Menu

特別企画|クラシック音楽とネット配信:オーケストラの取り組み (2)|能登原由美

クラシック音楽とネット配信:オーケストラの取り組み(2)

Text by 能登原由美(Yumi Notohara)

◆はじめに:「オーケストラ存続の危機」とネットの活用

先月号において、筆者は急速に普及した音楽動画配信への取り組みについて、西日本のオーケストラに焦点を当てて報告した。今月号では、東日本所在のオーケストラに対して同様に取材したものを報告する*。ただし、これらの取り組みは相互に比較するものではない。というのも、3月の時点では公演の開催がかろうじて可能であり、無観客公演の動画同時配信が話題を集めもした。ところが、4月7日の緊急事態宣言発令以降は外出自粛も促され、「三密」を避ける生活様式が求められるようになった。その結果、複数の人が一箇所に集まって何らかの活動をすること自体、出来ない状態になっている。これは、大勢の奏者による音楽の生成が醍醐味となるオーケストラにとっては、その存在自体を脅かすことを意味し、経済的な損失同様に深刻な問題となっている。

*今回の取材は、任意で以下のオーケストラと音楽動画配信事業者に対し、電話、またはメールで行なった。(五十音順に団体名、文中での表記、回答者)神奈川フィルハーモニー管弦楽団(神奈フィル・田賀浩一朗氏)、札幌交響楽団(札響・中川広一氏)、新日本フィルハーモニー交響楽団(新日フィル・竹内里枝氏)、東京交響楽団(東響・桐原美砂氏)、東京都交響楽団(都響・小宮瑞穂氏)、東京フィルハーモニー交響楽団(東フィル・伊藤唯氏)、日本フィルハーモニー交響楽団(日本フィル・杉山綾子氏)、山形交響楽団(山響・西濱秀樹氏)。さらに、番組製作会社、テレビマンユニオンの中村哲夫氏。なお、文中では、敬称を略して表記する。
以上の方々に対し、公演中止や延期が相次ぐ状況下での突然の取材に快くご協力いただき、心より感謝申し上げます。

そうした中、各オーケストラはネットを介した様々な音楽活動を行なうようになった。例えば、神奈フィルでは、中止となった公演の代わりに、自宅で過ごす人々に向けた「デリバリー・コンサート」と称する特別演奏の動画を配信。札響の場合、吹奏楽部員や愛好者向けに、自宅でできるトレーニングなどを紹介する動画を配信した。東フィルの場合も、団員が各自で動画を配信するほか、新たなコンテンツの配信を準備中という。新日フィルは、小編成による演奏の動画を配信するシリーズ企画(「すみだの街角から世界に音楽を!演奏動画連続配信」)を開始。だが、緊急事態宣言発令によってそれすら出来なくなると、団員が各自宅から演奏に参加する「テレワークオーケストラ」を実施した。ヒット曲のほか、オーケストラの難曲にも取り組む姿には大きな反響があった。

とはいえ、こうした演奏形態は、同じ空間と時間を共有しながら行なう従来の音楽演奏の形とは大きく異なる。もちろん、そこから生まれる新たな発想も興味深いが、それについては稿を改めよう。前回も触れたように、ここでは生演奏やCDといったこれまでの「聴取」のあり方が変わることによる「音楽伝達」の変容に注目したい。その点では、以前から音楽動画配信を積極的に行なってきた団体の取り組みが、鍵を握っているように思われる。

◆「クラシックちょい聴き」:日本フィルの取り組み

コロナ危機が始まって以降、様々な音楽動画配信の取り組みが生まれたが、その一つに、複数の音楽団体が参加する「クラシックちょい聴き」がある。
これまでに撮りためた演奏動画を配信するプロジェクトで、定期演奏会などの一部(交響曲などであれば1楽章分など)となる10分程度の短い動画を配信するものだ。プロジェクトの発案者で、他団に呼びかけるなど先導役となっている日本フィル広報担当の杉山綾子によれば、ソーシャル・ディスタンシング下の状況であっても、何とか本来の演奏会の姿が伝えられないか。その手段として、過去に撮った映像記録を配信することにしたという。

「クラシックちょい聴き」ロゴ

杉山によると、この取り組みのきっかけとなったのは、テレビ番組制作会社、テレビマンユニオンによるクラシック音楽の動画配信事業であった。同社が2012年に開設した「テレビマンユニオン チャンネル」において、日本フィルの演奏動画も同年から配信され始めたが、その結果、このチャンネルに演奏会の動画記録が膨大に蓄積されていたのである。演奏会が出来ない状況になり、未配信のものも含めて映像アーカイブを改めて紹介するとともに、やはりテレビマンユニオンと提携して演奏会動画を記録していた他の音楽団体にもプロジェクトへの参加を呼びかけた。さらに、それらを広めるべく、「クラシックちょい聴き」という名前とロゴを掲げたという。「日本フィルの宣伝だけではなく、クラシック音楽界全体の普及に繋がれば」という意見が内部にあったといい、「特定の団体のファンであっても、このサイトに行くことで他の団体の存在を知り、その演奏も聴くことができるのも良いのでは」と杉山は話す。

一方、このプロジェクトの土台となったテレビマンユニオンのチャンネルは、同社代表取締役の中村哲夫が開設と運営に携わるとともに、実際の撮影や動画編集なども行なってきた。中村によれば、様々なジャンルの中で最初にクラシック音楽を取り上げた理由として、「ネットの時代に入り、マスメディアでは取り上げられにくいクラシック音楽を自ら発信することが可能になった」ことを挙げる。また、全曲ではなく曲の一部、つまり10分程度という「気楽に聴ける長さ」のコンテンツを無料で配信することで、「クラシック音楽を好きになりそうな人を誘い込む」狙いがあったと話す。もちろん、あくまで生演奏に出かけてもらうのが理想。けれども、スタートからほぼ8年、視聴者数も順調に増加しているといい、近いうちに全曲の動画の有料配信も始める予定だ。その利益を主催者側の収益に繋げることも、当初から考えていたという。

4月末に始まった「クラシックちょい聴き」。参加の呼びかけには、多数の団体が応じ、5月11日時点ですでに、8つの音楽団体と1つの音楽ホールが参加している**。しかも、オーケストラや合唱、吹奏楽などジャンルは複数にまたがり、さらに広響や札響など、地理的な問題から普段はほとんど顔を合わせることのないような団体が軒を並べる。いわば、日本のクラシック音楽界の「プラットフォーム」の様相も見せ始めている。今後どのような形へと発展していくのか、大いに期待されるところだ。

**5月11日時点での参加団体は下記の通り(五十音順)。
  ・紀尾井ホール
  ・札幌交響楽団
  ・新日本フィルハーモニー交響楽団
  ・仙台フィルハーモニー管弦楽団
  ・東京佼成ウインドオーケストラ
  ・東京混声合唱団
  ・日本フィルハーモニー交響楽団
  ・広島交響楽団
  ・横浜シンフォニエッタ

◆「春休みの贈り物」:都響の取り組み

都響の場合も、やはり2012年よりYou Tubeにて「都響LIVE!ハイライト」の公開を始めている。紙からネットへと媒体が移行しつつある時代の流れを鑑み、動画配信は不可欠と考えてのことだったという。当初は文字通り、演奏会のハイライトを編集した動画を配信していたが、視聴者などからの要望により、現在ではYou Tube公式チャンネルで全楽章をノーカットで公開している。また、昨年9月に行なった定期演奏会は、クラシック音楽のプラットフォームとして世界最大規模を誇るmedici. tvからも配信されるなど(現在は有料会員のみ視聴可)、演奏会動画の配信を積極的に進めてきた。

一方で、ロール・プレイング・ゲーム「ドラゴンクエスト」の楽曲演奏を「ニコニコ生放送」(以下、ニコ生と略称)で定期的にライブ配信するなど、クラシック音楽ファンに限らず幅広い層を対象にした動画配信も手掛けてきた。そうした中、コロナ危機の下で急遽企画、配信したのが、「春休みの贈り物」だ。〈長く愛される名曲を〉、〈オーケストラ名曲集〉と題した2本の動画からなり、前者については、アニメ・ソングなど世代を超えて口ずさめる音楽を、後者については、指揮者による解説を交え、クラシックに馴染みのない人にもオーケストラの名曲を伝えられるような構成となっている。先の「ドラゴンクエスト」同様に、より幅広い聴衆に向けられたものと言えるだろう。

興味深いのは、この「春休みの贈り物」の配信前と後で、You Tubeチャンネルの視聴者に変化が見られたことだ。広報担当の小宮瑞穂によると、同プログラムの配信前の視聴者は、男性が90%以上と圧倒的であったが、配信後は男性が53%、女性が47%とほぼ半数になったという。同様に、年齢分布においても変化が見られ、例えば配信前は24%だった55歳以上の視聴が、配信後には44%まで増加。これらの点について小宮は、「これまでの視聴者層以外の人が映像を視聴していることがうかがえる」と分析する。さらに、視聴者のコメントには、従来のクラシック音楽ファンとは異なる層からのものもあり、新たな客層に届いているものとみる。

このように、新しいプログラムの発信により、従来のファンとは異なる視聴者が楽団の公式チャンネルを見始めたと考えられるが、当然ながら、彼らは同じサイトに並べられた定期演奏会動画の表示も目にすることだろう。なかには、実際に視聴する人もあるに違いない。つまり、聴き手にとっては、これまで触れることのなかった音楽の世界を見る場(プラットフォーム)となるものであり、「クラシックちょい聴き」同様、クラシック音楽ファンの拡大につながる可能性を秘めているのではないだろうか。

◆「聴き手」のコミュニティ:東響の取り組みから見えてきたもの

東響では、定期演奏会などの動画については、有料の会員制動画配信サービスを通して行なってきた。同団フランチャイズ事業部の桐原美砂によれば、サービスを開始したのは2018年。ただし、3月の演奏会自粛以降に会員数が増加しているといい、生演奏が見られなくなったことが影響している可能性がある。いずれにしても、ネット配信への関心が高まっていることは、ここからもうかがえる。

一方で、3月8日に予定されていた「ミューザ川崎シンフォニーホール名曲全集第155回」の公演を無観客で開催し、かつ、ニコ生で無料同時配信した。その6日後には、別の公演をやはりニコ生で同時配信している。さらに、前者については、4月18日の「ニコニコネット超会議」において再放送されている。

ニコ生による演奏会動画の生配信については、先月号のセンチュリー響による取り組みの中で紹介したように、視聴者のコメントが即座に表示されるなど、発信者と受信者の間での双方向のやりとりが可能となるのが特徴の一つだ。また、視聴者は目の前の番組に対してその場で「投げ銭」や「寄付」を投じることもできる。すなわち、収益に繋がるツールを備えているわけだが、興味深いのは、そうした寄付行為も、画面にその都度表示されていくことだ。つまり、各視聴者はここでも他者の反応を即座に知ることができる。

一方で、桐原が指摘するように、これらのコメントを通して視聴者同士のコミュニケーションが生まれていることにも注目したい。筆者自身は4月18日の再放送を見たが、確かにそうしたコミュニケーションの場が生成されていた。つまり、楽器や楽曲、奏者などについて質問をすると、他の視聴者がそれに対して応答するといった、視聴者同士の「対話」が生まれていたのである。しかも、東響ファンやクラシック音楽ファンなどコンサートに精通した人と、クラシック音楽は初めてという人と、普段の演奏会場では交流することのないような人々のやり取りも見られた。それらの言葉は、桐原いわく、「温かい」もので、友好的で親和性の感じられるものが大半であった。こうした対話を通して、「同じ場所にいなくても、まるで同じ演奏会場にいるような、一体感のようなものを感じた」といい、さらに、「実際の会場では見知らぬ人に話しかけたり、質問したりすることにはためらいがあるが、ここではそうした壁があまり感じられないのではないか」と桐原はみる。

このように、普段は異なる世界に住む人々が一つの動画を訪れ、コミュニケーションを交えつつ音楽を共有していることがわかる。先の「クラシックちょい聴き」や都響の例では、一つのサイト、プラットフォームに並んだ異なる扉が人々を新たな世界へと導くものとなっていたが、この例では逆に、異なる世界にいる人々を結びつける一つの場所、プラットフォームになっているようだ。

◆演奏会を共有する場:山形から世界へ

前号で紹介した京響同様に、演奏会のライブ配信にこだわるのは山響だ。無観客公演となった3月14日の定期演奏会の模様を同時配信したことで話題を集めたが、実はそれ以前に、昨年11月の定期演奏会についても動画を同時配信している。映像を配信したのは、クラシック音楽の動画配信サービスを行なうCurtain Call。今年9月に本格始動する予定の新しい会社で、代表取締役の酒井光一については前号でも紹介した通りだ。まだ無名だった同社に注目した理由について、山形交響楽協会専務理事で楽団事務局長を務める西濱秀樹は、酒井の能力と熱意を挙げるとともに、その発信力の高さを強調する。すなわち、Curtain Callの場合、アメリカの大手音楽配信会社、The Orchardと提携しており、それを通して世界規模のプラットフォームでの動画配信が可能となる点だ。

そもそも、日本のオーケストラの水準はすでに世界レベルであるにもかかわらず、その発信力については、これまで決して十分とはいえなかったと西濱はいう。とりわけ、ネット配信に関しては、まだかなり遅れている。一方、山響の場合、SNSをいち早く取り入れるなど、ネット上での広報活動も積極的に行ない、ホールに来る観客のみならず幅広い視聴者層の開拓を進めてきた。その結果、動画配信の際にはすでに、ネットがファンと楽団を結ぶコミュニケーションの場として成立していたという。例えば、3月の無観客公演では休憩時間に「質問コーナー」が設けられ、ツィッターを通して寄せられた視聴者からの質問に指揮者が舞台から応答するという、双方向のやり取りが活発に行なわれた。同様の「対話」は、演奏前後でも盛り上がりを見せた。これは、音楽を同時に共有し、感動を共にするという点で、まさにネットを介した「演奏会の共有」だったと言えるのではないだろうか。

もちろん、演奏レベルについても、山響は世界のオケに引けを取らないと西濱は自負する。その演奏が世界規模のプラットフォームにおいて配信されるようになれば、圧倒的な数の聴き手に対して開かれることになる。定期演奏会では常に満席に近い状態となるが、人口僅か25万の山形市から世界に向けて演奏会の様子を発信すれば、聴衆は世界規模に広がることになる。

ただし、これは裏を返せば、奏者にとっては過酷なものになるといえるだろう。というのも、一つの場所(プラットフォーム)に、世界中の楽団が居並ぶのだ。聴き手にとっては、他国のオーケストラの演奏会を容易に体験できると同時に、様々な演奏を見比べることが可能となり便利だが、奏者は見られる側、比較される側になる。西濱は、生演奏を配信することによる緊張感が奏者を強くし、オーケストラを成長させると言うが、舞台は世界。しかも、録音・編集された映像の配信とは異なるのだから、これまでとは違った鍛錬、精神力が要求されるに違いない。

いずれにせよ、世界中の演奏会の共有が可能となること、これは奏者、聴者双方にとってこれまでにない体験であり、この点も動画の同時配信の魅力といえそうだ。

◆おわりに:コロナ危機を乗り越えたその先に

以上、音楽動画配信の取り組みの事例をいくつか見てきた。いずれも、非常に厳しい状況に置かれたオーケストラ界、いや音楽界全般に対し、当面の窮状を打開するものであると同時に、コロナが終息した後、すなわち「ポスト・コロナ」をも見据えた音楽界の発展に繋がる可能性を秘めていたと思われる。

もちろん、現時点では少人数のアンサンブルさえ難しく、また、この状態がいつまで続くのか見通せないのもやるせない限りだ。そうした中で、5月1日に行なわれたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の無観客コンサートのように、奏者の数を極力抑え、ソーシャル・ディスタンシングに従いアンサンブル空間の形を変えた演奏の同時配信は、音楽活動再開の可能性を示すものであったように思える。今後も流行の波が繰り返されるといわれ、長期化が予測されているコロナ禍のもとでの音楽のあり方を模索する上で、こうした試みは何度でも必要であろう。同時に、この状況下では「テレワーク」や「オンライン授業」の浸透とともに、音楽動画の配信と受容も急速に進むことは間違いない。こうした音楽伝達における変化も、長期的にみれば、音楽そのものに大きな影響を与えていく重要な因子となるのではないだろうか。

(2020/5/15)