サントリーホールサマーフェスティバル2020|齋藤俊夫
サントリーホールサマーフェスティバル2020
Suntory Hall Summer Festival 2020
2020年8月22、23、26、29、30日 サントリーホール大ホール/ブルーローズ
2020/8/22,23,26,29,30 Suntory Main Hall / Blue Rose
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
写真提供:サントリーホール
ザ・プロデューサー・シリーズ
一柳慧がひらく~2020東京アヴァンギャルド宣言~
♪8月22日 “室内楽 XXI-1”
♪8月22日 “「おかわり」シュトックハウゼン”
♪8月23日 “室内楽 XXI-2”
♪8月26日 “オーケストラスペース XXI-1”
♪8月30日 “オーケストラスペース XXI-2”
♪8月29日 第30回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会
♪8月22日 ブルーローズ
“室内楽 XXI-1”
<曲目・演奏> →foreign language
森円花:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲『ヤーヌス』(2020、世界初演、サントリーホール委嘱)
指揮:杉山洋一
ヴァイオリン:山根一仁
チェロ:上野通明
アンサンブルCMA
第1ヴァイオリン:鍵冨弦太郎/山縣郁音/内野佑佳子/若杉知怜
第2ヴァイオリン:桐原宗生/宮本有里/竹本百合子
ヴィオラ:福井萌/川上拓人
チェロ:秋津瑞貴/松本亜優
コントラバス:長坂裕美
カールハインツ・シュトックハウゼン:『クラング―1日の24時間』より15時間目「オルヴォントン」バリトンと電子音楽のための(2007、日本初演)
バリトン:松平敬
エレクトロニクス:有馬純寿
権代敦彦:『コズミック・セックス』6人の奏者のための(2008)
指揮:杉山洋一
フルート:高木綾子、ヴァイオリン:山根一仁、チェロ:上野通明
打楽器:神田佳子、ハープ:篠崎和子、ピアノ:黒田亜樹
杉山洋一:五重奏曲『アフリカからの最後のインタビュー』(2013)
東京現音計画
エレクトロニクス:有馬純寿、サクソフォーン:大石将紀
打楽器:神田佳子、ピアノ:黒田亜樹、チューバ:橋本晋哉
♪8月22日 ブルーローズ
“「おかわり」シュトックハウゼン”
<曲目・演奏>
カールハインツ・シュトックハウゼン:『クラング―1日の24時間』より13時間目「宇宙の脈動」電子音楽のための(2006~2007)
エレクトロニクス:有馬純寿
前衛、アヴァンギャルドとは何か。それは普段無批判に従っている常識に風穴をあける精神。しかしこの精神としての前衛が、作品という形をとって外化されると、大本の精神なしでも模倣されうる技術と化す。すなわち精神としての前衛から意匠としての前衛への退行である。だが、意匠としての前衛をまとっただけの作品には、「だから何なのか?」という、わけのわからないものに対する聴衆の問いかけを〈有無を言わさぬ凄み〉で封じ込めるエネルギーがない。「何がなんだかわからないが、とにかく凄い」音楽を目指す、これが前衛への意志である。
今回の「2020東京アヴァンギャルド宣言」において、ぶっちぎりのエネルギーでどうやっても模倣することが不可能な域に達していたのはなんといってもシュトックハウゼン『クラング―1日の24時間』よりの2作品であった。
8月22日「室内楽XXI-1」でシュトックハウゼンの第一人者・バリトンの松平敬とエレクトロニクスの有馬純寿によって演奏された『オルヴォントン』、金属的な強烈なアタックの電子音が四方八方からぶつかってくる中、印契にもにた謎のポーズを変化させながら松平が歌う。作曲者の神秘主義のテクスト、例えば「オルヴォントン、第7の超宇宙」といったものと、電子音楽部分の解説、例えば「第19層はループ再生される23個の音だ」などが歌われる。この作品にはバリトンという中心点があるので、それに意識を向ければ聴き続けることはそれほどつらくはなかった。それでも「シュトックハウゼンスゲー」と感嘆しきりであった。
「室内楽XXI-1」の後の「「おかわり」シュトックハウゼン」での『宇宙の脈動』のエネルギーは凄いを超えて、〈怖い〉ものであった。ほぼ照明のない中、超高音から超低音までとにかくモノスゴイとしか筆者には言いようのない、解析不能の音の嵐が約30分続く。イマナニガオキテイルノカ、イマジブンハナニヲキイテイルノカワカラナイガ、トニカクスゴクコワイ、と感じ、コレハタダノオトナノダカラ、コワクテモカラダニガイガアッタリハシナイハズダ、と自分に言い聞かせながら呆然として轟音に身を浸していた。アヴァンギャルドとは、シュトックハウゼンとは、かくもモノスゴイものとは。
シュトックハウゼンが頭抜けて凄かったので冒頭に述べざるを得なかったが、「2020東京アヴァンギャルド宣言」他の作品の個評に移ろう。
8月22日「室内楽XXI-1」、森円花『ヤーヌス』は書法の達筆さに反比例して前衛性は薄い、というより、矢代秋雄ばりの優れた伝統的書法に、意匠としての前衛への目配せは蛇足に思えた。
権代敦彦『コズミック・セックス』は単純な音型が伸縮し、またそこに異物が挿入され、輝くような音のうねりがさらに変容される。音響の不易と変化によって恍惚とした感覚がして飽きることがなかった。
杉山洋一『アフリカからの最後のインタビュー』は暗闇の中、左右のスピーカーから人の声の入った録音を重ねてノイズにしたとおぼしき音が鳴り続ける。そこに4人の奏者が入ってくるが、スピーカーとは無関係(と筆者には聴こえた)のセッションを始める。と、打楽器奏者が一斗缶を叩き鳴らす。「遊んでいないで人の声を聞け」とのメッセージと筆者は受け止めた。その後も色々と場面が展開するが、最後にはフリージャズのような4奏者の演奏がスピーカーの音に押しのけられていき、スピーカーから“Stop this genocide” という声(実際にはもっと長かったが筆者が聴き取れたのはこの部分のみ)が人の顔の映写と共に現れ、了。我々が聞こうとしない声を聞かせようとする、メッセージ性の高い、また、日本では忌避される政治的な音楽として高く評価したい。
♪8月23日 ブルーローズ
“室内楽 XXI-2”
<曲目・演奏> →foreign language
山本和智:『ヴァーチャリティの平原』第2部ii) Another Roaming Liquid アンサンブルのための(2017~18)
指揮:板倉康明
ヴィデオロン:佐藤洋嗣、ギター:山田岳、ヴィデオロニクス:磯部英彬
東京シンフォニエッタ
エリオット・カーター:『ダイアログ』ピアノと室内オーケストラのための(2003)
指揮:板倉康明
ピアノ:朝川万里
東京シンフォニエッタ
山根明季子:『水玉コレクションNo.4』室内オーケストラのための(2009)
指揮:板倉康明
東京シンフォニエッタ
一柳慧:『コンチェルティーノ―Time Revival―』弦楽オーケストラと2人の打楽器奏者のための(2018~19)
指揮:板倉康明
打楽器:松倉利之/和田光世
東京シンフォニエッタ
8月23日「室内楽XXI-2」、山本和智『ヴァーチャリティの平原』第2部、「映像を演奏する楽器」ヴィデオロンと室内楽の合奏が注目のはずだったが、残念ながらヴィデオロンの使用法は安易だったと言うしかない。演奏された映像は〈波打ち際〉〈滝〉〈雪〉〈山間の霧もしくは雲〉〈岩礁に波〉〈水中から空を見る〉と見たが、それらの映像がヴィデオロンによって順行・逆行して、そこに室内アンサンブルが重なって、筆者には「だから何なのかわからなかった」のである。これならば一昨年の特殊音楽祭での『ナポリの情熱の声』の方が笑い抜きでもヴィデオロンの真価を発揮できていた。
エリオット・カーター『ダイアログ』、これはピアノの朝川万里の独壇場。ジャンル不問のドバラダなピアノに室内オーケストラが絡むが、ドバラダなピアノがとにかく明朗快活で楽しすぎる。だが、これが前衛かと言われると少々迷う。良い作品だとは思うが、聴いている最中、聴き終わった後で自分の中の何かが変化したか、と自問すると、楽しかったが何も変化しなかった、と答えるしかない。
山根明季子『水玉コレクションNo.4』耳をつんざくような硬質な単音が中途半端な長さで止められる。これが繰り返される中、音の断片が単音から次第に増えていき、音が丸みを帯びていき、でもやっぱり中途半端な長さで音は止められる。時間的に前後の音の関係もあるようでないような中途半端さ、同時に奏される音の関係もあるようでないような中途半端さ。何もかも中途半端で正体不明、これが山根の〈アヴァンギャルドな気持ち悪さ〉である。やっていることはいつもの『水玉コレクション』シリーズとほぼ同じなのだが、実際に聴くと毎回新しく、毎回気持ち悪い(褒め言葉である)。
一柳慧『コンチェルティーノ―Time Revival―』については彼のオーケストラ作品とまとめて最後に述べる。
♪8月26日 大ホール
“オーケストラスペース XXI-1”
<演奏> →foreign language
指揮:杉山洋一
三弦:本條秀慈郎(*)
マリンバ:西岡まり子/篠田浩美(**)
ガムラングループ・ランバンサリ(**)
読売日本交響楽団
<曲目>
高橋悠治:『鳥も使いか』三絃弾き語りを含む合奏(1993)(*)
山根明季子:『アーケード』オーケストラのための(2020、世界初演、サントリーホール委嘱)
山本和智:『ヴァーチャリティの平原』第2部 iii) 浮かびの二重螺旋木柱列 2人のマリンビスト、ガムランアンサンブルとオーケストラのための(2018~19、世界初演、サントリーホール委嘱)(**)
高橋悠治:『オルフィカ』オーケストラのための(1969)
8月26日「オーケストラスペース XXI-1」、この回は現代作曲家がオーケストラの使い方を忘れてしまったのを如実に現しているように筆者には思えた。
まず高橋悠治『鳥も使いか』、端的に言って、オーケストラと意匠としての前衛技法をまとわせたことによって三味線をつまらなくしているだけのように聴こえ、「ああ、三味線が聴きたいなあ」と思いながら三味線協奏曲を聴くという矛盾に満ちた不満を最後まで持ち続けてしまった。何か理屈があるのかもしれないが、「だから何なのか?」という正直な感想は消えることはない。
山根明季子『アーケード』、ゲームセンターやパチンコの音響をモデルに作ったオーケストラ作品らしいが、これも「だから何なのか?」という問いかけに耐えられるものではないと感じた。作者は「どの層の知覚を拾ってどの層の知覚を捨てるか。どことどこを組み合わせて或いは自発的に何を聴くか、選択次第で様相が全く異な」る音楽だとしているが(プログラム・ノートより)、人の耳は音が複数現れるとその関係性をほぼ自動的に作り出して聴いてしまうので、ゲームセンターなどのカオスな、一切合切が無関係に鳴り響き続けている状態をオーケストラで作り出すためには「無関係に聞こえる音をどう作るか」を深く考えねばならない。本作ではクリシェ的な音をただなんとなくオーケストラに演奏させていただけであって、筆者はそこから豊かな音楽を選択することはできなかったし、「選択次第で様相が全く異な」るとうたうほど多様な様相を持った音の集合だとも思えなかった。
山本和智『ヴァーチャリティの平原』第2部iii)浮かびの二重螺旋木柱列、は、2人のマリンビスト、ガムランアンサンブルとオーケストラのための作品であるが、これらを同じ曲で合奏させる必然性を作品が持ち合わせていない。マリンバはマリンバだけで良く、ガムランはガムランだけで良く、オーケストラは飾りにすぎないように感じた。
現代日本で現代音楽のオーケストラ作品が演奏される機会などめったにないが、オーケストラは室内楽を大きくしただけのものではなく、オーケストラにはオーケストラ特有の音楽が必要とされる、という〈常識〉までが失われてしまったのだろうか、と悔しく情けない気持ちになってしまった。
この日最後は高橋悠治『オルフィカ』、打楽器を含まない80人のオーケストラを10個くらい(正確な数は不明)のグループにわけて演奏させたものであったが、今回一番「オーケストラならでは」の音楽と聴こえたのはこの作品であった。師・クセナキスの影響は明らかだが、もっと朴直で、木造建築のクセナキスとでも言った趣きがある。なにより、1つ1つの楽器、1つ1つのグループが〈個〉としてありつつ、オーケストラとして〈全〉を構成しているのがはっきりと聴こえてくる。一日の最後に大きく深呼吸して肺臓に空気が入った心地がした。
♪8月30日 大ホール
“オーケストラスペース XXI-2”
<演奏> →foreign language
指揮:鈴木優人/川島素晴(*)
東京フィルハーモニー交響楽団
<曲目>
川島素晴:管弦楽のためのスタディ「illuminance / juvenile」(2014/20 世界初演 サントリー芸術財団委嘱)(*)
杉山洋一:『自画像』オーケストラのための(2020、世界初演 サントリーホール委嘱)
一柳慧:オーケストラのための交響曲第11番『φύσις(ピュシス)』(2020、世界初演、サントリーホール委嘱)
8月30日「オーケストラ スペースXXI-2」、川島素晴『管弦楽のためのスタディ』第1楽章「illuminance」では「20に及ぶ自然界の「光の現象」をテーマにイメージが紡がれ、織り成していく」(プログラム・ノートより)とあり、たしかに様々な光を思わせる川島のオーケストレーションの妙技には感心したものの、それぞれの光に関係性がほとんどないまま羅列され、音楽が時間的構築物であることが忘れられてしまっているようであった。
第2楽章「juvenile」、指揮者(川島)が客席側を向いて〈指揮〉を少しして、オーケストラがそれに応じて断片を演奏する。指揮者はオーケストラの断片に一々感動して、コクコクとうなずいてまた違う〈指揮〉をしてオーケストラに違う断片を演奏させる……のを繰り返していると演奏者があきれてスマホをいじり始めたり出ていったりする……などなど、寸劇調のステージが続くが、全て記述すると長くなるので割愛。指揮者が「もっと面白いことやりますから」と言ってまた集めたオーケストラにも、最後は全員にその場を去られて、バスドラムの一撃で指揮者が仰向けに倒れて、終了。つまらなくはないが……前衛というにはあまりにも〈普通の劇〉ではなかろうか。
杉山洋一『自画像』、先日の室内楽作品に続いてこれもまた政治的な作品。「自分(引用者註:杉山)が生まれ、シュトックハウゼンの『賛歌(ヒュムネン)』が完成した1969年から現在までの半世紀における世界各国の戦争紛争地域の国歌や州歌を、極力時間軸に沿って配置したもの」(プログラム・ノートより)で、世界の地域を楽器ごとに分担させて、互いに無関係に響く、物凄い声部数のポリフォニー作品としたもの。バスドラムが叩かれることによって作品内世界で1年が経ったことを示し、また時折アンヴィルやチューブラーベルが叩き鳴らされる。ポリフォニーによる音響体の物凄さと共に、争いがかくも止まずに世界中で置き続けているのか、という、見たくないが見なければならない現実を聴かされる。そしてタイトルは『自画像』、自らの生の政治性を背負ってのこの作品は、政治的自己存在論の音楽とも言うことができよう。なんとも重いが、音楽を聴くこちらでも担わねばならぬ重みを持った作品であった。
8月23日「室内楽XXI-2」での一柳慧『コンチェルティーノ―Time Revival―』と、30日の一柳の交響曲第11番『φύσις(ピュシス)』をまとめて評するが、これらは前衛がどうこう、技法・書法がどうこうという以上に、「なんとしてでも音楽を書いてやる」という一柳の執念、もしかすると怨念のようなものを感じてしまった。どうしても一柳慧という作曲者個人の〈念〉を感じてしまい、音楽そのものの評価は難しい。作曲家という人間が背負う業の深さを思い知らされた。
♪8月29日 大ホール
第30回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会
<演奏> →foreign language
指揮:沼尻竜典
新日本フィルハーモニー交響楽団
<曲目>
(第28回芥川作曲賞受賞記念サントリー芸術財団委嘱作品)
坂田直樹(1981~)『手懐けられない光』オーケストラのための(2020、世界初演、サントリー芸術財団委嘱)
(第30回芥川也寸志サントリー作曲賞候補作品)
冷水乃栄流(1996~):『ノット ファウンド』オーケストラのための(2018~19)
小野田健太(1996~):『シンガブル・ラブII-feat.マジシカーダ』オーケストラのための(2018~19)
有吉佑仁郎(1994~):『メリーゴーラウンド/オーケストラルサーキット』オーケストラのための(2019)
(選考委員)金子仁美/福井とも子/望月京
(司会)長木誠司
最後に8月29日の第30回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会について。
まずは坂田直樹の新作委嘱作品『手懐けられない光』、これはどうにも歯がゆい作品であった。耳と心の表層を音がなでていくばかりで、いつまでたっても耳と心の芯に達する音が出てこない。例えるならば、天ぷら屋に入って、天ぷらの衣だけを延々と食べさせられて肝心の天ぷらの中身がないような感触。これもまた「だから何なのか?」の音楽であった。
以下が第30回芥川也寸志サントリー作曲賞候補作品。
冷水乃栄流『ノット ファウンド』、ベートーヴェンの第9番交響曲の断片が現れては、潰れて音響の中に消えゆく。この崩壊が面白く感じられるのは題材が第9だからであるが、第9を使う音楽的、また音楽外的意味が浅く、(杉山洋一のような)政治的深みや文化論的深みに達することがない。「第9だから何なのか?」の音楽であった。
小野田健太『シンガブル・ラブII-feat.マジシカーダ』、しつこいようだが、これもまた「だから何なのか?」の音楽であった。90年代J-POP風の音楽が使われていたらしいが、筆者には安易な調性音楽の断片が使われてるとしか思えなかったし、なにより、だから何なのか?「「90年代的ダサさ」を作品に潜めています」(プログラム・ノートより)、だから何なのか?90年代J-POP(と作者が思っている素材)を使って、意匠としての前衛・現代音楽の技法を散りばめて、作曲者は何を聴かせたいのか、筆者には最初から最後までわからなかった。
有吉佑仁郎『メリーゴーラウンド/オーケストラルサーキット』、オーケストラを環状に配置する、といっても、舞台上で指揮者の周りに環を作るので、このアイディアは明らかに聴衆にも、後ろに楽器を配置された指揮者にも意味がない。だが、ドバラダ!としたフリージャズっぽい部分、欧米の古いダンスホールにかかっていたような音楽、ディズニー映画音楽のような音楽が〈はっきりと〉現れ、かつ音楽的論理の文脈が繋がっている。「これを聴かせたい」という主張が音楽的に示されており、この日の音楽で「だから何なのか?」という問いに音楽で正直に応えてくれたのはこの作品のみだった。
生憎と体調不良により選考会は見ずに帰宅した。受賞作は小野田健太であったが、選考委員の授賞理由を聞きたかったとつくづく思っている。
(2020/9/15)
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The Producer Series TOSHI ICHIYANAGI – 2020 Tokyo ‘Avant-garde’
♪8/22 Blue Rose
“Chamber Music XXI-1”
Madoka Mori : Double Concerto for Violin, Cello and String Orchestra, “JANUS” (World Premiere, comissioned by Suntory Hall)
Conductor : Yoichi Sugiyama
Violin : Kazuhito Yamane
Cello : Michiaki Ueno
Ensemble CMA
1st Violin : Gentaro Kagitomi / Ikune Yamagata / Yukako Uchino / Chisato Wakasugi
2nd Violin : Souki Kitahara / Yuri Miyamoto / Yuriko Takemoto
Viola : Moe Fukui / Takuto Kawakami
Cello : Mizuki Akitsu / Ayu Matsumoto
Double Bass : Hiromi Nagasaka
Karlheinz Stockhausen : 15. Stunde “ORVONTON” für Bariton und Elektronische Musik aus KLANG – Die 24 Stunden des Tages (Japan Premiere)
Baritone : Takashi Matsudaira
Electronics : Sumihisa Arima
Atsuhiko Gondai : COSMIC SEX for Six Players
Conductor : Yoichi Sugiyama
Flute : Ayako Takagi, Violin : Kazuhito Yamane, Cello : Ueno Michiaki
Percussion : Yoshiko Kanda, Harp : Kazuko Shinozaki, Piano : Aki Kuroda
Yoichi Sugiyama : Quintetto “The Last Interview from Africa”
Tokyo Gen‘On Project
Electronics : Sumihisa Arima, Saxophone : Oishi Masanori,
Percussion : Yoshiko Kanda, Piano : Aki Kuroda,
Tuba : Shinya Hashimoto
♪8/22 Blue Rose
“STOCKHAUSEN PLUS 1”
Karlheinz Stockhausen : 13. Stunde “COSMIC PULSES” für Elektronische Musik aus KLANG – Die 24 Stunden des Tages
Electronics : Sumihisa Arima
♪8/23 Blue Rose
“Chamber Music XXI-2”
<Pieces & Players>
Kazutomo Yamamoto : Field of Virtuality Part 2 ii) Another Roaming Liquid for Ensemble
Conductor : Yasuaki Itakura
Videolon : Yoji Sato, Guitar : Gaku Yamada, Videolonics : Hideaki Isobe
Tokyo Sinfonietta
Elliott Carter : Dialogues for piano and Chamber Orchestra
Conductor : Yasuaki Itakura
Piano : Mari Asakawa
Tokyo Sinfonietta
Akiko Yamane : Dots Collection No.4 for Chamber Orchestra
Conductor : Yasuaki Itakura
Tokyo Sinfonietta
Toshi Ichiyanagi : Concertino – Time Revival – for String Orchestra and Two Percussionists
Conductor : Yasuaki Itakura
Percussion : Toshiyuki Matsukura / Mitsuyo Wada
Tokyo Sinfonietta
♪8/26 Main Hall
“Orchestra SPACE XXI-1”
<Players>
Conductor : Yoichi Sugiyama
Sangen(Shamisen) : Hidejiro Honjoh(*)
Marimba : Mariko Nishioka / Hiromi Shinoda(**)
Gamelan Ensemble : Lambangsari(**)
Yomiuri Nippon Symphony Orchestra
<Pieces>
Yuji Takahashi : Tori mo tsukai ka for Orchestra with a Shamisen / Vocal Player(*)
Akiko Yamane : Arcade for Orchestra (World Premiere, Commissioned by Suntory Hall)
Kazutomo Yamamoto : Field of Virtuality Part 2 iii) Floating Double Helical Timber for Two Marimbists, Gamelan Ensemble and Orchestra (World Premiere, Commissioned by Suntory Hall)(**)
Yuji Takahashi : Orphika for Orchestra
♪8/30 Main Hall
“Orchestra SPACE XXI-2”
<Players>
Conductor : Masato Suzuki / Motoharu Kawashima(*)
Tokyo Philharmonic Orchestra
<Pieces>
Motoharu Kawashima : Study for Orchestra “illuminance / juvenile” (World Premiere, commissioned by Suntory Foundation for the Arts) (*)
Yoichi Sugiyama : Autoritratto for Orchestra (World Premiere, Commissioned by Suntory Hall)
Toshi Ichiyanagi: Symphony No.11, “ φύσις” for Orchestra (World Premiere, Commissioned by Suntory Hall)
♪8/29 Main Hall
Yasushi Akutagawa Suntory Award for Music Composition
<Players>
Conductor : Ryusuke Numajiri
New Japan Philharmonic
(Commissioned Work of The 28th Competition of Akutagawa Award for Music Composition)
Naoki Sakata : Lumière indomptable for Orchestra (World Premire, Commissioned by Suntory Foundation for the Arts)
(Candidate Pieces)
Noeru Hiyamizu : Not Found for Orchestra
Kenta Onoda : Singable Love II – Feat. Magicicada for Orchestra
Yujiro Ariyoshi : Merry Go Round / Orchestral Circuit for Orchestra
(Open Screening)
Jury : Hitomi Kaneko, Tomoko Fukui, Misato Mochizuki
MC : Seiji Choki