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NHK交響楽団 12月公演 NHKホール|齋藤俊夫

NHK交響楽団 12月公演 NHKホール
NHK Symphony Orchestra December 2020 concert NHK Hall

2020年12月5日 NHKホール
2020/12/5 NHK Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
写真提供:NHK交響楽団

<曲目>        →foreign language
ショスタコーヴィチ:交響曲第1番ヘ短調 作品10
伊福部昭:ピアノと管弦楽のための『リトミカ・オスティナータ』(*)
(ソリスト・アンコール)
チャイコフスキー:18の小品 作品72 より第18曲「トレパークへの誘い(踊りの情景)」(*)
伊福部昭:『日本狂詩曲』

<演奏>
指揮:井上道義
ピアノ:松田華音(*)
NHK交響楽団

 

もちろん比喩表現ではあるが、音楽、演奏には〈重心〉の高低がある。西欧クラシック音楽の重心はなべて高い。つま先立ちをして、胸から上で奏でる。それに対して、東欧や日本の民族的現代音楽の重心はなべて低い。腹より下に重心を置き、足の裏の感覚で奏でる。それは丁度ボクシングと、相撲や柔道の姿勢と比較できよう。
今回、井上道義&N響によるロシアのショスタコーヴィチ交響曲第1番と、日本の伊福部昭『リトミカ・オスティナータ』『日本狂詩曲』を聴いて感じたのは、その重心の位置の相違とも言えよう。

今回のショスタコーヴィチ交響曲第1番は筆者のイメージする本作より、重心が高く感じられたのである。
室内楽的書法が目立つ本作、井上の踊るような指揮によってその書法を精緻に再現するN響の技量は見事であり、両者とも称賛されるべきであるが、されども筆者の中のロシア的・ショスタコーヴィチ的には重心が高過ぎる。おどけるようなメロディー、あるいは不穏なメロディー、正確なリズム、楽器ごとに完璧なデュナーミクの按配、迫力あるトゥッティなどなど、欠点と言うべきものはなかったのだが……重心が高く、胸から上で奏でており、ぐいっと投げをくらったらそのまま吹っ飛んでしまうようなショスタコーヴィチでもあったのだ。
ショスタコーヴィチに内在する〈影〉より、音楽的〈喜び〉をより強調したアプローチ、言うならばチャイコフスキーの交響曲第4番、第5番のようなショスタコーヴィチだったとも言えるかもしれない。怒涛の終曲と同時にクルッと回って客席に笑顔を見せた井上であるが、筆者の中の本作と、井上の笑顔には段差があったことは否めない。

伊福部昭『ピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータ』、なんとソリストの松田華音は全て暗譜でこの一大難曲に挑んだ。
A1(急)B(緩)C(急)D(緩)A2(急)と概略できる本作、最初のA1部では、松田の切れ味鋭いピアノソロに対してオーケストラの息が少々合わない感があり、また重心が高く不安定でもあった。
その重心がぐぐっと下がり、足の裏に土の感触を感じたのはアダージョのB部である。ピアノのスフォルツァンドがガシッ!ガシッ!と地を踏みつけ、弦やホルンの悠揚たる第2主題が地平を遥かに広げる。B部最後、ピアノのカデンツァ的なソロの迫力は恐ろしいほど。
C部に入るともう音楽的重心は下がりきり、全楽器不動の姿勢でオスティナートが演奏される。音型がパートを越えて受け渡される管弦楽法的に複雑な部分もガッチリと構築し(ここは井上道義の采配ゆえであろう)、3+3+4のリズム・オスティナート、その後2+3+3+2のリズム・オスティナートが延々と続く部分の灼熱っぷり!
安らかなD部でクールダウンし、最後のA2部に入ると、疲労はたまっているはずなのにA1部より遥かに熱い!超重量のマグマを下に抱いて噴火する火山のごとく、重心は全く不動のままで全パート寸分のズレもなくオスティナートが噴きあがる。音楽を聴いているというより、自分と会場に満ちる音が一体となったような感覚・興奮・陶酔。終曲の大噴火の後、このとんでもない作品と演奏に割れんばかりの拍手が。
ソリスト・アンコールのチャイコフスキーでも松田華音のデュナーミクの幅とアクセントのメリハリは健在であった。

『リトミカ・オスティナータ』の後に『日本狂詩曲』を演奏するのは奏者の体力的に可能なのか?と思ったが、前半の「夜曲」のヴィオラによる都節旋律の繰り返しで客席もステージ上もなんとも言えぬ癒やしを味わう。この優しくも寂しげで懐かしい旋律、伊福部節だなあ、と筆者もしんみり。これで気力体力が回復するのだから、全く音楽とは本物の魔法かもしれない。
また、打楽器にウッド・ブロックの代わりに「ラーリ」というスリットドラムに似た楽器、筆者もコピー所蔵の竜吟社版スコアでは響き線付きと響き線なしの2台のスネアドラムが指定されているのを締太鼓とコンガに、シンバルをお寺で使う妙鉢に似た小さなシンバルにしていたことも注記しておきたい。
後半「祭」は、部分ごとにテンポを大きく変化させる今までにないアプローチ。だが重心はあくまで低く重く、テンポが変わっても、どんなに祭が高揚しても音楽的ゆらぎは微塵もない。さらに解像度が高く全パートの音が聴こえてくるので、筆者は聴いていてもう自我を失うかと思った。
最後、鬼のような形相で振り向く井上道義。全力を出し切ったN響団員の充実した笑顔。そしてやまない、いつまでもやまない拍手。
本質主義的な論はしたくないが、やはり、伊福部昭には日本的な重心の低さが必要だなあ、と考え、とにもかくにも年の暮れに凄まじく、素晴らしい演奏を聴けたことを心から喜びたい。

(2021/1/15)

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<Pieces>
Dmitry Shostakovich: Symphony No.1 F Minor Op.10
Akira Ifukube: “Ritmica Ostinata” for Piano and Orchestra(*)
(soloist encore)Pyotr Il’yich Tchaikovsky: 18 Morceaux, Op. 72,No. 18. Scène dansante: invitation au trépak(*)
Akira Ifukube: “Japanese Rhapsody”

<Players>
Conductor: Michiyoshi Inoue
Piano: Kanon Matsuda(*)
NHK Symphony Orchestra