特別演奏会 auカブコム証券presents「第9」2019|藤原聡
東京交響楽団 特別演奏会 auカブコム証券presents「第9」2019
Aukabucom Securities Company Tokyo Symphony Special Concert Symphony No.9
2019年12月28日 サントリーホール
2019/12/28 Suntory Hall
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<演奏> →foreign language
指揮:ジョナサン・ノット
ソプラノ:ルイーズ・オルダー
メゾソプラノ:ステファニー・イラーニ
テノール:サイモン・オニール
バスバリトン:シェンヤン
東京交響楽団
東響コーラス
合唱指揮:冨平恭平
コンサートマスター:グレブ・ニキティン
<曲目>
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125『合唱付』
ノット&東響の演奏について言及の際には毎回書いているような気もするが、このコンビは惰性に傾いた演奏をしない。どんな曲を演奏してもその都度まっさらな視点で楽曲の「かたち」を洗い直すかのような演奏をするのがジョナサン・ノット。なるほど、意地の悪い見方をするのであれば「過去にあらゆる表現の可能性は出尽くしたのだから、敢えて他の人がやらないことをやっている」なんてことを言えば言えよう。だがそう捉えたとて、ノットの演奏に宿る一回性的なスリリングさと新鮮さの魅力が減じるものでもない。長年秋山和慶の指揮によって『第九と四季』として親しまれて来た東響のベートーヴェン:第9であるが、今年から音楽監督であるジョナサン・ノットがその指揮を引き継ぐ形となる。とは言え今年は『四季』は演奏されず――来年以降もさすがに演奏されないだろうが――第9の1曲勝負。ノットのことであるから第9の前に『ワルシャワの生き残り』辺りを持って来ても不思議ではないが(笑)、この1曲に全力投球という意味か、はたまたノットお得意のコンテクスト設定による問題提起は年末だから止めておこうと思ったのか(いや、それはない)。ともあれノットの第9、これは何か起きそうではないか。
12型のオケに弦楽器対向配置、ティンパニは客席から見てかなり上手寄り、合唱は最初からステージ上で待機。最初の6連符はもっとはっきりと聴かせるのかと思いきや芒洋として曖昧な輪郭を取る。テンポは予想通り速いが、第1主題の提示は強烈なティンパニの打ち込みと共に誠に激烈な響きを炸裂させ(まさに「炸裂」との形容が相応しい)、このコントラストが甚だしい。この強音の効果は現代的に誇張されているとも取れるが、これは今の聴衆の耳に合わせてその「効果」をアップデートしたとも言え、それゆえノットが好き勝手にやっているのとは違う。と思うと次のヴァイオリンの楽句では大きくテヌートを活かして引きずるような表情を聴かせたり、と始まってまだ間もないにも関わらず既に油断がならない。全体に自在なテンポの変化とアゴーギクを駆使、流れに任せて「何となく」進む箇所が皆無。第2ヴァイオリンやヴィオラの刻みの顕在化、木管でもトップではなく2番奏者が放つ隠れた音彩が耳を撃って来たり、とあらゆる音がクリアに立ち現れてくる様に驚嘆、ホルンにはゲシュトップ音も聴こえてくる。こういった表現性と快速テンポを両立させるのは至難の業であろうことは容易に想像が付き、それゆえ技術的には弾き切れていない箇所もないではないが、安全運転よりもリスクを取ってなんぼ、の姿勢には共感しきり。第1楽章で既に物凄い演奏を聴いたと嘆息。
続くスケルツォでもノットは攻撃の手を緩めない。叩きつけるようなオクターヴ下降、心持ち長めに取られた休符、第2主題でヴァイオリンに付けられたアクセントなど手練手管を駆使する(否定的な意味ではない)。ここでもアゴーギクは駆使され一瞬一瞬が一筋縄では行かない表情をまとう。ティンパニの強打も痛烈。対してトリオ部は逆に流れの良さで聴かせて主部とは好対照を見せる。ここまでの2つの楽章の演奏でほとんど打ちのめされる。
これに比べると第3楽章はいささかインパクトに欠けるか。軽い音と彫りの浅いフレージングで漂うように奏されるこの快速アダージョは極めて美しい音響と繊細なテクスチュアの交錯が展開されるものの、さすがにもう少しどっしりとした音楽が聴きたくもなる。響きの薄さも気にならないと言えば嘘になるが、そのようなことは百も承知でこういう音楽を指向しているのだろうからあとは聴き手がこれを受け入れるか否かの問題であろう。
終楽章、快速調の性急な低弦レチタティーヴォの語りの迫力の効果、歓喜の主題提示部での明快なパート分離、シェンヤンのバリトン・ソロを支える立体的かつ意志的な伴奏(尚、ソロ4人は合唱団の前ではなく指揮者横に位置していたが、その並びが独特で左からソプラノ→バリトン→テノール→メゾソプラノというもの。つまり男声が内側で女声が外側)。「vor Gott」に至るまでの合唱の徹底的な訓練の賜物と思われる明晰なディクションによる透明な音響、テノールソロ部でのいささかパロディックとも思える快速超のテンポ、二重フーガでの緻密で重層的な響きの作り方、そして十分に白熱しつつも急ぎ過ぎないコーダの節度など聴きどころ多数。正直に記せば第3楽章と当楽章、前半2楽章ほどの「攻め」の姿勢は感じられなかったものの、それでもそこかしこにノットの主張が散りばめられる。幕切れは文字通り圧倒的なもので、極めてアポロ的で明晰な音響が保たれつつの熱狂とでも言おうか、これもまたノットならではの音楽。以上、楽章ごとのムラはあれど、おこがましくも言うならば「耳タコ」となっていた第9でここまで感銘を受けたのも久方ぶりの体験、やはりノットは只者ではないと再度認識である。
この後にも驚きが。ステージの左右、客席に降りる階段が取り付けられていたのを開演前に見逃していなかった筆者は「何かある」と踏んでいたが、東響の第9でアンコールの定番だったという『蛍の光』(筆者は東響の「第九と四季」は中学生だかの時分に1度聴いたのみですっかり忘れていた)が演奏された。ノットがこれを演奏するとは驚いたが、『四季』がなくなった代わりにアンコールにおいて秋山&東響の長年の伝統を継承した訳だ。ホール内の照明は落とされ、合唱団の半分は先に記した階段から客席にペンライトを持って降り始める。ステージ上と客席で半々に分かれた合唱、ステージ下手で同じくペンライトを手に歌うソロ4人(日本語での歌唱ご苦労様です)。ベタと言えばベタな展開だが、しかししっかりと感動させられたのであった。2020年もノット&東響の怒涛の快進撃は続くことだろう。
(2020/1/15)
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<Artist>
Conductor = Jonathan Nott
Soprano = Louise Alder
Mezzo-soprano = Stefanie Irányi
Tenor = Simon O’Neill
Bass-baritone = Shenyang
Chorus = Tokyo Symphony Chorus
<Program>
L.v.Beethoven : Symphony No.9 in D minor, op.125 “Choral”