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コンテンポラリーオペラ 「Plat Home」|西村紗知

コンテンポラリーオペラ 「Plat Home」
Contemporary opera “PLAT HOME”

2021年7月28日 杉並公会堂小ホール
2021/7/28 Suginami Koukaidou Small Hall

Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
Photos by  進藤綾音

<出演・スタッフ>        →foreign language
作曲:高橋 宏治
演出:植村 真
脚本:Stefan Aleksić Yannick Verweij
美術:岡 ともみ

ソプラノ:薬師寺 典子
指揮:浦部 雪
フルート:山本 英
クラリネット:笹岡 航太
ヴァイオリン:松岡 麻衣子
ヴィオラ:甲斐 史子
チェロ:山澤 慧
打楽器:牧野美沙

<プログラム>
オペラ『プラットホーム』/高橋宏治(日本初演・新演出)
全1幕5場(予定上演時間:1時間)〈英語上演/日本語字幕付〉

 

今作『プラットホーム』は、2020年にベルギーで初演されたモノオペラ”Amidst dust and fractured voices”の日本上演版とのことで、プログラムノートから察するに、日本語字幕付の演出は今回の新演出で新たに付け加わったもののようである。日本語字幕は機械的に舞台に表示されるのではなく、スクリーン上の映像表現の一部として組み込まれていた。よって、スクリーンによる表現も今回全面的に作り直されたのだろうと推測される。
制作陣による議論の結果、”Amidst dust and fractured voices”は『プラットホーム』へ改題されたのだという。実際に作中の舞台として機能している(駅の)プラットホーム、その言葉に、plat(区切られ、分断された)なhome(家、日本)という意味を読み込んだとのこと。なるほど、日本の社会において「分断」と言われるようになって久しい。この『プラットホーム』という新しいタイトルには、このモノオペラが下敷きにする2016年ブリュッセル連続爆破テロ事件に直接かかわりのない日本の聴衆にも、当事者意識をもって観てもらいたいという願いが込められている、ということだろう。

第1場から第5場に至るまで、ソプラノはテロ事件の特定の被害者、加害者、傍観者それぞれを演じ分ける。
第1場はテロに巻き込まれた元警官の女性が、正義感に駆られて犯人の捜索を勝手にはじめるものの、彼女の発言が虚妄によるものなのか本当に正しいのか判然としないまま時間が過ぎていく。第2場はテロリストの、おそらくは犯行前の告白。「迷ったときには神のように振る舞え!」というセリフからは並々ならぬ決意が感じられるものの、そもそもの犯行の動機はよくわからない筋書きになっている。第3場はテロ発生直後臨時ニュースを読み上げる女性キャスターが、排外主義的な怒りを露にする。第4場は移民の女性が、改札が開かないという些細な出来事に、自らを取り巻く排外主義的な空気を感じ取り苛立つ。最後の第5場は死後の世界で、テロで命を落とした移民の女性とテロリストとが対話する。

台本に即して事件の多面性を白日の下に晒したい、というのが制作陣の総意だったように見受けられる。それはなんとなくはわかった。だが、この作品内部において事件の多面性のように感じ取れるものが、実は制作陣の間の微妙なまとまらなさのことだったのではなかろうかというのが正直に思うところである。ボーダーレスな共同創作において、どのアートがイニシアティブをとるのか、という問題は常に付きまとうのだろうと思う。
特に気になったのが音楽の控えめさである。間隔の広い和声感が全体に行き渡る透明感の強い器楽合奏は、持続するより点描的で、歌のリズムにぴったり寄り添って存在する。すっきりした音色を舞台全体に添えることにはなるものの、音楽自体が対位法的にこじれたりすることがない。場ごとに音調がはっきりと切り替わるというのでもないことからも、控えめさが感じられる。映像、美術と喧嘩しない音楽だった、とは思うが、かといって映像と美術が音楽を食って掛かるほど強いものだったのか、というとそうでもなかったように思う。
歌は跳躍が多く、音価もそれほど長くないので、器楽合奏と少しでも縦の線がずれてしまうと、聞いていてそのずれが気になってしまう。涼やかな音調のわりに技術的にシビアな音楽であった、という印象が拭えない。
現実の事件に真摯に取り組んだ意欲作だったのは疑いようのないことだ。台本の意図は明確で、演出も作曲も趣味がよい。制作陣のやりたいことはおおよそ理解できたような気がする。ただ、観劇を終えて今日に至るまで頭に去来するのは、これはモノオペラだったのだろうか、という疑問だけなのである。
返す返すモノオペラというのは変わった形式だ。声楽付き室内楽ではないし、連作歌曲でもないし、演劇とも違う。それらの類似ジャンルの尺度をそのままモノオペラに適用しようものなら、なにか虚しい。というのも、オペラという領域は確かに存在するものだ。歌を中心とした世界という見立てのもと立ち現れてくるものがオペラの正体ではないのか。そうでないと、オペラは他ジャンルの舞台作品の魅力にいくらでも追い抜かれてしまう。なんにせよ、これがオペラだという制作陣のポリシーがどのような細部にも宿っていないと、モノオペラなどという特殊で奇特な形式は、容易く壊れてしまうのではないか。
形式の壊れがそのまま現実への到達だ、という主張なら筆者は同意しかねる。現実の出来事の優位をなんの媒介もなく認めるのは芸術の仕事ではない。現実の事件に絶えず触発されつつも、オペラとはなにかという内在的な問いをいつでも更新し続けること以外に、オペラというもはや時代遅れとなりつつある形式のアクチュアリティーはないのではないか、というのが筆者の感想だ。
こういう話はモノオペラ、オペラに限った話ではない。実のところ、音楽的であるということが今日の音楽にとって一番難しいのだと改めて思う。

関連評:コンテンポラリーオペラ 「Plat Home」|田中里奈

(2021/8/15)

 

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<Artists>
Composer:Koji Takahashi
Stage director:Makoto Uemura
Scenario writer:Stefan Aleksić, Yannick Verweij
Stage designer:Tomomi Oka

Soprano:Noriko Yakushiji
Conductor:Yuki Urabe
Flute:Hana Yamamoto
Clarinet:Kota Sasaoka
Violin:Maiko Matsuoka
Viola:Fumiko Kai
Cello:Kei Yamazawa
Percussion:Misa Makino

<Program>
Opera ”PLAT HOME”/Koji Takahashi(Japan premiere, new production)
in 1 Act, 5 Scenes(about 1 hour of performance time)〈performance in English/with Japanese subtitles 〉