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望月京の音世界 vol.1―室内楽―|齋藤俊夫

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望月京の音世界 vol.1―室内楽― 

2016年10月6日 杉並公会堂小ホール
Reviewed by 齋藤俊夫
写真提供: Tokyo Ensemnable Factory

<曲目・演奏>
(全て望月京作品)
「素粒子――インテルメッツィIII」(2010): 打楽器/上野信一
「トッカータ」(2005):リコーダー/鈴木俊哉、箏/吉澤延隆
「青い森にて」(1998):オーボエ/大植圭太郎
「インテルメッツィV」(2013):ヴィオラ/藤原歌花、アコーディオン/大田智美
「赤い大地」(2005):ヴァイオリン/亀井庸州、松岡麻衣子、ヴィオラ/藤原歌花、チェロ/細井唯

最初の「素粒子――インテルメッツィIII」で見知らぬ楽器(演奏会後に調べても名前がわからなかった。ラチェットでもサウンドホースでもない)を両手に一つずつ持ってグルグルと振り回して音を出しつつ奏者が入場したときから今回の演奏会はただの演奏会ではないと思わされた。銅鑼や大太鼓や金属楽器などをゴムかなにかでこすり、ふわふわとした不定形な音響があたかも遠方から会場に注がれる、さながら海中や宇宙空間に漂うかのようである。しかし最後の最後で突如金属楽器を連打してソリッドな響きで空間を裂いて聴衆との距離を狭め、大太鼓で締める。音響の不定形/定形の感触、遠距離/近距離の距離感を覆す本作、大変に面白い音楽として聴いた。

「トッカータ」ではリコーダーを様々な角度に傾けて尺八のように発音し、箏もかすかな音で震えるようにトレモロを奏する。だがリコーダーも箏も尺八本曲や伝統的な箏曲のように枯淡な音楽や雅な音楽を奏でるのではなく、不定形の音楽だが荒ぶり、何故かスピード感に溢れているという、謎めいた音楽であった。

「青い森にて」は特殊奏法をそれほど取り入れているわけでもなく、伝統的な奏法が主の単旋律の音楽のはずなのだが、その音楽の表情を読み取ることができず、追いかけても追いかけてもその距離が縮まることがないという悪夢的な不気味な音楽体験を得た。ただものではない。

「インテルメッツィV」も耳鳴りのようなアコーディオンの高音の持続音が鳴らされるなかでのヴィオラの反復楽句で始まり、やがてアコーディオンがたくさんの音による不協和音を奏でる中、今度はヴィオラがかすれるようなロングトーンを奏でるなど音楽的相貌が二転三転してとどまることを知らない。豊かであるが、しかし捉えることのできない、1つの作品なのにたくさんの相対立する要素を含んだ音楽として聴こえてきた。

音響の感触、距離感、速度、相貌、そういったものが1つの音楽の中でその音楽自身によって異化され続ける、そのような不思議な音楽体験こそが望月の独自性にして真骨頂と知った。ある楽想の一瞬後にどんな楽想が来るのか予想がつかない。だが、それらが音楽作品として1つの全体をなしているのだ。

そして最後の「赤い大地」は今回の個展を締めくくるにふさわしい作品であった。冒頭のヴァイオリンによる2音の楽句が拡大・反復・変形されていくという古典的な形式にのっとっていると思いきや、最初のそれとは全く違う楽想が4人によって激しく奏でられたり、小さな音の断片が高速で奏者の中で受け渡されてアンサンブルされる中、音楽に次第に狂気が混ざっていく。最後には音も絶え、弦をひっかくかすかな響きだけになって終曲かと思いきやヴァイオリンがハーモニクスでの強音を耳もつんざく勢いで奏でて終わる。自らを異化し続ける、望月のその音楽世界の全てがこの作品には詰まっていた。

このような個性的な作曲家を特集してくれたTokyo Ensemnable Factoryの活動は今後も注目すべきだと太鼓判を押せる。現代音楽の終わりが喧伝されたのも最早過去のことであるが、しかしまだ現代音楽には逸材も、その逸材の下に集まる人々もいる、そう確認できたことはなによりも嬉しいことであった。

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