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Back Stage|無防備な記憶と模索し続けるホールマネジメント|黒崎八重子

無防備な記憶と模索し続けるホールマネジメント

Text by 黒崎八重子(Yaeko Kurosaki)

私はホール運営に30年余り携わってきましたが、いまだに芸術・芸能が何たるかを知りません。ですが、芸術・芸能に携わっている方々の思いに触れ、また、打合わせ、本番といった公演までのプロセス、そして終演後の音楽をめぐる人々との営みのなかで、自分の人生が豊かなものになってきたことを実感してきました。
人生が変わるほどの音楽との出会いは20代になってからです。バッハの平均律を聴いて、なんて美しいのだろう、この世の中にこんなに美しいものがあるんだ、と思った記憶がいつまでもあって、それが今の仕事に結びついているように思います。この世の中に美しいものがあると思えただけで20代の自分は支えられてきました。
人生には選択によってその後が全く変わってしまう分岐点が何度かあります。私にとっては、その分岐点での選択に関与していたのが常に音楽でした。音楽に支えられてきた記憶が、音楽がもたらす愉悦が、たまらなく好きなのかもしれません。
ある時から、そうした私の人生は、音楽を享受する側から、音楽を発信する側になりました。しかも、アマチュアの私が、事もあろうに現代音楽という一見訳のわからない迷路に入り込んでしまったのです。もともと私にとっては、音楽といえばクラシック。クラシックの中でもバロック時代からロマン派の音楽に親しみがあります。一方で、歌謡曲や演歌、Jポップ、ジャズが私の身体にはフィットしています。それらを聴けば時代の空気を感じ、過ごしてきた子供の頃、思春期、青年期、壮年期、そして現在の高齢期においても、現代音楽やクラシックと同じように胸熱くなるのです。ジャンルは関係なく、家族や友人とのコミュニケーションツールとして、時と場所も年齢も選ばず、無言で寄り添い続けてくれているのも音楽かもしれません。発信する側になってからも、いつまでも享受する側の眼差しで、音楽に携わってきたと思います。眼差しはいつまでもアマチュアでいたいと思っています。

私の運営する両国門天ホールは、利用者の要求に応えたいという私の思いも影響して、他のホールにはない寛大さと、放任主義ともいえる、多様なジャンルでの利用や拡張ピアノ奏法(いわゆる特殊奏法)もできるホールとして使用されているのが特徴です。これは、両国門天ホールの前身である門仲天井ホールの支配人を引き受けた時に、オーナーの寛大な采配によって、ホール運営のいろはも知らないところから、ひとつひとつ自身で考え行動することを許してもらえた放任主義のお陰によるものです。そして、現在に至っても常に並走してサポートし続けて下さっている方々のお陰なのです。
コンサートの際、音楽家が一人いれば実現できる場合もありますが、音楽家、制作担当者、技術スタッフ、施設担当者がそれぞれの立場に責任を持って進めることのできる体制は、各人の役割が発揮できて良いものです。それは同時にお互いをリスペクトできる状態でもあります。そういった体制が構築できているプロジェクトでは、ベストな公演をお客様に届けられたことが多かったと思います。
公演では演者だけがお客様の目に触れるために、そのほかの役割は存在していないかのように見えてしまうことがあります。プロの仕事とはそういうものだと思える私は、いまの時代には合っていないのかもしれません。それでもいいのです。今の両国門天ホール(以下、門天ホールと呼ぶ)は私設の施設なのですから。
子どもが子ども同志の中で育っていくように、門天ホールも、門天ホールに集う人々のなかで、空間も人も育って行くのが良いと考えています。私の役割は時々の交通整理だけです。私は、放任主義においては責任感が芽生え、熟成されていくものだと考えています。規則はなるべく最低限にすることで、社会的責任感が芽生え、育っていくように思うのです。
今年は“一般社団法人もんてん”にとっての大仕事、「未来に受け継ぐピアノ音楽の実験」プロジェクトの最終年度を迎えます。このプロジェクトは、アーツカウンシル東京の「東京芸術文化創造発信助成【長期助成プログラム】(芸術創造環境の向上に資する活動)」を受け、2018年より進めてきたものです。8月7日には報告会とシンポジウムを行い、報告会では3年間の報告と今年度の経過報告を行いました。現在は、『未来に受け継ぐピアノ音楽の実験〈拡張ピアノ奏法のすべて〉』と題したホームページの公開に向けた作業が大詰めを迎えています。プロジェクト立ち上げ当初から、ピアニスト、作曲家、研究者、ホール運営者が関わり、それぞれの立場から、「拡張ピアノ奏法」の世界を通じて、ピアノ音楽の未来をともに考えてきました。そうした様々な立場の人たちが同じ地平で語り合う、そのためのコミュニケーション・ツールとなるような各部門の研究がこれからホームページ上で明らかになっていきます。ワークショップ部門担当のピアニストの井上郷子氏と作曲家の伊藤祐二氏の長年にわたる取り組みが凝縮された、観て理解できる拡張ピアノ奏法の演奏方法解説映像の数々、文献リサーチ部門担当の研究者・庄野進氏による文献や作品の紹介、そして私の担当するホールリサーチ部門では、報告会とシンポジウムの内容も反映させながら、拡張ピアノ奏法時のピアノ管理ガイドライン(ピアノ管理指標)の作成と提言に向け準備をしています。
現況ではまだ道半ばですが、ホームページが完成・普及することによって、拡張ピアノ奏法作品を伴う公演が両国門天ホール以外でも実施しやすくなるような環境づくりに寄与できればと考えています。ピアノ音楽の実験を未来に受け継ぎ、新たな音楽創造の活性化に向けて、多くの皆様と拡張ピアノ奏法のためのホームページとピアノガイドラインを共有できればと考えています。音楽家および調律師、施設管理者の皆様の引き続きのご協力とご助言をお願い申し上げます。

黒崎八重子 両国門天ホール (一般社団法人もんてん)

(2021/8/15)