私が書く理由|記憶と記録|藤堂清
記憶と記録
Text & Photo by 藤堂清 (Kiyoshi Tohdoh)
2年前の9月、まだ暑い日が続いていた時期、中学校の担任の先生が亡くなられた。3年間クラス替えがなく、担任もかわらずに持ち上がる学校だったので、入学から卒業まで面倒をみていただいた。20年ほど前からは毎年5月にクラス会を開き、先生もほとんど出席されていた。この年は先生が数えで88歳、米寿のお祝いも兼ねたので奥様にもご同伴いただき、出席率7割以上の盛会となった。お祝いのお礼ということで、中学3年間のさまざまなイヴェントや普段の教室の様子を写した写真を集めた冊子が配られた。ページごとに先生のコメントが書かれており、その短い文章が一枚一枚の写真から出席者それぞれの記憶を引き出し、一気に年月をさかのぼらせてくれた。
翌年のクラス会は先生不在となったが、奥様から幹事に託された配りものがあった。各自が中学入学後まもなく書いた「作文」。私が受け取ったものは2篇。くせのある字が並んでいる。約60年前の自分が書いた文章、拙さはもちろんだが、あまりに視野の狭い内容にあきれたが、間違いなくかつての自分の姿が浮かび上がってくる。そんな中にも「こんなことを考えていたのか。」という発見もあった。
書かれたものには、時を越え、筆者の思い、そのころ書き手がおかれていた環境といった、本人が長年にわたり意識することがなかったことをも呼び覚ます力がある。人間の脳細胞はかなりの部分使われずに終わるというが、あまり利用されていない場所に、きっかけさえ与えられれば浮かび上がってくる記憶が大量にしまい込まれているのだろう。
一人の人間の生きてきた証は、外部に残したもの、文章、絵画、写真、映像などのみにいずれはなっていく。記憶は人とともに消えていくが、さまざまな記録はどのような形のものであれ、その人を伝えていく。
書くという行為も、他の表現手段と同様、自分以外の人へ伝えたいという思いの帰結だろう。事実関係などのデータが詳細であるのは望ましいだろうが、一人の人間の見た、聞いた、そして選択した「事実」はものごとの一面でしかないこともありうる。受け止めたことや感じたことにはもっと大きなバイアスがかかる。多くの人が同時に体験する事象について、それぞれが残したものにも偏りがでる。同じ時代を生きた者であれば、自分の物差しによって、その位置づけを行うことが可能だろう。
時空によらず自ら体験していないことがらを理解しようとするときには、複数の人による記録が大きな役割を持つ。それがどのような人・組織によって、どういった目的で作られたか、といった背景を調べることで、考えをまとめる参考にできる。
記録もある意味ではネットワークを構成する結節点のようなもので、それが多く、つながりが増えれば、事象を振り返る助けになるのではないか。
つい先日、伯父の一周忌の法要が執り行われた。
彼が晩年成し遂げたいと言っていたことがあった。戦争中、彼の部下であった兵士が書いた「ビルマ戦記」の自費出版である。原稿用紙で600枚ぐらいであっただろうか。伯父の気持ちを知った教え子たちが分担して、文字起こし、編集、そして著者の遺族の承諾を得て4年前に本にした。「インパール戦記」に限らず、多くの戦記物は、後世の著作家がまとめたものや将校のように作戦を立て、指揮していた者による。一兵卒が体験した記録はあまりないだろう。それを世に出したいという伯父の思いが形となった。
視野の限られた記録であっても、それも一つの側面。
私の限られた知識や調査力、構成力で記述する内容にはもちろん限界がある。それを承知で書いている文章が記録なり記憶なりの結び目の一つとなれば幸いという気持ちである。
(2020/10/15)