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サントリーホール 作曲家の個展II 2019 細川俊夫&望月京|齋藤俊夫

サントリーホール 作曲家の個展II 2019 細川俊夫&望月京
Suntory Hall Composer’s Profile II 2019 Toshio Hosokawa & Misato mochizuki

2019年11月28日 サントリーホール
2019/11/28 Suntory Hall, Main Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
写真提供:サントリーホール

<演奏>        →foreign language
指揮:杉山洋一
東京都交響楽団
オルガン:クリスチャン・シュミット(*)
打楽器:イサオ・ナカムラ(**)

<曲目>
望月京:『むすび』オーケストラのための(2010)
細川俊夫:『抱擁―光と影―』オルガンとオーケストラのための(2016~17)(*)
望月京:『オルド・アプ・カオ』打楽器とオーケストラのための(2019)(**)
細川俊夫:オーケストラのための『渦』(2019)

 

望月京と細川俊夫を迎えての今年の「作曲家の個展II」は、筆者も高く評価している2人だからこそ、演奏された作品への不満だけに留まらない現代音楽一般への疑問を呼び起こすものとなった。

まず望月京『むすび』、雅楽→祭囃子(プログラム・ノートによるとサンバらしいが、小太鼓、鉦、ピッコロなどのリズミカルな楽想が筆者にはこう聴こえた)→獅子舞、と現代日本の「おめでたい」音楽をオーケストラで模倣して繋げた作品。巧みなオーケストレーションによる一瞬一瞬の音響、短い時間区分で捉えた時の音楽は面白く感じたが、作品全体を繋げる論理的・構造的な必然性が弱く、確かに日本のおめでたい音楽には聴こえても、それが筆者には感興に結びつかなかった。

次は細川俊夫『抱擁―光と影―』、オルガンと弦楽器による、笙に似たクラスター的な和音が弱音から次第に力強く響き渡り、そこに金管楽器や打楽器が和音を割るように差し込まれる序盤から、音の波が寄せては返しを延々繰り返しつつ上昇していく。低弦楽器による轟々とした音が渦を巻く、オルガンソロのクラスターから段々音が引かれていき最高音に収束する、などの波乱も含みつつ、音の波は弦楽器のハーモニクス音でのディミヌエンドでどこかにかき消える。観念に浸って楽興を忘れるという陥穽にはまることのない堂々たる音楽と聴こえた。

望月『オルド・アプ・カオ』、イサオ・ナカムラをソロ・パーカッショニストに迎え、彼がアサラトを振り回し、金属製ギロを鳴らしつつ踊り歩き、スリットドラム、コンガ、ボンゴ、バスドラム、足踏みなど様々な打楽器を様々なリズムで叩く姿を焦点・中心点として、オーケストラがその周りを巡るように彩る。だがイサオのソロの聴覚的・視覚的面白さは確かにあったものの、オーケストラが彼と共演するというより、彼の独奏の付属物、あるいはムードメーカーに留まっていた。

ここで想起したのは3年前の望月京の音世界 vol.1―室内楽―である。室内楽での緊張感みなぎるあの音世界と、今回のオーケストラ2作品と、どこがどのように違うのであろうか。
思えらく、望月は〈どのように音を鳴らすか〉についての卓越した感覚を持ちながら、その音で、〈どんな音楽を〉〈何故作るのか〉という音楽的・内的必然性――それは欲求と当為の意識と言える――が希薄なのではないか。「さまざまな「おめでたい」音楽」(プログラム・ノートより引用)を漠然と連ねた『むすび』、「ここ数年、私は人間の秘めたる”暴力性”に興味をもっています」(プログラム・ノートより引用)という大きな主題を扱ったはずが、やはり漠然とパーカッション・ソロを中心にオーケストラをくっつけ続けたに留まった(と筆者には聴こえた)『オルド・アプ・カオ』、両作品の持つ〈漠然〉は、〈何をしても良い〉時に〈自分は何をしたいか〉という欲求、〈自分は何をすべきか〉という当為の意識が希薄であることの現れであろう。室内楽小品という制約の中でなら〈どんな音楽を〉〈何故創るのか〉という課題の焦点が絞りこめるが、より広い自由を与えられて、自分の音楽を見いだせないままに書き進めてしまった結果が今回の作品なのではなかろうか。

演奏会最後の細川作品『渦』、本作品では上昇するのではなく、渦潮の中心に吸い込まれるように下降していくものの、先の『抱擁―光と影―』に酷似した寄せては返す音の波の繰り返しが続いた。波ごとに変容する音響の多彩さには驚かされたものの、この作品では音楽が観念に溺れてしまった感が強く、筆者は曲の末尾の、水がこぼれ流れる音を疲労感と共に聴いていた。
ここで問題となるのはマンネリズムではなく、むしろマンネリズムを避けるべく考えたはずの観念的なコンセプトが音自体に表現されて聴こえなかったことである。これによって表面的なマンネリズム以上に根源的なマンネリズムに堕している筆者には思えた。

現代において、何を、どのように、何故創るのか、とは永遠の問いかけたるべきであり、望月と細川はこれまでそれに対しての見事な回答たる作品をいくつも創り上げてきた作家であだが筆者は今回の〈大オーケストラのための長大な現代音楽〉という課題に対し、その2人から満足いく回答を聴き取れなかった。演奏後の拍手を聴きながら「このままでよいのだろうか」と思い続けていたのは筆者だけであろうか。

(2019/12/15)

関連評:サントリーホール 作曲家の個展Ⅱ 2019|丘山万里子


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<players>
Conductor: Yoichi Sugiyama
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra
Organ: Christian Schmitt(*)
Percusion: Isao Nakamura(**)

<pieces>
Misatoi Mochizuki: MUSUBI for Symphonic Orchestra (2010)
Toshio Hosokawa: Umarmung – Licht und Schatten – for Organ and Orchestra (*)  (2016~17)
Misato Mochizuki: Ordo ab Chao for Percussion and Orchestra (**) (2019)
Toshio Hosokawa: Uzu for orchestra (2019)