パリ・東京雑感|グレタ・トゥンベリ 深き淵からの怒り|松浦茂長

グレタ・トゥンベリ 深き淵からの怒り
Greta Thunberg  Fury from the Abyss

Text by 松浦茂長 (Shigenaga Matsuura)
Photos from Wikimedia Commons

モントリオール気候行進の参加者に語る
グレタさん(2019年9月)

9月23日、国連気候行動サミットで、お下げ髪の16歳の小柄な少女が、世界のリーダー達を睨みつけながら、こう語り始めた。
「私は今、この壇上にいるべきではありません。海の向こうで学校に通っているべきです。それなのに、あなた達は私に希望を求めてここに来たのですか?よくもそんなことが出来ますね!あなた達は空っぽの言葉で、私の夢そして子供時代を奪いました。
私たちは大量絶滅の始まりにいます。それなのにあなたたちが話すのは、お金のことと、経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないのでしょうか!
あなた達が裏切りを選ぶのであれば、私たちは決して許しません。」
偉い大人達を叱りつけるときの表情が凄かった。怒りと憎悪がこみあげ、絶望的な悲しみが噴出する。不動明王みたいに怖い目をして睨みながら、泣いている。世界の首脳達が、16歳の少女に叱られて、シュンとなるなんて前代未聞だ。
『ルモンド』の編集長リュック・ブロネルは「私たちは車のヘッドライトに照らし出されたウサギのようだった。恐慌状態に陥り、考えることも、動くことも出来ず、ひたすら少女の顔と言葉に全神経を集中した。」と書いている。
勿論グレタさんの糾弾に反発する人も多い。人気哲学者のミシェル・オンフレは7月にグレタさんがフランス議会で演説したとき、「この少女の顔はまさにサイボーグ(改造人間)だ。感情というものを持たない。」と決めつけ、「カサカサの肉体にどんな魂が宿るのか?」と彼女の人間性に疑問符を付けている(グレタさん自身、自分が自閉症の一種アスペルガーだと認めている)。アカデミー会員の哲学者フィンケルクロートも、16歳の少女を相手に、まるで人類の敵に立ち向かうかのような激しい言葉で食ってかかっている。分別ある学者がなぜこれほど激高するのだろう。もしかしたら彼らも「ヘッドライトに照らしし出されたウサギ」になった?パニックに陥り、恐怖の原因を叩き潰そうともがいているだけなのかもしれない。

1989年にモスクワから北京に出張し、帰りの飛行機で隣に座ったアメリカ人から「温室効果」という珍奇な言葉を聞かされた。「気温が上がったら、ロシアはトクしますね」とのんきな感想を言うと、「いやいや事態はそう簡単ではありません。今よりずっと激しい暴風や豪雨に見舞われるし、海岸の町は海に呑み込まれます。」と恐ろしい預言をする。「モスクワにおいしいレストランはないから、家にいらっしゃい」と誘って、妻の料理と引き換えに、若い科学者からじっくり<温室効果>の講義をしてもらった。台風やハリケーンが年々激しくなり、都市も村も水没すること、パリでも40度の猛暑が普通になること、南欧やカリフォルニアの森の火事が年々増え、コントロール不能になること、。いま僕らが目撃している異変は、すべて1980年代に分かっていた。グレタさんが言うとおりだ。「30年以上にわたって、科学ははっきり示してきました。それに目を背けて、ここにやって来て、自分達はやるべきことをやっていると、どうして言えるのでしょうか。必要とされている政治や解決策はどこにも見当たりません。」
1997年の冬、京都で地球温暖化防止の国際会議が開かれ、僕も毎日会議場に通った。どの国も、炭酸ガス削減の義務をできるだけ小さくしようとしのぎを削る、つまりいかに温暖化防止をさぼるかのせめぎ合いが夜を徹して続く。温暖化の恐ろしさを感じている役人はまれだし、8パーセントとか6パーセントとか数字だけが一人歩きし、ニュースの見出しになった。ようやく気づいたのは、良心的な国の役人が頼りにするのは、グリーンピースだということ。こっそりグリーンピースの部屋にやって来て、グリーンピースのブレインから知恵を授かっていた。彼こそ会議の本当の主役だったのだ。
あの頃は、まだ希望があった。もしかしたらまだ間に合う、制御可能と思っていた。
それから10年後、旧友のピエールを訪ねた。パリから100キロほどの国営森林園で学生を指導している。腎臓がかなり悪いらしいので、「腎臓移植は?」と聞くと、「とんでもない。透析もする気ないよ。世界はだんだん悪くなるのだから……」という。僕も内心共感し、「あと10年生きたらどんな世界を見ることになるだろう」と不吉な想像をめぐらしたのを思い出す。ピエールも僕も、地球温暖化は防ぐには遅すぎる、もう手遅れだと確信してしまったのだ。あきらめて何もしない。温暖化について考えることすらしない。(ひどくなる前に自分は死ぬから……)

スウェーデン議会前でグレタさん
ただ一人「気候のための学校スト」
(2018年8月)

『ニューヨークタイムズ』で環境問題を担当していたジャスティン・ギリス記者はこう回想している。「NASA(アメリカ航空宇宙局)のジェームス・ハンセン博士は1988年に議会で、化石燃料を燃やし続けるなら地球は急速に温暖化すると警告したのに、私たちは彼の声に耳を傾けなかった。2013年にNASAを退職する直前に彼を訪問したときのことを思い出す。私たちは、破局的気候変動に対する民衆の反乱がいつか起こるのではないか、と推測しあったのだ。今私たちはその答えを知っている。誰も予想しなかった16歳の勇敢なリーダーシップのもとに、数百万の若者が通りに繰り出し、怒りをぶつけ始めた。私たち大人の怠慢が、若者たちをこのような状況に追い込んだのだ。」
反乱は遅すぎた、手遅れかもしれない。10年後に振り返れば、今の台風被害や猛暑は子供だましに見えるかもしれない。東京が海に沈み、カリフォルニアが砂漠になる…。

ヨーロッパ議会に招かれたグレタさん
(2019年4月)

グレタさんが一人で始めた抗議が1年で数百万人を動かすまでになり、各国の議会に招かれて演説し、オバマさんに会ったとき「あなたと私はチームだ」と激励された。ジャンヌ・ダルクなみのけん引力はどこから来るのか?政治学者たちは、グレタ現象のなぞ解きに懸命だ。
1)グレタさんの禁欲的生活スタイルに注目し、<疑似宗教>のような現象とみる説がある。教会がさびれ、快適な生活にどっぷりつかった現代人の心の中に、失われた精神性への渇きが潜んでいる。スピリチュアル真空の中でグレタさんの自己否定、苦痛をいとわない生き方は聖女の苦行のように輝いて見えるというのだ。ニューヨークの国連会議に出席するため、彼女が小さなヨットで大西洋を渡ったとき、メディアは2週間の航海の肉体的厳しさを書き立て、シャワーとトイレの代用をするプラスチックのバケツにハイライトを当てていた。
2)政治の世界で左・右の対立は意味を失い、フランスでは社会党が消滅しかかっている。かわって、これまで個人の生活スタイルに過ぎなかったものが若者の政治テーマに仲間入りした。たとえば、新品は買わず古着や中古の家具・家電しか買わない、飛行機に乗らない、動物を原料とする製品は買わない…。伝統的な<左>対<右>の座標軸にとって代わって若者の政治座標軸に躍り上がったのが、自然との関係=<自然の支配・収奪>対<自然信仰>であり、その結果、ヨーロッパで緑の党が大躍進した。菜食主義者グレタ、ニューヨークまで飛行機を拒否し、化石燃料を消費しないヨットを選んだグレタこそ、この新しい座標軸のアイコンにぴったりだ。
3)第二次大戦後、豊かな人生のしるしは自動車、一軒家、旅行の3つだった。グレタさんを猛攻撃した哲学者、フィンケルクロートやオンフレの世代にとって、いつでもどこにでも行ける自動車は人間の自由を飛躍的に拡大する進歩の象徴。彼ら5月革命(1968年)世代は、個人の自由を無限に獲得できると信じた幸せな人達である。それから50年後の世代は、気候変動に立ち向かうため、個人の自由をいかに制限するかの闘いを余儀なくされた。

『マッドマックス怒りの
デスロード』のポスター

近未来を想像するためフィクションの助けを借りよう。『マッドマックス怒りのデスロード(2015年)』というおどろおどろしいタイトルの映画は、荒廃した地球で生きる人間の姿を、神話的に示している。どこにも緑のない荒野と化した世界で、稀少な水を支配した男が神格的独裁者となり、彼に身命を捧げる兵士たちが野蛮な戦いに明け暮れる。自然の恵みが失われた地球では人間の自由も枯渇するほかない?
若者たちは、啓蒙主義以来の<自由な主体によって作られる民主主義>というモデルが役に立たなくなるのを感じているのだろう。グレタさんはそこを突いた。現在の政治・社会システムには破滅を防ぐ能力がない!啓蒙主義の遺産を守るフィンケルクロートたちがうろたえ、憤激したのも無理はない。

絶望の中から発するグレタさんの怒りのメッセージを聞いて、16年前に読んだエドガール・モランの「破滅の深淵に向かって?」という文章を思い出した。人類はいま、野蛮へと退歩し続けている。民族・宗教間の憎悪が強まり、紛争が拡大。公徳心が失われ、社会が暴力化。法による正義は忘れられ、復讐こそ真の正義…。人類には破局を回避する科学技術があるのに、政治がそれを不可能にし、奈落に向かってまっしぐらに進んでいる。
しかし「逆説的だが、人類の落ち込んでゆくカオスこそ最後のチャンスなのだ。なぜか?一つの社会システムがその死活にかかわる問題を解決できないとき、システムは解体して消滅するか、あるいは解体を経て、より豊かなメタシステムにメタモルフォーゼ(変容)するからだ。あたかも毛虫が蝶にメタモルフォーゼするように。毛虫がさなぎの繭に入るとき、毛虫という有機体の自己破壊が起こり、破壊は同時に蝶という有機体形成のプロセスである。ただ、蝶のメタモルフォーゼはあらかじめ備えられたプロセスであるのに対し、人間社会のメタモルフォーゼは偶然に左右され、不確かで、死の危険をともなう。しかしこれしか道はない。」
2003年元旦の『ルモンド』一面に載ったエドガール・モランの言葉はずっと気にかかっていたが、グレタさんの勇ましい姿を見て、人類の変容を信じたくなった。いったん壊れた中からよみがえるメタシステムの人間の予兆を、彼女の言葉、行動、姿から感じるからだろう。希望を取り戻そう。

 (2019年10月30日)