気がしてきた。

お母さん手作りの昼食をご馳走になるのは戸外、家の庭の林の木陰にある上品な石造りのあずまや、木漏れ日とそよ風と鳥のさえずりをソースとして、地元のフレッシュジュースやメロンからはじまる冷菜からクレオル系(カリブ海のフランス領)の香辛料の効いた暖かい煮込み料理を振る舞っていただいた。溢れこぼれるように地元のブルーベリーを盛ったパイの後はフランス伝統、自慢の地元のチーズの盛り合わせ。

食後のコーヒーの時間になると、夏休みで帰省中のティーンエイジャーのお孫さんや地元に済むお母さんの弟一家もやって来て突然賑やかになった。女の子達は庭の遠くの木陰に作り付けられたブランコを楽しむや否や、家の中に小走りに消え、しばらくするとベーゼンドルファーの音が家の応接間から漏れてきた。愛らしいショパンのイ短調のワルツをさらう音だった。この一家はすべてが自然に音楽を愛する人々なのだ。「あら素敵に響いているじゃない!」と忍び足で家に入った私が声をかけると、女の子はさっと手をひっこめ、赤面してうつむいた。このパリから来た日本のピアニストに未完成なワルツを聴かれてしまったことを恥じたようだった。「ごめんなさいね、たまたまお手洗いに行きたくなって家に入っただけなのよ、貴方のピアノは本当に素敵だと思う。これからも続けてまた聴かせてね。」赤かった少女の顔には歓びが広がった。

私はまるで、2020年2月号の執筆で触れたフランスの名画「田舎の日曜日」のような、夢のような一家の集いを描いた新たなフランス映画に、観客としてでなく、実の登場人物として出演させてもらったような気持ちになった。

2. 水車があるゴンドゥノン村, 泉の道

一家にお礼を述べて暇乞いをし、57分というナビの予測通り、17時には音楽祭の主宰陣の一人で親愛なる同僚一家の家に着く。住所はというと、「水車があるゴンドゥノン村、泉の道」。この村は人口が最近増えて80人程だそうだ。同僚のヴァイオリニストが、テロの増えたパリに危機感を持った為、先祖代々引き継いだ小さな家があって親戚も住むこの村に幼い子供と共に一家で移ってきたのはコロナ災禍の数年前だった。谷に面した広大な庭の境界は泉(小川)で、夜の静けさの中でも水の流れる音が響き続ける。人里離れても、車さえあれば世界屈指の音楽院があることで有名なスイスのバーゼルとその空港にも近いし、幼稚園や小学校も驚くほど少人数なお陰で上級生の刺激を受けながら行き届いた教育を受けられる。野菜、果物、乳製品、、地元の食材の豊かさは羨ましい限りで、自然の恩恵をフルに生かした彼らの生活は実に豊かだと私は感じる。業界、個人、自治体の寄付や援助を得て、昨年に続き、隣村キュブリーの教会で7月末に第2回目の音楽祭、計4回のコンサートの実現にこぎつけた。私はそのうちの2回のコンサートで演奏させて頂くということになったのだ。

泊まらせてもらった離れの家は携帯もネットも思うように通じず、一日3度の食事で同僚の本家に行ってたまったメッセージをまとめて受信するという段取りだった。電話もネットも無い環境での夜の静けさ、それに比例するかのような睡眠の深さは慌ただしさを逃れて来た身体には有り難い。

早く目覚めた翌朝、泉を求めて朝霧がかかる村を散歩してみる。大昔、京都に単身赴任し、寺社や文化にまつわる方々とも仕事柄交流していた歴史好きな父が買い求めて横浜の実家の応接間に飾ってある、霧に覆われた森と山の風景、深緑と灰色を基調とした大好きな日本画が脳裏を横切った。中学生の頃、連日グランドピアノに何時間も向かいつつ、練習の合間に首を傾げて見惚れていた風景画だ。

3. エラールとはちみつ

同僚の弟子でもあるアコス・カルテットはメンバーの2人のヴァイオリニストもこの村に魅されて住む様になった。音楽祭初めのコンサートでは、更にほんの何日か前にこの地に(定住のため)到着したばかりの、1840年製のエラールのグランドピアノを初めて公に弾かせて頂く光栄な機会でもあった。様々な古い楽器に詳しい同僚が、インターネットサイトのアノンスで見つけ直感で即購入したという実に運の良い掘り出し物、なんとこの80年間、移動することなくパリ地方のとある家族によって入念に保存されていたのだという。私にとって楽器は魂を持った生き物。そのために今回は2日前に現地入りして丹念に各曲の隅々までこの楽器の出せる音の可能性を試したのだ。楽器は弾かれることが必要で、しかも弾かれ方によって響きが更に変化していく。それは恐らく響版の木材状態、打鍵機構との関わりなど複雑な要素が関わっているが、長い齢を生き抜いて来た楽器である程、頑丈で音の芯、アイデンティティが確立しているものだ。

音楽祭初日の演奏会ではモーツアルトのピアノ協奏曲イ長調の五重奏版とシューマンのピアノ五重奏を演奏した。ゲネプロには、幸運な事にもフランス国営テレビの地方局がイヴェント紹介のために取材に入り、若いアイデア豊かなジャーナリストと技術者3人が沢山の写真や演奏の抜粋を収録し、夜の地方ニュースで入念に音楽祭の事を紹介してくれた。明るくユニークな紹介のされ方に一同歓び盛り上がった。

創設メンバーの村上彩さんが第2ヴァイオリンを担当するアコス・カルテットのゲネプロとフランス国営テレビ地方局のカメラ

私にとって更なる喜びは、ザリガニ小川の小集落のご両親が、往復2時間の道程を運転して聴きに駆けつけてくれたことだった。彼らは地元の素晴らしい蜂蜜、私の10年来の好物をわざわざ求めてお土産として持参くださった。地元で永年蜂蜜を作っている老養蜂家の夫妻は今や90歳を超え、視力をほとんど失いつつも丹念に作り続けているとのことだった。この蜂蜜の純粋さと透明さ、極上の暖かい感触と味は、この地と人々の心、彼らの青い瞳を反映したかのように私の心を豊にしてくれる。

翌日は1時間のソロリサイタル。バッハ、シューマン、シューベルトとアレクサンダーの新作『パリ・サンセルジュの鐘」の初演、2曲のシューベルト作品のアンコールを1840年製のエラールが教会の美しい空間を暖かく埋めてくれた。

4. ラ・ロッシュギュイヨン城

私達は翌朝早朝パリへの帰路を急いでいた。というのは、15年前に65歳でパリ音楽院の室内楽教授を退官されたジャン・ムイエール氏と共に始めた、ラ・ロッシュギュイヨン城のマスタークラスの15周年記念行事として、これまでに賞を得た若手(ソロ、カルテット)達を地元の村々の10カ所の教会で10日連続で紹介するという画期的な催しが、お城の主催にて開催中で、パリ音楽院の生徒とその夜演奏会で、(私にとっては3夜連続で)演奏することになっていたからである。

ザリガニ小川のチェロの同僚もアコス・カルテットも何を隠そう私自身がムイエール氏と見いだして紹介、応援してきた期待の若手だった。彼らもこの演奏会に参加のためフランシュ=コンテ地方からパリ地方に戻り、期間中大活躍だった。31日はジャン・ムイエール氏の80歳の誕生日。教授時代から自分の活躍以上に若手の応援に全てのエネルギーを注いで、私自身言葉に表せない程支援を頂いてきた。誰もが敬愛する氏のために、お城、ご家族、友人達が一体となってびっくりお誕生会も企画され、コロナ災禍で2年ぶりの大きな集まりともなったことも重なって、一同涙溢れる感動のひと時となった。

この一連の催しでは、若い音楽学生が人前で弾き、聴衆に励まされ交流する機会が如何に大切かとういう事を確信し、永年ボランティアとして生徒の送迎、ホームステイ、優秀生への奨学金の寄付などに協力してきた地元のサポーターの方々も招かれ感謝の意が示された。サポーターといっても企業や研究職で高い地位にあった方々や、大変高い学識を持つ音楽ファンや音楽家の家族などである。その中で大変に重要な役割を担われるのが、お城の主として代々の伝統をしっかりと引き継ぎ今も住居とされ、地域の繁栄にも尽くされると共に音楽と若い音楽家の熱心な支持者でもある公爵ご夫妻だ。お城が歴史的文化財なため、文化庁より任命されてお城の文化的発信のリーダーとして尽力する女性館長さんと共に、過去の歴史と伝統、希望に満ちた文化的未来と若手アーティストのサポートを地域と世界に向けて更に発信する事を目指している。

世界の至る所で、それぞれの若いアーティストや音楽家を巡って人々の団結や援助の輪が益々広がって行くことが期待できそうな、希望と思い出に満ちたロックダウン後の再出発音楽行脚であった。

8月1日のラ・ロッシュギュイヨン城大広間でのマスタークラス15周年記念の音楽祭最終日は、ジャン・ムイエール氏のマスタークラスで見いだされ、その後バロックヴァイオリニストとして世界で活躍する依田幸司氏の素晴らしいトリオの演奏会。満員の聴衆から大喝采を受けた。

(2021/8/15)

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金子陽子(Yoko Kaneko)
桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。パリ在住。
https://yokokaneko.wordpress.com/