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共鳴空間(レゾナント スペース) 「Toshi伝説」一柳慧芸術総監督就任20周年記念|谷口昭弘

共鳴空間(レゾナント スペース) 「Toshi伝説」一柳慧芸術総監督就任20周年記念

2021年2月13日 神奈川県民ホール 大ホール
2021/2/13 Kanagawa Kenmin Hall Main Hall
Reviewed by 谷口昭弘 (Akihiro Taniguchi)
Photos by  青柳聡/写真提供:神奈川県民ホール

<演奏>        →foreign language
指揮:鈴木優人
ヴァイオリン:成田達輝
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
作曲&総合プロデュース:一柳慧

<曲目>
鈴木優人:Afanfare (2021)(神奈川県民ホール委嘱作品・初演)
一柳慧:《ビトゥイーン・スペース・アンド・タイム》(2001)
一柳慧:ヴァイオリン協奏曲《循環する風景》(1983)
(ソリスト・アンコール)
一柳慧:《フレンズ》(1990)
(休憩)
一柳慧:交響曲第8番《リヴェレーション2011》(2012)

 

一柳慧の神奈川芸術文化財団芸術総監督就任20周年を記念したアート・プロジェクト 「Toshi伝説」の一環で、神奈川県民ホールで行われた記念コンサート。冒頭を飾ったのは、指揮をした鈴木優人の新作《Afanfare》である。舞台中央にチューブラベル、下手に木管楽器、上手に木管楽器を配し、作品は音色を鳴らし交わすようにして始まる。やがてリズムが支配的に動く部分が続き、ホルンが余韻を奏でた。随所に「『ICHIYANAGI TOSHI』の文字が譜面に刻印」されているという。ぱっと聴いた感じ、モティーフの一部に音名象徴として使われているということは察することができたが、すべてを確認することはできなかった。また曲目については「ファンファーレのようでいて、ファンファーレではないもの」を目指したといういことで、にぎやかな感覚や祝祭的な趣はなるほどファンファーレっぽいが、規則正しい動機展開といった典型的ファンファーレではなく、そのあたりは柔軟に捉えられるのだろう。
2曲目は室内オーケストラのための2001年の作品《ビトゥイーン・スペース・アンド・タイム》で、様々な音色による嘆きと対話の後、ヴァイオリンの独白が周りの音楽家を惹きつけていく。その後の展開では、ヴィオラのオスティナートに乗せて楽想が堆積する。反復音形は否が応でも時間の経過を感じさせ、堆積する楽想は、満たされていく演奏空間への意識を促す。タイトルにある「空間」について思い出してみると、会場内に投影される音の飛び交いや、編成の大小の変化による音響現象から感じられることが多かった。とはいえ、これらのことは演奏会当日にはそれほど意識しておらず、プログラムの曲目解説 (沼野雄司氏) から振り返って考えたところもあり、実際は、もう少しナラティブな聴き方をしており、空間性についてはあまり自覚していなかったというのが正直なところだ。
本公演で最も聴き応えがあったのが、成田達輝をソリストに迎えたヴァイオリン協奏曲《循環する風景》だった。寂寥感漂う瞬間瞬間に相対時するように独奏が語り始め、聞き手を揺り動かす。やがてオーケストラは、せき立てられて疾走する。成田のヴァイオリンは全体を見据えつつ要所要所で自らがどのような立ち位置にいるのかを即座に判断し、音世界に没頭していく。また独奏ヴァイオリンは第2楽章の研ぎ澄まされた空間を縫っていく。それは歌いやすい旋律ではなかっただろうが、柔軟な構えと繊細なニュアンスを訴えることになった。途中のラプソディックな部分においても、しなやかなリードが印象に残った。パッションを感じる導入部によって始まる第3楽章では、激しい動きの中に投入される成田のエネルギーに対し、大きなジェスチュアとバランスをしっかり保つオーケストラに充実感がみなぎる。そして終わりなき終止によって音楽時間が循環するかのような余韻も、しっかりと味わえた。ソリスト・アンコールとして演奏された《フレンズ》では随所にある特殊奏法を当たり前のように身に着け聴き手をぐっと引き続けてやまない若きヴァイオリニストに改めて心を掴まれた。
後半の演目は交響曲第8番《レヴェレーション2011》である。この「レヴェレーション」というのは「黙示」のことらしい。本来的には、この世の終わりがやってくるだけでなく神の救いが完成することを指すと考えられるが、この作品の場合は「救いの完成」というよりも「破滅」に重きが置かれているようだった。そのことを予兆させるような弦楽器の重苦しく深長な調子から始まる作品は、フレーズが明確で叙情性に富んでいる。前半の演目とは大きく変貌した作風だ。カレイドスコーピックに、エピソーディックに進む音楽には、やがて方向性が見えてくる。多分にセンチメンタルな側面を見せつつ回顧するひとふしも。やがてバスドラムのパルスによって悲劇が描かれていく(東日本大震災と原発事故だそうだ)。最終的には「哀歌」にも思える要素があった。
ただ演奏が終わってすぐに書き残したメモには「田舎の三文芝居のような音楽を堂々と書く?」とある。この直感的ひらめきが当作品への正当な「評価」と言えるのか、あるいは筆者の浅はかな感情の発露というべきなのか。今も悶々としている。

(2021/3/15)

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<Performers>
Masato Suzuki, conductor
Tatsuki Narita, violin
Tokyo Philharmonic Orchestra

<Program>
Masato Suzuki: Afanfare for Toshi Ichiyanagi’s Birthday [Commissioned by Kanagawa Kenmin Hall, World Premiere]
Toshi Ichiyanagi: Between Space and Time (2001)
Toshi Ichiyanagi: Violin Concerto “Circulating Scenery” (1983)
(Soloist Encore)
Toshi Ichiyanagi: Friends (1990)
(Intermission)
Toshi Ichiyanagi: Symphony No. 8 “Revelation 2011”