Books|グレタ たったひとりのストライキ|藤堂 清
グレタ たったひとりのストライキ
Scener ur Hjärtat
Our House is on Fire — Scenes of a Family and a Planet in Crisis
マレーナ&ベアタ・エルンマン グレタ&スヴァンテ・トゥーンベリ 著
羽根 由 訳
海と月社 2019年10月/ 1600円 ISBN 978-4-903212-68-5
text by 藤堂清(Kiyoshi Tohdoh)
メゾ・ソプラノのマレーナ・エルンマン(Malena Ernman)の名前を知ったのは、武蔵野文化事業団からのチラシを見たとき。2002年に単身来日し、リサイタルを行い、その将来性を強く感じさせた。二度目に日本でステージに立ったのは、2015年のNHK交響楽団定期公演、エド・デ・ワールトの指揮で、ラヴェルの《シェエラザード》とショーソンの《愛と海の詩》、二つの歌曲集を歌っている。こちらは映像収録され、テレビで放送された。
この2002年から2015年の間、彼女は、オペラで、コンサートで目覚ましい活躍を続けていた。オペラではバロックから現代までさまざまな役柄を歌い、高い評価を受けてきた。2009年のユーロビジョン・ソング・コンテストにスウェーデン代表として参加するなど、クラシックだけでなくポップスにも進出した。
ここ数年、ヨーロッパで彼女のオペラ出演のニュースが聞えてこなくなった。1970年生まれだから声の衰えということも考えにくいし、2015年の来日時もヴィブラートを抑えた声の安定した歌い口は魅力的であった。その際のインタビューでは、ポップスやジャズといった分野をまたがる活動にも意欲を示していた。
今年になって、思わぬ形で彼女の現在を知ることになる。
グレタ・トゥーンベリ、2019年9月にニューヨークで行われた国連気候行動サミットでのスピーチが注目を集めた16歳のスウェーデンの少女。国連からのプレスリリースでもふれられている。当誌では、松浦茂長さんがコラム「パリ・東京雑感」で、『グレタ・トゥンベリ 深き淵からの怒り』として、環境問題の30年間を概観し「グレタさんが一人で始めた抗議が1年で数百万人を動かすまでになり、各国の議会に招かれて演説」と彼女の活動について述べている。
ニュースでもずいぶん取り上げられたが、彼女の名前が、Greta Ernman Thunbergであることにしばらくは気付いていなかった。
そうグレタはマレーナの娘なのだ。
この本は、マレーナ・エルンマンとパートナーのスヴァンテ・トゥールベリ、そして彼らの二人の娘グレタとベアタの共著となっている。記述内容からみてマレーナによるものが中心だろう。原著はグレタが「気候のための学校ストライキ」を始めた2018年8月直後に発行された。2019年に出た増補版では「ストライキ初期の活動にもふれた」と書かれている(日本版には入っている)。
記述は、大きく5つの部分で構成されている。
Ⅰ 家族の話
Ⅱ 本当の地球の姿
Ⅲ 真実を知って未来をひらく
Ⅳ やることすべてに意味がある
グレタの主張(世界各地でのスピーチ)
本書の中核である気候問題にかかわる部分はⅡ以降、最初の「家族の話」ではマレーナとスヴァンテ、そしてグレタとベアタの関係が述べられる。
グレタが生まれたのは2003年、彼女が十代に入るまでに、マレーナは世界のトップクラスの劇場で歌うようになっていった。スヴァンテは彼女の活動を支え、家族で行動した。
「その状態が12年続いた。苦労もしたが、それ以上に喜びが多い日々だった。私たちはある都市に2ヶ月住むと、すぐに別の都市に移った。ベルリン、パリ、ヴィーン、アムステルダム、バルセロナ。・・・」
グレタの調子が悪くなり、学校でも泣き続け、食べられなくなったとき、マレーナとスヴァンテはオペラ劇場で歌うことを止め、コンサートのみにする決断をする。「グレタを暗闇から連れ出すために、これまでしてきたことを変える。」
このころ、グレタは学校で陰湿な「いじめ」を受けていた。そのことを彼女は「友だちなんていらない。友だちは子どもだし、子どもはみんな意地悪だから」と言う。学校がグレタの話を受け入れようとせず、彼女の側に問題があるとしていたというのだが、スウェーデンでも日本と同じことがおこるのだと認識させられた。
マレーナの名前がオペラ劇場から消えた理由は分かってきた。
コンサート活動は続けられ、より多くの聴衆へのアプローチを二人で進めていくことを目指す。二度目の来日はこの時期以降だろう。このときの日本でのことは本のなかでもふれられている。飛行機による環境破壊への反省として。
グレタに触発され、気候問題について積極的に発言するようになったマレーナは「飛行機に乗らない」と決意した。音楽家にとって、活動範囲を大幅に狭める決断だろう。だが、「飛ばない」音楽家の数は増えてきて、招聘する側にとって懸念材料となってきているという。
グレタが、アスペルガー症候群、高機能自閉症、強迫性障がいと診断され、いくぶんか食べられるようになり、新たな学校で支援を受けながら生活するようになったころ、今度は妹のベアタが爆発する。外部では良い子だが、家族に対し暴れたりする。彼女もアスペルガー症候群、強迫性障がい、反抗挑戦性障がいと診断されるが、当初はどれも診断基準に満たないといわれていた。
スウェーデンという高福祉の国でも支援を受けることはなかなか困難という点も驚きであったが、マレーナがADHDについて知識を得る時に出会った研究者の言葉も衝撃的。
「少女たちには『子どもと青少年』という一般的な言葉が当てはまることはほとんどない。」
別のADHDに関する調査で対象となったのは全員男の子だった。
少年を対象とした診断基準は少女には当てはまらず、そのため支援の対象となりにくい。
というのだ。
その後、ベアタ自身がいろいろ調べ、彼女の症状は「ミソフォニア(選択的音感受性症候群)」ではないかと気づいた。もっと広いHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という概念も提唱されている。医学も日々変わっている。
マレーナ・エルンマンの音楽家としての活動、いまはスウェーデン国内を中心とするものに限定されているのだろう。
だが、彼女がぶつかり、悩んできたこと、そして家族で解決しようと取り組んできたことは、多くの人に貴重な情報となるだろう。
この本は気候問題について書かれている部分は勿論多い。ただ、系統立てて論述しているというよりはさまざまな観点での主張を述べているという印象を受ける。
30年前に警告されていた、ハリケーンや台風の強大化、極地の氷や永久凍土の融けだしと海水面の上昇、夏の最高気温の大幅な更新、乾燥化に伴う広範囲な山火事の発生。そんな現実を前にしても、それが気候変動とは無縁だと主張する政治家や企業家たち。
本の最後にまとめられている、グレタが2018年10月から2019年5月の間にヨーロッパ各地で行ったスピーチは、そのようなリーダーたちを追い詰め、多くの人を動かす力を持っている。
(2020/1/15)